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4.3 複合助動詞「という」「って」「とか」の情報とモダリティ

4.3.1 伝聞用法「という」の情報とモダリティ

4.3.1.3 伝聞用法「という」の範疇

従来、「という」は他人の言葉はもちろん、自己の発話や考えの引用にも用いることがで きることから、引用表現として扱われてきた。しかし、宮崎 他(2002:164)は、言い伝え的 な特徴をもつことが「という」の特徴であるが、通常の伝聞にも使用され、なお普通体の「と いう」が使用されるのは、書き言葉に限られているとした。このように、「という」が書き言 葉で多用されることも、「という」が伝聞として用いられているのか、あるいは引用として用 いられているのかを分かりにくくする一つの原因になると考えられる。

前にも触れているが、中畠(1992:19)は伝聞は命令・疑問・意志・勧誘など陳述度の高い 成分とは共起しないとしている。しかし、これは一部助動詞や伝聞「そうだ」を基準にした伝 聞定義であると思われ、実際は、「そうだ」と同じく伝聞のみの意味機能を持っている「との ことだ」が以下のように、命令・意志・疑問・勧誘・丁寧形に加え終助詞にも後接できるこ とから認められにくい。

(20)a.後日会社に、金融会社から電話があり、給料の30%を差し押さえてくれとのことで した。びっくりして、本人に確認したところ実は、300万の借金ですとのこと。

(現代日本語書き言葉均衝コーパス)

b.冬タイヤももう一冬なら越せそうとのこと。 (現代日本語書き言葉均衝コーパス) c.今朝、じいじから電話あり。息子が電話対応をし、よくわからないが昼一緒に行こう

とのこと。おばあちゃんが美容院から帰ってきたら電話するねっていう電話だった。

(現代日本語書き言葉均衝コーパス) d.女王陛下がお話ししたいことがおありだそうです。少し、お時間をいただけないでし

ょうかとのことでした。 (現代日本語書き言葉均衝コーパス)

このように、伝聞「とのことだ」が報告文などの文末に現れ、「とのことだ」の前に「命令・

疑問・意志・勧誘・丁寧形」がそのまま残ることは、過去の出来事に対する発話時の、もと の話し手の心的態度を前面化する効果があると思われる。さらに、「という」が伝聞として用 いられた際、以下のように話し手による捉え直しが想像できることから、伝聞「という」に先

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行する「命令・疑問・意志・勧誘」が、必ずしももとの話し手の発話であるとは限らない場合 もある。

(20)e.お父さん:ゴーシュさんはとてもいい人でぜんぜん怖くないから彼のところに行って 習ってみたら。

→だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人で怖くないから行って習え と言ったよ。

以上のようにお父さんに「習ってみたら」と言われたもとの発話を、話し手の表現意図を もとに、「行って習え」と命令形に捉えなおすことも可能であるからである。

さらに、中畠(1992:21)では伝聞は「た形」をとらないとしている。認識のモダリティを、

現実世界の可能性や必然性に対する話し手の主観的判断に限定するならば、過去をとらない という認識の仕方もありうるが、本稿では証拠モダリティにおいての「た形」を、話し手の表 現意図を表す戦略の一つとして捉えているため、話し手は、情報と発話時現在の自分とを離 して提示することで情報と心理的距離を確保することができると考える。そのため、「とい う」は「といった、といっていた」のように「た形」をとることも可能であると思われ、実際に 第 2 言語・外国語としての日本語学習教材にも、「と言っていた」を伝聞として提示している 場合が多かった。

(21)a.先生は試験はむずかしいと言いました。(日本語初級) b.メアリーさんは忙しいと言っていました。(Genki Japanese)

一般的に、直接引用が他者や自己の話・考えをそのまま「“”」で取り囲み、話し手の主 観の介入をブロックしているのに対し、伝聞「という」は、他から入手した情報を他者に伝え る際に直接引用の証である「“”」を取り除くなど、最小限の再構築過程を施していると言え る。本稿は、このように「できるだけもとの形を維持しようとする」という話し手の表現意図 も、広義の意味で伝聞のモダリティとして見做す立場である。また、このような立場から考 察することで、伝聞表現という一つのカテゴリーの中で、伝聞に用いられる表現間の違い、

