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第 2 章 満洲国における官吏の養成

4 官吏にとっての満洲国教育

前節までは満洲国の官吏制度、また、語学講習所、建国大学及び大同学院で行われた官 吏の養成と教育について検討してきた。特に、それぞれの教育組織の教授科目及び実際の 使用教科書についての分析を通じて、満洲国の官吏にとって必要とされた能力は満洲国に 対する認識、満洲国の建設に関する高度な専門的な知識、満洲国の行政及び時勢について 掌握、さらに語学能力と、軍事、農業などに携わる体力である。満洲国の官吏にこれらの 能力を養うために、満洲国政府は教育主体として社会教育と学校教育の双方を駆使して、

官吏の養成・教育に注力していた。しかし一方、教育客体としてそれらの教育機関で養成 され・教育された官吏はいかにそれらの教育を受けていたのであろう。当時の教育当事者 の生の声に耳を傾ける必要があると考える。次に、建国大学の事例を取り上げて、その実 態を確認しよう。

前述したように、建国大学は 1938 年に設立されてから、毎年は凡そ総人数の約 5 分の 2 を占める 70 人の漢人学生を招集していた。これらの漢人学生は建国大学の各教育科目に満 足し、快くそこでの各種教育を受け、建国大学に期待されたような官吏になったかという と、必ずしもそうではない。漢人による建国大学の回想にしばしば見かけられたのは、読 書会の話である。建国大学に研究院と図書館が設けられ、そこにマルクス主義を含む大量 の思想類の日本語書籍及び一部の中国語書籍を保存していた。それらの書籍は閲覧自由で あるため、学生に比較的自由な読書環境を提供した。1939 年後期、第二期生の漢人学生に より読書会が組織され、その後、各期生の間に4、5人以上規模の読書会が相次いで組織

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され、1945 年入学の第八期生まで継続されていた85。漢人学生の間でよく回覧された図書は

『三民主義解説』(周佛海)、『孫文主義』、『資本研究』、及び魯迅、郭沫若などの中国人作 家が創作した小説、詩などである86。読書会は定期的に研究会を開き、図書の内容について 討論して、共産主義や新しい思想などを伝授したり、新しい情報を共有したりする。この ような読書会の存在は漢人学生に大きな影響をあたえた。たとえば、二期生の田夫は「毎 週日曜日に同級生の 4 人と研究会を開き、『三民主義』や日本に留学していた友人が送って きた『大衆哲学』、『新生』などの図書を読んで、世界観についての検討を行った87」。二期 生の侗鈞鎧は建国大学での読書は自身の「民族アイデンティティ、世界観、人生観及び価 値観の形成には影響を及ぼした88」と述べている。また、八期生である宮金策、張善儒は「建 国大学に入って、『中国近代史』、『新民主主義論』などのような書籍を読んではじめて、自 分が植民地(偽満洲国)の奴隷であることに気付いた89」と語っている。

このように、建国大学に存在していた読書会は満洲国にある各種組織と比べてその規模 が極めて小さいにもかかわらず、数多くの漢人学生を結集して、漢人の民族アイデンティ ティを呼び起こし、彼らの世界観の形成に役立ったと考えられる。これらの民族意識が呼 び起こされた漢人学生は、建国大学の訓練及び教育を適当にあしらったり、抵抗したりす るものもいるし、真剣に学習に取り組んでいたものもいた。たとえば、二期生の田夫は「真 面目に訓練に向かうべきである。技術さえあれば、それをどこに使うかは自分で決めるこ とである90」という認識を持っていた。ここから、建国大学、または満洲国の教育は漢人の 青年にとって、すでに自分自身の理論武装となったことが窺える。

小括―満洲国における官吏の養成・教育の特徴

本章では、満洲国における官吏の養成・教育の実態を解明するために、まず、満洲国の 官吏制度を確認した。そもそも満洲国には官吏制度が存在しないため、関東軍は日本の官 吏制度を援用して、類似した構成及び等級配分を有する暫定的な制度を作り上げた。それ によって、初期の満洲国の官吏は大きく高等官と委任官の 2 つに分けられ、官吏の任用は ほとんど自由任命であった。

1938 年、文官令が公布され、従来の官吏の等級を簡素化し、高等官と委任官のほかに日 本国内の試補という官位を増設し、また文官試験制度を取り入れるなどで、満洲国の正式 な官吏制度が確立された。文官令の規定により、官吏の任用は原則的に文官試験によって 決めるようになった。文官試験は採用試験(1940 年より高等官は資格試験と採用試験)と適 格試験、登格試験、特別試験の 4 種があるが、各種試験はさらに高等官試験と委任官試験 に分けられる。このような官吏制度の下、官吏の養成と教育はいかなる状況だったのであ ろうか。満洲国の官吏の養成を担当する主要な教育機関、及びそれらの機関の関係につい ては表 2-17 のようにまとめた。1938 年の文官令の制定は満洲国の官吏制度の確立において、

大きな道標であるため、官吏の養成と教育を考察する際、1938 年を境界線としてその前後 を区分することができる。

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表 2-17 に示されているように、満洲国における官吏の養成はその性格から、中等以上の 教育機関の卒業生を対象とした新官吏の養成と、在職職員を対象とした官吏の再教育の 2 つから構成したと考える。学校教育機関である建国大学が主に新官吏の養成を担い、社会 教育機関である語学講習所は官吏の再教育を担い、大同学院は新官吏の養成と官吏の再教 育を同時に担っていたとみられる。次に、歴史の流れに沿って、各教育機関による官吏養 成・教育の特徴、及びそれらの教育機関が果たした役割を再確認しながら、満洲国におけ る官吏養成の系統を構築したい。

