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第8章 研究のまとめ

第2節   先行研究からのdiscussion

 このことは、子どもの電流概念の遷移を見るとわかる。一つ一つの事象の記述 の過程を踏むにつれて、子ども達は徐々に科学的な電流モデルを支持するような 方向で、概念的な発展をみているからである。

 第2次授業における以上のような条件が、科学的な電流概念の形成に関連して いると考えられる。

 第1次授業のねらいは、科学の営みに子ども達を参加させ、科学とはどういう ものかを知らせるということである。この発想のヒントとなったのは、Heywood らの行ったアナロジーの破綻を効率的な学習の道具として評価することをねら った研究である。

 彼らは、「アナロジーの破綻から始まる探究の過程は、Cosgroveが言う science4n−makingである」と言う。アナロジーを通じて事象の記述を行い、ア ナロジーによって説明することのよさを感得させる反面、アナロジーに本質的に 内在する破綻点に気づかせることによって、新たな探究の過程を出発させる。そ れは、まさに科学の営みであるというわけである。

 このような彼らの研究と本研究の最も大きな違いは、対象である。彼らが教師 を対象にしているのに対し、本研究は小学6年生を対象にしている。当然ねらい も変わってくる。小学6年生に対して、アナロジーの破綻は適用するのは難しか った。子どもの経験がまだ浅く、電流に関する知識も十分ではないからである。

 そこで、科学の営みを限定する必要があった。

 第1次授業で扱った事象は、電流による発熱現象に限っている。そして、出発 点はアナロジーではなくメタファーである。子どもが生成したメタファーを生か

しながら、事象の記述をする。そしてそれぞれの子ども達がお互いに自分の見方 と他の見方を交流する中で、うまく説明できる見方を、学級の中のミニ理論とし て一般化する。科学の営みといっても、レベルとしてはその程度に限定した。

 このように、科学の営みのレベルの点で、Heywoodらの研究と本研究では違 いがある。では、それぞれの科学の営みの中で、どのような成果がみられたであ

ろうか。

 Heywoodの研究では、セッションに参加した教師達は、最終的に単純な電気 回路を説明する典型的なアナロジーを提示された。そして、これらのアナロジー がどれだけ有用であるかを検討していった。そこで彼らは、人間の循環器アナロ ジー、トンネルを移動する人間のアナロジー、そして水流アナロジーを単純な電 気回路の振る舞いに写像していくわけである。

 しかし、それぞれのアナロジーが十分に説明できない事象と対面したとき、つ まりアナロジーが破綻したとき、彼らは新たな問題をそこに見いだすことになる。

 アナロジーの有用性の検討から見いだされた問題は、最初の有用性を確信した とき4つであったものが、27個にまで増加したという。

 このことの成果は、「より以上の理解を生成する多様なアナロジーを使用した 代替的な説明のための考慮と調査に学習者を導いたこと」である。さらなる探究 活動に導いたのが、アナロジーの有用性の発見活動とその中で経験するアナロジ ーの破綻であった。

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 それに対して、本研究の第1次授業では、子どもは主に次のようなメタファー

を生成した。

 ● 抵抗的な見方につながる可能性のある、網とか壁などの障害物のメタファ  ● 電流による発熱現象を、粒のメタファーをベースにした、摩擦で説明する    メタファー

 ● 電流に関わる変数を記述するメタファーとして、粒や水の速さ、量、勢い    などの想定。

 これらを総括すると、電流による発熱を科学的に説明するために必要な、抵 抗・電流・電圧に関して概念的な発展の可能性のあるメタファーを生成できたと いうことである。

 このことの成果は、さらなる探究への導きというよりは、探究の基礎をなす自 分自身の電流概念の確認であった。

 Heywoodらの研究と本研究の第1次授業では、科学の営みの質と得られた成 果において以上のような違いがみられた。しかし、少なくとも共通して言えるの は、比喩的な思考を促すことが、科学の営みを経験させるというねらいを達成す る上で、貴重な役割を果たすことであろう。

 次は、同じくHeywoodの研究から、第2次授業の「手だて」に関して吟味す

る。

 二つに共通する手だての一つは、吟味されたアナロジーの提示という点である。

ただし違う点は、アナロジーとモデルの違いである。

 Heywoodらの研究に登場する学習者は、小学校教師である。それに対して、

本研究は小学6年生を対象にしている。小学校教師はその経験とそれに支えられ た豊富な知識という点で、圧倒的に小学6年生よりも優位に立つ。この違いは手 だてを選ぶ際の決定的な要因である。

 小学6年生は、具体的なモデルを提示しないと、自分たちの力だけで、メタフ ァーを構造化するのはかなり困難である。それは第1次授業から導き出された一 つの結論であった。それも事象の記述を通して、ある程度理解の高まった子ども 達に対して、モデルを受け入れやすい状況が煮詰まったところで提示した。

