第 2 章 熱方程式 57
2.3 初期値境界値問題、適切性
2.3.1 定式化
以下しばらくは次の問題を考える。
(H-IBP)
次の(HE), (DBC), (IC)を満たす u=u(x, t) を求めよ:
ut(x, t) =uxx(x, t) (x∈(0,1), t >0), (HE)
u(0, t) = u(1, t) = 0 (t >0), (DBC)
u(x,0) =f(x) (x∈[0,1]).
(IC)
ただし f: [0,1]→R は与えられた連続関数であるとする。
• (DBC) のように空間領域の境界6における状態を指定する条件を境界条件 (boundary
condition) と呼ぶが、特に (DBC) のように 未知関数の値そのものを指定する条件を
デ ィ リ ク レ
Dirichlet 境界条件 (Dirichlet boundary condition) あるいは第一種境界条件 と呼 ぶ。このように値が 0 であるという条件を同次 Dirichlet 境界条件 (homogeneous Dirichlet boundary condition)7 と呼ぶ。
• (IC) のように初期時刻における状態を指定する条件を初期条件 (initial condition)と 呼ぶ。また f を初期値 (initial value)または初期データ (initial condition) と呼ぶ。
• (H-IBP) のように微分方程式以外に初期条件と境界条件を課した問題を、初期値境界値
問題 (initial boundary value problem)または混合問題 (mixed problem)と呼ぶ。
特に「Dirichlet 混合問題」という呼び方もあって便利である(境界条件を Neumann境
界条件に変えた場合は「Neumann混合問題」と呼ぶわけである)。
2.3.2 適切性
このような数理物理学の問題に対して、アダマール(Jacques Salomon Hadamard, 1865–1963, フランスのVersailles に生まれ、Paris にて没する)は、適切性(well-posedness)という概念 の重要性を提唱した。問題が適切 (well-posed) であるとは、問題の解が一意的に存在し、か つ解がデータに連続的に依存することである。
問題が適切であることは、ほぼ自然な要請(願望? )であると言ってよいが8、一部の人が 素朴に信じているように「当然成り立つこと」ではない9。現実に存在する現象を記述するよ
6ここでは、空間領域とは開区間(0,1) のことで、その境界は二点からなる集合{0,1}である。
7あるいは、
せいじ
斉次Dirichlet境界条件とも呼ぶ。「同次」=「斉次」= “homogeneous”である。
8まず解が存在しないと話にならない。また一意性がないというのは、解が特定できないということで理論が 不十分であるとも考えられるであろう(人によっては一意性の要請は当たり前だと思うかもしれない) —実はそ うとも限らないのだが。それから、「未来のことを予言する」ためには、現在の状況を観測して、そのデータを もとにして計算するわけだが、現実の測定データには必ず誤差があるため、データへの連続性も成り立ってほし いところである。
9現代的な観点からの適切性「批判」: 連続性の否定というわけではないのだが、データのごくわずかな擾乱が 結果の大きな相違を生むというカオス系のバタフライ効果の発見により、「結果の予言可能性」はそう簡単に期 待できるものではないと最近では認識されるようになっている。また、非線型問題では、解の一意性が成り立た ないことが非常にしばしばある—しかもそれが自然であり、特に困ったことではない、ということもよく分っ
てきた(例え話として、2 次方程式で解が二つになっても、問題の物理的な意味から、負の値は捨てて正の解を
選ぶように、選びだすための適当な条件があればよい。)。さらに、逆問題と呼ばれる分野(解からデータを求め
