第1問
7世紀から9世紀にかけて,朝廷は,遣隋使や遣唐使を派遣した。この派遣によってもたらされたも
のは,当時の日本の政治および文化にどのような影響を与えたか。10 行以内で述べよ。
第2問
下記の文章は,鎌倉幕府の執権北条泰時が行った裁判についての説話である。この文章から知ること のできる,この時代の武士社会の特質について,6行以内で述べよ。
鎮西に,ある国の地頭,世間不調にして(世渡りの才なく),所領を分ち売りけるを,嫡子なりけ る者の,世間賢く貧しからぬ者にて,この所領を買ひて,父に知らせけること(領有させること),度々 になりぬ。さて,かの父死して後,かの嫡子には譲らずして,次男にさなから跡を(全部の遺領を)
譲りけり。嫡子鎌倉にのぼりて訴訟す。弟召しのぼせて対決におよぶ。この事ともにその謂れあり。
兄不便に思はれけれども,弟譲文を手に握りて申しあぐ。押しても成敗なくして(直ちには判決せず
に),明法の家ヘ尋ねらる。法家に勘じ申さく(法曹官僚が答申するには),「もと嫡子たり。また奉
公ありといヘども,子として父につかうるは,孝養の義なり。奉公は他人にとりての事なり。しから
ば父にすでに子細あればこそ,弟に譲り候けめ。されば弟が申すところ,その道理あり」と申しける
上は,弟安堵の下文(相続承認の公文書)給はりて下りにけり。
第3問
下の文章を読み,設問A,Bに答えよ。
その国民がどのくらい読み書き能力を持っているかということは,その国が近代化を遂行するに 当たって大きな要因となる。日本の場合,徳川三百年の平和の中で,寺子屋などによる庶民教育の普 及が行われ,幕末の段階で識字率 30%に達したといわれる。これは当時の世界の水準としては極め て高いものであった。儒学を中心とした学問も徐々に武士や豪農・豪商に広がっていた。明治維新以 後の欧米風の教育の急速な普及はこうした土台の上に達成された。以後今日まで,初等,中等,高等 の各レベルの教育とも,一貫してその普及の度を高めて来た。
A 近世の豪農はなぜ学問を必要としたのか。彼らの農村内における役割にも留意しながら4行以内 で述べよ。
B 明治以後の教育の発達について,時期区分をし,それぞれの時期の特徴を合わせて6行以内で述
べ。
解法の研究
第1問
設問の要求は,遣隋使・遣唐使派遣によってもたらされたものが当時(7〜9世紀)の日本の政治と文化に与えた影響。
遣隋使に随行して中国に留学した人びとが帰国したのは大化改新の直前頃なので,それ以降に話を限定してよい。
≪政治≫
大化以前:大王家と豪族が土地・人民を個別に支配
↓
公地公民制にもとづく律令制度の導入
唐にならった国家事業として都城制の採用・貨幣の鋳造や国史・地誌の編纂
≪文化≫
律令制確立期の天武朝以降,国家仏教の進展:さまざまな経典や宗派(南都六宗〜天台・真言宗)の摂取 漢詩文が貴族・官人の素養として定着=唐風文化の繁栄(白鳳→天平→弘仁・貞観)
なお,漢詩文にならって和歌の定型化が進んだことや,神仏習合の進展にともない仏教理論にもとづいて神祇信仰の体 系化が進んだことなど,のちの文化につながる動きについて触れてもよい。
【解答例】
隋・唐は律令法に基づく中央集権体制を整えており,遣隋使や遣唐使はそうした隋・唐の国家体制のあり方を伝えた。
政治面では,大王家と豪族が土地・人民を個別に支配し,豪族が朝廷の職務を世襲するという体制を改め,公地公民 を原則とする官僚制的な支配体制を樹立しようとする動きを促進し,7世紀後半に律令体制が確立し,さらに都城の 建設,貨幣の鋳造や国史・地誌の編纂などの国家事業が展開した。文化面では,さまざまな仏教教理が伝えられ,鎮 護国家思想に基づく国家仏教体制が整うと共に,現世利益を求める貴族層を中心に仏教が普及して仏教美術が開花す る一方,漢詩文が貴族の教養として重んじられるなど,唐風の貴族文化が発達した。
第2問
設問の要求は,史料(北条泰時がおこなった裁判についての説話)から知ることのできる,鎌倉時代の武士社会の特質。
