第 4 章 満洲国における白系ロシア人の人材養成
4 満洲国における白系ロシア人に対する学校教育
4.2 建国大学
4.2.1 白系ロシア人に対する日本語教育
4.2.1.2 日誌・作文からみた白系ロシア人の日本語能力
1938 年後半期、5 名の白系ロシア人学生はすでに「日常簡易なる会話はさほど不自由を 覚えず、著しき進歩43」をみせたという。特に漢字の習得に興味と熱意を示しており、漸次
『和露辞典』を使用して日本語学習に臨んできた44。1938 年 12 月、5 名の学生は辞書を参 考にしながら 5 本の作文を提出した。本節では、この 5 本の作文を 12 月までに学生が書い た 28 篇の日誌と併せて分析することで、白系ロシア人の日本語能力を考察する。
『報告』には 1938 年 5 月 2 日の開学から 12 月 14 日までの間に 5 名の生徒が書いた 28 篇の日誌が収録されている。日誌に生徒の名前は提示されず甲、乙、丙、丁、戊45と表記さ れている。
日誌に使用された文字は、5 月の段階では 4 人が片仮名を用いたが、甲のみが平仮名を用 いた。6 月以後になると、戊が 1 篇の中に片仮名を使用したほか、全員が平仮名漢字交じり 文を用いた。仮名遣いについては、甲は 5 月の 1 篇に表音式仮名遣いを用い、12 月の 1 篇 に表音式と歴史的仮名遣いを混用していたが、その他の 26 篇では全て歴史的仮名遣いが用 いられている。また、文体については、甲は 6 月より普通体の使用が始まったが、8 月以後 の日誌には普通体と丁寧体の混用がみられる。丁の 9 月の日誌は普通体で書かれたが、そ の他の日誌は全て丁寧体で記された。
日誌の全体からみれば漢字と語彙の使用量が明確に増加する傾向を示し、複文や重文の 量も時が進むにつれ増える一方である。文末には「ました」と「た」形が多く使用され、
他の文型は殆ど見当たらなかった。助詞の使用は頻繁で特徴的である。本節では助詞の正 用と誤用から白系ロシア人の日本語能力を考察する。
助詞分析にあたって、日誌に使用された助詞を『速成』の各助詞の用法分類に照合して 分類した。その結果、『速成』で取り扱われた 23 種の助詞のうち、13 種の助詞が日誌で使 われたことがわかった。『速成』で取り扱われていない助詞(例えば、ぐらい・しか・なが ら)の使用が見当たらない。5 名が書いた 28 篇の日誌の中では合計 295 回の助詞の使用が あり、そのうち正用は 265 回で、誤用は 30 回であった。助詞「に」は「帰着点」・「対象」・
「目的」・「時間」を表す用法として、正用例が 63 回と最も多くみられる。助詞「を」は「目 標対象」を表す用法として、40 件の正用が見られる。その他、様々な助詞の正用例が豊富 にみられる。表 4-8 は助詞の誤用回数を示す表である。
表 4-8 助詞の誤用回数
て が で を に 無助
詞 は では へ 総計
個数 7 6 5 4 4 1 1 1 1 30
(建国大学『露人学生に対する日本語教授の報告』1939 年に収められた「塾生日誌抄」より、筆者作成)
表 4-8 より、接続助詞としての「て」(動詞のテ形)の誤用は最も多く 7 回(3 人)あり、
「そこで船に来って太陽島え行った」、「尹君と一緒に私の家え行って中食を食て松花江に
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行った」のような間違いである。このような問題は現在の日本語学習の中で、発音がまだ 十分できていない初期段階でよく現れ、発音の間違いとも思われる。
助詞「で」の誤用は 5 回(3 人)あり、「二時から食堂二階に身体検査はでした」、「つる や旅館に朝食を喰いて女子高等中学校に話を聞いて外出に出ました」のように助詞「で」
を使用すべきどころに助詞「に」を使用した誤用である。
助詞「に」の誤用は 4 件(4 人)あり、助詞「に」を使うべきどころに助詞「の」・「へ」
を使ったり、助詞を用いなかったりした誤用である。たとえば、「第一塾二番目のなった」、
「ハルビンへ八時四十分に着きました」、「七ジ ワタクシタチハタベマシタ」のような例 である。助詞誤用の中に特に無助詞の問題がしばしば見受けられる。たとえば、「今日は私 等にチプスの予防注射 しました」、「ハルビン協和会露西亜関係係長加藤様 参りました」
のような、それぞれ「を」と「が」を使用すべきところに助詞が省略された例が挙げられ る。その他、「新京に帰るにいった」、「見るに行きました」のように、動詞活用形の誤用も ある。以上の誤用の存在は「文法説明なし」、「会話中心」の教授法によるものだと考える。
誤用数の上位 5 つの助詞の誤用と正用を月別にさらに分析すると、表 4-9 に示されてい るような結果を得た。
表 4-9 誤用数上位 5 つの助詞の誤用・正用
誤用 正用
が て で に を が て で に を
5 月 1 1 1 2 10 1 12 4
6 月 1 1 6 4
7 月 1 1 1 1 2 6 6
8 月 1 5 2 1 1 5 3 19 8
9 月 1 1 3 5 3 10 月 2 7 2 7 8
11 月 3 1 7 3 3 5 6
12 月 2 3 1
総計 6 7 5 4 4 23 18 10 63 40