うに (そうなるように願って)作られた数学モデルではあるが、そうして得られた数学モデル と元の現象とは、あくまでも別のものであって、現象が実際に起こることから、数学モデルに 解が存在することは保証できない。数学モデルが正しく現象を記述しているかどうかは、我々 には証明しようがないことである (せいぜい状況証拠をあげるくらいしかできない)。もちろ ん、数学モデルがどういう性質をもつか、数学的に解析することは可能である (それをするの が数学である)。
2.3.3 古典解
適切性の議論をするには、考察の対象とする解を明確に定義する必要がある。
我々は、以下では、古典解を考察の対象とする。(H-IBP) の古典解とは、次のように定義さ れる。
初期値境界値問題 (H-IBP) の古典解
u が (H-IBP) の古典解であるとは、以下の 3 条件が成り立つことである。
(1) u は [0,1]×[0,∞) で連続。
(2) ut,ux, uxx は (0,1)×(0,∞) で存在し、連続。
(3) (HE), (DBC), (IC) が成り立つ。
注意 2.3.1 (「古典解」という語のニュアンスについて) 偏微分方程式の問題は難しいので、
解の存在を示すために、しばしば次のような論法を使う。
まずもとの方程式の意味を緩めた「弱い方程式」の解 (弱解(weak solution) ま たは広義解 (generalized solution) と呼ぶ) を求めて10、後から、それがもとの 方程式を満たすことをチェックする。
現在では、単に解と言った場合、むしろこれらの弱解、広義解を意味する場面がかなり多く なってきている。そこで、これらの「近代的な解」と異なることを明確にする意味で、「古典 解」という言葉が使われている。
常微分方程式の問題の適切性を示すのは簡単だが (一般的な定理を学んだはずである)、偏 微分方程式の問題の適切性を示すのは、しばしばかなり難しい。一般的に議論するのはほとん ど絶望的で、個々の偏微分方程式のタイプに応じた証明が必要になる。さらには、一つの方程 式の問題で、解の存在を示すための方法と、解の一意性を示すための方法がまったく異なって しまうことも珍しくはない。我々がここで考えている初期値境界値問題 (H-IBP) も、この典
ようとする。例えば今の場合では、ある時刻におけるuについての情報から時間を遡って初期値f を求めよう としたりすること。)では、設定をかなり工夫しないと(一意性、連続性は言うに及ばず)解の存在すら期待する のが難しいことが理解されるようになってきた。ともあれ、取り組んでいる問題が適切であるかどうかは、まず 最初に調べるべき重要なことであるという認識は変わっていない。—なお、カオスについては(数学書ではない が)グリック[26]がお勧めの入門書である。
10これはしばしば古典解の存在を示すよりも簡単になる。
型的な例であり、解の存在は Fourier の方法(後述) で示せるが、解の一意性やデータに関す る連続性は、最大値原理 (後述) という定理を用いることになる。
脱線: 連立1次方程式の解の存在と一意性
高等学校までの数学では、方程式の問題を解けと要求された場合、実際に解を表現する 式を求めるのが普通であった。ところが、一般には、問題の解を具体的な式で表現するこ とがいつも可能であるとは限らない。それどころか、解の存在と一意性の証明は、あくま でも別物であることに注意しよう。筆者が大学一年生で、線形代数学を学んでいる時に、
次の定理と証明に出会った。
定理 行列 A が正則のとき、方程式Ax=b の解は x=A−1b.
証明 Ax=b の両辺に左から A の逆行列 A−1 をかけると x=A−1b.
逆にx=A−1b のとき、Ax=A(A−1b) = (A A−1)b =Ib=b.
この定理も、証明中の式変形も、きわめて明解だが、当時の私には、証明の二行目がな ぜ必要であるかが理解できなかった(本当に納得するまで何カ月もかかった)。実は一行目 では、「もし方程式の解が存在すると仮定すると、それはA−1b 以外にはありえない」とい うこと(いわば解の一意性)しか証明しておらず、解の存在は証明できていないのである。
二行目の議論によって、解の存在が確かめられたわけである。線形代数のような簡単な問 題においては、解の一意性と解の存在は、ほとんど同じ方法 (逆行列の性質の利用) で証 明できたが、偏微分方程式の問題では、そうは問屋が卸さない。