第1問
次の史料は,914 年,醍醐天皇が臣下の意見を求めたときに,三善清行が当時の政治の欠点を指摘し,
12 か条にわたってその改善策を述べたうちの 1 条である。これを読んで,下記の設問に答えよ。
一,諸国に勅して見口の数①に随いて口分田を授けんと請うこと
右,臣伏して諸国の計帳を見るに,載するところの百姓,大半以上は,これ無身の者②なり。こ こに国司ひとえに計帳に随いて口分田を宛て給い,即ち正税を班ち給いて③,調庸を徴納す。ここに その身ある者は,わずかに件の田を耕作し,すこぶる租調を進る。その身なき者は,戸口一人,私に 件の田を沽り④,かつて自ら耕さず。租税調庸に至りては,ついに輸納の心なし。(中略)牧宰⑤空 しく無用の田籍⑥を懐き,豪富いよいよ并せ兼ねたる地利を収む。ただ公損の深きのみにあらず,ま た吏治の妨げとなる。
注① 実在する人数 ② 実在しない者 ③ 出挙を行うこと
④ 1年を限ってその耕作を他人に委ねること ⑤ 国司のこと
⑥ 口分田を班給した結果を記した帳簿
設問
三善清行は,「国家財政が悪影響を受け,国司の地方政治が妨げられている」と指摘している。国
司の職務の妨げとなるどのような事態が起きているのか,さらにどのような「百姓」の動きがこの事
態をひきおこしたのかについて,5行以内で説明せよ。
第2問
次の⑴〜⑹の文を読んで下記の設問に答えよ。
⑴ 1346 年,室町幕府は山賊や海賊,所領争いにおける実力行使などの暴力行為を守護に取り締ら せる一方,守護請や兵粮米と号して,守護が荘園や公領を侵略することを禁じた。
⑵ 1400 年,信濃の国人たちは,入国した守護に対して激しく低抗してついに合戦となり,翌年,
幕府は京都に逃げ帰っていた守護をやめさせた。
⑶ 1414 年,九州の一地方の武士たちが作成した契約状によれば,喧嘩を起した場合,双方が処罰 されることとなっている。
⑷ 1526 年に制定された「今川仮名目録」では,喧嘩の両当事者は,その主張が正当てあるかどう かにかかわりなく,死罪と規定されている。
⑸ 1563 年,武田氏が作成した検地帳によれぱ,検地をして新たに把握された増加分は,その地の 家臣に与えられている。
⑹ 発掘調査の結果,朝倉氏の城下町一乗谷は計画的につくられており,館を中心に,武士の屋敷や 庶民の家,寺などが周囲をとりまいていることがわかった。
設問
A ⑴の文を参考にして,室町時代の守護は,鎌倉時代の守護とどのような点が異なっているのか,
2行以内で説明せよ。
B ⑵〜⑹の文を参考にして,室町時代の守護が直面した地方の武士のあり方と,それに対応して戦
国大名が支配権を確立するためにうちだした施策について,5行以内で説明せよ。
第3問
1830 年 3 月ごろ,阿波地方から始まった御蔭参りは,御札が降ったという噂とともにまたたく間に 各地にひろがった。「老いも若きも,子や孫を引き連れ,中には家を閉じて抜け参りに出かける者が多 く,下女も台所や井戸端での仕事をそのままにして着のみ着のまま飛び出る者もいる」といわれるよう に,人々はわれ先に伊勢神宮へと殺到したのである。幕府は当初,主人や親・夫また家主などに無断で 家を出て参詣に行くことを禁したが,人々の熱狂をしずめることはできなかった。こうして「御蔭でさ,
ぬけたとさ」と歌い踊りながら伊勢神宮に参詣した人々は,この年の秋までに 500 万人近くにも達し たとされている。
このような熱狂的な御蔭参りはなぜ発生したのだろうか。参加した人々の階層や行動様式の特徴にふ
れながら,5行以内で説明せよ。
第4問
下の図は 1900 年前後の時期の貿易の動向を示したものである。輸出入ともに急速に伸びているが,
その動向について下記の設問に答えよ。
設問
