第1問
次の文章を読み,下記の設問に答えよ。
奈良時代から平安時代の地方行政は,中央政府が任命し派遣する国司を中心として運営されたが,
その下には,その地域で力をもつ豪族や有力者から採用される現地の役人が置かれ,地方行政の実務 を遂行する上で大きな役割を果たしていた。こうした現地の役人について,奈良時代のあり方と平安 時代後期のあり方とを比較すると,外形的には似たように見えるところもあるが,任命・設置の形態 や,管轄の範囲・内容が異なるなど,役職の性格は大きく変化していた。
設問
A 現地の役人として,どのような人々が,何という役職に任命されたか。奈良時代と平安時代後期 とにわけて,2行以内で説明せよ。
B 現地の役人の役職としての性格は,奈良時代と平安時代後期とで,どのようなところが異なって
いたか。具体的に5行以内で説明せよ。
第2問
次の表は,遣明船の派遣状況を示したものである。この表を参考にして,下記の設問に答えよ。
入明年 渡航船 1401 幕府船 1403 幕府船 1404 幕府船 1405 幕府船 1407 幕府船 1408 幕府船 1408 幕府船 1410 幕府船
1433 幕府船・相国寺船・山名船・大名寺社十三家船・三十三間堂船 1435 幕府船・相国寺船・大乗院船・山名船・三十三間堂船
1453 天竜寺船・伊勢法楽舎船・九州探題船(聖福寺造営船)・大友船・大内船・大和多武峯船 1468 幕府船・細川船・大内船
1477 幕府船・相国寺勝鬘院船 1484 幕府船・内裏船
1495 幕府船・細川船 1511 大内船・細川船 1523 大内船
1523 細川船 1540 大内船 1549 大内船
設問
A 遣明船による貿易は,当時の日明間の外交形式にもとづき,明の認める枠内で行われていた。そ の外交形式や統制の手段はどのようなものであったか,3行以内で説明せよ。
B 前頁の表にあらわれた遣明船貿易の変化について,変化のきっかけとなった事件や国内情勢にふ
れながら,4行以内で述べよ。
第3問
次の文章を読み,下記の設問に答えよ。
1722 年,江戸幕府は全国の大名に対して石高1万石あたり 100 石の上げ米を命じ,その代償と して参勤交代の江戸在府期間を半減する措置をとった。この上げ米制は8年後には廃止が決定され,
在府期間ももとに戻されることになるが,参勤交代制の緩和に対しては,幕府に近い人々から,幕府 と大名の関係に重大な変化をもたらすおそれがあるものとして批判的な見解が示された。
設問
A 幕府が上げ米を発令せざるをえなくなった理由について,その歴史的背景に触れながら3行以内 で述べよ。
B 参勤交代の緩和策がなぜ重大な変化をもたらすおそれがあると考えられたのか。幕藩体制におけ
る幕府と大名の関係に留意しながら,4行以内で述べよ。
第4問
1910 年代から 1940 年代までの労働組合運動の変容について,社会的な背景に触れながら,8行以 内で述べよ。解答には下記の語句を一度は用い,使用した箇所には必ず下線を付せ。
米騒動 産業報国会 第一次世界大戦 日本労働総同盟 労働組合法
解法の研究
第1問
A 設問の要求は,国司の下で地方行政の実務を遂行した現地の役人について,①役職,②任じられた人々を,奈良時代 と平安時代後期とにわけて明らかにすること。
奈良時代
①郡司 ②もと国造などの地方豪族(在地の豪族)
平安時代後期
①郡司・郷司・保司 ②(新興の)開発領主
平安後期について,国衙の実務をになった役人(在庁官人)も書くべきかどうか,迷った人がいるかもしれない。しかし,
問題文で「現地の役人について,奈良時代のあり方と平安時代後期のあり方とを比較すると,外形的には似たように見え るところもある」と表現されていることからすれば,在庁官人ではなく郡司・郷司・保司のみを答えるのが適切である。
B 設問の要求は,現地の役人の役職としての性格を奈良時代と平安時代後期とで対比させること。
“役職としての性格” とは何なのか,この表現だけでは漠然としてわかりにくい。しかし,問題文に「任命・設置の形態 や,管轄の範囲・内容が異なるなど,役職の性格は大きく変化していた」と表現されているのだから,⒜任命・設置の形態,
⒝管轄の範囲・内容,の2点について対比すればよいことがわかるだろう。
奈良時代の “郡司”
⒜任命・設置の形態
国・郡・里制のもとで郡に設置→太政官が任命
⒝管轄の範囲・内容
戸籍作成・徴税などの民政全般の実務を担当 平安時代後期の “郡司・郷司・保司”
⒜任命・設置の形態
