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5.2 伝聞表現の文法範疇と意味範疇

5.2.2 伝聞表現の意味範疇

5.2.2.2 伝聞表現の意味範疇②

本稿において縮約されている‘-고 하(ko ha)-’が復元できなかったため、伝聞表現の 文法範疇に属させるべき表現であるが、使用頻度が非常に少なく、尚且つ文法範疇に属させ

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ている表現と意味的違いがあまり見られない表現(‘-다데(tatey))や、連体修飾形伝聞表現、

縮約形がない表現、膠着語ならではの特徴から文法要素が複雑に重なり合っている表現を<

表 21>の通り伝聞表現の意味範疇②に属させた。

<表 21. 伝聞表現の意味範疇②>

意味範疇②

다데(tatey) 다잖아(tacanha) 다는 거다(tanun keta) 다고 듣다(tako tutta) 다더구만(tatekwuman) 다던가(tatenka)

다고들 하다(takotul hata)

다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci) 다지 뭐야(taci mweya)

(25)‘-다데(tatey)’

a.아무개 집이 이번에 도로로 들어 간다데.(国立国語院) amwukay cipi ipeney tololo tule kantatey.

b.난 싸우고 싶은데 그는 사랑을 하고 싶다데요.(国立国語院) nan ssawuko siphuntey kunun salangul hako siphtateyyo.

c.俺が親分の愛人を侮辱したって言うんだ。(シ)

내가 지들 두목 애인을 모욕했다데?

nayka citul twumok ayinul moyokhaysstatey?

표준국어대사전(1999:1537)によると、‘-데(tey)’は話し手が直接経験した事実を報

告するように伝える時に用いられ、‘-더라(tela)’と同じ意味であるのに比べ、‘-대(tay)は直接経験した事実ではなく、人が話したことを間接的に伝えるときに用いられる

と述べられている。しかし、‘-데(tey)’は‘-다데(tatey)’の形で(25.a,b)のように平叙 文として表れる場合は、人の話を客観的に伝えることができ、 (25.c)のように上昇イント

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ネーションで、情報に対する 話し手の不満・不信を 表すこともできる 。よって

、‘-다데(tatey)’の情報共有の確保手段は、他から得た情報の伝達であり、話し手の心的態度

を表す戦略は、情報と距離を置いて客観的に伝えるか、情報に対する話し手の不満・不信を 表すことである。また聞き手の立場からは、情報が客観的に提示されるため、情報の真偽判 断に介入できる。

(26)‘-다잖아(tacanha)’

a.携帯を届けたら、預かれないって。(ヤ)

아니, 핸드폰만 맡기고 가려고 했는데 물건은 안 맡아 준다잖아.

ani, hayntuphonman mathkiko kalyeko hayssnuntey mwulkenun an matha cwuntacanha.

b.養子縁組に支援だと。(ヤ)

국내 입양아를 위한 사업을 한다잖아.

kwuknay ipyangalul wihan saepul hantacanha.

c.去年首席だった子もダメだと思ったって。(カミ)

작년에 수석한 영준이도 과락만 안 되길 그렇게 빌었다잖아.

caknyeney swusekhan yengcwunito kwalakman an toykil kulehkey pilesstacanha.

‘-잖아(요)(canha(yo))’は、話し手の聞き手に対する確認要求表現として、聞き手と 話し手の情報共有認識を作り出す手段であると理解されてきた。온쓰카(2003)においては、

‘-잖아(요)(canha(yo))’を日本語の「じゃないですか」に対比させ、若者言葉としての‘-잖아(요)(canha(yo))’は、話し手と聞き手の情報共有認識とは無関係で、話し手と聞き手

(目上やよく知らない人)との間の距離を狭め、情報共有の場、会話の契機を提供する前置き 表現として、また新敬語表現として用いられると述べている。

しかし、伝聞表現‘-다잖아(tacanha)’は、基本的には(26.b,c)のように話し手と聞き 手の情報共有認識が認められるが、(26.a)の如く、話し手と聞き手の情報共有認識が認めら れない場合にも用いることができ、この場合は情報内容を強調し、事態に対する話し手の弁 解、つまり言い訳を表す。

‘-다잖아(tacanha)’の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達で、話し手の心的 態度を表す戦略は、(26.a)のように、話し手が用いる情報が他者の話であることを強調し、

