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高等師範学校による中等教育教員の養成

第 3 章 満洲国における教員の養成

3 満洲国における教員の養成

3.1 師範教育機関による教員の養成

3.1.2 高等師範学校による中等教育教員の養成

1932 年 7 月 29 日、第一次教育庁長会議において、満洲国に適合する中等教育教員を養成 するために、政府より高等師範学校または師範大学を一校設立するという提案が出された。

1934 年 6 月、この提案が具体化され、勅令第 145 号、第 210 号をもって「高等師範官制」

が公布され、文教部管轄下の満洲国の師範教育の頂点に位置する最初の中等教育教員を養 成する機関である高等師範学校が設立された。学校は男子部と女子部の 2 部分からなり、

修学年限は男女を問わず、ともに 4 年である。入学資格は高級中学卒業以上またはそれと 同等の学力を持つ 18 歳以上 30 歳以下のものに限られており、試験で採用する。

高等師範学校の採用試験は学科試験と口頭試験から構成され、そのうち、学科試験はさ らに文科と理科54に分けられている。たとえば、1934 年の第 1 期に 7 つの班が設けられ、そ の中、第一、二、三、六、七班は文科班で、受験者に日本語、作文、数学、経学、歴史、

地理の科目が課されており、第四、五班は理科班で、受験科目は日本語、作文、数学、博 物、物理、化学となる。また、口頭試験は吉林、奉天、哈爾浜などで試験場を設けて行う が、毎年、試験場は変更される可能性があった。学科試験と口頭試験の実際の試験内容に ついては不明であるが、試験科目の構成から、高等師範学校で養成される中等教育教員は 全員日本語能力を有していたことがわかる。

1937 年までの高等師範学校の受験者数及び合格者数は表 3-17 のとおりである。

表 3-17 高等師範学校受験者及び合格者数

志願者数 受験欠席者数 受験者数 入学許可者数

1934 年 245 57 188 114

1935 年 367 42 325 120

1936 年 308 35 273 118

1937 年 367 72 295 108

合計 1287 206 1081 460

(『高等師範学校要覧』(1937)より転載、同書には頁数は記されていない。) 表 3-17 からみれば、志願者数と受験者数は逐年増加していたが、実際の入学者数には変 わりはなく、110 名前後から 120 名以下に固定されていたとみられる。このことから、満洲 国では中等教育教員の養成は厳しく管理されていたことが窺えよう。

高等師範学校での教授科目は表 3-18 の通りである。

120 表 3-18 高等師範学校教授科目

男子部 女子部

修身公民、教育、経学、国文、日本語、歴史、地理、

図画、音楽、体育、数学、物理、化学、博物、農業、

工業、商業、実科、生理衛生、書道、外国語

修身公民、教育、経学、国文、日語、歴史、地 理、図画、音楽、体育、家事、裁縫、手芸、書

(武強(1993:59)より、引用者作成。太字は引用者により、男子部と女子部の共通科目を示す)

高等師範学校では、学生の主要科目によって、班を分けていた。たとえば、1934年男子 部は7つの班が設けられ、第1班は教育、修身公民、歴史を主要科目とし、第2班は経学、

国文、日本語を主とし、第3班は地理、英語、日本語を中心とし、第4 班は物理、化学、

数学を主とし、第5班は博物、物理、化学を主とし、第6班は図画、音楽、書道を主とし、

第7班は体育、生理衛生、修身公民を主要科目とした55。高等師範学校での4年間に、第1 学年に表3-18に示されている科目は共通科目として各班に課され、第2学年より、各班の 主要科目を中心に教育を進めていく形を取った。しかし、修身公民、教育、日本語、体育、

実科は 4 年を通して課されていた。この学科目の設定は初等教育教員を養成する機関であ る師範学校と一致しており、ここより教員の養成においては師範学校と高等師範学校は一貫 性を持っていることが窺える。また、各科目の中に日本語に割かれる時間は最も多く、12 時間に至り、週総教授時間の3分の1に達していた56。日本語を主要科目とした学生にはと もかく、高等師範学校の学生全員に多くの時間を割いて日本語を教授したことから、満洲国 では教員には日本語能力が必要であることを示していると考える。

