FWC では、学生の言語の習熟度を測るために公開演習討議が実施された。討論のテーマ としては、主に当時の社会問題等に関連する事柄が取り上げられた。
5-4-1 「FWC 法」6 における位置付け
公開演習討議の実施は、「FWC法」6において以下のように規定されていた。
インドで高度で重要な業務に就く予定の者は、インド諸語を流暢且つ適切に話すことが出来
るべきであり、そのために公開演習討議やスピーチがインド諸語で行われる。
〔College of Fort William 1802, pp.ⅲ-ⅳ〕
5-4-2 実施日程
1818年までの公開演習討議の日程が判明しているので、以下に示す。
第1回 1802年2月6日 第2回 1803年3月29日 第3回 1804年9月20日 第4回 1805年2月9日 第5回 1806年3月3日 第6回 1807年3月2日 第7回 1808年2月27日 第8回 1809年2月18日 第9回 1810年9月15日
116 ヴァルシュネーヤは、報告先について明記していない。恐らく、FWCの評議員会に対してではない かと考えられる。
112 第10回 1811年8月7日
第11回 1812年9月30日 第12回 1813年9月20日 第13回 1814年6月20日 第14回 1815年7月25日 第15回 1816年7月15日 第16回 1817年6月30日 第17回 1818年8月15日
〔Thomas Roebuck 1819, pp.63-358; Das 1978, pp.150-153〕
上記の通り、少なくとも第 17回目までの公開演習討議は、およそ年1回のペースで開催さ れていたことが判明している。
5-4-3 プログラム
公開演習討議は、以下のようなプログラムで行なわれていた。
(1)ガヴァメント・ハウス117に集合、10時頃開始
(2)公開演習討議(各討議の終わりに調整役がその言語でスピーチを行なう)
ペルシア語、ベンガル語、アラビア語、サンスクリット語、ヒンドゥスターニー語、マラーティー語 (3)試験の優秀者への名誉学位や賞の授与
(4)監査役である総督による、公開演習討議の講評、成績優秀者の名前や成績、FWC の運
営状況や出版物等についてのスピーチ
〔Thomas Roebuck 2011, pp.63-360〕
5-4-4 討議内容や参加者等の詳細
117 この建物の詳細は不明であるが、その名称から、イギリスのインド行政関連の建物であったと考えら れる。
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先述の通り、試験の科目、公開演習討議の科目や順番は、回によって異なっていた。ここで、
筆者が見た資料に基づき、第1 回目から第 4 回目までの公開演習討議について、その討議 形式や議題について見ていくこととする。
5-4-4-1 第 1 回公開演習討議
(1)ペルシア語での演習討議
論題:“An academical institution in India is advantageous to the natives, and to the British nation.”(「インドにおける学術機関は、インド人とイギリス国家にとって有益である」)
賛成意見:J.H.Lovett 反対意見1:C.Lloyd 反対意見2:G.D.Guthrie 調整役:John Baillie教授
(2)ベンガル語での演習討議
論題:“The Asiatics are capable of as high a degree of civilization as the Europeans.”
(「アジア人はヨーロッパ人と同じくらい高度な文明人となりうる」)
賛成意見:W.B.Martin 反対意見1:W.B.Bayley 反対意見2:H.Hodgson 調整役:W.C.Blaquiere
(3)ヒンドゥスターニー語での演習討議
論題:“The Hindoostanee language is the most generally useful in India.”(「ヒンドゥス ターニー語はインドで最も広く有用な言語である」)
賛成意見:W.B.Bayley 反対意見1:J.H.Lovett 反対意見2:C.Lloyd
調整役:John Gilchrist教授
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大会の最後に、前年に実施された試験の優秀者が表彰された。表彰の詳細は、以下の通り である。
(a)ペルシア語
J.H.Lovett 1,500ルピー+メダル R.Jenkins 1,000ルピー+メダル C.Lloyd 500ルピー
(b)ヒンドゥスターニー語
W.B.Bayley 1,500ルピー+メダル J.H.Lovett 1,000ルピー+メダル C.Lloyd 500ルピー
(c)アラビア語
J.H.Lovett 1,500ルピー+メダル (d)ベンガル語
W.B.Bayley 1,500ルピー+メダル W.B.Martin 1,000ルピー+メダル (e)ペルシア語作文
H.Dumbleton 1,000ルピー+メダル (f)ナーガリー作文
W.Morton 1,000ルピー+メダル (g)ベンガル語作文
H.Hodgson 1,000ルピー+メダル (h)英文エッセイ
2学期 W.B.Martin 1,000ルピー+メダル 3学期 T.Hamilton 1,000ルピー+メダル 4学期 E.Wood 1,000ルピー+メダル
〔Buchanan 1805, pp.58-61〕
上記の通り、W.B.ベイリー、J.H.ロヴェット、C.ロイドらのように、複数の言語の演習討議で 発表を行った学生が、それ以前に行われた試験の優秀者として表彰されていた。従って、公 開演習討議の発表者は、それらの試験の成績に基づいて選出されていた可能性が高い。
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公開演習討議では、FWC 関係者を初めとするイギリス人側の意見が、そのまま討議の論 題名に選ばれていた。従って、賛成意見を述べる学生は、イギリス人の多くが正しいと考える 意見を代弁する形で、討論に参加することとなった。これに対して、1人ではなく2人の学生が 反対意見を述べることで、賛成意見の正当性が入念に検討された。これらの意見の是非につ いては、最終的には調整役によって、賛成意見が正しいという結論に誘導されたと考えられる