 もう一つの共通点は、アナロジーもしくはモデルを事象の予測や問題の解決に 応用したことである。ただし、H:eywoodらの研究がアナロジーの破綻を目指し

ているのに対して、本研究では、あくまでも有用性の確信までを目指している。

アナロジーの破綻については、口頭で触れるのみであった。

 このことは、学習者の概念発展の程度の違いに依存する。有用性の確信がおぼ つかない時点で、破綻点を語ってもあまり意味がないと考える。

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 以上の点から、「手だて」について言えることは、比喩的な表現を授業に位置 づけるには、概ね

 ①メタファーの生成・評価・修正を経た構造化  ②吟味されたアナロジーやモデルの提示

 ③アナロジーやモデルの有用性の確信  ④アナロジーの破綻からの新たな探究

 という段階があり、学習者の実態に応じてどの段階から始めるのが有効なのか 判断し、手だてを決定する必要があるということである。

2Wongの研究からのdiscussion

 次は、Wongの研究のから、第2次授業の「ねらい」を吟味する。

 Wongの研究と第2次授業の共通するねらいは、「学習者に科学的な概念を獲 得させること」である。具体的に彼の研究上で実施されたプログラムで採用され た事象は、次の三つである。すなわち

  ● 空気の圧縮(注射器のプランジャーを押すとプランジャーを動かすのに必    要な力の量は増加する)

 ● 減圧(ノズルがまだ覆われた注射器のプランジャーが引き抜かれるとき、

   プランジャーを動かすのに必要な力の量は増加する)

  ● 均衡(プランジャーが押されたか、引っ張られた後で離されたとき、それ    は元の位置に向かって戻る)

  これらの現象を記述するのにふさわしいアナロジーを自分で生成・評価・修正 するというのが概要である。

  このプロゲラムにおいて、Wongは次のような結果を得た。

  ● 11人中10人が生成されたアナロジーの使用を通して、気圧の説明の有    意味な変更を経験した。

11人の学習者を通じて、トータルで23の説明の変更が気付かれた。

これらの変更の中でいくつかは何人かに共通していた。

これらの共通の説明変更は次のようなものであった。すなわち、「分子運 動、分子衝突と気圧の間の関係の認識」「現象の説明における注射器の外 の圧力の熟考」「真空をよりょく理解したこと」「圧力と力の問のより明 確な区別をしたこと」

 このプログラムに参加した教育学部生は、最終的に圧縮・減圧・均衡の三つの 現象を全て説明するアナロジーにたどり着いたかどうかについて、Wongは触れ ていない。研究のねらいがそこにあったわけではないからであろう。

 しかし、そこを目指してアナロジーの生成・評価・修正の活動をする中で、学 138

習者達は、先に列挙したいくつかの説明の変更を行った。これは、ある一定の科 学的な概念に学習者が一律に到達することを目指しているのではないことを示 唆する。彼ら自身の元々の素朴概念を、彼ら自身のカで、それぞれ発展させれば

よいと言うことであろう。

 そういうねらいの達成には、sel£gellerated analogyは効果を発揮したようで ある。学習者達は、生成したアナロジーの説明力に満足したり、ある現象におい ては全く説明に役立たないことに気付いて落胆したり、実に生き生きと自らの概 念を発展させていたようである。

 このようなねらいと達成度を報告したWongの研究に対して、本研究のねらい は、「電流は一方向に流れ、回路において一定に保たれる」という電流理解に導 くことであった。そしてその達成度は約9割であった。

 大きな違いは、ねらいが相対的か絶対的かということである。本研究の第2次 授業は、絶対的な目標を掲げ、子どもをそこに到達させることをねらっている。

それに対してWongの研究では、目標が相対的で、あくまでも概念を形成するの は学習者であるという姿勢を崩していない。

 構成主義的な学習論の立場に立つならば、Wongの目指した方向は正しい。科 学的な概念形成の意味は、科学者集団の科学を獲得することにあるのか、それと

も学習者の概念を、それぞれの形で発展させるこ.とにあるのか、議論が必要であ

ろう。

 Wongの研究も、本研究の第2次授業もそれぞれねらいは達成できたようであ るが、ねらいの違いから、達成度を単に比較してもあまり大きな意味は見いだせ ない。それよりもねらいをどこに置くかということに関して、先に述べたように 科学的な概念形成の意味を検討することの方が意義深く思える。

 しかし少なくとも、どちらの研究も学習者にとって、後々有用になる見方を獲 得させることができたということは言えるであろう。

 最後に、Wongの研究から、本研究の第1次授業の「手だて」を吟味する。

 これらに共通する手だては、学習者が自ら生成するアナロジーを生かすことで ある。さらに、事象の記述という段階においての使用ということも共通している。

 Wongの研究では、教育学部生が先に挙げた三つの現象を説明するアナロジー を希求する。その際、彼らはこの現象は、このアナロジーでは説明できないと気 付いたり、それに取って代わる新たなアナロジーを生成したりと、アナロジーの 生成・評価・修正を問題なく行っている。

 しかし、小学6年越にできるかというと、それはかなり困難である。もし可能 であるとすれば、教師の側から例を示したり、考え方の指針を示したりと、スモ ールステップを踏んだ訓練プログラムを設定するというのが一つの対策だろう。

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