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第1問

摂関政治について下記の設問に答えよ。

設問

A 摂政と関白の共通点と相違点を,2行以内で述べよ。

B 摂関政治については,9世紀後半から 10 世紀中頃までの前期と,10 世紀中頃から 11 世紀中頃

までの後期の二期に分けて考えることがある。この前期の特徴を,後期と比較して4行以内で述べ

よ。

第2問

下の絵巻物の一場面は,鎌倉時代末期から室町時代にかけての商業・貨幣流通のあり方をよく示して いる。

まず,右下の(A)の男は,道路工事の寄付を求めて柄杓をさしだしている。それに対して,(B)

の釣り竿をもった男は,腰の袋を開けて,その中に入っている銭を取り出そうとしている。さらに,

この男たちの左手を重そうな荷物に蓑をかぶせて歩む(C)の男は,その姿形から行商人であると推 定される。また,画面の向こう側には茶を飲ませる施設(茶店の一種と考えてよい)が描かれている。

これは当時の町場の常設の店棚の様子を示している。

この絵と説明にもとづき,この時期における商業・貨幣流通のあり方について,6行以内で述べよ。

その際,かならず,代銭納・中国銭・為替の三つの語句を使用せよ。

第3問

近世の大坂は,全国最大の米の集散地であった。とりわけ 17 世紀の間には,諸国からの廻米量が急 速に増加した。17 世紀末,堂島に設けられた米市場は,18 世紀前半になると幕府によって公認され,

蔵米を中心とする数千石,数万石単位の米が日常的に取引きされて,連日大変な活況を呈した。

近世前期から中期にかけてのこの時期,米の商品化がこのように進展したのはなぜか。幕藩体制のし

くみや生産面・流通面で生じた変化について触れながら,5行以内で説明せよ。

第4問

次の文を読んで下記の設問に答えよ。

① 1898(明治 31)年に施行された民法は,家の戸主の地位を重んじ,これにふさわしい人をあて るため,男女のいずれでも家督を相続できると定めた。

② 1911(明治 44)年に公布された工場法は,女性と少年の深夜労働を原則として禁止した。

③ 1922(大正 11)年に改正された治安警察法は,女性が政治演説会に参加することを認めた。

④ 1925(大正 14)年に改正された衆議院議員選挙法は,25 歳以上の男女にひとしく選挙権を認 めた。

⑤  1947(昭和 22)年,新憲法にあわせて改正された民法は,男女の結婚を家でなく個人の意志 によるものとし,遺産相続の権利を妻にも与えた。

設問

A 上の五つの文の中には,歴史的事実の説明として誤ったものが2つある。それはどの文で,どの ように改めれば正しくなるか。誤り一つにつき1行を用い,初めに文頭の番号を記したうえで,誤っ た部分に対する修正案を記せ。

B 以上を参考にし,時代背景に留意しながら,大日本帝国憲法の時代における女性の地位とその変

遷について,6行以内で説明せよ。

解法の研究

第1問

A  問われているのは,摂政と関白の①共通点,②相違点。

“摂政は天皇が幼少のとき,関白は天皇が成人のとき” というのが最低限の知識だが,それだけでは相違点しか明らかに ならない。

では,共通点は何か。

摂政…天皇が幼少の間に政務を代行する。太政官から天皇に奏上される文書をチェックし,天皇へ取り次がずに自ら裁 可を下すことができる。

関白…太政官から天皇に奏上される文書や天皇から太政官に下される文書を事前にチェックする権限(内覧という)を もち,天皇が最終的決定を下す際に必ず合議を行わねばならない相手(相談役)。関白と合議せずに天皇一人だ けで決定するということはなかった

形式にやや違いがあるものの,いずれも,ア最終的な意思決定という天皇の権限に深く関与すると共に,イ天皇と太政 官の中間に位置して,他の公卿が天皇に直接結びついて自立して行動する可能性を排除し(天皇との結びつきを摂関が独 占),そうした形で公卿を統率し,太政官政務を統轄していた。ここに摂政と関白の共通点があったのである。

なお,摂関政治のもとでも国政の重要事項は太政官での協議を経て決定されており(内裏の近衛の陣で行われて陣定と 称された),律令制下の太政官政治の枠組みが踏襲されていた。

B 設問で問われているのは,前期摂関政治(9 世紀後半から 10 世紀中頃まで)の特徴。条件・限定として後期(10 世 紀中頃から 11 世紀中頃まで)と比較することが求められている。

後期摂関政治とは設問にある時期から判断すれば “摂関政治の全盛期” であり,まずその時期の特徴を明確にすること から始めよう。

◦摂政・関白がほぼ常置

◦藤原氏の氏長者が摂政・関白に就任することが慣例化(藤原北家が摂政・関白の地位を独占)

◦藤原北家(摂政・関白)が天皇との外戚関係を確保

先に確認したように,関白は天皇が最終的決定を下す際に合議を行う相手(相談役)にすぎなかったため,摂関が政治 の主導権を確保できるかどうか(= 摂関政治がうまく機能するかどうか)は,成人の天皇と関白との一体性いかんにかかっ ており,その一体性を支えたのが天皇と摂関との姻戚関係,とりわけ藤原北家出身の母后の存在であった。後三条天皇以降,

