第Ⅲ章 イギリス:情報・コミュニケーション保障の現状と課題
1. イギリスの概要
1.1イギリスの概要
日本でいう「イギリス」または「英国」の正式国名は、「グレートブリテンおよび北ア イルランド連合王国」(United Kingdom of Great Britain & Northern Ireland)であり、
イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの地域から構成され る連合国である。とりわけ、スコットランドは、文化的・歴史的事情から、連合王国から の独立志向が強い特徴を持っている。
イギリスの面積は 24.3 万平方キロメートルで日本の約 3 分の 2 ほどである。人口は 6180万人(2010年)で、日本の約半分ほどである。イギリスの首都はロンドン(人口約 758 万人、2010年)である。使用する言語は、もちろん英語であるが、ウェールズ語、
ゲール語等を使っている地域もある。主な宗教は、キリスト教(イギリス国教会)である。
イギリスポンドと日本円との為替レートは、1ポンド=約154円(2013年5月)となっ ている。
イギリスの政治体制は、立憲君主制であり、女王エリザベス二世陛下(1952年2月6 日即位)を元首として、国会は上院及び下院の二院制となっている。下院(庶民院)は議 席定数650議席で任期5年(解散あり)で あり、18歳以上の有権者により公選制とな っている。上院(貴族院)は、議席定数は さだまっておらず(2013 年 2 月現在 760 議席)、上院は一代貴族、一部の世襲貴族、
司教等から構成され、公選制は導入されて いない。任期は終身となっている。議会は 主に労働者の生活向上を図る社会福祉重視 の「労働党」と、富裕層を含めた資本主義 経済を重視した「保守党」を中心とした2 大政党制となっている。2010年5月の選挙 結果では保守党が第一党になったが、単独 過半数にいたらなかったため、第三党であ った自由民主党との連立内閣をつく り、保守党のキャメロン氏が首相と なっている。
87 日本外務省ホームページの「各国・地域情勢」の「国名:英国」のページを参照 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uk/data.html(2013年4月アクセス)
42 1.2 障害者施策の概要と聴覚障害者の状況
(1) イギリスの障害者施策の概要
伝統的に19世紀後半に設立された「王立視覚障害者協会」(1868年設立)、「王立全国 聴覚障害者協会」(Royal National Institute of Deaf: RIND, 1911年設立、なお、2011 年にアクション・オン・ヒアリング・ロス(Action On Hearing Loss)に改称した))、「英 国ろう者協会」(British Deaf Association, 1890年設立)などの障害毎のボランタリー団 体があった。これらはチャリティ団体であるが、「慈善ではなく権利」を主張し、国家責 任を明確にする形で障害者への福祉を促進した88。
障害者を対象とした最初の法律として、1944年に「障害者(雇用)法」が制定され、
傷痍軍人対策の一環として(従業員20人以上の民間事業所に対して)3%の障害者の割 当雇用制度やリハビリテーション・職業訓練の提供が規定された。また、同年の「教育 法」で障害児教育の体系化がなされ、1946年の「国民保健サービス法」で障害者医療、
1948年の国民扶助法で障害者の所得保障が規定された。
1968年の「シーボーム報告」によって、行政サービスの縦割りの弊害等が指摘され、
1970年に地方自治体社会サービス法が制定されて、地方自治体のソーシャルワーカーを 中心に高齢者・障害者・児童等への総合的な福祉サービスの充実が図られた。同じく1970 年に慢性疾患及び障害者法により、障害者の所得保障や移動、身辺介助、家事、配食、
住宅、訓練、余暇や仕事へのアドバイス、就労、権利擁護、福祉機器、送迎などの福祉 サービスが改善された。1990年には国民保健サービス及びコミュニティケア法が成立し、
1993年からは障害者福祉サービスの提供の前提として、アセスメント、ケアプランニン グ、その実施、モニタリングという一連のケアマネジメント・プロセスを通じて行われ ることになった。
特に、1996年には、コミュニティケア(ダイレクト・ペイメント)法が成立し、1997 年 4 月からダイレクト・ペイメントが実施された。ダイレクト・ペイメントとは、ケア マネジメントのアセスメントに基づき、必要とされたケアに伴う経費を障害者自らが管 理するよう障害者自身に現金を給付するものである。こうして社会サービスを障害者自 身が管理する「本人主導のサポート」をつくり、障害者の自己決定を促進した89。
また、1990年の「障害を持つアメリカ人法」(ADA)に影響を受けて、1995年11月 に、「障害者差別禁止法」(Disability Discrimination Act:DDA)が成立した90。その後、
他の分野の差別禁止法と合わせて、2010年に「平等法」が成立した。この差別禁止法や 平等法については、後で詳しく検討したい。
88 イギリスの障害者福祉の歴史的記述の概観については、小川(1998)および田中
(2004:第3章)、植村・柳田(2006)を参照にした。
89 小川(2009:84)および植村・柳田(2006:88)
90 これに伴って、先の障害者の割当雇用制度は廃止された。
43 (2) イギリスの聴覚障害者の状況
① 聴覚障害児・者