自己弁護のように用いるか、(26,b,c)のように、話し手は自分が伝えている情報にある程度 信頼を寄せながら、話し手と聞き手の情報共有認識を強調し、念を押す形で聞き手を話し手 の方へ誘導することである。このように話し手により情報が強調されて提示されるため、聞

167 き手は情報の真偽判断にあまり介入できない。

(27)‘-다는 거다(tanun keta)’

a.今国道監視カメラを確認しているそうだ。 (ツ)

이 근처 국토 CCTV 를 관리하는 지역도로공사에서 수색중이라고 잠시 대기하라는 거야.

i kunche kwuktho CCTVlul kwanlihanun ciyektolokongsaeyse swusaykcwungilako camsi taykihalanun keya.

b.名誉毀損はもちろんのこと、強引な捜査を続けたせいで命を失ったと。(サ)

수사과정에서의 명예회손은 물론이고 결국 무리한 수사 때문에 정차영 대표가 목숨을 잃게 됐다는 거야.

swusakwacengeyseuy myengyeyhoysonun mwulloniko kyelkwuk mwulihan swusa ttaymwuney cengchayeng tayphyoka mokswumul ilhkey twaysstanun keya.

c.テヨンがパク・ハを好きなんだって。(ヤネ)

태용이가 박하를 좋아한다는 거야 글쎄.

thayyongika pakhalul cohahantanun keya kulssey.

‘ -다는

거다(tanun keta) ’ の ‘ ‐ 거(ke)- ’ は 依 存 名 詞 で あ る た め 、 ‘ -다는 거다(tanun keta)’は連体修飾形伝聞表現である。‘-다는 거다(tanun keta)’は話し言葉

では主にパンマル体の‘-다는 거야(tanun keya)’の形で用いられる。‘-다는 거야(tanun keya)’の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達で、話し手の心的態度を表す戦略は、

情報に対する話し手の信じられない気持ち・驚きなどを 表すことであるが、(27.c)の

‘글쎄(kulssey)’のようにモーダル性の強い表現を文の前後に加え、話し手の驚きの気持 ちをさらに強調すると共に聞き手を話し手の方へ誘導する表現である。また次の如く、

강준혁 후보 측에서 검찰 내부에 힘을 쓰기 시작했어(kangcwunhyek hwupo

chukeysekemchal naypwuey himul ssuki sicakhaysse).’と話し手が他から得た何らかの情 報 か ら 、 ‘

수단과 방법을 가리지 않고 재수사를 막겠다는 거야

(swutankwa pangpepul kalici anhko cayswusalul makkeysstanun keya).’と、その情報に内在されている意味を 類推して伝える場合にも用いられるが、この場合は伝聞ではなく引用とする71。‘-다는

71 本稿4.2.2の伝聞用法「ようだ」は、話し手が他から得た情報が話し手の認識世界で内面化され、話し手の自己責任のもと で推論のように言語化すると述べたが、この用例の場合、他から得た情報を完全に話し手の推論として言語化している ため、伝聞と認めることはできない。

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거야(tanun keya)’により提示される情報が聞き手に及ぼす影響は、情報が話し手の驚きな

どの気持ちを込めて提示され、聞き手を話し手の方へ誘導しているため、聞き手は情報の真 偽判断にあまり介入できなくなることである。このことから日本語の連体修飾形伝聞表現は 情報を客観的に提示するのに比べ、韓国語の連体修飾形伝聞表現は情報に話し手の主観が介 入し、聞き手を話し手の方へ誘導しているため主観的であると言える。

(28)‘-다고 듣다(tako tutta)’

a.明洞の遊説5千人が聞いていたそうだ。(ツ)

명동 유세에 모인 인파가 5 천명이 넘었다고 들었습니다.

myengtong yuseyey moin inphaka 5chenmyengi nemesstako tulesssupnita.

b.一つ頼んでも。スジョンとホンソクの事件を調査中だとか。(ツ)

부탁 하나만 드려도 되겠습니까? 수정이하고 홍석이 사건을 조사한다고 들었습니다.

pwuthak hanaman tulyeto toykeysssupnikka? swucengihako hongseki sakenul cosahantako tulesssupnita.

c.UBC 放送の社長に顔が利くそうですね。(ツ)

UBC

방송국 사장단을 움직일 수 있다고 들었습니다.