これを確保できなかったため,摂政・関白が存続したものの摂関政治は終焉したのである。

これらを念頭におけば,

◦摂政・関白がまだ常置されるに至っていない

◦藤原北家が天皇との外戚関係を維持できていない(→特権的地位が未確立)

の 2 点を前期の特徴として整理できる。

ところで,藤原良房・基経の時代には,Aで問われているような摂政と関白の違いは明確ではなかった。良房が正式に 摂政に就任したのは応天門の変に際してのことであったが,その時すでに清和天皇は元服をすませており(つまり成人),

さらに基経が宇多天皇から関白の詔をうけたが,摂政も関白も当初から職名として固定したものではなかった(任命の詔 には「太政大臣に勅して天下の政を摂行せしむ」や「摂政太政大臣に万機を関白せしむる詔を賜ふ」としかない)。しかし,

忠平が朱雀天皇の即位と同時に摂政となり,ついで天皇の元服後,摂政を辞して関白に任ぜられるに及び,幼少の天皇の もとで政務を代行する摂政と,成人天皇の後見役である関白との区別が明確になった。

【解答例】

A摂政は天皇の幼少時に政務を代行し,関白は成人後の後見役である。ともに人事権など天皇の権限に関与して最高 権力を掌握した。

(別解)ともに太政官の政務を統括し,天皇の権限にも深く関与したが,摂政は天皇の幼少時に政務を代行し,関白 は成人天皇を後見した。

B後期には摂政・関白が常置され,藤原北家が就任することが慣例化した。しかし前期は,摂政・関白が未だ制度化 されず,醍醐・村上朝のように不設置の時期があり,また藤原北家の天皇家との外戚関係も安定しておらず,応天門 の変など他氏排斥が相次いだ。

第2問

設問の要求は,鎌倉時代末期から室町時代にかけての商業・貨幣流通のあり方。条件として,⒜絵と説明にもとづくこと,

⒝代銭納・中国銭・為替の三つの語句を使用することが求められている。

説明文を要約しただけでは単なる事実の羅列に終わってしまう。この問題でもっとも大切なことは,単なる事実の羅列 に終わらせずに論旨を明確にすることである。そのためにも,鎌倉末〜室町期に商業活動が活発になった背景・構造,そ れと貨幣流通の活発化との関連をしっかり把握しておくことが必要である。

説明文に「行商人」と「町場の常設の店棚(見世棚)」が登場しているが,それらは⑴都市と農村(地域)を結ぶ商業活動,

⑵地域のなかでの商業活動,という2つの局面を象徴している。

⑴都市と農村(地域)を結ぶ商業活動は,荘園公領制のもとでの年貢・公事の荘園領主(京都・奈良に集住)への運送 を媒介として活発化していた。それを担ったのが問丸や行商人である。とりわけ問丸は,もともと荘園年貢の保管・輸送 などを担当した荘官の一種で,しだいに独立化して一般物資の中継ぎ取引や輸送に従事するようになっていく。そして,

こうした遠隔地取引きにおける代金決済の安全を確保するため,手形(割符)を使って決済する為替が普及した。(なお,

こうした商業活動の基盤として道路の整備が進んでいたことも,説明文から推察できるだろう。)

⑵地域のなかでの商業活動は,地域での農業生産や漁業・手工業の発達を背景として活発化。宿駅や交通の便のよい荘 園や国衙領では定期市や常設の見世棚が生まれた。

なお,⑴⑵ともまとめて “農業生産や漁業・手工業の発達が,地域のなかだけでなく,都市と地域を結ぶ商業活動を活 発化させた” という風に立論することも可能である。実際のところ,年貢・公事の輸送が都市と地域を結ぶ商業活動へと 飛躍していった背景には,農業生産や漁業・手工業の発達があった(中国との貿易の活発化という要因も無視できないが)。

こうした商品流通の発達は貨幣への需要を増大させる。とりわけ都市で生活する荘園領主たちは多くの貨幣を必要とす るようになったため,年貢の代銭納が普及していくことになる。ところが,平安中期以降,国内では貨幣は鋳造されてお らず,宋銭や明銭といった中国銭が用いられた。

【解答例】

荘園公領制のもとでの畿内への年貢輸送を媒介として経済流通が活発化していた。僧侶の勧進などにより道路の整備 が進み,諸物資の中継や輸送をになう問丸などが活躍して遠隔地間商業がさかんで,決済手段として為替が利用され ていた。交通の要地では定期市が開催されて行商人が往来し,なかには常設の見世棚も出現した。それに伴って中国 銭が貨幣として普及し,年貢の代銭納も一般化した。

(別解)農業生産や漁業・手工業の発達が,地域のなかだけでなく,都市と地域を結ぶ商業活動を活発化させていた。

交通の要地や荘園の中心地などで定期市が開催されて行商人が往来し,常設の見世棚も出現した。都市と地域を結ぶ 遠隔地間商業では,諸物資の中継や輸送をになう問丸などが活躍し,決済手段として為替が普及した。それに伴って 中国銭が貨幣として流通し,年貢の代銭納も一般化した。

第3問

設問の要求は,近世前・中期に米の商品化が進展した理由。条件として,⒜幕藩体制のしくみ,⒝生産面で生じた変化,