イギリスの人口は2009年で6180万人である91。障害者の定義については、2010年に 平等法が制定され、その中で、身体・知的等の障害があるために長期的な日常生活がで きない人と定義されている(平等法 第2章第1節6項)。様々な形で聴覚に障害のある 人の人数は約1000万人で、およそ6人に1人の割合とされている(表1)92。そのうち、
重度の聴覚障害者は約80万人である。聴覚障害児は約4万5000人で、うち約半数が生 まれながらの聴覚障害である。約35万6000人が盲ろう者である。
2003年3月にイギリス手話は公式にイギリスの言語として認定された。そこで、2011 年の国勢調査で手話を使っている聴覚障害者の統計が初めて取られた。しかし、その結 果によれば、イングランドとウェールズで、1万5000人程がイギリス手話を使い、7000 人がその他の手話を使っているということであった。この結果については、英国ろう協 会は、イギリスの保健省の患者調査の推計では12万2000人と見積もられており、この 国勢調査の結果は過少すぎると批判している93。
表1 英国の聴覚障害者数、2010年(単位:人)
難聴者
(Hearing loss)
補聴器利用者 (Hearing aids)
強度/重度聴覚障害者 (Severe/profound)
16-49歳 1,157,500 522,000 36,000
50-64歳 2,563,500 1,017,000 99,500
65-79歳 3,768,000 2,293,500 211,000
80歳以上 2,622,500 2,288,000 474,500 合計 10,111,500 6,120,500 820,500 資料)Action on Hearing Loss(2011) Taking action on hearing loss in the 21st century, p.76.
出典)三菱UFJリサーチ&コンサルティング(2011)『国内外における字幕放送等に関す る調査研究報告書』p.135.
② 聴覚障害児の教育
91 Jen Beaumont(2012) "Population", Social Trends 41, Office for National Statistics
92 表1および2012年11月15日にインタビューを行った労働年金省・障害問題局のサラ・
ダン氏(Ms.Sarah Dunn)作成資料による。なお、聴覚障害者の人数が日本に比して多 いのは、障害の定義を日本よりも広く捉えているからである。
93 British Deaf Association(2013) “British Deaf Association reacts to Census Figures with dismay”, 8 March 2013,
http://www.bda.org.uk/News/108#sthash.hqS8oxcF.dpuf
44
イングランドには3万7414人以上の聴覚障害児がいる。そのうち82%が地域の学校
(mainstream schools)に通い、そのうち7%が特別支援付きで地域の学校に通ってい る。聴覚障害児の21%は追加的な特別教育が必要だとされている。聴覚障害児の78%は 英語を使っている。14%は英語と他の言語を組み合わせて使っている。8%が手話を使 用している94。イギリスには、15校のろう学校がある。もともとは330校のろう学校が あったが、その教育効果が疑問視される研究が発表され、1974年に法律が変わり、多く のろう学校が閉鎖された。そのため、ろうの子どもたちは、一般の学校に通うことが多 い。なお、イングランドには、1136人の聴覚障害児教育専門の教員がいる95。来年2013 年度からイギリス手話による「一般中等教育修了書」(General Certificate of Secondary Education(GCSE))試験が導入される予定である。
③ 主な専門職につく聴覚障害者の現状96
イギリスにおける聴覚障害者の専門職の就業状況について、職業上の専門性が明確な 弁護士、医師、大学教授の3つを参考に確認しておきたい。
第一に、弁護士についてであるが、イギリスの弁護士制度は、日本とは異なる。事務 処理だけをする「事務弁護士」(ソリシター)は、法廷には立たないが、法廷に立つまで に準備を行い、法廷で答弁する「答弁弁護士」(バリスター)が法廷に立つ。ろう者のソ リシターは全国で4人いるが、ろう者のバリスターはいまのところいないようである。
ただし、難聴者を含めると人数は増えるかもしれないという。検事や裁判官には、ろう 者はいない。
第二に、医師については現在ろう者の医師が1人いるが、その人は発声が比較的可能 で、病院勤務で手話通訳者を雇用して医師の仕事をしているという。開業医ではろう者 の医師はいないようである。現在ウェールズで医学校に通っているろう学生がいる。
第三に、大学教授については、現在、大学の教授のポストについているろう者はいな い。しかし、現在大学で講師をしているろう者は10名程度いる。近い将来には、ろう者 の大学教授が生まれるかもしれない。
94 OfSTEDの2012年報告書を参照。OdfSTED(2012) the Office for Standards in Education, Children’s Services and Skills, http://www.ofsted.gov.uk/
95 より詳しいデータについては、the Consortium for Research in Deaf Education report 2012, www,ndcs.org,uk/dataを参照。
96 2012年11月14日の英国ろう協会(BDA)でのヒアリングによる。