• 検索結果がありません。

満洲国における白系ロシア人に対する社会教育の特徴

第 4 章 満洲国における白系ロシア人の人材養成

5 満洲国における白系ロシア人に対する社会教育

5.3 満洲国における白系ロシア人に対する社会教育の特徴

以上のように、協和会露人係と白系露人事務局による白系ロシア人に対する教育につい てみてきたが、それぞれの組織の特徴を考えてみたい。

2 つの組織による教育の共通点としては、協和会露人係と白系露人事務局の対象者は共に 社会一般であり、学校教育より広範性、普遍性を有し、また、満洲国が樹立してから、ま もなく、協和会露人係と白系露人事務局がそれぞれ設立され、一般民衆への教育が始まっ たため、時間的、空間的においても学校教育を補った役割を果たしたと考える。

その相違点としては、協和会露人係は満洲国の国家的な国民教化組織であり、すべての 白系ロシア人に対して満洲国の精神教育を行うのが中心任務となっていたが、前述したよ うに、その教育の重心はつねに満洲国の要望、また時勢の変動に応えるように変わってい った。当初の満洲国建国精神の普及のみから精神教育と日本語教育の同時進行、さらに、

大東亜共栄圏の認識と日本語教育へと移行していた。日本語教育においては、一般民衆に は日常会話に支障なく応用できる程度は基本として求められており、その上で、読解、翻 訳と筆記を中心とした通訳としての能力が求められていた。要するに、協和会露人係によ る白系ロシア人に対する教育は、満洲国の建設に必要で、政治変動に対応できる人材の養 成であったと考える。

一方、白系露人事務局は満洲国政府の意志・命令を白系ロシア人に伝達し、白系ロシア 人の要望を満洲国政府に反映する満洲国政府と白系ロシア人の間の斡旋・調達を担うロシ ア人自治の組織であり、白系ロシア人の全体に対して教育を行ったというより、むしろ組 織的に白系ロシア人を統合したという機能のみを果たしたといえよう。その統合の手段は 満洲国式の教育ではなく、ロシア伝統文化の継承である。様々な文化施設の経営、及び芸 術活動の展開により、白系ロシア人の心の隅々までロシア文化の優越性を植え付け、それ と同時に、ロシア伝統文化の上に満洲国の異文化を吸収して、新たな在外ロシア文化を形 成し、それを若い世代に継承させていった。つまり、白系露人事務局による白系ロシア人 に対する教育はロシア伝統文化を継承・発展させる人材の養成である。

前述していたように、白系ロシア人初等・中等教育機関では、新学制が実施されてから も神学、ロシア語及びロシア文化の教育を中心とした帝政ロシア式の教育を踏襲していた ため、白系露人事務局によるロシア文化の継承・発展の社会教育はそれと一貫性を持ち、

満洲国国民として体得すべきとみられた満洲国の精神教育及び日本語教育は協和会露人係 による部分が大きいと指摘できる。

169

小括―満洲国における白系ロシア人の人材養成の意味

以上、学校教育と社会教育の双方から満洲国における白系ロシア人に対する教育につい て考察してきた。満洲国成立初期、「白系ロシア人が反共であるからとして、そのまま放置 することはソ連との関係上許されないので、政府は一面保護育成、反面監視監督の政策を とった74」。対白系ロシア人教育においては、具体的な方針は制定されず、それまでの「神 学」「ロシア語」などを基礎科目としての帝政ロシアの教育制度を踏襲させていた。しかし、

学校教育における「満洲国文」科目の出現は特徴的であり、それは学生の進路を考慮し、

現地の実情に合わせて、旧来の帝政ロシア式教育の上に「満洲国式」のものを加えた教育 方針の結果であると考える。また、1934 年、白系ロシア人中学生により作成された文章の 中に、ロシア賛美、ロシア正教・ロシア文化賞賛の内容に満ちていたが、満洲国、また、

民族協和に関する記述の現われは、白系ロシア人はすでに満洲国に対する認識があり、満 洲国の建国精神に関するものは多少なりともすでに白系ロシア人の意識の中に滲入したと 考える。満洲国成立初期のこの意識の形成には、学校教育と協和会露人係による社会教育 によるものが大きいと考える。

新学制実施後、白系ロシア人は正式に満洲国の一分子とみなされ、教育の中で、最も重 要視されたのは満洲国国民性の涵養という精神教育である。「白系露人教育要綱」により、

学校教育の中に「国民道徳」と「日本語」科目の導入が義務付けられたが、初等・中等教 育機関では教材不備、教科書編纂に時間がかかるなどで、2 つの科目の導入は実行できなか った。まだ旧来の「帝政ロシア式+満洲国式」教育方針の下に止まっていた。一方、白系 ロシア人を対象とした特別高等教育機関である北満学院と満洲国唯一の人材養成高等教育 機関である建国大学では、確実に「国民道徳」と「日本語」の 2 つの教科を実施し、白系 ロシア人の満洲国国民への教化に取り組んでいた。

