第1問
次の文章を読み,下記の設問に答えよ。
「天武天皇が,13 年(684 年)閏4月の詔で『政ノ要ハ軍事ナリ』とのべたとき,かれは国家に ついて一つの真実を語ったのである。(中略)「政ノ要ハ軍事ナリ」の原則には,天武の個人的経験を 越えた古代の国際的経験が集約されているとみるべきであろう。」
これは,古代国家の形成について,ある著名な歴史家が述べたものである。軍事力の建設の視点 からみると,律令国家の支配の仕組みや,正丁3〜4人を標準として1戸を編成したことの意味がわ かりやすい。
設問
7世紀後半の戸籍作成の進展と,律令国家の軍事体制の特色について,両者の関連,および背景
となった「天武の個人的経験」「古代の国際的経験」をふまえて,7行以内で説明せよ。
第2問
次の⑴〜⑷の文章を読んで,そこからうかがわれる室町時代の文化の特徴について,当時の民衆の状 況と関連づけて6行以内で述べよ。
⑴ 観阿弥は,はじめ伊賀国の山間部の農村地帯で猿楽座を結成したが,のちに能を大成し,子の世 阿弥ともども足利義満の称賛を受けた。
⑵ 村田珠光は,上流階級の間で流行していた貴族的な喫茶にあきたらず,京都や奈良の町衆の間で 行われていた質素な喫茶を取り入れて,わびを重んじる茶道を始めた。
⑶ 戦国時代のはじめごろ,和泉国のある村に滞在していた一人の公家は,盆に村人たちが演じるお 囃子や舞を見て,都の熟練者にも劣らぬものであると驚嘆している。
⑷ 大和国のある村の神社には,連歌会を催すための掟が残されている。そこには,連歌会の実施や
作品の評定を行う役は,参加者のうちから多数決によって互選することが定められている。
第3問
次の⑴〜⑸の文章は,江戸時代の有力な商人たちが書いた,いくつかの「家訓」(子孫への教訓書)
から抜粋し,現代語に訳したものである。これらを読んで,下記の設問に答えよ。
⑴ 家の財産は,ご先祖よりの預かりものと心得て,万端わがままにせず,子孫へ首尾よく相続する ように,朝暮心掛けること。
⑵ 天子や大名において,次男以下の弟たちはみな,家を継ぐ長男の家来となる。下々の我々におい ても,次男以下の者は,長男の家来同様の立場にあるべきものだ。
⑶ 長男については,幼少のころから学問をさせること。ただし,長男の成長が思わしくないときは,
これに相続させず,分家などの間で相談し,人品を見て適当な相続者を決めるように。
⑷ 血脈の子孫でも,家を滅亡させかねない者へは家の財産を与えてはならない。このような場合に は,他人でも役に立ちそうな者を見立て,養子相続させること。
⑸ 女子は他家へ嫁がされるものだ。親の家に暮らす子供のうちから気ままに育てられると,嫁ぎ先 の家で辛抱することができなくなり,これがついには離縁されるもととなる。親元で厳しくされれ ば,他家にいるほうがかえって楽に思えるようになるものだ。
設問
江戸時代の有力な商人の家における相続は,武士の家とくらべてどのような特徴をもったか。上
の文章に見られる長男の地位にふれながら,5行以内で述べよ。
第4問
近代日本の教育は,初等教育でも高等教育でも,明治初年より戦後までの間,制度・内容の両面にお いて幾多の変遷をみてきた。その概略を,次の年表を参考にしながら,8行以内で述べよ。
1872(明治5)年 学制公布 1886(明治 19)年 帝国大学令公布 1890(明治 23)年 教育勅語発布
1907(明治 40)年 義務教育4年から6年に延長 1918(大正7)年 大学令公布
1941(昭和 16)年 国民学校令公布 1943(昭和 18)年 学徒出陣開始
1947(昭和 22)年 教育基本法・学校教育法公布
解法の研究
第1問
設問の要求は,①7世紀後半の戸籍作成の進展,②律令国家の軍事体制の特色。条件として,⒜両者の関連,⒝背景となっ た「天武の個人的経験」「古代の国際的経験」,をふまえることが求められている。
