第 4 章 満洲国における白系ロシア人の人材養成
3 満洲国の対白系ロシア人教育方針
1932 年 3 月、日本指導下の満洲国が成立した。建国早々、各方面において混乱の状態で あったため、文化及び習慣の異なる白系ロシア人の指導監督は、暫定的にハルビンにある 浜江署に委ねていた。1933 年末の調査によると、当時、白系ロシア人初等・中等教育学校 の状況は表 4-1 と表 4-2 に示されているとおりである。
表 4-1 東省特別区12区立俄僑学校調査表
学校名称 級数 教員数 学生数 成立年月
東省特別区俄僑師範専門学校 4 16 80 1925
東省特別区第一俄僑中学校 2 20 40 1931
俄僑第一高級学校 13 24 568 1916
東省特別区俄僑第一初級小学校 8 13 214 1908
東省特別区俄僑第二初級小学校 8 14 260 1901
東省特別区俄僑第三初級小学校 8 14 201 1909
東省特別区俄僑第四初級小学校 8 13 288 1901
東省特別区俄僑第五初級小学校 5 12 234 1912
東省特別区俄僑第六初級小学校 4 10 150 1915
東省特別区俄僑第七初級小学校 4 8 53 1924
東省特別区俄僑第八初級小学校 4 8 100 1924
東省特別区俄僑第九初級小学校 4 6 100 1925
東省特別区俄僑第十初級小学校 4 6 103 1925
東省特別区俄僑第十附設高小 3 7 45 1925
(『満洲国少数民族教育事業』(1934:83-84)より転載)
新学制実施以前の白系ロシア人向けの学校は経営者によって公立・私立・個人・教会経 営に区分されている。表 4-1 は公立学校について調査表であり、表 4-2 は私立学校につい ての調査表である。表 4-1 と表 4-2 より、1933 年、満洲国が成立した初期、白系ロシア人 向けの私立学校の数が公立学校より遥かに多かったことがみられる。これらの学校は白系 ロシア人が満洲へ侵入してから漸次設立されたものである。表 4-2 からみれば、私立初級
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小学校の多数は 4 年制で、中等教育の中学校は一般的に7年制で、中等教育の大半を占め ていた職業教育(実科中学校)の修業年限はさまざまである。また、講習期間が短い私立技 術伝習所が多数存在していたことも窺える。1936 年以後、これらの学校は公私立を問わず、
全て満洲国政府の監督・管理下に置かれるようになり、また 1936 年 2 月までに正式に行政 機関に登録していない個人経営の学校は、警察力により学校を強制閉鎖されるにいたった。
表 4-2 私立学校調査表 (単位:人) 学校名称 修業年限 学級数 生徒数 職員数 入学資格 成立年
蘇連音楽学校 7 年 10 130 8 なし 1932
東方文盲専門学校 4 年 4 140 10 中学卒業 1925 青年会英文専門学校 3 年 2 57 10 中学卒業 1929 俄僑私立多斯多也夫司基中学校 7 年 13 400 31 小学校卒
業
1927 俄僑私立卜什金中学校 7 年 10 180 20 〃 1921 俄僑私立第一中学校 7 年 10 145 29 〃 1928 哈爾浜俄僑私立師範付属中学校 7 年 11 171 27 〃 1926 俄僑私立青年会中学校 7 年 10 308 31 〃 1925 俄僑私立阿徳文斉斯特教会中学校 7 年 10 120 9 〃 1929 俄僑私立沃克沙果夫斯基女子中学校 7 年 11 173 33 〃 1906 俄僑私立結也羅作瓦中学校 7 年 12 140 22 〃 1903 俄僑私立特立足立中学校 7 年 8 81 11 〃 1912
第一実業中学校 7 年 10 199 27 〃 1916
