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第 2 章 満洲国における官吏の養成

3 満洲国における官吏の養成・教育

3.2 建国大学による官吏の養成

1938 年 5 月 2 日、国務総理大臣の直轄下で「建国精神ノ真髄ヲ体得シ学問ノ蘊奥ヲ究メ 身ヲ以テ之ヲ実践シ道義世界建設ノ先覚的指導者タル人材ヲ養成スル39」を目的とする満洲 国の最高学府である建国大学が新京で設立された。建国大学では政治科、経済科及び文教 科の 3 学部が設けられ、学制は前期 3 年、後期 3 年の 6 年制である。前期は国民高等学校、

日本の中等学校またはそれに準ずる学歴を有する者及び協和会により推薦された者を対象 とし、後期は前期の修了者、またはそれに準ずる学歴を有する選考により合格した者に限 定された。建国大学の卒業者に官吏または他の職務に服することが義務づけられた。

建国大学の学生の構成は、満洲国の「民族協和」を反映して、日、朝、漢((満)を含む)、

蒙、露(ロシア)の多民族からなる。第 6 期生の劉第謙の回想によると、学生の中に、日本 人が最も多く、第一期は 95 名、その後毎年 100 名前後を受け入れて、ほぼ総人数の 5 分の 3 を占めていた。残った 5 分の 2 はほとんど漢人であり、第一期は 55 名が入り、その後毎 年 70 名前後が入っていた。また、蒙古人と露西亜(ロシア)人は優遇され、入学試験の成績 を問わず、毎年合計 10 名前後が入学してきた。たとえば、第 6 期生の中に、蒙古人は 9 名 で、ロシア人は 4 名であった40。この多民族の構成によって、建国大学の一特色をなしたの は多民族の塾教育である。各塾の定員を 25 名とし、各民族の数に比例して配置し、多民族

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の学生を共塾させ、「民族協和の基礎的訓練を積み、これを基盤とし国の統治及び経営の実 務にあたらしめる41」という教育目標が立てられた。1938 年 9 月より、建国大学の下に研究 院が設けられ、満洲国の建国原理、文教、法政、経済に関する研究及びその教授、指導法 の開発に取り組でいった。

これまで、建国大学について数多くの研究が蓄積されてきた。研究の中心は建国大学の 歴史、教育理念、塾教育及び各科目教育であるが、近年、建国大学の卒業者による記述、

回想等が注目を浴びている。本節では、これらの先行研究に基づき、建国大学の教授科目 について考察し、建国大学による教育から官吏に必要とされた能力を検討する。研究の対 象者は主に日本語教育を受けた日本人以外の官吏である。

3.2.2 教授科目からみた官吏に必要な能力

建国大学では、前期の3年間は高等普通教育を実施し建国精神の理論、勤労的実習、軍 事訓練、日語または漢語を必修科目とする。後期の3年間は専門教育を実施し、国家の才 幹として必要な法政、経済、倫理、哲学、歴史等を教授科目とし、それと同時に農業実習、

軍事訓練を行う42とされた。前期の具体的な科目設定は表 2-9 の通りである。

表 2-9 前期訓練及学科課程表(1940 年) (単位:時間)

自 然 科 学 及 数

時数 80 430 360 330 95 365 120 330 220 300 300 535 295

(建国大学(1940:28)『建国大学要覧』より転載)

表 2-9 に示された各科目の時間数より、前期の教育は高等普通教育を中心とされたとし ても、軍事訓練、各種訓練及び語学教育が教育の大部分を占めていることが分かる。第一 語学には日語、漢語の 2 つの科目が設けられ、第二語学には蒙語、露語、英語、佛語、獨 語、伊語(イタリア語)の 6 つが設けられた。受講する際、第一語学と第二語学の中から 1 科目ずつを選ぶ。「建国大学要覧」により、1940 年の教授もこの教育学科課程にしたがって 実施され、また、建国大学の教育科目においては大きな改正が行われていなかった。

1945 年に入学した第 9 期生西口為之氏は当時の語学講義について「石田先生の漢語は楽 しかった…中島先生の英語にも度胆を抜かれた43」と綴っている。この回想によると、同氏 は当時、第一語学として漢語を選び、第二語学に英語を選んだと推察できる。ここより、

