第6章 満洲国政府語学検定試験からみた人材養成
1 語学検定試験について
1.3 満洲国の語学検定試験
1936 年 6 月 1 日、「語学検定試験規定」と「語学津貼(手当)規定10」が一斉頒布されたことを きっかけとして、満洲国政府語学検定試験は満洲国で定着した。第 2 章で確認していたように、
満洲国が成立してからまもなく、満洲国政府は社会教育に官吏を対象者とした語学教育機 関である語学講習所を開き、官吏の語学学習を奨励していた。1936 年と 1937 年に実施され た満洲国政府語学検定試験は官吏のみを対象者とし、官吏の語学能力を考査する試験であ る。試験科目は日本語と漢語と蒙古語の 3 つからなり、各言語の下にそれぞれ特等・1 等・
2 等・3 等の 4 つのランクが設けられ、合格者に対して一定の手当が支給された。政府の要 求に応じ、または手当に惹かれて、大勢の官吏が受験していた。
満洲国政府語学検定試験は 1936 年 8 月より始まり、いつまで実施されていたのかは、明 確に記載されていない。現有資料により、日本語試験は 1941 年までの実施は確定できるが、
李(2013:31)により、漢語試験は 1945 年にも実施されていたことが確認されているため、
それに従えば、満洲国政府語学検定試験の終焉は 1945 年であると考えてもよいであろう。
また、満洲国政府語学検定試験の試験規定は 1936 年に公布されてから 1945 年まで、7 回 にわたって改正された11。しかし、実質的に大きな変更は、1938 年の新学制の実施にした がい受験対象者を社会一般にも開放したところのみと言える。満洲国政府語学検定試験を 分析する際、1938 年を境目として時期を分けて考察する必要があると考える。つまり、前 期:1936 年~1937 年、後期:1938 年~1945 年という時期区分である。本節では、この時 期区分に沿って、「語学検定試験規定」と「語学津貼規定」(手当規定)を取り上げて、それ らの内容を分析することを通じて、満洲国政府語学検定試験の変遷的な特徴を探ってみる。
1.3.1 官吏を対象とした語学検定試験
1936 年 6 月 1 日、満洲国国務院により「語学検定試験規定12」が公布され、同年度から満 洲国政府語学検定試験を実施することになった。「語学検定試験規定」の内容は以下のとお りである。
語学検定試験規程
康徳三年六月一日 国務総理大臣 張景恵 第一条 本令ニ依リ試験スベキ語学ハ日本人ニ対シテハ満洲語又ハ蒙古語其ノ他ノ者に対
シテハ日本語トス
第二条 試験ハ各官署ノ長ニ於テ推薦セル者ニ就キ試験委員之ヲ行ウ
第三条 試験委員ハ国務院総務庁人事処長ヲ以テ之ニ充テ其ノ他ノ試験委員ハ若干名トシ 政府職員ノ中ヨリ国務総理大臣之ヲ命ズ
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第四条 試験委員長ハ試験委員ヲ監督シ試験ニ関スル一切ノ事務ヲ掌理ス
第五条 試験ハ毎年一回以上之ヲ行フ試験ノ期日及場所ハ試験委員長之ヲ定メ予メ政府公 報ヲ以テ公示ス
第六条 試験ハ筆記試験及口述試験トス筆記試験ハ訳解、作文及書取トシ、口述試験ハ会 話及読解トス
第七条 試験ノ方法及手続ハ試験委員長之ヲ定ム
第八条 試験ノ合格者ヲ定ムル方法ハ試験委員ノ議定スル所ニ依ル
第九条 試験委員長ハ試験ニ合格シタル者ニ対シ等級ヲ附シタル合格証書ヲ授与シ且政府 公報ヲ以テ之ヲ公示ス 前項ノ等級ハ特等、一等、二等及三等トス
第十条 不正ノ方法ニ依リ試験ヲ受ケントシクル者ハ又ハ試験ニ関スル規程ニ違反シタル 者ニ対シテハ受験ヲ停止シ若ハ其ノ合格ヲ無効トス
以上の規程の内容によって、満洲国政府語学検定試験は日本人に漢語又は蒙古語の試験 を実施し、漢人及び他の民族には日本語試験を実施することがわかる。試験の対象者につ いては、第二条に記されているように、各官署の長に推薦される者、つまり、受験資格は 満洲国の官吏に限られると明示されている。また、試験委員会が設立され、試験の程度な どは全て委員会によって決められる。試験には筆記試験と口述試験の 2 つがあり、筆記試 験は訳解、作文、書取、口述試験は会話と読解からなり、言語の 4 技能は全部問われてい るとみられる。
1936 年の満洲国政府語学検定試験の実施後、その経験に基づいて、試験の実施側である 満洲国国務院総務庁は、「第二回語学検定試験は政府職員の間に語学を普及徹底すべくまた 遠隔の地に在るものも等しく受験し得る如き改定せり」と決め、試験の実施方法の改正を 行った。試験を第一次試験と第二次試験に分けて、第一次試験は各省県旗などで施行し、