① 「戸籍作成の進展」について述べなければならないのだから,天智朝の庚午年籍,持統朝の庚寅年籍の両方とも答案 のなかで具体的に触れておかなければならない。
② 「律令国家の軍事体制の特色」とある。単に兵役・軍団制の内容を説明するのでは「特色」について述べよという要 求には応えたことにならない。前後の時代と比較して律令国家のもとでの軍事体制(軍団制)がどのような特色をもって いたかを明確にしておく必要がある。前の時代(氏姓制度)の軍事体制についての知識はほとんどないと思うので,軍団 制解体以降の健児制や平安中期に登場する武士と対比すると,兵力を(豪族ではなく)豪族の支配下にあった人民(農民)
に求めたことに特色があることに気づくだろう(1980 年度第1問を参照のこと)。
⒜ 戸籍と軍団制の関連について。
問題文に「正丁3〜4人を標準として1戸を編成した」とあることに注目しよう。そして,「成年男子3〜4人に1人 の割合で兵士が徴発された」(山川)ことは周知のはずだから,そこから両者の関連を考えよう。“戸を単位として徴兵” “戸 はほぼ兵士1人を徴兵するための単位” などの表現が可能である。
⒝ 「天武の個人的経験」「古代の国際的経験」
それぞれが何を指すのかは,説明の必要もないだろう。
「天武の個人的経験」…壬申の乱という大規模な内乱をへて権力を掌握
「古代の国際的経験」…白村江での敗戦とそれによる国際的緊張の高まり
これらのデータを答案のなかで使う際,「「政ノ要ハ軍事ナリ」の原則には,天武の個人的経験を越えた古代の国際的経 験が集約されているとみるべきであろう。」という表現を活用するとよい。内容を少し補足しておく。
天武天皇は,軍事力の掌握を政治の要諦ととらえていたが,その判断は “壬申の乱という大規模な内乱をへて権力を掌 握した”という天武の個人的経験だけによるものではない。唐の対外膨張策に対抗した形での百済復興の支援とその失敗(白 村江の敗戦)によって生じた国際的緊張が国内におよぼした権力集中への圧力を認識したうえでの判断であった。白村江 の敗戦後に即位した天智天皇のもとでは,唐・新羅との軍事的緊張に対応しうる軍事体制の創出をめざして,最初の本格 的戸籍である庚午年籍が作成され,国造たちの支配下の人民を戸籍に登録して人民支配の最小単位である郷戸に編成する という作業が進められる(それが同時に国造層の豪族を評の官人 [ のちの郡司 ] へと再編していく作業でもあった)。律令 体制の基礎が “戸籍作成にもとづく個別人頭支配” であることを考えれば,この天智朝の施策が,天武が律令国家の確立 にむけた作業を着手するうえでの前提状況となっていたことを了解しえるだろう。
【解答例】
白村江の戦での敗戦による対外的危機の高まりを背景に,天智天皇のもとで軍事体制の強化のための人民把握が進め られ,最初の全国的戸籍である庚午年籍が作成された。壬申の乱を勝ち抜いて権力を掌握した天武天皇は,それを基 礎として豪族支配下の人民に基盤をおく軍事体制の構築を進め,その事業は持統天皇のもとで庚寅年籍として完成し た。こうして全人民は,兵士を徴発するための単位として編制された戸のもとに正丁3〜4人を標準として組織され た。
第2問
設問の要求は,⑴〜⑷の文章からうかがえる室町時代の文化の特徴。条件として,当時の民衆の状況と関連づけること,
が求められている。
条件の “当時の民衆の状況” を考える際,“室町時代” という時代の限定からすぐに想起することができなかったときは,
“⑴〜⑷の文章” にどのような語句が用いられているかをチェックすることから始めるとよい。