(建国大学『露人学生に対する日本語教授の報告』1939 年に収められた「塾生日誌抄」より、筆者作成)
表 4-9 に示しているように、誤用が多くみられた 5 つの助詞の誤用数は、5 月から 8 月ま でつまり学期の前半期に主にみられ、20 回あったが、下半期になると 6 回までに減少し、
その反面、これらの助詞の下半期の正用数は大幅に伸び、67 回になっている。これにより、
白系ロシア人生徒の前半期で正用できなかった助詞は後半期までには習得が進んだと考え られる。
『報告』の中に「満洲の冬」、「復活祭」、「私の将来の希望」、「冬休みの予定」、「雀の話」
の 5 篇の作文が収録されている。これらの作文は宿題として課され、作成の時間制限はな く、辞書を参考に使用することも可能であった。いかなる経緯で上述のテーマが選定され たのかは不明であるが、前述したように、作文科目では白系ロシア人に自由作文が課され たことから推測すれば、白系ロシア人生徒は自らの意志で自由に題目を設定したと考えら
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れる。作文の分量は 215 字から 606 字までであるが、表記は共に平仮名漢字交じり文を使 用し、歴史的仮名遣いを用いた。文体については、3 人の文章は丁寧体であるが、他の 2 人 の文章から丁寧体と普通体の混用がみられる。全体からみれば、意見を述べる際の表現や 文学作品を訳す時の用語使用が豊富で、日誌より文の表現力の豊かさが満ちているように 思われる。文型の使用においても日誌より多様性が現われている。表 4-10 は 5 つの文章の 共通文型から抽出した使用頻度が高い項目と、それに対応した教科書『速成』での導入課 を示すものである。
表 4-10 作文に使用された文型表
(南満洲教育会教科書編輯部『速成日本語読本』
(上巻、下巻)1933 年より、筆者作成)
表 4-10 の文型が示しているように、5 つの作文の中で使用頻度が上位にあるのは「てい る」、「て形」、助動詞「~したい」及び待遇表現「~れる、られる」である。これらの文型 の使用には誤用は見当たらなかった。これにより、12 月の時点で白系ロシア人は「ている」、
「て形」及び「受け身」と「使役」などの基本文型を自由に使用できるようになっていた と考える。さらに、『速成』との対応関係から、白系ロシア人が使用した文型はすべて教科 書『速成』の文型範囲内であることがわかった。ここから、教科書『速成』の使用は有効 であり、白系ロシア人は教科書『速成』の文型範囲内の基本文型が習得できたと考える。
白系ロシア人の日誌と作文で著しい上達が見られるのは漢字の使用である。白系ロシア 人生徒の日誌と作文に使用された漢字を月別に集計し、旧日本語能力試験の漢字レベル基 準に照らし合わせた結果が表 4-11 である46。
表 4-11 に示しているように、5 月入学当初、白系ロシア人生徒の使用漢字のほとんどは 4 級に限られており、2 級と 3 級の使用はそれぞれわずか 5%で、1 級の使用はなかった。
月が進むにつれ、2 級と 3 級の漢字の使用はそれぞれ大幅に増加し、12 月の作文の段階で 2 級漢字の使用は 34%に上っている。ここから、白系ロシア人の漢字習得は大幅に進んでい たと考える。この点について、講読を担当した佐藤は「文字の書き方も相当達者で日本人 に比べてさして遜色のあるものではない47」と評した。
文型 『速成』との関係
ている 上巻・第19課
動詞て形 上巻・第19課
~したい 上巻・第51課 待遇表現~れる・られる 下巻・第18課 連体修飾節「の」 上巻・第35課
~のです 上巻・第43課
~のようだ
~のように 上巻・第70課 受け身~れる・られる 下巻・第22課
~つもり 下巻・第26課 使役~させる 下巻・第52課
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(建国大学『露人学生に対する日本語教授の報告』1939 年に収められた「露人学生作文」、
「塾生日誌抄」より、筆者作成)
以上、教科書及び白系ロシア人が書いた日誌・作文の誤用、文型及び漢字使用について の分析を通じて、1938 年、建国大学における白系ロシア人に対する日本語教育について考 察してきた。白系ロシア人向けの教科書が欠如していたものの、会話能力の養成が重要視 されたため、それまで満洲国で編集されてきた儒教を盛り込んだ教科書を排除し、あえて 日本文化を大量に取り入れた場面シラバスを中心とした『速成』を使用した。白系ロシア 人生徒の日誌や作文にはまだ文体・表記不一致などの問題が存在していたものの、教科書 で取り扱われた範囲内の文型及び助詞を自由に使いこなし、その正用率が伸び続け、また 漢字の書き・応用力も上級に達したという教育の効果を明らかにした。ただし、当時の日 本語教授の「文法説明なし」、「会話中心」という教育方針の下、白系ロシア人の日本語学 習に助詞の脱落、また、文型に連なる動詞の形が不明確などの問題が残っていたことが指 摘できる。
白系ロシア人の作文・日誌にどんな内容が記され、またどんな社会実態が反映されてい たのか。次節に日誌と作文の内容について検討してみる。