UBCpangsongkwuk sacangtan wumcikil swu isstako tulesssupnita.

d.行政安全部の次官が来てたとか。(ツ)

그날 행안부 차관님의 방문이 있었다고 들었습니다.

kunal haynganpwu chakwannimuy pangmwuni issesstako tulesssupnita.

伝聞として用いられる‘다고

듣다(tako tutta)’は命令・疑問・勧誘形をとらず、

‘다고 듣다(tako tutta)’の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達であるが、主に 話 さ れ た こ と の 伝 達 で 用 い ら れ る 特 徴 が あ る 。 話 し 手 の 心 的 態 度 を 表 す 戦 略 は ‘

-듣다(tutta)’、つまり「聞く」という動詞が物語っているように、情報と距離を置き間接的

に伝えることである。さらに(28.c,d)のように、話し手が用いている情報内容が他から得た 情報であるということを示す上に、聞き手に情報の真偽を確認する機能も持っている場合も あるが、それが常ではなく、この際の話し手の情報確認の度合いは必ずしも強いものではな い。よって情報が聞き手に及ぼす影響は、話し手により情報が間接的に提示されるため、聞 き手は情報の真偽判断に介入できる。聞き手は話し手に情報の確認を求められる場合もある が、聞き手の情報提供は、‘-다며(tamye)、-다면서(tamyense)’が用いられた際の情報提 供より消極的に行われる可能性もある。そのため、‘다고 듣다(tako tutta)’は情報を間

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(29)‘-다더구만(tatekwuman)’

a.3ヵ月ほど先になるそうだ。(国立国語院) 한 삼개월 걸린다더구만.

han samkaywel kellintatekwuman.

b.녀석이

희랍의 조각 같은 몸매를 아주 사랑했다더구만. 자신도 보디빌딩인가 하면서 몸매를 가꾸었고. 녀석의 몸매도 자네 못지않았어. 사진을 보니 그렇더군.

(国立国語院)

nyeseki huylapuy cokak kathun mommaylul acwu salanghaysstatekwuman. casinto potipiltinginka hamyense mommaylul kakkwuessko. nyesekuy mommayto caney moscianhasse.sacinul poni kulehtekwun.

c.박창일 선생이 에덴 살롱에서 기다리겠다더구만…….(国立国語院) pakchangil sensayngi eyteyn sallongeyse kitalikeysstatekwuman…….

‘-다더구만(tatekwuman)’の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達であり、話し 手の心的態度を表す戦略は、情報と距離を置いて客観的に伝えることである。特に(29.b)を 見てみると、‘아주

사랑했다더구만(acwu salanghaysstatekwuman)’の後文に‘ 자신도 보디빌딩 인가 하면서

・ ・ ・

사진을 보니 그렇더군

(casinto potipiltinginka hamyense ・ ・ ・sacinul poni kulehtekwun) ’ 、 つ ま り 「 ボ デ ィ - ビ ルか 何 かや り な が

ら・・・写真をみたらそのようだった」の斜体で表記している文字から分かるように、情報

内容をかなり客観的に提示していることが分かる。そのため、聞き手は情報の真偽判断に介 入できる。

(30)‘-다던가(tatenka)’

a.聞いたところセヨンと付き合ってるそうだな。(コ) 내 듣기론 세연이하고 만나는 사이라던가.

nay tutkilon seyyenihako mannanun sailatenka.

남기심(2001:356)によると、‘-던(ten)-’は過去のある時点を基準とし、そのときの出

来事や、過去のある時点の現状や完了を表し、回想報告の機能を持っているという点におい て’-더(te)-’と同じであると述べられている。しかし、‘-던가(tenka)’は過去の出来事

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に対する疑問の意味を持っているため、その影響で伝聞に用いられる‘-다던가(tatenka)’

も、情報を不確かなものとして伝える伝聞表現になる。‘-다던가(tatenka)’の情報共有の 確保手段は他から得た情報の伝達であるが、話し手の心的態度を表す戦略は、情報と距離を おいて不確かに伝えることである。情報が聞き手に及ぼす影響は、話し手により情報が不確 かに提示されているため、聞き手は情報の真偽判断に介入できることである。

(31)‘-다고들 하다(takotul hata)’

a.最近似てきたとか言われます。(天国の本屋)

제가 쇼코 이모를 많이 닮았다고들 해요.

ceyka syokho imolul manhi talmasstakotul hayyo.

b.신혼여행지로는 제주도가 제일 좋다고들 합니다. (延世韓国語 4-1) sinhonyehayngcilonun ceycwutoka ceyil cohtakotul hapnita.

c.올해 대학교 입학시험은 아주 어려웠다고들 해요. (延世韓国語 4-1)

olhay tayhakkyo iphaksihemun acwu elyewesstakotul hayyo.