(1) 満洲国における官吏養成・教育の系統

1932 年 7 月、資政局訓練部に引き継ぎ、満洲国では大同学院が開設され、日本及び満洲 国内の大学・専門学校の卒業生から選抜した優秀なものに対して、満洲国建国精神、満洲 国の建設に関する専門知識、語学及び訓練を施し、これより満洲国における官吏の養成が 始まった。同年 8 月、在職官吏の意志疎通を図るための社会教育組織である語学講習所が 設立され、日本人官吏に漢語、漢人をはじめとする他の民族の官吏に日本語教育を実施し はじめた。語学講習所はいつまで存続していたかは不明であるが、そこで実施された語学 教育については、日本語教育を実例として挙げると、会話能力の養成が主要な目的とされ、

また、教授の中に日本の習慣や文化などに関する内容が大量に取り入れられたため、日本 に対する理解を深めさせようとした意図もあったと考えられる。また、語学講習所の組織 構成、教授科目、使用教科書などから 1936 年より実施された官吏を対象とした満洲国政府 語学検定試験と類似点が多いため、そこから、語学講習所は満洲国政府語学検定試験の土 台となる機能を有し、官吏に対しては、受験するための予備校という存在である可能性が 表 2-17 官吏養成・教育組織表

機関 官吏分類 時期 対象 教育性格

1932年 語学講習所 官吏全般 1932,8 日本人と他民族在職官吏 再教育 1932,7 大学・専門学校卒業生 養成

大学・専門学校卒業生 養成

満系在職官吏 再教育

大学・専門学校卒業生 養成

日・満系在職官吏 再教育

1938年

建国大学 高等官 1938,5 国民高等学校卒業生 養成 高等官採用試験の合格者 養成 高等官登格試験で合格した現職官吏 再教育 協和会、公共団体、特殊会社の職員 再教育 薦任技術官の銓衡合格者 再教育 地方日本人中堅幹部

(省理事官、県長、副県長級) 再教育 委任官 1943 一般職員訓練指導 再教育

1936

大同学院 高等官

文官令発布・文官試験制度実施 中堅官吏

(高等官)

1938

大同学院 1933

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高いと推定できる。これについては、第 6 章でさらに検証する。

1933 年 11 月までに大同学院で実施された官吏の養成は、主に大学・専門学校の卒業生を 中心としていたが、同年 12 月より、在職官吏の訓育が始まり、最初に招集されたのは漢人 官吏であった。日本人在職官吏の訓育が 1936 年より始まっている。

1938 年、文官令の頒布により、官吏の任用は試験採用となった。それにしたがい、大同 学院の訓育対象者は依然として大学・専門学校の卒業生を中心としていたが、それらの卒 業生は全員高等官採用試験の合格者であった。また、同年より、大同学院では協和会及び 特殊会社社員の委託教育、また地方の日本人中堅官吏の訓育が始まった。この時期の訓育 内容は前期と同じく、建国精神、満洲国の建設に関する専門知識、語学及び訓練を中心と していたが、前期と比べ、専門知識においては満洲国の行政、特に時勢に関する内容が多 く取り入れられた。同年、建国大学が設立された。建国大学は日本人及び他の民族出身の 官吏の養成を目的とし、その教育は精神教育、語学教育及び各種訓練を基本とし、その上 に高度な専門知識の教育を行った。

1943 年より、地方一般在職職員訓練所への指導も大同学院の担当範囲に入ってきたため、

これにより、大同学院は満洲国の官吏の養成と再教育の全般を担うようになった。

以上より、満洲国における官吏の養成・教育の体系については、1938 年以前では、社会 教育組織である語学講習所による官吏の再教育と、学校教育機関の中の一部の大学・専門 学校による官吏の養成を基盤とし、その上に大同学院が位置して、官吏の再教育と官吏の 養成を総括しているという形である。1938 年以後、学校教育の中に建国大学をはじめとす る各種高等教育機関があり、そこで高等官官吏が養成され、それと同時に、社会教育にお いて各種の職員訓練所が設立され、そこで委任官が再教育されている。これらの教育基盤 の上に依然として大同学院が位置しており、中央と地方、高等官と委任官の再教育と養成 を統括したという体系である。

(2) 満洲国の官吏像

満洲国における官吏養成と教育の系統の頂点に大同学院が位置し、官吏の養成と教育の 全般を統括していたことが明らかであった。この統括は形式のみでなく、前述したように、

大同学院による訓育は中央であろうと、地方であろうと、内容に類似性があるため、大同 学院による訓育は満洲国の官吏の資質を均質化する機能があったのである。では、満洲国 が求めた官吏がいかなるものであり、満洲国の官吏としてはいかなる能力が必要とされた のか。満洲国の官吏像を描いてみよう。

高等官については、建国大学による官吏の養成において、実際の教授科目についての分 析を通じて、高等官文官試験の考査科目は全部、建国大学の教授科目の範囲に入っていた ことが分かった。そこから、満洲国の文官試験で官吏に求めた満洲国に関する認識、満洲 国に関する高度な専門知識と語学能力の 3 つの必要な能力は、建国大学で養成された官吏 にとっても必要な能力であると考えられる。なお、建国大学の卒業生は全員高等官文官試