第二次試験は各省公署所在地及び交通の中心地など満洲国全域 27 の都市で施行されるよう になった。そして、受験の便宜を図るために、試験の形式はもとの筆記試験より書取の部 分を取り除いて第一次試験とし、同一の問題を同じ日時に満洲国全域で一斉実施すること になった。その後の第二次試験の受験資格は第一次試験の合格者に限られ、試験委員を 27 の都市に派遣して、各地で一次試験の合格者に書取と口述の試験を実施する形である。試 験の科目、また受験資格などに関しては、1937 年に公布された「第二回語学検定試験要綱」
を確認した限り、変更は見当たらなかった。
試験の形式から見れば、語学検定試験規定に決められた満洲国政府語学検定試験と満鉄 語学検定試験とは、形式上類似しているが、以下のような相違点も存在していたと考える。
①最も重要であるのは満洲国で行われていた語学検定試験の本質と満鉄の試験の本質と は異なることである。満鉄語学検定試験は満鉄という半官半民の会社により組織され、満 鉄及びその沿線地域で行われる試験であった。それに対し、満洲国政府語学検定試験はそ もそも満鉄で誕生したものに基づいているが、満洲国政府語学検定試験の「語学試験規定」
に示されているように、国務総理大臣の署名が記入された。つまり、満洲国に伝えられる ことにともない、その位置づけは会社方針の一つから国家制度の一つとなり、満洲国全域 で実施される試験になったのである。要するに、満洲国の語学検定試験は国家施策のひと つであるという性質を持っていたが、満鉄の語学奨励試験は会社方策のひとつであるとい
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②試験の語学科目から見れば、満鉄の語学検定試験規程に決められた語学科目として、
日本人には漢語またはロシア語が課されたことに対して、満洲国政府語学検定試験の場合 は日本人に漢語または蒙古語が課されるようになった。
ここで満鉄という会社の背景について少し触れておきたい。第 4 章、白系ロシア人の人 材の養成で述べていたように、満鉄によって経営されていた鉄道はそもそもロシア人によ って敷設され、1905 年の日露戦争によりその鉄道の一部の管理権が日本に譲られたもので ある。日本が満鉄を創立し、主に鉄道及びそれの関連事業を営んでいたが、大勢の白系ロ シア人はまだ従業員として満鉄に勤めていた。そして、鉄道管理、または技術上、ロシア 人との交渉の必要があるため、日本人にロシア語を学習させ、ロシア語の普及も重要視さ れるようになっていったと考えられる。
一方、満洲国では「民族協和」が治国理念とされ、満洲国が成立当初、蒙古民族は漢、
満、朝鮮、日本人と共に主要民族とされ、また、官公署の中に、蒙古語は公用語として使 用されたため、日本人への蒙古語の普及は、一面、蒙古人との意志疎通を図るためといえ るが、もう一面は、満洲国の辺境にあたる蒙彊を指導・統治するためだと考えられよう。
それと同時に、1936 年、1937 年の時点で、満洲国政府は日本人へのロシア語教育は重視し ていなかったことが窺える。
③1937 年満洲国政府語学検定試験は第一次試験と第二次試験の 2 つに分けられるように なり、この形は満鉄の予備試験と本試験の形式とほぼ同じであり、このことから、満洲国 政府語学検定試験は満鉄の語学検定試験を参照して形式を変えた可能性が高いと考える。
1.3.2 社会一般を対象とした語学検定試験
満洲国における第一・二回の語学検定試験は総務庁に管轄されていた。1938 年新学制の 実施により、教育に関する一切の権限が民生部に移管されるようになり、満洲国政府語学 検定試験も民生部によって実施されることになった。1937 年 12 月、民生部語学検定試験を 改正し、翌年さらに改正を加え、9 月 5 日付の民生部令第 90 号で新規定を発布した。改正 後の規定は以下のような内容である13。
第一条 語学検定試験ハ語学ノ学習ヲ奨励シ其ノ普及ヲ図ルヲ以テ目的トス
第二条 本令ニ依リ試験スベキ語学ハ日本人ニ対シテハ満洲語蒙古語又ハ俄語其ノ他ノ者 ニ対シテハ日本語トス
第三条 語学検定試験ヲ実施スル為民生部に語学検定試験委員会ヲ置ク 第四条 語学検定試験委員会ハ委員若干名ヲ以テ之ヲ組織ス
第五条 委員長ハ民生部教育司長ヲ以テ之ニ充ツ民生部大臣ノ命ヲ承ケ会務ヲ総理シ検定 ノ結果ヲ民生部大臣ニ報告ス
第六条 試験委員ハ其ノ都度民生部大臣之ヲ委嘱シ又ハ之ヲ命ズ委員長ノ指揮ヲ承ケ語学 検定試験ニ関スル事項ヲ掌ス
第七条 第一次試験ハ訳解及作文トシ第二次試験ハ会話、読解及聞取トス、第二次試験ハ 第一次試験ニ合格スルニ非ザレバ之ヲ受クルコトヲ得ズ
第八条 試験ハ毎年一回以上之ヲ行フ