118。インド統治に関わるイギリス側の主張の正当性を示すことが、公開演習討議の重要な目的 であった。
以下、そうした討議の例を示すために、公開演習討議で述べられた意見をいくつか示す。
資料が入手できているものに関しては、論題や学生名を述べた後に、意見の内容を抜粋して 述べる。
1802年2月6日にベイリーが述べた意見の内容は、以下の通りである。
ヒンドゥスターニー語という言語は、ヒンディー、ウルドゥー、レークター119とも呼ば れ、アラビア語、ペルシア語、サンスクリット語といった言語が混ざり合ったものである。
アラビア商人との交流、特にムスリムの頻繁な侵略や定住により、かなりの数のアラビ ア語とペルシア語の語彙が取り入れられ、ヒンドゥスターニーという新しい言語となっ た。この言語は、デリーの宮廷では口語として用いられ、次第にイスラーム王朝の宮 廷で広く用いられるようになった。多くのインド人も、この言語を使用するようになって いった。
広大なヒンドゥスタンにおいて、ほとんど全てのムスリムがヒンドゥスターニー語を理 解したり話したりすることができる。どの階層のヒンドゥーも、またムスリムやイギリス政 府と繋がりの少ない者も、状況に応じてこの言語を習得している。さらに、この言語は、
様々な国々から移住した多くの人々、ポルトガル人、オランダ人、フランス人、デンマ ーク人、アラブ人、トルコ人、ギリシア人、アルメニア人、グルジア人、ペルシア人、モ ンゴル人、中国人の媒体でもある。
インドの全ての軍隊においても、この言語は広く使用される。国の征服者と支配者 が民衆の間に浸透している言葉を知らなければ、不正や不満を生むであろう。ヒンド
118 尚、調整役が演習討議において述べた内容については、資料が入手できておらず不明である。
119 アラビア語・ペルシア語系の語彙が、ヒンディー語に混淆された言語。18世紀を中心に、ウルドゥ ー語に対して使用された初期の呼び名〔古賀・高橋 2006, p.1161〕。
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ゥスターニー語は散文や科学の著作を生み出したとは言えないが、どれほど多くの 優雅な寓話や美しい詩がこの言語で作られたであろうか!多くの商業や軍に関する こと、そして重要な政治的書簡にも、この言語が使われている!そして、教養あるイン ド人の指導、文学に関する討議全てが、その言語で行われている。
正確で標準的なヒンドゥスターニー語の知識は、偏見や不当な要求を防ぐ唯一の 方法である。商人、旅人、文官と軍官、医師、つまりインドで何らかのことを行う者にと っては、ヒンドゥスターニー語は、必要かつ有益なものなのである。従って、この言語 は、最も重んじられるべきである。
〔College of Fort William 1802, pp.209-228〕
ベイリーのこのような意見からは、ヒンドゥスターニー語が当時のインドで広く使用されていた ことや、ヒンドゥスターニー語に対する当時のイギリス人の見解について窺い知ることができる。
公開演習討議では、ベイリーら参加者はこのような原稿を用意した上で、議論に臨んでいた。
この回の演習討議はペルシア語、ベンガル語、ヒンドゥスターニー語で行われていたことが明 らかとなっている。また、賛成意見1人、反対意見2人と調整役1人で1つの討議が行われ た。1 回の討議の賛成意見のみでこの分量の発表であったとすると、公開演習討議は長時間 に及ぶものであった可能性が高い。
5-4-4-2 第 2 回公開演習討議
(1)ペルシア語での演習討議
論題:“The natives of India under the British government, enjoy a greater degree of tranquility, security and happiness, than under any former government.”(「イギリス政 府の下で、インド人はそれ以前のどの政府の頃よりも平穏や安全や幸福を享受している」)
賛成意見:R.Jenkins(ボンベイ)
反対意見1:T.Hamilton(マドラス)
反対意見2:J.Wauchope 調整役:J.Baillie教授
[Buchanan 1805, p.110]
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ここで、ジェンキンスが述べた賛成意見の内容を、以下に述べる。
イギリス政府は、自然の自由の下に組織され、キリスト教の最も堅固で高潔な規則 によって維持されている。従って、圧政を行う政府よりも、幸せを享受できるのではな いだろうか?ヒンドゥー教徒の歴史は、不明瞭で虚構に包まれており、真実を推測す ることはほぼ不可能である。しかし、初期のインドは、市民戦争によって絶えず分裂さ せられ侵略を受け続け、頻繁に土地や住民の荒廃を引き起こしてきたようである。ヒ ンドゥー教徒は、イスラーム教徒からの侵略を受け、ヒンドゥー教やその寺院は、迫害 を受けた。侵略を行ったイスラーム教徒達は、人々が幸せや平穏を感じることのでき るように、イスラーム法をインドに導入した。しかし、ヒンドゥー教徒は略奪に苦しめら れ、不穏で危険で不幸な暮らしをしていた。その後、イギリスがインドを統治するよう になると、圧政は行われなくなった。ヒンドゥー教の寺院も、破壊されなくなった。また、
学びや文明の発展にも、イギリス政府は貢献している。
[The College of Fort William 2011, pp.3-17]
(2)ヒンドゥスターニー語での演習討議
論題:“The suicide of Hindoo widows, by burning themselves with the bodies of their deceased husbands, is a practice repugnant to the natural feelings, and inconsistent with moral duty.”「サティーの慣習は、自然の感情や道徳的義務と矛盾する」
賛成意見:W.Chaplin(マドラス)
反対意見1:R.T.Goodwin(ボンベイ)
反対意見2:R.C.Ross(マドラス)
調整役:John Gilchrist教授
〔Buchnan 1805, p.110〕
このうち、チャップリンが述べた内容は、以下の通りである。
全ての文明国において、夫婦は、互いのことを思い合う。そのため、私達は、配偶 者を失い破滅へと身を捧げようとする寡婦を見つけると、あらゆる平等の原則が侵さ れてきたと感じる。