⑴に「農村地帯」,⑶に「村」,⑷にも「村」とあり,また,⑵には「京都や奈良の町衆」とある。前者から百姓による 自治村落 “惣村(惣)”,後者から町衆(富裕な商工業者)による自治組織 “町” が思い浮かぶ。つまり,農業や商工業の発 展のなかで百姓や町衆による地縁的な自治組織が形成され発展していたのが “当時の民衆の状況” である。
なお,惣はそれを構成する人々の全員の集会によって物事を決定するところからその名を生じたとされており,次のよ うな特色をもっていた(1992 年度第2問も参照のこと)。
⒜鎮守社の祭礼をおこなう組織である宮座を中軸として形成され,⒝村民全員参加による寄合で村の運営を協議し,⒞
秩序維持のために独自の村掟を制定,警察・裁判を村民みずからが行使し(自検断),⒟農業生産に不可欠な村民たちの 共同利用地である入会地(肥料源の山野)や灌漑施設を惣有財産として確保して管理,⒠年貢納入については百姓請を実 現していた。
“室町時代の文化の特徴” をどう表現するかについては,教科書の記述を参照して表現を盗み取ろう。
山川 『詳説日本史』
「この時代の文化の特徴は,幕府が京都におかれたことや東アジアとの活発な交流にともなって,武家文化と公家文化,
大陸文化と伝統文化の融合が進み,また当時成長しつつあった惣村や都市の民衆とも交流して,広い基盤を持つ文化が 生み出されたことである。
中央文化と地方文化の融合も進み,それが洗練され,調和されるなかから,しだいに日本固有の文化ともいうべき ものが形成されていった。今日,日本の伝統文化の代表とされる能・狂言・茶の湯・生花などの多くは,この時代に中央・
地方を問わず,公家・武家・庶民の別なく愛好され,洗練されながら,その基盤を確立していったのである。」
「室町時代には,民衆の地位の向上により,武士や公家だけでなく,民衆が参加し楽しむ文化も生まれた。
当時,茶や連歌の寄合は民衆のあいだでも多くもよおされていたが,能も上流社会に愛好されたもののほか,より 素朴で娯楽性の強い能が各地の祭礼などでさかんに演じられた。能のあいだに演じられるようになった風刺性の強い喜 劇である狂言は,その題材を民衆の生活などに求め,せりふも日常の会話が用いられたので,とくに民衆にもてはやさ れた。」
【解答例】
室町時代には,農業や商工業の発展を背景に惣村や町といった地縁的な自治組織が発展して,百姓・町衆が文化の担 い手として登場し,猿楽能・喫茶・連歌など集団で楽しみ共同で行う芸能が営まれた。そして,公家・武家がそれら 民衆文化を受容する一方,各地の民衆も公家・武家文化を取り入れるなど,身分を超えた相互の融合が進み,幅広い 基盤をもつ文化が形成された。
第3問
設問の要求は,江戸時代の有力な商人の家における相続の特徴。条件として,⒜武士の家における相続のあり方との対比,
⒝示された文章に見られる長男の地位にふれること,が求められている。
条件⒜⒝について。
“武家の相続” は長子単独相続だったが,けっこう見落としている受験生が多いのではないか。ただ,文章⑵に「天子や 大名において,次男以下の弟たちはみな,家を継ぐ長男の家来となる」とあることに注目すれば,長男が単独で相続して いたというデータを引き出すことが可能だ。そして,同じ文章⑵に「下々の我々においても,次男以下の者は,長男の家 来同様の立場にあるべきものだ」とあるのだから,“商家の相続” も長子単独相続だったことがわかる。
しかし,同じなのなら “武士の家とくらべてどのような特徴をもったのか” という問いの意味がない。⑶に「長男の成 長が思わしくないときは,これに相続させず,分家などの間で相談し,人品を見て適当な相続者を決めるように。」とあり,
⑷に「血脈の子孫でも,家を滅亡させかねない者へは家の財産を与えてはならない。このような場合には,他人でも役に