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ここで、まずFWCの学生の原稿について述べた上で、ギルクリストの正書法との比 較を行う。

6-4-1 学生の原稿における表記の特徴 6-4-1-1 ベイリー(W.B.Bayley)の原稿

この項では、1802年2月6日のヒンドゥスターニー語公開演習討議で賛成意見を述 べた、ベイリーのデーヴァナーガリー文字を使用した原稿を取り上げる。以下に述べる ような特徴が見られるのは、当時のインドにおいて表記が定着していなかったためでは ないかと考えられる。

同原稿中では、ピリオドに相当する文末記号の縦棒が無く、文章の切れ目が分かりづ らくなっている。単語が行をまたぐ時に使用されるハイフンも、表記されていない。こ

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のことから、句読法が定着していなかったことが窺える。

また、文字表記が現代ヒンディー語(Modern Standard Hindi、以下MSHとする)

のものと異なっているものがある。以下はその例である。なお、原稿中の表記について は、入力の都合上、手書きのものを挿入せざるを得なかった。

(1)現代ウルドゥー語(以下MSUとする)で表記した場合に、ز zēの時は 、ذ zāl

の時は 、ظ zoēの時は 、ض zwādの時はज़と表記されている。

<MSH> <MSU> <原稿中>

ज़बान نابز ज़ज़क्र رکذ

अलफ़ाज़ज़ ظافلا

ग़रज़ ضرغ

(2)MSUで表記した場合に ثsēの時は

‥ स、صswādの時は

・ स、سsīnの時はसと表 記されている。

<MSH> <MSU> <原稿中>

बाइस ثعاب सूरत تروص फ़ारसी یسراق

(3)MSHでअと表記されている文字が、MSUで表記した場合にاalifの時は 、عain

の時は と表記されている。子音字+aの時もaがعの音を示す場合は、 のように aのマートラーの下に黒点が付く。

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<MSH> <MSU> <原稿中>

अजनबी یبنجا अज़ीज़ زیزع

(4)MSHでइと表記される文字が、MSUで表記した場合にاの時はइ、عの時は

・ इと表 記されている。

<MSH> <MSU> <原稿中>

इकरार رارفا

बाइस ثعا

(5)MSHでरと表記される文字が、 と表記されている。

<MSH> <原稿中>

और

(6)MSHでबと表記される文字が、वと表記されている。

<MSH> <原稿中>

ज़बान

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(7)MSHでवと表記される文字が、

・ वと表記されている。

<MSH> <原稿中>

काररवाई

(8)MSHでझと表記される文字が、 と表記されている。

<MSH> <原稿中>

समझता

(9)MSHでख़と表記される文字が、 と表記されている。

<MSH> <原稿中>

ख़ुद

(10)MSHでचと表記される文字が、यと表記されている。

<MSH> <原稿中>

चाहे याहे

(11)MSHで語末がहと表記される文字が、:と表記されている。

<MSH> <原稿中>

ज़ज़िंदा

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(12)MSH で यह と表記される単語が ययह、वह と表記される単語が と表記されてい

る。

(13)MSHでथと表記される文字が、 と表記されている。

〔College of Fort William 1802, pp.209-220〕

6-4-1-2 チャップリン(W.Chaplin)の原稿

この項で取り上げるのは、1803 年3 月29 日に開かれたヒンドゥスターニー語の公 開演習討議で、賛成意見を述べたチャップリンの原稿である。

この原稿では、シローレーカー(頭線)の単語の区切りが不鮮明である。また、ピリ オドに相当する文末記号の縦棒が無く、文章の切れ目が判別しづらくなっている点はベ イリーの原稿と類似している。

文字表記がMSHのものと異なっているものについては、以下の通りである。

(1)MSHでरと表記される文字が、 と表記されている。

(2)MSHでवと表記される文字が、

・ वと表記されている。

(3)MSHでबと表記される文字がवと表記されている。

(4)MSHでझと表記される文字が、 と表記されている。

(5)MSHでखと表記される文字が、 と表記されている。

(6)MSHでचと表記される文字が、यと表記されている。

(7)MSHでयहと表記される語がययह、वहと表記される語が と表記されている。

(8)MSHでथと表記される文字が、 と表記されている。

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(9)MSHでणと表記される文字が、नと表記されている。

