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第5節   第1次授業の総括   1指導上の観点からの総括

  今回の授業の指導上のねらいは次のようなことであった。

1 子ども一人一人がそれぞれ自分自身の電流概念を形成すること 2 科学の営みの一部に従事し、科学とはどんなものなのかを知ること

 はじめに、この指導上の観点2点についてまとめて総括する。

 まず第一に言えることは、今回の授業における子ども達の電流概念は、特に発 熱現象に関しては、電流と抵抗的なものとを関係づけてみる見方が育ってきたよ

うだが、衝突説などの克服にはそれほど変化は見られないということである。

 今回の授業では、電流の強さに違いによる発熱の違い(事象A)と導線の材質 の違いによる発熱の違い(事象B)を、首尾一貫した形で説明する場を設定した。

そうすることにより、子ども達は自分なりに事象Aと事象Bに関して何らかの違 いを見いだそうとした。その結果、網のような障害物を持ち出してうまく説明す

る子どもも出てきた。これは、電流が流れにくくなることが発熱と関係するとい う見方の萌芽であると見られる。電流の流れを妨げるものとして、抵抗的なもの

(網・壁など)を想定して、それとの関わりで、電流を見る見方が育ってきてい ると考えられる。

 しかし一方で、電流の流れに関して根強く衝突説が残っており、発熱現象をメ タファーで説明する活動を位置づけても、あまり影響を与えていないようである。

発熱現象の記述においては、衝突説でも何ら概念的葛藤を生じない。衝突説で矛 盾なく説明する子どももいるし、たとえ矛盾を抱えていても不満を持たないこと がわかった。もし、電流の流れに関して、科学的な概念の獲得を目指すならば、

発熱現象だけでは難しいと言える。

 第二に発熱現象を記述するには、粒による見立てが最も発展性を秘めているが、

子ども達は流体や雷による見立てでも、矛盾を含んだまま説明してしまうという ことである。

 発熱をメタファーによって記述すると、子どもの経験の中で発熱をイメージし ゃすい摩擦現象に結びつける見方が多く見られた。粒と粒、あるいは粒と障害物

との衝突や摩擦で説明しようとする例である。これらは、粒による見立てによっ        78

て最もうまく説明できる。雷や流体といったものでは、なかなかうまくはいかな いはずである。しかし、子どもの説明は、どの見立てであるかによらず、衝突や 摩擦を取り上げている。つまり、子どもたちのメタファー表現はまだ一貫性がな

く、矛盾をはらんだままでも、何ら不満を持つことがないのである。

 このことから、小学校6年生の段階では、アナロジーやモデルといった形に発 展させるには今回のような形では難しいと言える。

 科学の営みに従事することをねらった授業であったが、「電流に関わる事象を 表面的でなく、その背後にある見えない電流の振る舞いをイメージしながら、事 象を見直してみる。」というぐらいには子ども達を導くことができた。しかし、

そこから先の科学的なモデルの創造までは行けなかった。Heywoodらの研究で は、さまざまな発展が見られたが、小学6年生においては、そこまでは行かなか ったようである。

 第三は、メタファー表現による描画は子どもの概念把握に効果的と考えられる ということである。

 これは、単なる描画法と違って、子どものメタファーを見ることで、電流のど のような面に光を当ててみているかをかいま見ることができるからである。子ど

もが電流を粒のようなもので見立てるならば、存在性・量の増減がある・容器に 貯まるなどの面をイメージしている可能性を指摘できる。雷のようなものに見立 てるならば、エネルギー的な見方を指摘できる。

 また、メタファーを何らかの形で構造化し、アナロジー的なものに発展させら れることができれば、さらにメタファーを授業に位置づける意味が出てくると考

えられる。しかし、そこには今回とは別の手だてが必要である。第2次授業では、

その辺りの視点を持って指導に当たることにする。

2研究上の観点からの総括

 研究上のねらいは次のようなことであった。

1 子ども達が、電流を何に見立てているかをとらえ、メタファーを分類し、

電流概念形成にどう影響するかを分析する。

2 この授業プログラムにおいて、子どもの電流概念が、どの程度科学的な  ものに変容するかを調べる。

最初に、メタファーの電流概念形成への影響についてである。

子ども達のメタファーを見ると、大きく「雷のようなもの」「粒のようなもの」

「水のようなもの」の三つに分類できた。これらの見立てはそれぞれ電流概念形 79

成にどう影響したか述べてみる。

 まず雷のようなものとしての見立てである。子ども達の電流のイメージは雷と か、アニメに出てくるパワーの発散を雷のようなもので表現する場面などの影響 を受けていると見られる。一貫して最も多く見られた見立てがこの種のメタファ ーであった。発熱現象を説明するときに、この見方を捨て去ったように見える子