当時建国大学の教授科目の語学については、日本人に漢語及び他の言語を学ばせ、ほかの 民族には日本語ともう一つの言語を学ばせたことが窺える。しかも、日本語または漢語の 教授時間数が最も多く、概ね第二語学の時間数の 2 倍となっていた。1938 年に新学制の実 施により、日本語と漢語と蒙古語はともに国語の位置に置かれ、初等・中等学校教育の中 で、この 3 つの言語科目はすでに「国語」と提示されるようになった。しかし一方、建国

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大学の科目表から見ると、これらの言語科目はただ日文、満文、第一語学、第二語学のよ うに語学科目のみとして挙げられている。この点から言えば、高等教育における日本語ま たは漢語は初等・中等教育機関の「国語」教育と異なって、単に外国語の一つとして取り 扱われ、その教育は外国語教育の性格を持っていたことが指摘できよう。

表 2-10 後期訓練及学科課程(1940)

訓練

科目 内容 科目 内容

精神訓練

農事訓練 一般農耕作業 軍事訓練

歩兵大隊を基幹とする諸兵連合戦闘訓練 蔬菜栽培、畜産、農産加工の作業 対空対瓦斯対機械化部隊戦闘の要領騎兵小

兵隊の戦闘捜索の要領

総作業訓

自動車操作 武道訓練

(その一 を選ぶ)

剣道 グライダー操作

柔道 練習機操作

合気武道 機械の修理組立作業

弓道

基礎学科(共通学科)

科目 内容 科目 内容

教学

建国精神

文学 国語及外国語

神道及皇道 東方及西方古典

儒教

武学

武道及武術論

諸教概説 戦史

修養論 軍戦論

公務論 戦略及戦術論

国家学

民俗学

実学

農学

国民心理学 工学大意

統計学 医学大意

社会学 地理学 地人論

国家原理 地域論

国防論

哲学

哲学原理

民族協和論 現代思潮論

東亜連合及国際団体論 学問論

史学 歴史理論

世界史論

政治学科(専門学科)

科目 内容 科目 内容

一般科目

政治地理

統合政治 論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

国民編成論

政治史 国家組織法

政治思想史 政治組織論

政治原理 政治制度論

法律史 地方政治論

法律思想史 協和政策論

法律言論 外交政策論

法規論 東亜政治論

保安政治 論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

保安政策汎論

厚生政治 論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

厚生政策汎論

軍事法及軍事政策論 農村政策論

刑事法及啓示政策論 都市政策論

警察法及警察政策論 土地政策論

民事法及民事政策論 人工政策論

商事法及商事政策論 家族政策論

争議解決法及争議解決政策論 生計政策論

渉外法及渉外政策論 保健政策論

国際政治 論科目

外交史及び国際政治史 文化政策論

国際法論

経済学科(専門学科)

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科目 内容 科目 内容

一般科目

経済地理

国民経済 汎論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

経済組織論

経済史 経済制度論

経済思想史 生産論

経済統計論 分配論

経済原論 財政論

国民経済 各論科目

(満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

開拓論 企業経営論

農林論 計画経済論

鉱工論 経済国防論

通運論 東亜経済論

貿易論 世界経済

論科目

政界経済汎論

配給論 政界経済発展史

金融論

為替論 補充科目 政治学科及文教学科中の一定科目を共に学

保健論

文教学科(専門学科)

科目 内容 科目 内容

一般科目

文教地理

国民文化 論科目

満蒙文化

文教史 日本文化

文教原理 支那及西域文化

皇学 印度及西亜細亜文化

経学 古代、中世及近世西洋文化

東方哲学 国民教育

論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

教育原論

西方哲学 教育心理学

道徳論 教育方法論

芸術論 学校経営論

宗教論

言語論

国民教化 論科目 (満洲国 を主とす る東亜を 対象と為 す)

教化原理

教化政策論 世界文教

世界文化

教化事業論 国際文教交渉論

国民体位論

思想国防論 補充科目 政治学科及経済学科中の一定科目を共に学

東亜教化論

(建国大学(1940:30-36)『建国大学要覧』より、筆者作成)

表 2-10 は 1940 年に後期の訓練及び学科課程の予定表である。表 2-10 より、教育の重点 は依然として訓練と学科教育の 2 つに置かれており、後期の教育の内容は前期より一層豊 富で専門性に満ちているように見受けられる。学科教育は精神教育を基本とし、その上に

