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一,国郡または在所を持ち候大名,その家中の者共を伴天連門徒に押し付け成し候事は,本願寺門徒 の寺内を立て候よりもしかるべからざる儀に候間,天下の障りに成るべく候条,その分別これなき 者(そのことをわきまえない大名)は,御成敗を加えらるべく候事。

設問

A 第6条には戦国時代の一向一揆の行動が記されている。その特徴を2行以内で説明せよ。

B 伴天連(キリスト教宣教師)は,日本布教にあたってどのような方針を採ったか。第8条から読 みとって,2行以内で述べよ。

C 秀吉が,一向宗や伴天連門徒を「天下の障り」と考えた理由は何か。2行以内で述べよ。

第3問

幕末の開港後,国内の情勢は急速に不穏さを増していった。文久 3 年(1863)末,幕府は使節団をヨー ロッパに派遣して,これに対応しようとした。使節は条約を締結した各国をまわる予定であったが,翌 年春にフランス一国と交渉を行ったのち,与えられた使命の遂行を断念し,予定を打ち切って帰国の途 についた。

以下の史料は,使節が書きとめたフランス外務大臣との交渉記録の一部である(原文には一部手を加 えてある)。

これを読み,下記の設問に答えよ。

〔幕府使節〕 外国貿易の儀は,最初より天朝において忌み嫌われ,民心にも応ぜず,一種の凶族あり て,人心不折合の機会に乗じ,さかんに外国人排斥の説を主張す。すでに,不都合の事ども差し重 なり,このまま差し置き候ては,かえって交誼も相破れ申すべく候。ひとまず折り合いをはかり候 ため,神奈川港閉鎖いたし候わば,外国へ対し不都合の次第も差し起こらず,国内人心の折り合い の方便にも相成り,永久懇親も相遂げられ申すべし。

〔フランス外務大臣〕 神奈川港閉鎖の儀はできかね候。天朝御依存のところ,強いて条約御取り結び なされ候政府の思し召しはよく相分かり候。さりながら,ただ今にいたり条約御違反相成り候わば,

戦争に及ぶべきは必定にこれあり。御国海軍は,たとえば大海の一滴にて,所詮御勝算はこれある まじく存じ候。

設問

A 幕府使節のフランスへの要求は何か。1行以内で述べよ。

B 幕府がこのような使節を派遣するにいたった背景は何か。下線部の内容に留意しながら,3行以 内で述べよ。

C 幕府使節はなぜ交渉を断念したのか。フランス外務大臣の対応にふれながら,2行以内で述べよ。

第4問

下のグラフは外国為替相場(年平均)と商品輸出金額の変動を示したものである。このグラフを見て,

この時期の経済政策と経済状況について,5行以内で説明せよ。解答には下記の4つの語句を一度は用 い,使用した箇所には下線を引くこと。

緊縮政策  金輸出解禁  金輸出再禁止  世界恐慌

解法の研究

第1問

A 設問の要求は,駅が設置された目的。条件として,山陽道の駅馬が他の道に比べて多いことの背景にふれることが求 められている。

資料文からデータを引き出そう。

⑴ 山陽道は都と大宰府を結ぶ道。

ここから,山陽道が他よりも重視されていた理由が推察できる。

⑵ 地方での反乱や災害・疫病の発生,外国の動向などを中央に報告する使者が駅馬を利用。

⑶ 中央で出された詔(公文書)を地方に伝達する使者が駅馬を利用し,食料の支給をうける。

⑷ 駅を利用する使者に対し,必要な食料の支給や宿泊の便宜を提供。

問題文に「都と地方を結ぶ道路が敷設され,駅という施設が設けられて」とあることも念頭におけば,駅は中央と地方 との政治的な情報伝達をスムーズに行うために設置されていたことがわかる。駅は,中央政府の命令を迅速に諸国に伝達 するとともに,大宰府にもたらされる対外情報や諸国の政務内容などを中央に伝達するために整備されたのであり,律令 国家の中央集権的な全国統治を支えるための存在であった。

さらに,

⑸ 駅馬を利用する使者は位階に応じて利用できる馬の頭数が定められていた。

駅は,位階をもった人びと,つまり貴族・官人しか利用できず,位階をもたない農民など一般の人びとが利用できるも のではないことがわかる。あくまでも官吏公用の施設であった。この点も答案のなかに活かしたい。

B 9世紀半ばころに駅子が逃亡するようになった理由。

駅子については資料文⑷で説明されている。駅馬の飼育に従事し,駅長とともに駅使の供給(必要な食料の支給や宿泊 の便宜を提供すること)にあたった人びとである。

資料文⑸によれば,駅馬を利用する使者は,位階に応じて利用できる馬の頭数が規定されていたものの,9世紀前半には,

都と地方を往来するさまざまな使者が規定より多くの駅馬を利用することが頻繁におこっていた。ここから駅子の逃亡を 招いた背景を推察することができる。

ただ,そこでとどまらず,資料文⑴にある “駅は国司が監督責任を負った” というデータを活用したい。つまり,9世 紀になると国司による監督が弛緩してしまっていることが,明示されない形で表現されていることを読み取りたい。国司 による監督が弛緩してしまったからこそ,駅使が規定より多くの駅馬を利用するというような不法行為が横行するように なっていたのだ。