A 1890 年代半ば以後は,綿糸輸出が増加するなと資本主義が発達していった時期であるが,1910 年代初めまで,ほとんどの年が輸入超過になっている。その主な理由を3行以内で述べよ。
B 1910 年代半ばからの数年間は,輸出が急速に増加し,大幅な輸出超過が生じている。その主な
理由を3行以内で述べよ。
解法の研究
第1問
設問の要求は,①国司の職務の妨げとなるどのような事態が起きているのか,②どのような「百姓」の動きがこの事態 をひきおこしたのか。
まず,与えられた史料が三善清行の意見封事 12 カ条(914 年)であることから “律令制の解体” がテーマになってい ることに気づけば,次のような「枠組み」が思い浮ぶだろう。
戸籍・計帳にもとづく公民支配の崩壊→調庸(人頭税)の減収=朝廷の財政悪化
≪原因≫富豪層(富豪の輩・有力農民)の動向
経営形態:貧農を隷属(私出挙を通じて)・墾田を開発
国司による国内支配に抵抗…徴税行為を忌避(手段=浮浪や偽籍,中央の皇族・有力貴族との結託)
次に史料文について。
設問に「国家財政が悪影響を受け,国司の地方政治が妨げられている」とあるが,それが史料文中の「ただ公損の深き のみにあらず,また吏治の妨げとなる」を現代語に置き換えたものであることはすぐに気づくだろう。
そしてその直前に「牧宰(国司)空しく無用の田籍を懐き,豪富いよいよ并せ兼ねたる地利を収む」とあるが,その「豪富」
が “富豪層(富豪百姓)” をさすことも推察できるはず。つまり,国司の地方政治を妨げている「百姓」の動きとは,富豪 層の動きである。
さらに,最初の方に「諸国の計帳を見るに,載するところの百姓,大半以上は,これ無身の者なり」とあるのは “浮浪”
もしくは “偽籍” に関する指摘であることもわかるだろう(浮浪した百姓のなかからも富豪層が生じていたについては 90 年第1問を参照のこと)。
史料文の内容は次の通り。
「諸国に勅して見口の数に随いて口分田を授けんと請うこと」
三善清行は,実在する人数に従って口分田を班給することを提案している。そして,続く文章で現状分析を行って いる。
「諸国の計帳を見るに,載するところの百姓,大半以上は,これ無身の者なり。」
諸国の計帳に掲載されている百姓の大半以上は,実在しない者である。つまり,登録されてた者が浮浪していたり,
実在していない者が偽って登録されていたりいるケースが非常に多い。
「ここに国司ひとえに計帳に随いて口分田を宛て給い,即ち正税を班ち給いて,調庸を徴納す。」
もともと,国司は計帳(→正確には戸籍)に従って口分田を班給し,そのうえで出挙を行い,調庸を徴収している。
「ここにその身ある者は,わずかに件の田を耕作し,すこぶる租調を進る。その身なき者は,戸口一人,私に件の田を沽り,
かつて自ら耕さず。租税調庸に至りては,ついに輸納の心なし。」
実在する者は,班給をうけた口分田を耕作し,租や調などの租税を納めている。ところが,実在しない者の分につ いては,同じ戸の百姓たちが自ら耕作せずに,他人に貸し付けて耕作させ,そのうえ,租や調庸を納めようとしない。
「牧宰空しく無用の田籍を懐き,豪富いよいよ并せ兼ねたる地利を収む。」
つまり,国司のもとにある田籍(口分田を班給した結果を記した帳簿)が全くの無用のものとなってしまっている 一方で,豪富の百姓(富豪百姓)たちは,貸し付けた田地からの地子収入により富を蓄積している。
「ただ公損の深きのみにあらず,また吏治の妨げとなる。」
その結果,国家財政が悪影響を受け,国司の地方政治が妨げられている。
【解答例】
律令税制の重い負担を忌避しようとして浮浪・逃亡や偽籍が増加する一方,私出挙を通じて周辺の貧農を支配下にお き墾田開発を進めて大規模な農業経営を行う富豪百姓が現れ,彼らは中央の皇族・貴族と結んで国司の徴税行為に抵
抗した。その結果,戸籍・計帳による人民支配は形骸化し,班田制の実施や徴税が困難になっていた。