俄僑私立沃克沙果夫司基実業中学校 7 年 10 74 27 〃 1925 俄僑私立沃克沙果夫司基成人専校 7 年 5 20 15 なし 1929
俄僑光華実中学校 7 年 8 100 13 小学校卒
業
1928
第一俄僑商務学校 7 年 10 300 30 〃 1921
拉衣特私立英文学校 不定 5 24 10 〃 1919
聾唖学校 不定 3 14 1 なし 1922
哈爾浜第一音楽学校 7 年 6 68 13 〃 1921
哈爾浜商業学校 不定 12 155 15 〃 1930
華俄孤児院 4 年 4 100 7 〃 1924
牙羅次基打字学校 不定 4 62 6 なし 1931
俄僑関徳舎瓦幼稚園 2 年 3 20 20 〃 1927
第一歯科学校 2 年半 3 120 20 中 学 肆 業 3 年
1928
第二歯科学校 〃 5 132 9 〃 1928
満洲里俄僑私立中学 7 年 10 194 15 小学事業 1914 海拉爾俄僑私立中学 7 年 10 131 14 〃 1925
牙克石初高級小学 7 年 7 127 5 なし 1924
博克図私立中学校 7 年 8 37 9 小学事卒業 1924
一面坂私立中学校 7 年 10 76 10 〃 1924
海拉爾回回学校 4 年 1 91 5 なし 1921
満洲里回回学校 4 年 1 170 5 〃 1912
綏芬河回回学校 4 年 1 40 5 〃 1919
俄僑私立切司諾郭瓦初級小学校 4 年 4 52 4 〃 1925 俄僑大学生員会私立高初級小学校 4 年 2 48 12 〃 1922 俄僑私立阿力克西也夫司基初級小学
校
4 年 4 90 5 〃 1925 俄僑私立多羅卜瓦初級小学校 4 年 5 35 4 〃 1924
曁□華文打字伝習所 3 か月 1 28 2 〃 1929
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哈爾浜複式簿記伝習所 不定 1 7 2 〃 1933
文尉華文打字伝習所 3 か月 1 26 2 〃 1932
外国語伝習所 不定 2 72 7 〃 1932
俄僑満洲会計伝習所 不定 3 293 8 〃 1932
商業伝習所 不定 3 70 5 〃 1932
石也夫工程絵図伝習所 不定 1 8 3 〃 1932
私立列文商業簿記伝習所 不定 1 5 2 〃 1932
哈爾浜別雷衣跳舞伝習所 不定 1 33 2 〃 1930
関達基私立外国語伝習所 不定 6 21 5 〃 1932
哈爾浜薬剤師伝習所 不定 7 60 7 〃 1926
哈爾浜市立簿記伝習所 不定 5 145 4 〃 1921
各各瓦茲私立簿記伝習所 不定 2 25 3 〃 1905
苗立爾私立縫級伝習所 不定 2 51 2 〃 1920
布達也瓦私立女子手工伝習所 不定 3 31 2 〃 1929 克魯尼那私立女子手工伝習所 不定 2 24 1 〃 1926
紫月列夫私立職業伝習所 不定 6 65 5 〃 1920
第一音楽伝習所 不定 4 73 4 〃 1927
楚尼興私立按摩美容伝習所 不定 1 24 3 〃 1926
各徳次卡牙私立按摩伝習所 不定 3 20 5 〃 1931
巴拉諾瓦波波私立音楽伝習所 不定 4 60 4 〃 1927 卜普拉夫司基私立英文伝習所 不定 3 72 7 〃 1928
愛力鉄果夫私立会計伝習所 不定 3 85 5 〃 1932
英国汽車農具伝習所 不定 3 200 4 〃 1928
霓虹打字伝習所 3 か月 2 28 3 〃 1933
芸興女子刺繍伝習所 不定 1 10 2 〃 1933
私立天主教堂女子中学校 7 年 7 200 7 小学卒業 1928 徳僑私立根近爾絡初級小学校 6 年 4 43 4 なし 1925
波蘭初級小学校 4 年 2 60 2 〃 1926
私立猶太小学校 7 年 5 82 5 〃 1926