たとえば情報伝達の場においてどのような経緯で「そうだ」が選ばれ、あるいは「という」が選 ばれているのか、伝聞表現それぞれに含まれる話し手のモダリティや表現意図、聞き手に及 ぼす影響などについて把握することができる。よって、本稿では実際の言語使用の面を考慮

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し、命令・疑問・意志・勧誘など陳述度の高いものや、「た形」をとるものも構文形式の面で 逸脱していない限り伝聞とする。

ただし本稿では、以下のように他から入手した情報を「様態」的に捉えて説明しているも のは伝聞表現としない。

(22)a.そんなめんどうをなるだけせぬようにして、さっさと引っ越すのだというのである。

(雁)

b.持ち主は湯島切通しの質屋で、そこの隠居がついこのあいだまで住んでいたのが亡く なったので、ばあさんは本店へ引き取られたというのである。(雁)

c.ある日娘を外へ呼んで、もうだんだんかせがれなくなるおとっさんにらくがさせたく はないかといって、いろいろに説きすすめて、とうとうがてんさせて、そのうえでお やじに納得させたということである。(雁)

d.亭主のうちにいるときにははなはだしくして、るすになると、かえって醒覚したよう になってはたらいていることが多いということである。(雁)

以上は、他から得た情報を「という」を用いて表しているが、「伝聞」として用いられてい るというより、小説などで読者の理解を助ける目的でコトガラの様態を説明していると思わ れ、伝聞ではなく「様態」とする。このように、伝聞ではなく様態的に捉えられる理由として 挙げられるのは、「というの、ということ」に後接する指定詞「である」の影響であると推察さ れる。

中畠(1992:21)では、「引用」と「伝聞」を区別する大きな要因は、元の話者の心的態度をそ のまま伝えるか、新たに話し手が自己の心的態度をもとに述べるかにあると定義した。この 観点からも上記の用例(22)は、もとの話し手の心的態度を直接引用的にそのまま伝えている ものでもなく、また現発話の話し手の心的態度をもとに、新たに捉え直しているものとも考 えられないが、その原因として挙げられるのが、やはり「というのである・ということであ る」の「である」の存在である。「である」は主に説明文に用いられる断定・指定を表す助動詞 であるため、その影響で上記の用例は「様態」の性格が強いように感じられる。

本稿では引用の範疇に入るものとして、

①話し手の自己の思考・考えを言語化したもの。

②話し手の自己の前述や直前の発話を再度リピートしているもの。

③コミュニケーションの場において聞き手の考えを先取りして言語化したもの。

④聞き手の前述や直前の発話をリピートしたもの。

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⑤もとの発話と現発話の間の時間差が見られず、発話相手の交代や発話の場の移動がみ られないもの。

⑥話し手による情報の形式や内容面での捉え直しがないもの。

⑦他から入手した情報を当事者に確認する

以上の七つを設定した。また伝聞表現としては、

①もとの発話者と現発話者が異なるもの。

②他から入手した情報を話し手の主観的認識態度や表現意図をもとに捉え直していると 認められるもの。

③情報源が明示される表現もあれば、明示されない表現もあるが、どちらも話し手によ る情報の再構築が見られるもの。

④もとの発話と現発話の間に時間差または場の移動が認められるもの。

⑤必ず聞き手が存在するもの。

以上の五つを設定し、伝聞表現の用例を集めた。③の情報源に関して伝聞「そうだ」、伝 聞用法「という」は必ずしも情報源を明示する必要がないが、伝聞用法「ようだ」、「って」、

「とのことだ」は情報源を明示するか、文脈から把握できないと伝聞に用いることができず、

伝聞用法「とか」に関しては情報源が明示されないのが普通である。このような点を踏まえ、

本稿では情報源が話し手の情報に対する心理的距離を間接的に表すことができると見做す。

(23)a.そこで並みいる士官も我劣らじと水盃を挙げて下士官の健康を祝したと言うぜ。

(吾輩は猫である) b.(母によると)狭い道を広くするため、昭和四十五年に、道ぞいにあった家をそのまま

今の所に動かしたというのです。(3 年生の教科書)

これらは、引用というよりは伝聞といった方が適しているように見受けられる。(23.a) は、伝聞「そうだ」と同じように言い伝えに用いられていて、(23.b)も、母親から伝え聞いた ことを読み手に伝えていると思われる。伝聞用法「という」は書き言葉に用いられる伝聞表現 であり、話し言葉では主に「と言っていた」が用いられる。