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1 わが国における HIV 感染妊婦の現状

 わが国における平成 23 年末までの HIV 感染妊娠数は、平成 22 年の報告から 49 例増加し 777 例であった。報告された地域に大きな変動はないが、日本人妊婦は増加傾向で約半数を占めるよ うになった。同様に日本人同士のカップルが増加傾向にある。HIV 感染妊娠の報告数は平成 21 年 28 例、平成 22 年 36 例、平成 23 年 30 例と近年は大きな変動はないが、更なる減少傾向は見 られていない。母子感染予防対策マニュアルの浸透により、HIV 感染の早期診断と治療および 選択的帝王切開(帝切)分娩が広く行われるようになり、経腟分娩は明らかに減少傾向にある。

HIV 母子感染には妊婦の HIV 感染の診断の遅れに伴う ART 開始の遅れと経腟分娩が最も関与 すると考えられるが、これらの予防対策が講じられない HIV 感染妊婦は毎年数例存在する。こ れらの集団における母子感染率から推定すると 2 ~ 3 年に 1 例程度散発的に母子感染が発生する ことが推測された。したがって、HAART が主流になった平成 12 年以降は平成 14 年、平成 17 年、

平成 18 年、平成 20 年、平成 21 年に各 1 例、平成 22 年は 2 例の母子感染が発生したが予測範囲 内と考えられる。抗ウイルス薬の投与率は選択的帝切分娩で 89.5%、緊急帝切分娩で 92.3%と高 率であったが 100%ではない。さらに経腟分娩では 36.4%と低率であったことから、妊婦におけ る HIV 感染の早期診断が母子感染予防の第一歩であることが強調される。さらに診療体制や妊 婦の社会的背景などを十分考慮し、適切なインフォームド・コンセントによる分娩様式の決定が 重要である。しかし、選択的帝切分娩と経腟分娩の母子感染率を比較するランダム比較試験が存 在しないことから、現時点では選択的帝切分娩を推奨することが基本である。

2 現時点での日本における HIV 母児感染予防の原則

 わが国においては「表 1」で示した母児感染予防対策を完全に施行すれば、HIV 母子感染をほ ぼ防止できる状態である。1997 年以降「表 1」の全ての感染予防対策が、確実に行われた症例か ら母児感染が成立したという報告はない。

表 1 HIV 母子感染予防対策 1.HIV 検査(妊娠初期)

2.母児に対する抗ウイルス療法

(ART:antiretroviral therapy)

妊娠中の ART 分娩時の AZT の投与 児への AZT の投与 3.帝王切開による分娩 4.断乳(人工栄養)

妊婦および新生児の HIV

HIV 感染症の臨床経過 119

3 妊婦 HIV 検査

⑴ 妊婦 HIV 検査の意義

 現在では治療法の進歩により、母児感染は適切な感染防御対策を講じることで、感染率を 1% 以下にまで抑制する事が可能となっている。従って HIV 母児感染予防を確実に行うために は、まず妊婦の HIV 検査により感染妊婦を確実に見つけ出す事が必要となる。

⑵ 妊婦 HIV 検査前の説明

 治療効果を高めるとともに感染の拡大を抑制するためには、医療従事者は患者らに対し、十 分な説明を行い理解を得る様に努めなければならない。とくに、HIV スクリーニング検査では、

一定の割合で偽陽性が生じる事を踏まえ、確認検査の結果が出ない段階での説明方法について 十分に工夫するとともに、検査前および検査後のカウンセリングを十分行うこと、プライバシー の保護に十分配慮する事が重要である。

<妊婦 HIV 検査の説明に関する要点>

a.検査の流れ

 「一次検査(スクリーニング検査)」と「二次検査(確認検査)」があり、一次検査陽性で も二次検査が終了するまでは結果が確定しないことを十分理解してもらう。

b.結果の意味

 一次検査 → 陰性:おそらく感染していない

      → 陽性:確認検査が必要     → 二次検査 → 陰性:感染していない       → 陽性:感染している  (注)検査実施前 2 か月までの結果を保証。

 それ以降、現在までに感染の可能性のある行為があった場合は、2 か月後に再検査が 必要

⑶ 検査結果の説明

 HIV 一次検査の結果は、検査を受けた全員にもれなく通知する事。

a.一次検査の結果が陰性の場合

 恐らく HIV に感染していない事、および検査前 2 か月間に感染した場合は、感染初期の ため今回の検査では陰性になる可能性があること(window period)を説明し、この間に感 染するリスクがあった場合には、2 か月後の再検査を勧める。

b. 一次検査の結果が陽性の場合

 妊婦の場合一次検査の陽性的中率(一次検査が陽性であった場合、真に感染している確率)

は極めて低く、一次検査陽性者のうちの、真の感染者はほんの数 % にすぎないことを伝え、

「確認検査の結果が出るまでは感染しているかどうか分からない」が「確認検査で感染して いなかったことが分かる事がほとんどである」ことを明確に伝えて置く。

c.二次検査(確認検査)で陽性の場合

 HIV 感染診断のための検査法の基準は 2008 年に日本エイズ学会が示した診断法のガイド ラインである。ELISA 法や PA 法によるスクリーニング検査とウェスタンブロット法およ び RT-PCR 法の同時測定による確認検査の組み合わせにより確定診断が行われる。