波蘭中学校 7 年 3 188 5 小学卒業 1927
満洲里猶太学校 4 年 4 80 5 なし 1926
(『満洲国少数民族教育事業』(1934:84-91)より転載)
一方、満洲国の白系ロシア人向けの高等教育機関に関しては、1934 年の時点で、1922 年 に専門学校から大学に昇格したハルビン法科大学、1925 年に開設された中等教育機関教員 を養成するハルビン教育大学、ロシア東洋学研究者協会の支援で成立した東洋学・商学大 学、1932 年に設立したキリスト教青年会立北満工業大学、1934 年秋に正教会により設立さ れた聖ヴラジミール大学の 5 校がある13。しかし、1935 年、中東鉄道が満洲国に売却された ことにより、在満白系ロシア人の人口が急減し、その影響は高等教育機関にも及んだ。東 洋学・商学大学が聖ヴラジミール大学に統合され、キリスト教青年会立北満工業大学が閉 鎖され、また、ハルビン法科大学と教育大学が統合されて哈爾浜俄僑学院として白系露人 事務局の管轄下に置かれた。1937 年、満洲国にある白系ロシア人向けの高等教育機関は聖 ヴラジミール大学と哈爾浜俄僑学院の 2 校しかなかった。
教育方針については、新学制が実施される前まで、満洲国では白系ロシア人に対する教 育に、具体的な教育方針が制定されていなかった。学校での教育内容と形式はともに帝政 ロシア時代のものを踏襲していた。以下、各教育機関での教授科目から当時の教育方針の
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表 4-3 北満特別区区立初級小学校課程表 科
目
神 学
俄 文
数 学
歴 史
地 理
自 然
図 画
唱 歌
体 操
手 工 班
次14
一 2 12 6 - - - 1 - 1 1
二 2 12 6 - - - 1 - 1 1
三 2 10 6 2 2 3 1 1 1 1
(『満洲国少数民族教育事業』(1934:84-96)より転載)
表 4-3 は北満特別区区立小学校の教授科目表である。前述したように、白系ロシア人向 けの学校は公立・私立などに区分されており、北満特別区区立初級小学校は公立学校の一 つである。表 4-3 より、初級小学校で、最も重要視された科目は俄文(ロシア語)、数学と 神学であることが分かる。
表 4-4 北満特別区区立高級小学校課程表 科
目 俄 文
満 洲 国 文
英 文
数 学
代 数
幾 何
物 理
自 然
地 理
歴 史
神 学
幾 何 画
図 画
手 工
音 楽
体 育
班 次
一 6 4 3 3 - 2 - 2 2 2 2 1 2 1 1 1 二 6 4 3 3 2 2 2 2 2 2 2 1 2 1 1 1 三 6 3 3 - 2 2 3 2 2 3 2 1 2 1 1 1 (『満洲国少数民族教育事業』(1934:84-95)より転載)
表 4-4 は北満特別区区立高級小学校の教授科目表である。教授科目は、俄文、神学のほ かに、地理、歴史、幾何など幅広い分野の科目が課されている。白系ロシア人向けの学校 教育では、初級小学校は義務教育とされ、授業料が徴収されなかったが、高級小学校以上 になると、すべてが有料となった。高級小学校の対象者のほとんどは職人、事務員、プチ ブル階層の子どもであるため、通常の小学校で教授されていない科目が多くみられる15。表 4-4 の教授科目のうち満洲国文の設定が注目に値する。白系ロシア人向けの学校では満洲国 文科目がいつごろから設けられたのかが不明であるが、学校の成立年代からみれば、20 世 紀の 10 年代、20 年代に設立されたものが多く、また、白系ロシア人向けの学校が 1936 年 以後に満洲国政府の管轄下に移行されたことを併せて考えれば、白系ロシア人向けの高等 小学校での満洲国文の科目の設定は、帝政ロシアの教育形式を継承しながら、自主的に満 洲・満洲国現地に合わせた科目を取り入れた結果だと考える。ドミートリエヴァ(2010)に よれば、当時、帝政ロシア式の教育を受けた白系ロシア人学生は卒業後、満洲国にて就職 難に直面していた。そのため、北満特別区区立高級小学校は学生の進路を顧慮して、満洲・
