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子どもの電流概念

騒事前 圏事後

図5−24

以上の点をふまえて言えることは、次のような点である。

第一に、子ども達の電流の流れに関する見方は、授業によってそう大きく変 わってはいないということである。

事前の段階で不明の子ども達の見方が事後調査では明確になったことによる 人数の移動が原因で、各モデルの人数は増えている。しかし、全体的な傾向は ほぼ事前と事後で同じである。

授業で重視したのが、科学の営みへの従事であり、必ずしも概念転換を目指 さなかった。しかし、科学的に見ていく過程を経験したならば、本来ならばだ んだんと科学的な見方をする子どもは増えていってしかるべきである。

このことの原因は、まず、事象の記述の段階でメタファーを位置づけたこと により、確かめようがなくなり、事象と離れてしまったことが考えられる。つ

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まり、メタファーを生かす場の問題である。

次に、教師がメタファー生成を奨励したが、事象に基づくメタファー生成と いう前提をふまえていなかったため、子どものメタファー生成は、ただ単に「お

もしろい、独創的なメタファーであればよい」という状況になってしまったこ とである。つまり、支援のあり方の問題である。

第二に言えることは、衝突説は非常に強固だということである。

衝突説は、授業における子どもの記述を見ると、一部の子ども達をのぞいて、

かなり多くの子どもが捨て去ったかのように見えた。しかし、事後調査による と、むしろ増えているのである。ここでも、子どもの見方は状況に依存してい ることがわかる。

また、子どものメタファー表現を見ると、衝突説に基づいたままで、各事象 をうまく説明する子どもがいる。3組などは、それが他の子どもの見方にも影 響を与えていた。各事象をメタファーで表現させ、それを話し合いの場に挙げ て、意見の交流をすることで、衝突説はむしろ助長されたわけである。

以上二つの点から示唆されることは、次のようなことではないだろうか。

● 小学6年生段階において、子どもの生成するメタファーで、科学的な電   流概念に導くにはかなり慎重で、工夫された授業設計を必要とする。

● メタファーを位置づけるのは、予測の段階の方が記述の段階よりもふさ   わしい。それは、確かめる活動が入るからである。

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(2)電流による発熱に関する概念の変容

   次のグラフ(図5−25)は、電流による発熱に関する子ども達の見方を授   業の前後で比較したグラフである。(資料4参照)

電流による発熱に関する見方の前後比較

 40  35

 30

 25

人  20 数

 15

 10

 5  0

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、、

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A

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罫 註

通 変 衝 る 化 突   す す   る る

摩 抵 蓄 量 絡 速 擦 抗 積   み さ

す と     合 る 関     う   係

電流こよる発熱の見方

通 そ 不 り の 明 道 他

計事前 圏事後

図5−25

 このデータから、次のようなことがわかる。

 ● 電流を粒に見立てることによる、粒同士の摩擦や粒同士の衝突で発熱の   現象を説明する見方が大きく増えている。

 ● 何らかの抵抗もしくは障害物を想定して、そこから生じる通りにくさに    よって発熱の現象を説明する見方が大きく増えている。

 ● 電流が通ることそのものを重視していた子どもは大きく減り、他の見方、

  特に摩擦や抵抗といった見方を受け入れたと見られる。

 ● 電流そのものに関しては衝突説で説明する子どもが、電熱線の発熱に関    しては必ずしも衝突で説明していない。

 これらの点から次のようなことが言えるのではないだろうか。

 第一に、教師が科学的なモデルを提案することなく、子ども達自身で電流に 関する比喩を生成していくと、日常生活の中から事象に写像されやすい摩擦の

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ようなもので説明しようとする傾向が強い。

 一方、障害物の想定にしても、その障害物との接触なりが生じることで、ど こかに摩擦的なイメージがあるように思われる。

 こうしてみてみると、科学者たちが電子を説明するときに粒のようなもので 説明するのと子ども達のそれとは一面似ているのではないか。つまり、粒によ

る見立てやその衝突や摩擦といった形での電流の振る舞いの説明は、人間とし て非常に自然なものなのではないだろうか。具体的には「摩擦現象」「固体と固 体のぶつかり合い」「大量の粒の移動」のようなものである。これらは国や文化 を問わず、たぶん人類として広く共通に一般的に経験されるものであろう。科 学者たちが目に見えない電気の振る舞いを記述しようとしたときに、既知の領 域からそれらを検索して、電流に写像したということは十分に考えられること である。そうした意味で、子ども達が科学の営みの一部に従事できたのではな いかと考える。

 第二に、多くの子ども達の概念形成において、電流の振る舞いに関する一歩 進んだ思考が働いた。つまり、メタファーを授業に位置づけたことで、現象の みとらえる授業から発展した形一概念を取り扱う授業一が可能になった。

 電流が通ることそのものを重視していた子ども達は、「電流がどうやらこの 導線の中を移動していることは薄々感じているが、それがどういうわけで発熱 現象を引き起こすのかよくわからない、あまり考えたこともない」というのが が実のところではないかと思う。

 それが友達との意見交流の中で、よりわかりやすくよりもっともらしい見方 に出会い、見方を変えてきたように思われる。特に摩擦的な見方や抵抗的な見 方はとりあえず現象をうまく記述しているのである。彼らは自分なりの考えを 持った上で、そうした意見交流を行い、見方を変えてきた。ある事象に注目し、

なぜそういうことが起こるのか自分なりの見方を持ち、意見交流をし、事象を 説明できない見方については捨て去り、うまく説明できるものを支持する。こ れらの行為は、まさに科学の営みと言えないだろうか。

 第三に、電流そのものの振る舞いと電熱線の発熱を首尾一貫した説明でとら えられない子どもも依然として多い。子ども達は、状況に依存して説明してお

り、そこに統一した見方がなくても、子ども達は何の不思議もなくそれぞれの 説明に都合のいい見方を受け入れてしまっている。いわゆる状況依存性がここ でも見られるわけである。首尾一貫していない状況に不満を持たせるような事 象の提示が必要になってくるのではないか。これは第2次授業への課題となる

だろう。

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電流による発熱に関する見方は、クラスによってずいぶん違った様相を見せ た。特に最も科学的な見方に近いと見られる抵抗的な見方、それに次ぐ摩擦的 な見方は、事後調査において次(図5−26,27)のようであった。(資料

4参照)

抵抗的な見方 20

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