(別解)農民の階層分化が進むなか,私出挙を通じて周辺の貧農を支配下におき墾田開発を進めて大規模な農業経営 を行う富豪百姓が現れた。彼らは浮浪や偽籍を行うと共に,中央の皇族・貴族と結ぶなどして国司の徴税行為に抵抗 した。その結果,戸籍・計帳を基礎とする公地公民制は形骸化し,班田制の実施や徴税が困難になっていた。
(別解)平安前期には,私出挙を通じて周辺の貧農を支配下におき墾田開発を進めて大規模な農業経営を行う富豪百 姓が各地に現れた。彼らは偽籍という手段で,口分田を確保しながら調庸など律令制下の租税負担を忌避しようとし ていた。その結果,戸籍・計帳による人民支配が形骸化し,班田制の実施や徴税が困難になっていた。
第2問
A 問われているのは,室町時代の守護が鎌倉時代の守護とどのような点が異なっているのか。条件として,資料文⑴の 文を参考にすることが求められている。
まず,資料文⑴の内容を確認しよう。そこで述べられているのは次の3点である。
ア「山賊や海賊」を守護に取り締らせる…これは鎌倉時代,御成敗式目のなかで権限として追加されたもので,鎌倉後 期にはこれを根拠として守護が悪党追捕に携わっていく。
イ「所領争いにおける実力行使などの暴力行為」を守護に取締らせる…刈田狼藉の検断権についての説明。
この2つは守護の軍事警察権が強化されたことを具体的に記したものである。
ウ「守護請や兵粮米と号して」,荘園や公領を侵略することを禁止…これは禁止事項であるが,ここから,荘園領主と の間で正式に守護請の契約を結んでいないにもかかわらず,また,勝手に兵粮米の徴収と称して,不法に荘園・公領 を侵略する動きがあったことがわかる
(なお,資料文⑴は 1346 年とあり,まだ半済令が出されていない段階であるが,半済令は兵粮米徴収を年貢半分に限っ て認め,荘園・公領への侵略行為を一定限度内に抑制したものである)。
次に,鎌倉時代の守護と室町時代の守護(守護大名)とを対比しながら,それぞれの特徴を確認しよう。
◦鎌倉時代の守護 国ごとに任じられた軍事指揮官=権限は大犯三箇条に限定
◦室町時代の守護 幕府による権限強化→一国全体に及ぶ地域支配(領国支配)を実現 国人を被官(家臣)化,荘園・公領を侵略,国衙機能を吸収
B 問われているのは,①室町時代の守護が直面した地方の武士のあり方,②それに対応して戦国大名が支配権を確立す るためにうちだした施策。条件として資料文⑵〜⑹を参考にすることが求められている。
まず,①室町時代の守護が直面した地方の武士のあり方について。
資料文⑵ 国人たちが守護の入国に抵抗・排除
資料文⑶ 国人一揆の取り決めのなかで喧嘩両成敗が規定されている
国人一揆の取り決めのなかに喧嘩両成敗の規定があることは知らないと思うが,資料文⑶と⑷(戦国大名による喧 嘩両成敗の規定)を対比させれば,国人たちが自ら喧嘩両成敗を取り決め,私的な武力行使を禁止することで安定 した地域秩序をつくりあげようとしていたことを推論するのは難しくないはず。
以上をまとめれば,地方武士(国人)は守護からの自立性が強く,一揆を結んで相互の紛争を解決し,自主的な地域権 力を形成していた。
なお,守護はこうした国人たちを家臣(被官)に編成することによって一国全体に及ぶ地域支配(領国支配)を実現さ せることができたのだが,それを保障したのが幕府から任じられた守護職であった。つまり,幕府の権威に依拠すること で初めて領国支配の正統性を確保することができたのである。それに対し,実力でもって一元的な地域支配の実現をめざ したのが戦国大名である。
次に,②地方武士のあり方に対応して戦国大名が支配権を確立するためにうちだした施策について。
資料文⑷〜⑹に示されている施策の内容を簡潔に表現するとともに,それがどのような意義をもったか・戦国大名が支 配権を確立するうえでどのような役割を果たしたかを考えよう。