ども達が多かったが、事後調査でもわかるように、結局のところ電流を雷のよう なもので描く子どもが一番多かった。

 この見方の電流概念形成への影響として言えることは、雷そのものが抽象的で、

関係写像がうまくいかないことである。電流というターゲットドメインをうまく 説明するためのベースドメインとしての役割はあまり期待できそうにない。エネ ルギー的な見方をしているとか、子どもの電流概念の一面をかいま見るという役 割は担えそうだが、発展性という意味では扱いにくい見立てである。

 では、どういう条件であれば、雷のメタファーを生かせるだろうか。それは、

雷は摩擦をしない・雷は衝突しない、などを指摘し、何か他の見立てによる電流 の説明を試みるように奨励することであろうと思う。また、そのエネルギー的な 見方を生かしながら、電気エネルギーから光エネルギー、熱エネルギーへの変換

といった概念へとつなげる可能性があるかもしれない。

 次に、粒による見立ては、こと発熱に限っていえば最も科学的な説明に近づく 可能性を秘めている。授業の中で、最も他の子どもに影響を与えたのは、粒のメ タファーを持った子ども達の見方であった。粒と障害物との衝突や摩擦、あるい は粒同士の衝突や摩擦は、子ども達にとって、うまく発熱現象を説明するもので あった。子どもの経験の中で、摩擦熱はかなり知られた知識の一つである。そう したよく把握している知識であることは、ベースドメインとしての役割をよく果 たすために、重要な条件である。

 この粒による見立ては、いわゆる群衆移動モデルのようなある程度構造を持っ たモデルに発展する可能性がある。子どものメタファーの構造化が簡単ではない 以上は、どこかで教師がそれを提示する必要が出てくる。そうしたときに、この 粒による見立ては生きてくるように思われる。それは、実際に目に見えるモデル を作りやすいという点と、そこに至までの電流の振る舞いをとりあえず粒で記述 し、そのモデルが子どもにとって受け入れやすいものにできるという点である。

 最後に、水のような流体への見立てに関してである。

 水のようなものとして電流を見立てると、「回路を一方向に移動し、どの部分 でも一定である。」という概念を形成するには、非常に都合がよい。実際に水流 モデルで、電流をわかりやすく説明している教科書も多いのは、前にも述べたと

おりである。

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 今回の授業では、あくまでも電流による発熱現象を中心に進めたので、あまり 活躍の場がなかったが、回路全体における電流の振る舞いを記述する場合には、

むしろ中心的な役割を果たすであろう。

 水に見立てている子どもの最も苦労した点は、どうしても電熱線が発熱するこ とを、水の振る舞いから説明しにくいことである。水が外部から温められること なく、自分から熱を発する現象を、日常経験にある水の振る舞いから検索できな いのである。水に見立てた子ども達は、その辺から粒による見立てに変わってい

った。

 水のメタファーを生かす条件としては、回路全体を取り扱うことである。そし て、乾電池の役割とか、電流の流れを理解するために生かすことができるだろう。

 また、今回の授業で最も問題になったのは、衝突モデルの強固な保持である。

この衝突モデルに不満をもたせる可能性があるのは、この水のメタファーである。

発熱現象以外の事象を記述し、この水のメタファーを発展させれば、衝突モデル の克服が可能になるかもしれない。

 しかし、メタファー全体に言えることは、どの見立てであろうが、子ども達は その特性を無視して説明をする。雷も摩擦するし、水が自ら熱を生み出すのであ

る。一部の子どもに構造化の可能性は見いだせたとは言え、そもそも、子どもの メタファーはそういうもので、構造化はなかなか難しい。メタファーを科学モデ ルの創造に生かしたheywoodらの:方法を、そのまま小学校6年で適用するには やはり無理があった。

 比喩は経験的な基盤を介して始めて所定の概念の理解の伝達手段としての役 割を果たすことができる。31この授業において、子ども達の表現したメタファー から、電流に関する構造を記述するほどのモデルが創出できなかったことは、小 学校段階の子ども達の経験がまだ浅く、比喩の基盤が未成熟であったことに原因 があるのではないかと想像できる。

 小学校では、主に子どもの電流概念把握と、科学モデルを提示したとき受け入 れやすくさせるための概念の発展への寄与が、メタファーの役割であろう。

 次に、研究上のねらいの第2点目に関してである。この授業プログラムにおい て、子どもの電流概念はどの程度科学的なものに変容しただろうか。結論から言 えば、電流の流れに関してはかなり不満が残る。しかし、電流の流れやすさとか 流れにくさに関して、抵抗的な見方をする方向にはある程度導くことができた。

 授業プログラムに関わって言えば、記述の段階にメタファーを位置づけること には限界があると言える。子ども達の見方は、今のところ、それが正しいのかど

うか確かめようがないのだから、想像の域を出るものではない。ただし、その想 81