‘-다고들 하다(takotul hata)’の情報共有の確保手段は、他から得た情報の伝達であ り、話し手の心的態度を表す戦略は、複数を表す接尾辞‘-들(tul)の存在から分かるように、

話し手が用いる情報が話し手の個人的な意見や、単に他から得た情報ではなく、複数の人、

あるいは一般にそう言われている、ということを全面的に示し、情報に対する聞き手の信頼 度を高めることである。よって、情報が聞き手に及ぼす影響は、話し手により、情報が信頼 度の高いものとして提示されるため、聞き手は情報の真偽判断に消極的になり、あまり介入 しないことになる。また、‘그 문제에 대해 사람들은 뭐라고들 합니까?(ku mwunceyey tayhay salamtulun mwelakotul hapnikka?)’つまり、「その問題についてみんな何と言って いますか。」のように、複数の人の見解を尋ねるときにも用いられるが、この場合は伝聞で はなく引用になる。

(32)‘-다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci)’

a.なのにジュナさんは警察に男を捕まえるなって。(カミ)

근데 사소한 싸움이라고 경찰한테 그냥 가라고 하는 거 있지?

kuntey sasohan ssawumilako kyengchalhanthey kunyang kalako hanun ke issci?

‘-다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci)’の‘-거(ke)-’は依存名詞であるため、

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‘-다고

하는 거 있지(tako hanun ke issci)’も連体修飾形の‘-다고 하는 거다(tako

hanun keta) ’ に ‘ -있지(issci) ’ が 付 い た 形 で あ る 。

장경희(1985) に よ る と ‘ -있지(issci)’の‘-지(ci)’は이미 앎(既知)を表すモダリティ表現である。しかし上記の

‘-다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci)’においての‘-지(ci)’は既知を表すという

より情報内容が話し手にとって納得できないものであることを聞き手に訴えている。‘-다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci)’の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達

で、話し手の心的態度を表す戦略は、情報に対する話し手の未予測の喜び・不満・不愉快と いった心的態度を表すと同時に、聞き手を同調させ、話し手の方へ誘導することにある。よ って、情報が聞き手に及ぼす影響は、情報に話し手の主観が強く介入することにより、聞き 手は逆に情報の真偽判断にあまり介入できなくなることである。

日本語の連体修飾形伝聞表現が情報を客観的に提示するのに比べ、韓国語の連体修飾形伝 聞表現‘-다는 거다(tanun keta)’、‘-다고 하는 거 있지(tako hanun ke issci)’の例 から、韓国語の連体修飾形伝聞表現は情報に話し手の主観が介入しやすく、聞き手を話し手 の方へ誘導していることが分かった。言語類型学的に類似していると言われている日韓両国 語伝聞表現のこのような違いは、日本語と韓国語の根底にある思惟的違いに起因すると言え るのではなかろうか。

(33)‘-다지 뭐야(taci

mweya)’

a.それもよ、この女の売る干し魚は、味がよいというて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買

っていたそうな。

(羅生門)

이 여편네가 파는 생선포는 맛이 좋다고 하면서 위병들이 거르지 않고 반찬거리로 사갔다지 뭐야.

i yephyenneyka phanun sayngsenphonun masi cohtako hamyense wipyengtuli keluci anhko panchankelilo sakasstaci mweya.

‘-다지 뭐야(taci mweya)’は、前述の用例(5)の‘-다지(taci)’と違い、聞き手への

情報要求機能がない。また、‘-다지(taci)’の‘-지(ci)’も既知の意味より後接する‘-뭐야(mweya)

’ と 相 俟 っ て 、 聞 き 手 に 話 し 手 の 主 張 を 訴 え る 意 味 が あ る 。 ‘ -다지

뭐야(taci mweya)’の話し手の情報共有の確保手段は他から得た情報の伝達であるが、話

し手の心的態度を表す戦略は、情報内容が話し手にとって未予測の喜びや不満であることを 表すことにあり、聞き手を話し手の方へ誘導するモーダル性の強い表現である。情報が聞き 手に及ぼす影響は、情報に対する話し手の強い感情表出により、聞き手は情報の真偽判断に