国内を新たに再編成して成立した郡・郷・保を単位に設置→国司が任命
⒝管轄の範囲・内容
(開発の促進や)徴税を請け負う
なお,律令制下の郡司については,1988 年度第1問も参照のこと。
【解答例】
A奈良時代には旧国造などの地方豪族が郡司に任命され,平安時代後期には新興の開発領主などが郡司・郷司・保司 に任命された。
B奈良時代の郡司は,律令制下の郡を管轄対象として太政官から任命され,国司の指揮のもとで徴税・勧農など地方 行政の実務を担当した。平安時代後期の郡司・郷司・保司は,開発領主の勢力範囲に従って公領を新たに再編制した 郡・郷・保を管轄対象として国司から任命され,国司に対して開発・徴税を請負った。
第2問
A 設問の要求は,日明貿易の基礎にあった①日明間の外交形式,②日明貿易の統制の手段。
①外交形式
明から冊封を受けた日本国王が明皇帝へ朝貢するという形式
②統制の手段
明の政策…海禁策により自由な交易を禁止。遣明船には勘合の所持を義務づけて倭寇と区別し,入港地を寧波に限定。
B 設問の要求は,遣明船貿易の変化。条件は,変化のきっかけとなった事件や国内情勢にふれること。
まず表から時期区分をおこない,それぞれの時期の変化の背景を説明すればよい。
足利義満による開始
⒜ 1401 〜 1410 年 幕府船だけ=幕府が独占
足利義持による中断→義教による再開(貿易の利益に着目)
⒝ 1433 〜 1495 年 幕府船だけでなく守護大名・寺社が参加 応仁の乱後,幕府の勢力後退
⒞ 1511 〜 1523 年 大内船と細川船だけ=実権をめぐって大内氏と細川氏が競合
(参加数が減少した 1468 年で時期区分してもよい)
寧波の乱後,大内氏が独占
⒟ 1540 〜 1549 年 大内船だけ
【解答例】
A明皇帝に臣従して日本国王に冊封された将軍が明に朝貢するという形式で行われた。明が海禁政策をとったため,
遣明船は明から交付された勘合の所持を義務づけられ,入港地を寧波に限定された。
B当初は幕府独占のもとで頻繁に派遣されたが,朝貢形式を嫌った義持が中断した。利益に注目して義教が再開した が,守護・寺社も参加し,派遣回数は減少した。応仁の乱以降,幕府を掌握した細川氏が大内氏と実権を競ったが,
寧波の乱を機に大内氏が独占した。
第3問
A 設問の要求は,幕府が上げ米を発令せざるをえなくなった理由。条件として,歴史的背景に触れることが求められて いる。この条件づけは,“新田開発と年貢増徴による財政再建の成果があらわれるまでの一時的な措置” という直接的な発 令意図だけに終わらないようにとの指示である。
上米令発令の背景は “幕府の財政窮乏” だが,その背景をきちんと表現しておきたい。
まず収入面。財源は年貢米収入。当然,米を換金する必要がある。ところが,当時の米価はどうだったか? そして支出面。
兵農分離のもと武士は生産から離れ,都市で消費生活を送るようになっていたが,17 世紀後半以降の商品経済の発達は,
武士の消費支出を増大させる。幕府は政府組織であるだけでなく将軍家の家政機関でもあったから,幕府の支出も増大し ていた。また,明暦の大火にともなう江戸復興,文治政治への転換にともなう儀礼費用,元禄期の寺社造営の増大なども,
幕府支出の増大の原因であった。
B 設問の要求は,参勤交代の緩和策がなぜ重大な変化をもたらすおそれがあると考えられたのか。条件として,幕藩体 制における幕府と大名の関係に留意することが求められている。
条件の「幕藩体制における幕府と大名の関係」が “将軍・大名の主従関係” を指していることはわかるだろうが,この 問題が解けるかどうかの分かれ目は,参勤交代が “将軍・大名の主従関係” においてどのような意義をもっていたかにつ いて考えたことがあるかどうかにある(類題:1983 年度)。
将軍・大名の主従関係は将軍による石高の給付・保障と大名による軍役の負担という相互関係によって成り立っていた が,大坂の陣で戦国の争乱が終わって以降,軍事動員の機会が消滅してしまった(将軍家光の上洛など臨時には存在した が)。そこで,将軍への忠誠を示す平時の軍役として参勤交代が制度化されていたのだ。こうした参勤交代が緩和される ことは,将軍・大名の主従関係にどのような変化をもたらすおそれがあるか?-それを答案の〆にもってくるとよい。
【解答例】
A幕府財政は石高制のもと天領からの年貢米収入を基礎としたが,米価が低迷して収入が落ち込み,さらに金銀産出 量も減少した上,明暦の大火後の江戸復興,商品経済の発達などで支出が増大した。