では,なぜ9世紀に駅に対する国司の監督(→国司による地方支配)が弛緩してしまったのだろうか?(このように問 題を設定すると 1996 年第1問が関連問題として浮かんでくる) 答案としては“律令制の衰退”で十分だが,院宮王臣家(皇 族・貴族)が地方の有力農民(富豪百姓)と結びながら私的な土地所有に走っていたことを想起したい。また,皇室のた めの直営田である勅旨田が各地に設置されたり(国司が開発・運営),皇族には天皇から賜田とよばれる田地が与えられ るようになっていたことを思い出そう。特権的な皇族・貴族たちが天皇の権威や国家機構をよりどころに私領の形成にい そしんでいたのが9世紀である。

【解答例】

A駅は,中央集権的な律令国家の下,中央と地方の政治的な情報伝達を迅速に行うために設置された官吏公用の施設 で,外交上の要衝大宰府と都を結ぶ山陽道は外国使節の往来もあり特に重視された。

B駅子は庸・雑徭を免除されたが,駅馬の飼育や駅使の供給などの労役があった。そのうえ,9世紀に入ると,律令 制の衰退に伴って駅に対する国司の監督が弛緩し,駅使による規定以上の駅馬利用が横行した。そのため,駅子の負 担が過重となり,逃亡が続出した。

第2問

A 設問の要求は,戦国時代の一向一揆の行動の特徴。条件(というよりヒント)として,伴天連追放令の “第6条” を 参考にすることが求められている。

第6条には,「一向宗,その国郡に寺内を立て,給人へ年貢を成さず,ならぶに加賀一国を門徒に成し候て,国主の富 樫を追い出し,一向宗の坊主のもとへ知行せしめ,その上越前まで取り候て」とある。

ここで表現されているのは,①寺内町を建設していたこと,②年貢の納入を拒否していたこと,③加賀や越前では本願 寺を頂点とする門徒領国を実現したことである。

この3点をどのように答案のなかに活かすかがポイント。字数が2行(60 字)と非常に短いため,これらのデータを そのまま順番に記述すれば答案がつくれてしまう。入試本番ではそれも1つの対応策だが(あくまでも本番でのテクニッ クにすぎない),受験勉強のなかでこの問題を解く際にはそうした手法を採ってはならない。全く勉強にならないし,単 に史料のデータをピックアップしただけでは設問で要求されている “特徴” を記述することはできない。BやCとの関連 を考えるならば,“信仰のもとで団結”,“大名支配を拒否・排除” の2点をなんらかの形で表現することが不可欠である。

まず一向一揆がどのような組織なのかを確認しよう。

浄土真宗本願寺派は交通の要地に寺院を中心とした寺内町を建設し(商工業者が集住),惣村には道場をつくり,門徒 を講に組織していた。一向一揆は,そうした形で本願寺を頂点とする教団組織に編成された門徒たちが結んだものだった。

次に一向一揆の行動。

加賀で守護富樫氏を排除して自治支配を実現し門徒領国をつくりあげたことは,周知のことがら。伴天連追放令第6条 では越前も挙げられている。朝倉氏滅亡後に織田信長の支配を排除して門徒領国を実現していたのである(それに対して 信長は徹底した弾圧を断行)。これらは,国規模で大名支配の排除を実現した事例である。

これら以外に一向一揆に関する知識はないか。

伴天連追放令第6条には “寺内町” や “年貢納入の拒否” が挙げられているが(年貢納入の拒否については知識がない と思うのでそのまま答案に活かせばよい),寺内町については教科書で次のように書かれている。

「寺内町は周囲に土塁や堀をめぐらし,商人や鍛冶・番匠などの職人らが住み,不入や免税などの特権を獲得した。」(三 省堂『日本史』)

こうした特権は,細川晴元政権との争乱のなかでまず石山本願寺(大坂)が獲得し,次いで各地の寺内町も本願寺末寺 であることを根拠に獲得していったものであるが,大名領国のなかにあって局地的に大名の支配を拒否するものであり(“不 入権” と大名支配については 1988 年第2問も参照),惣村での “年貢納入の拒否” という動きと共通した性格をもつもの である。

これらのデータをコンパクトにまとめれば答案ができ上がる。

B 設問の要求は,日本布教にあたって伴天連(キリスト教宣教師)はどのような方針を採ったか。条件として,伴天連 追放令の “第8条” から読み取ることが求められている。

第8条には,「国郡または在所を持ち候大名,その家中の者共を伴天連門徒に押し付け成し候」とある。教科書では “大 名のなかにはキリスト教の信仰にひかれて洗礼をうけるものもあった” くらいの記述しかないが,この第8条からすると,

キリシタン大名は「家中の者共」=家臣や領内の民衆に対してキリスト教への改宗を「押し付け」ていたことがわかる。

このことをキリスト教宣教師の立場から表現すればよい。

C 設問の要求は,豊臣秀吉が一向宗や伴天連門徒を「天下の障り」と考えた理由。

伴天連追放令発令の背景について,教科書では “秀吉のつくりあげようとした国家体制にさまたげになる”(山川),“全 国統一のさまたげになる”(三省堂)などと記述されているが,それだけでは設問の要求にこたえたことにならない。

前提作業として,①豊臣秀吉がつくりあげようとした国家体制がどのようなものであり,さらに②一向宗門徒やキリシ タンの行動がどのようなものであったかを確認することが必要である。

①秀吉は,太閤検地・刀狩・身分法令を通して兵農商分離を進め,土地・人民の一元支配(在地支配の貫徹)をめざし ていた。それに対し,②一向宗門徒やキリシタンには武士・農民・商工業者などさまざまな身分のものが含まれ,それら が信仰のもとに強く団結し,大名支配から独立した勢力を築きあげていた。