学校教育における白系ロシア人に対する日本語教育に関しては、北満学院での実際の教 授情況は不明であるが、建国大学での使用教材、学生により書かれた日誌、作文について の分析により、以下の特徴が明らかになった。

第一に、白系ロシア人には漢人向けの日本語教材を使用したこと。1938 年の時点で、満 洲国では満洲国政府によりすでに大量の日本語教材が編纂・出版された。しかし、建国大 学では、あえて「ほとんどの漢字が判らない」白系ロシア人に、漢人の成人向けの漢語訳 付の『速成日本語読本』を使用した。その理由として、一つは満洲国の教材には儒教を中 心とした精神教育の内容が盛り込まれており、ロシア正教を信仰する白系ロシア人には相 応しくないと考えられたこと、もう一つは、『速成日本語読本』は満洲国・日本文化の理解 を中心内容とし、場面シラバスを用いた教材であるため、当時の白系ロシア人の「会話能 力を養成」するという方針に一致したからだと考えられる。

第二に、語学の面から教育の効果が見られたこと。1 学年の学習を通じて、白系ロシア人 の日本語の使用にはまだ表記・文体の不一致、助詞の誤用などの問題はあったが、教科書 範囲内の文型をすでに十分使いこなし、助詞の正用率が伸び続け、また、漢字の筆記及び

170

使用も中・上級に達していた。ただし、「会話重視」「文法説明不足」などの教授問題によ り、学生の日本語使用には、助詞の欠落、動詞活用形などが応用できない問題点は残って いた。

第三に、精神面からロシア人に思想の変化があったこと。人数が少なく、また日本語は 十分会話できなかったため、入学最初の段階では多民族共学の環境の中に白系ロシア人学 生は孤独がちにみられたが、日本語学習に努力し、日本語の上達につれ、他民族との交流 が多くなり、白系ロシア人は積極的に多彩の大学生活を営むようになった。政治や時勢に は無関心で、自民族の宗教信仰に執着し、特にロシア文化、文学には強い関心を持ってい た。しかし、その一方、白系ロシア人が書いた日誌・作文を精読してみると、白系ロシア 人はすでに満洲国及び満洲国の建国精神に対する認識があり、特に、作文を通じて将来満 洲国の官吏になり、多民族協和に貢献したいという理想の表現からは、白系ロシア人の思 想は最初のロシア賛美、ロシア文化崇拝のみから満洲国国民としての思想への転換を察す ることができる。

しかし、なぜ以上のような教育結果が生じ、また白系ロシア人学生の思想に変化が起こ ったのか。語学教育と精神教育の 2 面から考えていきたい。

①語学教育においては、以下の 2 点がある。第一に、教科書の選定。前述したように、

教材不足の中、学習者が会話がほとんどできない実情に直面して、場面シラバス中心の『速 成』を選定し、学習者のコミュニケーション能力の向上を図った。一方、『速成』の編纂特 徴として、漢語訳が付いており、建国大学教師の日本語振り仮名つきの教科書が学習者の

「向学心を刺激する75」という論点を転用すれば、漢語訳つきの教科書の使用は学習者の漢 字意識の形成にも影響があったことは否めないだろう。また、『速成』上下巻の巻末にはジ ャンル別の語彙表が附してある。片仮名と漢字の表記で、教科書で使用された語彙に限ら ず、関連語彙を大量に提示している。これによって、学習者に自習用の語彙や漢字の補充 教材が提供されたと考える。第二に、作文指導の実践。作文指導の導入は満洲国の白系ロ シア人に対する日本語教育の大きな特徴ともいえる。日誌及び作文を通じて、書き言葉と 教科書の既習項目、つまり文法知識の練習と応用が実現でき、そのうち初期段階に現れた 文法の間違い及び誤用の問題が軽減できたと考える。それと同時に、日誌と作文の作成は 漢字習得の実践の場ともなり、漢字の認識度を高めたと考える。

満洲国の教育は植民地統治が背景にあり、現在の日本語教育とは性格が異なるものの、

その教育は会話教育、文法教育と漢字教育を同時に有効に実現できたため、単純に言語教 育の面から見れば、学習者の会話、文法及び漢字の筆記能力を高める際、実施した方法は 現在のロシア人ないし非漢字圏学習者に対する日本語教育に何らかの示唆を与えるのでは ないかと考える。現在のロシア人に対する日本語教育は、「教材の不足・不備、文法習得困 難及び漢字指導不十分76」という問題に直面している。これら問題はちょうど満洲国時代の 日本語教育に重要視され、また、さまざまな試行錯誤を経て解決された問題である。現在 のロシア人に対する日本語教育の方法を考える際、満洲国の対白系ロシア人日本語教育か