1938 年新学制の実施により、高等師範学校が高等師道学校に改称され、それにともない、

高等師道学校設立の目的は、中等教育の普通科目(文理系及び音楽、体育、書道などの技能) の教員を養成することとなった。学校内には男子部と女子部が設けられ、修業年限は 4 年 より 3 年と短縮された。入学資格は師道学校、国民高等学校、女子国民高等学校卒業者ま たはそれと同等の学力を有するものに限られている。改正後の男子部と女子部の学科目は 表 3-19 に示されているとおりである。

表 3-19 高等師道学校学科目

男子部 女子部

国民道徳、、教育、国語、実業、歴史、地理、図画、

音楽、体育、数学、生理衛生、書道、法政経済、物 理、手工、化学、博物、実科、語学

国民道徳、教育、国語、歴史、地理、数学、生 理衛生、図画、音楽、体育、実業、書道、家事、

裁縫手芸、理科、

(民生部教育司(1937:15)『学校令及学校規定』より、引用者作成。太字は引用者により、共通科目を示す。)

表 3-19 から、女子部の学科目は新学制前より数が増え、また、男子部との共通科目が多 くなっているとみられる。女子に単に基礎的な技能のみのではなく、数学、理科及び実業 科目の増設より、女子が幅広い知識を有することが求められるようになったことが窺える。

また、「中等教育教師に関する件」により、高等師道学校の卒業生は専修した主要科目を担

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当する中等教育教諭の資格を有するため、女子部の学科目の増加は、その学科目を担当で きる女子教員の人数が増加したことを意味しているとも考えられる。

また、学科目の構成からみれば、男女を問わず、最も重視されたのは国民道徳、教育、

及び国語である。国民道徳はもとの修身公民と経学を統合した科目であり、主に満洲国の 建国精神を授ける科目である。ここでいう国語は漢語と日本語を指す可能性が高いと考え る。なぜなら、1938 年に新学制の実施により、日本語が漢語、蒙古語とともに国語の地位 に置かれるようになったためである。また、新学制後、師道学校において日本語の比重が 大きくなったため、高等師道学校の国語科目の中の日本語の占める比率が高くなったと推 定できる。

1941 年の統計によると、男子部の第 1 学年に 9 つの班が設けられ、第 2 学年と第 3 学年 にはそれぞれ 8 つの班が設けられていた。女子部の第 1 学年に 4 つの班があり、第 2 学年 と第 3 学年はそれぞれ 3 つの班があった。高等師道学校の規模が大きくなっていったこと がわかる。さらに、1942 年 3 月、高等師道学校は師道大学に昇格した。入学資格は学校ま たは組織より推薦された以下の項目57の何れかに該当し、かつ師道大学の試験に合格した者 に限られるようになった。

一 師道学校、国民高等学校及び女子国民高等学校卒業者

二 民生部大臣が指定した国民高等学校または女子国民高等学校の教育課程の修了者 三 国民高等学校または女子国民高等学校卒業程度で学力検定の合格者

四 (旧制)高級師範学校、高級中学校第一学年修了者 五 協和会または市県長に認められた特別適合者

上記の入学資格より、入学者は国民高等学校またはそれと同等の学力を持つもの、また所 属より推薦されたものに限られたため、これまでの入学者の優秀な水準が保たれたと思われ る。また、資格については 5 つの項目が挙げられ、入学者の範囲が広げられたため、師道学 校の規模がさらに拡大されたと考える。同年より、学校の構成は表 3-20 のようになった。

表 3-20 1942 年高等師道大学の構成

文科 理科 技能科

(長野県南嶺会学院史刊行委員会 (1981:287)より転載。)

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表 3-20 より、1942 年に師道大学では主要科目によって男子部は 9 つの班に分けられ、女 子部は 4 つの班に分けられたことが分かった。また、1942 年の主要科目は 1938 年以前と比 べて、変わりはなく、国語を主要科目とする班の数が増えたとみられる。前述した国語科 目には日本語の比率が高いという推定により、師道大学では、日本語教員の養成の規模が さらに拡大されたと推察できる。