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120 HIV 感染症の臨床経過

4 妊娠中の対応

 一般の HIV 検査受検者以上に、ショックや混乱、心理的外傷のような離断感、さらにパー トナーへの告知、妊娠継続の判断、抗 HIV 薬の服用など、もともと妊婦は特殊な身体状況 と不安定な精神状態であるため、一層細やかな対応が必要となる。また妊娠週数を考慮し短 時間で告知を行わなければならない場合も多い。

d.未受診妊婦における HIV 緊急検査の必要性

 わが国は諸外国に比べ妊婦健診を定期的に受診している比率が非常に高いが、しかし妊婦 健診を受診せず、分娩が開始してから突然医療機関を訪れる、いわゆる未受診妊婦(飛び込 み分娩)が少なからず存在する。未婚者が多く、来院から分娩までの時間も極端に短い例が 多い。そして HIV を含めた母体感染症例が多いことが分かっている。しかし分娩までの時 間的余裕が無いため、HIV 緊急検査は重要である。イムノクロマト法による静脈血での検 査キットが存在し、血液採取後 15 分程度で結果が判明する(通常の抗原抗体検査よりも疑 陽性率がやや高い)。

 妊婦の HIV 感染が判明した場合、まず初めにすべきことは「妊娠を継続するか否かの自己決定」

である。医療従事者は HIV 感染者自身が、HIV 感染症の病態や治療の概要を理解し、今後の療 養の見通しの元に妊娠を継続するか否かを自己決定出来るよう支援しなければならない。

⑴ HIV 感染妊婦に必要な妊娠初期検査

 妊娠継続を選択した場合には、以下の項目について検査を行う(下線は HIV 感染症特有)

血液検査:血算(白血球分画を含む)、CD4%、CD8%、HIV-RNA、

凝固系

生化学(腎機能、肝機能、血糖、脂質系)

他 の 感 染 症(STS、TPHA、HBs 抗 原、HCV 抗 体、 ト キ ソ プ ラ ズ マ 抗 体、

HTLV-1

抗 CMV-IgG、血液型、HIV 薬剤耐性検査 尿検査一般

子宮頚部腟部細胞診 腟分泌物培養 クラミジア検査 淋菌検査(必要時)

胸部 X 線写真

眼底検査(CMV 感染症の検査として)

※ HIV 薬剤耐性検査は、治療前の全ての感染妊婦に施行する事が勧められている。

※すでに抗 HIV 薬が投与されていてもウイルス量がコントロールされていない症例は、薬 剤耐性検査を施行する。

※耐性検査結果を待つ時間が無い場合もあるので、一般的な治療を先行して開始してもよい。

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HIV 感染症の臨床経過 121

⑵ 抗ウイルス療法 a.概 説

 1996 年に発表された AZT を用いた Pediatric AIDS Clinical Trial Group(PACTG)076 が初めて抗ウイルス薬を用いて母子感染率を低下させた臨床研究で、安全性の面からも信頼 できる成果が得られている。母子感染予防を行うにあたっては、PACTG に沿った治療(表 2)

が基本であり、可能な限り AZT を含んだ治療薬を選択するのが望ましい。米国では現在 は薬剤耐性の観点から HIV 感染者には原則的に多剤併用療法(Highly active antiretroviral therapy:HAART)が施行されており、HIV 感染妊婦に対しても AZT 単剤療法ではなく、

児に対する安全性の懸念はあるものの、多剤併用療法が行われているのが現状であり、わが 国においても同様で、近年の報告では抗ウイルス療法をされた例のほとんどで多剤併用療法 が施行されている。

表 2 PACTG076 AZT 療法

表 3 AZT 単剤投与と多剤併用療法の比較 投与方法

分娩前 妊娠 14 ~ 34 週に処方開始。全妊娠期間を通じて継続。

オリジナルは AZT500㎎分 5 だが、現在は 600㎎分 2 で投与。

分娩中 分娩開始とともに静注用の AZT 2㎎ /㎏を 1 時間で静脈内投与し、引き続き出産 まで 1㎎ /kg/h で持続的に静脈内投与する。

分娩後

出産後 8 ~ 12 時間までに、新生児に対して AZT シロップ 2㎎ /㎏を 6 時間毎に 投与し、生後 6 週間まで続ける。経口できない時は、1.5㎎ /㎏を 6 時間毎に静脈 内投与する

* AZT は 400㎎分 2 でもよい

* 30 ~ 35 週未満の早産児では、1.5㎎ /㎏静脈内投与または AZT シロップ 2㎎ /㎏を 12 時間 毎の投与を行う。その後 2 週間後から 8 時間毎に投与する。

* 30 週未満で出生した早産児では、1.5㎎ /㎏静脈内投与または AZT シロップ 2㎎ /㎏を 12 時間毎の投与を行う。その後 4 週後から 8 時間毎に投与する。

 AZT 単剤投与と多剤投与療法との比較を以下に示す。

(HAART と比較した)

AZT 単剤投与の

長 所 児に対する安全性の評価が HAART より高い 欠 点

感染母体に対する治療効果が低い 血中ウイルス量が減少しにくい 薬剤耐性ウイルスが出現しやすい

(AZT 単剤投与と比較 した)HAART の

長 所

感染母体に対する治療効果が高い 血中ウイルス量が速やかに減少 薬剤耐性ウイルスが出現しにくい

欠 点 児に対する安全性の評価が AZT 単剤投与ほど高くない 重篤な副作用が報告されている

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