<MSH> <原稿中>

प्रमाण प्रमान

〔College of Fort William 2011, pp.51-59〕

6-4-1-3 レーメル (J.Romer) の原稿

本項で取り上げるのは、1804年9 月 20 日に開かれたヒンドゥスターニー語の公開 演習討議で、賛成意見を述べたレーメルの原稿である。

この論文においても、シローレーカー(頭線)の単語の区切りが不鮮明である。その ためこの論文も、単語の区切りを判別することが難しくなっている。

ピリオドに相当する文末記号の縦棒が無く、文章の切れ目が判別しづらくなっている のはベイリーやチャップリンの原稿と同じであるが、各パラグラフの終わりに、文末記 号の縦棒が2本ずつ引かれている点が異なっている。

また、彼の論文においても、文字等の表記が MSH のものと異なっているものがある。

以下にその例を示す。

(1)MSHでज़と表記される文字が、MSUで表記した場合に、ز zēの時は 、ض zwād の時はज़と表記されている。

(2)MSHでसと表記される文字が、MSUで表記した場合にثsēの時は

‥ सと表記され

ている。

(3)MSHでझと表記される文字が、 と表記されている。

(4)MSHでहと表記される文字が、:と表記されている。

(5)MSHでयहと表記される語が、ययहと表記されている。

(6)MSH थと表記される文字が、 と表記されている。

〔The College of Fort William 2011,pp.3-16〕

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6-4-2 原稿中の語彙構成

先述した3人の原稿の単語を、それぞれA・P(アラビア語、ペルシア語、トルコ語 由来)、T(タトサマ・タドバヴァ)、不明(印刷不鮮明なものや辞書で確認できなかっ たもの)に分けて集計し、その割合を計算した。名詞、形容詞、副詞に分けた統計も、

同表中で示している。それらの結果は、以下の通りである。

ケーシャヴァンは、ベイリーの原稿を「現代のウルドゥー語にあたる言語をナーガリ ー文字で書いた原稿」、チャップリンの原稿を「現代のヒンディー語にあたる言語をナ ーガリー文字で書いた原稿」、レーメルの原稿を「現代のウルドゥー語にあたる言語を ナーガリー文字で書いた原稿」としている[Kesavan 1997, p.188]。ケーシャヴァンは

A・P Ts・Td 不明 計

<名詞>

ベイリー 137 30 13 180

76% 17% 7%

チャップリン 6 155 6 167

3.6% 92.8% 3.6%

レーメル 79 32 14 125

63.2% 25.6% 11.2%

<形容詞>

ベイリー 61 18 4 83

73% 22% 5%

チャップリン 1 45 1 47

2% 96% 2%

レーメル 54 12 3 69

78.3% 17.4% 4.3%

<副詞>

ベイリー 19 4 2 25

76% 16% 8%

チャップリン 0 8 1 9

0% 89% 11%

レーメル 8 3 0 11

73% 27% 0%

<全体>

ベイリー 217 52 19 288

75.35% 18.06% 6.60%

チャップリン 7 208 8 223

3% 93% 4%

レーメル 141 47 17 205

69% 23% 8%

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これら3つの原稿のうち、チャップリンの原稿中の使用言語に対してのみに「ヒンディ ー語」という名称を使用しているが、これは上記の表で他の2つの原稿と比べて極端に アラビア語やペルシア語由来の単語が少ないことと対応している。彼ら3人の、実質的 には現代のヒンディー語やウルドゥー語にあたる言語で書かれた原稿全てが、ヒンドゥ スターニー語の演習討議で使用されていた。このことから、少なくともこれらの原稿が 書かれたFWC設立当初の時期には、FWCにおいてヒンディー語とウルドゥー語の区 別がなされず、「ヒンドゥスターニー語」として 1つの言語とされていたことを確認す ることができる。ベイリーの原稿のテーマは、ヒンドゥスターニー語が最も有用なイン ドの言語であるかについて、チャップリンの原稿のテーマは、サティーの是非について、