満洲国という現地性及び科目の実用性に基づいて、満洲国の白系ロシア人向けの公立小学 校の中であえて満洲国文科目を導入していたといえよう。
表 4-5 は北満特別区区立白系ロシア人中学校の教授科目表である。表 4-5 より、神学、
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俄文16、代数、物理、図画の科目は基礎科目として全学年に課されていることが分かる。ド ミートリエヴァ(2010)は、帝政ロシアの中学校の教育特徴は外国語の重視であると指摘し ている。この指摘は、表 4-5 の英文と拉丁文(ラテン語)に充てられた時間数に見受けられ る。満洲国文科目の教授時間数は高級小学校での時間数より少なくなり、同学校の英文科 目の時間数の半分しか達していないことがみられる。中学校卒業した学生は欧米に留学し てさらに進学する比率が高かったため、科目の設定は外国語の実用性を重視したものだと 考える。
表 4-5 北満特別区区立俄僑中学校課程表 科
目 神 学
俄 文
幾 何
代 数
三 角
物 理
歴 史
地 理
東 方 地 理
天 文
拉 丁 文
満 洲 国 文
英 文
哲 学
法 学
政 治 経 済
図 画
解 析 幾 何
化 学
自 然 学
微 積 分
幾 何 画
経 済 地 理 班
次
五 2 4 3 3 - 2 3 - 2 - 4 3 6 - - - 1 - 2 - - 1 -六 2 4 3 3 2 3 3 2 - - 4 2 6 2 - - 1 - - 2 1 1 2 七 2 5 - 2 2 3 3 - - 1 4 2 5 1 2 1 1 2 - 2 2 - -(『満洲国少数民族教育事業』(1934:84-93)より転載)
さらに、白系ロシア人向けの高等教育機関に相当する北満特別区区立俄文師範専科学校 を例として、その教授科目についてみてみよう。師範専科学校では4つの班が設けられ、
教授必須科目には「解析幾何、物理光学、俄文文法、語言学」が課されており、共通科目 には「手工図画教授法、希腊(ギリシャ)文学史、天文学、論理学、積分計算、俄国民衆文 学、俄国歴史、球面三角、十八世紀之俄国文学史、学生之分類、数学理論、師範史、十九 世紀之俄国文学史、読書心得」が課されている17。
以上の白系ロシア人向けの初等・中等・高等教育機関の教授科目から、白系ロシア人の 教育の中に、実際に以下のような教育方針の存在が指摘できる。①白系ロシア人の初級小 学校、高級小学校、中学校では一貫して、神学、俄文を基礎教育として重要視している。
②高級小学校以上に上がるにつれ、英文及び他の基礎科目も求められたが、ロシアの地理、
歴史、文学、つまり「ロシア的」な科目の比重が大きく設定されている。これは公立学校 のみではなく、私立学校も同じような傾向がある。たとえば、私立学校ドストエフスキー 中学で編纂し、生徒に配布した学習日記の中の一文では、学校の科目について「信仰と神 への奉仕を学び、故郷の善良なる習慣と祭日を遵守し、固き戒を守って之を行ふ。なほ母 国の言葉、文学、美術及び私の祖国ロシアの歴史、地理を学ぶ18」と語られている。③帝政 ロシアの教育形式を継承しながら、満洲・満洲国の現地に合わせた実用的な科目を取り入 れている。
では、こうした教育方針の下、白系ロシア人はいかにその教育を受け入れたのか、再度 学習日記文を確認してみよう。文の最初に「私は満洲国に住んでいる。中略。私は、常に、
満洲国に対して感謝と友愛の感情を持つべきである。私はロシヤ人であり、私の祖国はロ