第 3 章 受身
3.2 受身文の分類についての先行研究および本論文での分類基準
3.2.4 迷惑性について
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直接対象受身:受身文の主語が、受身動詞で表された動きや影響を直接受けるもので ある場合、それを「直接対象受身」と呼ぶ。たとえば対応能動文において、「殺ス」
など対象に変化を与え影響が強く及ぶ場合と、「愛スル」など一部の感情動詞の場 合にヲ格で表されるものや、「触ル」など影響の及び方が弱い動詞や「話シカケル」
など一つの方向性が強調される場合にニ格で表されるものはすべて、「直接対象」
にあたる。
相手受身:受身文の主語が、受身動詞で表された動きや影響の向かう相手である場合、
それを「相手受身」と呼ぶ。たとえば対応能動文において、「アゲル」「見セル」
などほかに動作対象がある場合にニ格で表されるものは、「相手」にあたる。
部分受身:「XガYニZヲ~ラレル」型の受身文において、受身文の主語Xが、上 述した判定基準によって、Zと「全体vs.部分」の意味関係と判定された場合、それ を「部分受身」と呼ぶ。たとえばA.3に挙げられた例文における「太郎vs.頭」「花
子vs.顔」「花子vs.頭」の意味関係がそうである。
所有受身:「XガYニZヲ~ラレル」型の受身文において、受身文の主語Xが、上 述した判定基準によって、Zと「所有者vs.所有物」の意味関係と判定された場合、
それを「所有受身」と呼ぶ。たとえばB.1に挙げられた例文における「花子vs.自 転車」「太郎vs.弟」の意味関係がそうである。
第三者受身:受身文の主語が、受身動詞で表された動きや動作の参加者でない場合、
それを「第三者受身」と呼ぶ。たとえばB.2に挙げられた例文において、「花子」
はいずれも「太郎が死んだ」「太郎が酒を飲んだ」という動きに直接参加していな いので、「第三者受身」にあたる。
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身・第三者受身」といった分類と対応するような視点から研究されることが多い。各先行 研究の結論を、本論文での分類基準にあわせてまとめると、表3-3のとおりになる(△は 当該構文が迷惑性について中立的であることを表し、○はそれが迷惑性をもつことを表 す)。
表3-3 各先行研究における受身文の分類ごとの「迷惑性」
A.1直接対象受身 A.2相手受身 A.3部分受身 B.1所有受身 B.2第三者受身
寺村(1982) △ △ ○ ○ ○
森山(1988) △ △ △ ○ ○
工藤(1990) △ △ △ △ ○
張(1997) △ △ △ △ ○
益岡(2000)41 △ △ △ △ ○
日本記述文法研究
会編(2009) △ △ △ △ ○
この表に見られるように、A.1、A.2が迷惑性について中立的であり、B.2が迷惑性をも つという見解は、各研究で共通しているが、A.3とB.1の迷惑性については、意見がまと まっていない。しかし、前掲の例文を見て分かるように、部分受身と所有受身には、A.3.1
(太郎は知らない男に頭を殴られた)やB.1.1(花子は太郎に自転車を壊された)、B.1.2
(太郎は通り魔に弟を殺された)のような迷惑性を表す例もあれば、A.3.3(花子はお父さ んに頭を撫でられた)とB.1.3(太郎は救助隊に弟を救われた)のように、動きや事態が 主語にとって完全に迷惑が感じられないか(頭を撫でられた)、逆にむしろ感謝すべき、
好ましいものである(弟を救われた)という例もある。すなわち、部分受身と所有受身の 迷惑性は、構文的なものではなく、基本的に受身動詞の語彙的意味によって決まるのであ
る(益岡2000:60、張1997:57)。本論文は以上の理由により、工藤(1990)や張(1997)
などの主張に従うことにする。
「語彙的被害」について、ここでもう一つ興味深い研究を提示しておきたい。田中
(1997:60)42は次の文を例にとり、異論を唱えている。
41 注32で既に述べたことだが、益岡(2000)では、「直接受身」も「間接受身」も、「受影受動 文」という二次分類に属するものとされている。さらに、「持ち主の受身」は「直接受身」に含 まれるものとされている。
42 これは日本言語学会第115回大会(1997年10月、京都大学)にて、田中祐司氏が口頭発表し た予稿集に従っている。残念ながら、論文にされていないようである。
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(13)太郎は花子に髪を切られた。
(14)太郎は花子に箸を使われた。
本論文の分類基準によれば、部分受身に属する(13)や所有受身に属する(14)は、動 詞「切ル」や「使ウ」にもともと被害の意味が含まれていないので、迷惑性に中立のはず だが、ここではどうしても被害性を帯びてきてしまう。田中はさらに、教育的配慮から自 分の子供をやたらに褒めない、また、他人にもそうしてほしくないと思っている人物を設 定し、その人物によって、所有受身文(15)は十分迷惑性があると解釈することが可能と 指摘している。
(15)太郎は見知らぬ男に子供を褒められた。
田中(1997:62-64)はJacobsen(1992)によって提出された、日本語の受身文で記述 される事態はすべて主語の視点から見て「自然発生的な出来事(spontaneous occurrence)」
と解釈される、という観点に基づき、次のように主張している。すべての受身文は、急に 身に降りかかった「自然発生的な出来事」に、主語が一方的に巻き込まれる状況を表す。
そこから迷惑や被害の意味が出るか否かは、その事態を世間の常識に照らし合わせて解釈 した結果である。これは、次の二つの例文の迷惑性を比べてみれば一層明白になるのであ ろう(例文は田中(1997:63)の(15)aとbより)。
(16)花子は映画館で恋人に手を握られた。
(17)花子は映画館で見知らぬ男に手を握られた。
この問題について、吉田(2010:91)も似たような見解を示し、「迷惑・被害になるか、
あるいは歓迎・受益になるかは話者の心理如何によって決定される。「叱られる」「言わ れる」が、受容者に少しでも圧迫や強制と感じられれば、それはマイナスの方向に傾く。
逆に、叱られたり、いわれたりしたことに好意・恩恵を感じればプラスに転じる」と指摘 している。また徳永(1998:463)も語用論的立場から、「受身の接辞「-られ」の意味素 性は「主語の指示対象のコントロール権ゼロ」であるということであり、受身文それ自体 は直接受身文であれ間接受身文であれ「中立」とか「迷惑・被害」の意味を持たない。そ
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れらの解釈はコンテクストを与えられなければ明らかにならない」と主張している。こう した受身文の迷惑性に対する全般的、総合的解釈法は、かなり妥当性が高いと思う。そこ で本論文は、以上の基準と語用論的解釈に従い、データの分類・分析を行っていきたい。