レーメルの原稿のテーマは、サンスクリット語がインドの言語の起源であるかどうかに ついてである。テーマとしている内容がヒンドゥー教とイスラーム教のどちらに関連し ているのかに応じて、使用する語彙の系統が決定されたのは自然のことであると思われ るが、彼ら3人の学生や演習討議の聴衆は、こうした文体の使い分けを認識していた可 能性が高い。

6-4-3 学生とギルクリストの表記法

次に、先に取り上げた3人の学生の公開演習討議原稿と、ギルクリストの著書を用い て、彼らのヒンドゥスターニー語表記法を比較する。最初に、作成した表記の比較一覧 表を以下に示す。

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巻末の一覧表では、ヒンドゥスターニー語のデーヴァナーガリー文字表記とペルシ ア・アラビア文字表記を、音ごとに一覧で示している。(a)は1802年に作成された学生 ベイリーの公開演習討議原稿、(b)は1803年に作成された学生チャップリンの公開演習 討議原稿、(c)は1804年に作成された学生レーメルの公開演習討議原稿、(A)は1806 年にギルクリストが著したThe Hindee Story Teller、(B)は1810年にギルクリスト が示したヒンドゥスターニー語表記一覧、(C)は1819年にギルクリストが示したヒン

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ドゥスターニー語表記一覧となっている。以下、デーヴァナーガリー文字表記に着目し て見ていく。

一覧表の母音のうち、1・3・7・10・12・15・21・22・24・25番については、(A)~

(C)、(a)~(c)の全てにおいて、同じ文字表記が使用されていることが確認できる。但し、

21番と22番については、(A)~(C)、(a)~(c)の全てにおいて、マートラーがMSHより も1本多くなっている。

8・11・13・23・26番については、 (C)と(a)のみに表記が確認できる。

さらに、5・9番は(A)~(C)、6番は(C)のみに見られるが、(a)~(c)には見られ ない。

次に、子音について取り上げる。29・31・36・39・44・45・46・48・49・52・53・

54・56・58・59・60・61番は、(A)~(C)と(a)~(c)の全てで同じ文字となっている。

40・41番は(a)、62・63・71・72・77番は(b)、50番は(c)、32は(a)と(c)、68・75番は (b)と(c)が該当無しとなっている以外は全て同じ文字で表記されている。但し、該当な しの表記については、原稿中でたまたま出てこなかっただけで同じ文字が使用されてい たのか、それとも異なる文字が使用されていたのかは不明である。

30・55・64・66番は、(c)と(C)のみMSHと同じ文字表記になっている。従って、

1804年頃から MSH と同じ表記は存在してはいたが、ギルクリストは 1810 年頃まで はMSHと異なる表記を採用していたことになる。

エヌ(n)の音は33・38・43・48番の(A)~(C)のように、4つの文字で(न,ङ,ञ,ण) 表記されているが、(a)~(c)ではनの1文字のみしか見られない。ギルクリストは、ナ の音の正書法を細かく定めていた。

74番は(a)と(c)と(A)~(C)で見られ、(C)ではMSHと同じ表記のザ(ज़)となっ ている。このことから、ギルクリストが、72番と74番に同一のデーヴァナーガリー文 字を使用していたことが確認できる。

37番は(a)~(c)、(A)~(C)の全てに見られる。どれもMSHの文字とは異なる文 字が使用されている。

42番は(b)と(A)~(C)に見られ、67番は(A)~(C)に見られるが、(B)のみ 無気音文字となっている。この表記から、ギルクリスト自身も正書法を確定できていな かったと考えられる。

45 番は、全てシローレーカーが突き出た文字となっている。また、47 番は(b)のみ