「国家の才幹として」必要とされた国家政治、地理、歴史及び哲学などに関する専門知識 が伝授されるようになった。訓練科目のうち、武道訓練の開設は建国大学による教育の特 徴の一つであると考えられる。第一期生の尹敬章は「武道というものは人を負課すものだ けではなくて、人格の涵養の手段だと考えなければならない44」と評している。ここから、

武道科目の設定及びその実施には、日本の精神を生徒に体得させようとした意図の存在が 推察できよう。また、建国大学の学生の回想から、農業訓練に対する印象は最も深いよう に見受けられる。一日の生活の中で、13 時昼食以後から 17 時までの時間はほぼ農業訓練、

軍事訓練に占められており、「学業より農場での作業の方が多かった45」ようである。

専門学科に関しては、それぞれ政治、経済、文教に関する科目が課されたが、補充科目

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の項目で他の専門学科の科目の学修も求められたことからみれば、建国大学では、学生に 満洲国の建国精神、満洲国に関する基礎知識、及び満洲国と東アジアをめぐる専門知識を 伝授すると同時に、経済、政治、文教などの多分野にわたる多様な知識も習得することが 望ましいとしていたと考えられる。これらの学科科目と高等官採用試験の科目及び出題範 囲と比較すると、高等官採用試験の必須科目として挙げられた基本法、行政法又は民法、

経済学、東洋史、語学、及び選択科目として挙げられた哲学概論、世界地理、社会学、財 政学、経済学、外交学、商法、刑法、行政法又は民法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国際公 法、国際私法の科目のいずれも建国大学の学科教育の範囲の中に入っていることがわかっ た。文官試験の考査科目についての分析で明らかにしたように、官吏としては満洲国に関 する認識、満洲国の建設に関する高度な専門知識及び語学能力の 3 つが必須能力とされた。

文官試験の考査科目は全部建国大学の教授科目の範囲に入っていることから、建国大学に よる教育はそこで養成された官吏に軍事、農業、武道などの身体力が求めた同時に、上記 の 3 つの能力も必要とされたと考えられる。

満洲国に関する認識や満洲国の建国に関する専門知識の内容は建国大学の教授科目にす でに表れたが、語学能力に関して、特に建国大学で実施された日本語教育については、そ の内実はまだ不明である。しかし、日本語は高等官採用試験と建国大学の教授科目の共通 科目であり、また、高等官採用試験の何れの科目も建国大学の学科教育の範囲に入ってい ることを考慮すれば、高等官採用試験の日本語試験の内容から建国大学での日本語教授の 内容を推し測ることができるだろう。次に、1938 年度の高等官採用試験の日本語科目の問 題46を見てみることにしよう。

一、我が国建国既に六周年を経、第二期建設の途上に在り国勢愈々躍進し国力益々充実を 加へ今や日満両国の関係極めて緊密強固にして防共諸枢軸の一員として世界に重要なる 地位を占むるに至りましたことは吾人の御同慶に堪えないところであります。

二、孔子は他人を正す前に先ず己を正し近きより遠きに及すを以て其の主義としたり「己 を修めて人を安ず」とは彼が簡明に此の意を表はせる語なり嘗て自らいわく「発憤して は食を忘れ、楽しんでは憂いを忘れ、老の将に至らんとするを知らず」と其の身を忘れ 老を忘れて人生の為に盡瘁したる大聖の面目充分此の語に顕れたりと云うべし。

三、注文、手伝、心配、仕方、返事、多分、あわてる、下着、値段、腕時計

(長谷鎮廣『満洲帝国文官試験制度解説』清水書店 1940 年 240 頁) 3 つの問題はともに日本語を受験者の常用語に訳す問題である。問題の内容からみれば、

第 1 問は満洲国の現状に関する問題であり、建国大学の教授科目の中での基礎科目の国家 論または国防論の範疇に入ると思われる。第 2 問は「論語」の中の教訓であり、基礎科目 の儒教または教養論で触れていると思われる。第 3 問は受験者の日本語の語彙力を考査し ているとみられる。これらの語彙を旧日本語能力試験の出題基準に照らし合わせてみると、

10 個の単語の内、3 級語彙は最も多く 5 つ、2 級語彙は 3 つ、4 級は 1 つ、「腕時計」は級 外の語彙とされている。この結果と試験問題の内容を総合的に分析すれば、高等官採用試 験で受験者に求められた日本語能力は、語彙力については、その時代に限定された語彙、