鎌倉時代の “武士(武家)社会” のあり方が問われている場合(他の表現としては「武士の社会的結合のあり方」とか「軍 事力の構成原理」など),たいていは惣領制に関する設問である。そのことを念頭において史料の内容を把握しよう。
まず,惣領制の内容を確認しよう。
⑴一族としてのまとまり
所領は惣領・庶子などにより分割相続されたが,本家の長を惣領とあおいで結びつきを維持=武士団を構成
⑵将軍(幕府)との関係
惣領が一族(一門)を統率して将軍と主従関係を結ぶ(庶子も御家人だが惣領を介して将軍と主従関係を結ぶ)
↓
◦将軍(幕府)は惣領の一族統率権を尊重(→一族内部には介入しないのが原則)
親の悔返し権を認める(御成敗式目)…親権を絶対とする
◦惣領を通じて軍事動員・恩賞給与 次に,史料の内容把握である。
父に孝養を尽した兄…父から所領相続を受けなかった→所領相続権確認のために幕府へ訴訟 父…孝養を尽した兄ではなく,弟に対して所領すべてを相続
幕府の裁決
父に孝養を尽した兄の所領相続の訴えを正当とは認めず,父から譲状を受けた弟に対して所領安堵の下文を発給
【解答例】
鎌倉時代の武士社会では血縁的結合に基づく惣領制が存在し,惣領が一族庶子を統率して将軍と主従関係を結んでい た。そして,幕府は惣領の統率権を認めて一族内部には干渉せず,また御成敗式目で親の悔い返し権を認めるなど,
それぞれの家での親権の絶対性を認めていた。この説話でも,兄弟間の所領相続争いに対し,「父にすでに子細あれ ばこそ」と親の意思に基づいて裁決を下している。
第3問
A 設問の要求は,近世の豪農が学問を必要とした理由。条件として,彼らの農村内における役割にも留意することが求 められている。
まず条件から考えていこう。
豪農の農村内における役割といえば “村の指導層であること” につきるが,村が⑴百姓たちの生活共同体であり,⑵幕 藩体制下における支配の末端機構(基本単位)であったことを考えれば,大きくわけると2つの役割を担っていたことが わかる。
⑴地域の農業を指導…農書(農業技術書)を読むことが必要
⑵村役人…領主との折衝・法令の伝達・年貢の割当などを担う
なお,江戸時代も後期になると村の共同体秩序は大きく動揺し,そのなかで村民教化のためにも学問が必要とされた(→
儒学や国学などの学問の浸透)。
さて,ここまでの考察でほとんど設問の要求を満たしたように思える。ただ,設問では「農村内での役割に “も” 触れ」
とある点から考えると,農村内での役割に由来する理由だけではなく,それ以外についても求められているようにも読め る。
⑶経済発展にともなって商業的農業や手工業へと経営を拡大していたこと
もあげられる。経営を維持・拡大していくためには,物価動向など市場に関する情報の収集・処理の能力が不可欠である。
とはいえ,この⑶については必ずしも答案に含める必要はないのではなかろうか。
B 設問の要求は,明治以後の教育の発達。条件として,時期区分をし,それぞれの時期の特徴を説明することが求めら れている。
いつまでを対象として説明すればよいのかが明記されていないが,少なくとも占領期の教育改革までは説明しておく必 要があるだろう。
①明治初期:富国強兵のために国民皆学の実現をめざす(試行錯誤の過程)
1872 年 学制頒布…小学校の設立をめざす・実学重視 ←→ 学制反対一揆 1879 年 教育令 …地方分権的な教育制度へ変更→翌年の改正で国家統制が復活
②明治中期:国家主義的な学校制度が確立
1886 年 学校令 …義務教育4年制・帝国大学を頂点とする学校制度の確立 1890 年 教育勅語…忠君愛国を教育理念として提示
1903 年 小学校教科書の国定化
③資本主義の確立と発達:教育の普及・拡大 1907 年 義務教育4年から6年に延長
1918 年 大学令…高等教育機関の拡充(私立大学・単科大学などを公認)
民間では自由教育運動…文部省主導の画一的な教育に反対・児童の個性を尊重
④十五年戦争期:総力戦体制への編成
1941 年 国民学校令…小学校の改組(皇国民の練成)
⑤占領期:教育の民主化
1947 年 教育基本法…教育勅語に変わる新しい教育理念(教育の機会均等・男女共学・義務教育9年制など)