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米国におけるラテンアメリカ美術展

第 9 章 ニューヨークの洗礼

1. 米国におけるラテンアメリカ美術展

第7章で論じたように、アルゼンチンは1960年代に自国の美術作品を積極的に輸出し、

パリや米国で認められることを目指していた。戦後、世界の芸術の中心はニューヨークに移 り変わっていたが、歴史的にヨーロッパとのつながりが重視されてきたアルゼンチンでは アーティストの多くがパリを目指し、その状況は1960年代初頭まで続いていた。1962 年 にはパリ在住のアルゼンチン人による「新世代の 30 人のアルゼンチン人アーティスト展 (30 Argentins de la nouvelle génération)」が開かれるほどであった (Giunta 2008: 146)。

しかし 1964 年には多くのアルゼンチン人アーティストがニューヨークに集まるようにな っていたので (Giunta 2008: 249)、1963年頃が転換期だといえる。これは酒井の滞在時期 とちょうど重なる。

常に新しいものを求め続けた酒井がいち早く時代の流れに反応したのは当然だが、それ 以上に日本で敗戦を経験したことが大きく影響していると考えるのが自然だろう。圧倒的 な国力の差を見せつけられた敗戦体験と占領下の日本での経験によって、アルゼンチン人 よりも強烈に米国という国を意識していたはずである。早稲田大学時代の蔵書から英語を 学んでいたことは明らかだが、アルゼンチンでも知人のイギリス人女性に英語を習ってい

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155。また第3部で述べるように、日本文学の翻訳に関しても、米国の先行研究を参照し ていた。酒井にとって米国は、文学においても、美術においても、学ぶべき国だったのであ る。

1959年、ワシントンDCのパンアメリカン・ユニオンギャラリーにて「現代ラテンアメ リカ・ドローイング展 (Contemporary Drawings from Latin America)」156が開催され、酒 井の作品も展示された。1961年には「ラテンアメリカ――新たな出発 (Latin America—New Departures)」157「アメリカスの日本人アーティスト展 (Japanese Artist of the Americas)」

158、「モダン・ペインティング (Modern Painting)」159、「アルゼンチンの9人の画家 (9 Painters of Argentina)」160に立て続けて参加している。特に「ラテンアメリカ――新たな出 発」展は、ボストン、ニューヨーク、ウィスコンシン、アイオワ、ニュー・ハンプシャー、

テキサスを巡回する大規模な展覧会となった。これらの展覧会に際して、酒井が現地に赴い たかどうかは不明である。

「アメリカスの日本人アーティスト展」にはペルーからアルトゥーロ・クボタ (Arturo

155 レイラ・ジャエル (Leila Yael) へのインタビュー (2015年8月12日、ブエノスアイ レス) より。ジャエルはイギリス出身で、アルゼンチン在住。酒井の翻訳を出版したムン ドヌエボ出版 (Ediciones Mundonuevo) の経営者の一人で、酒井に英語を教えていたとい う。ムンドヌエボ出版については第16章を参照。

156 Institute of Contemporary Art (ボストン)、Time & Life Bldg (ニューヨーク)、Beloit College (ウィスコンシン)、Des Moines Art Center (アイオワ)、Lamont Art Gallery (ニ ューハンプシャー)、Universidad de Texas, Austin (オースティン) を巡回。参加アーティ ストはRudolfo Abularach, Enrique Arnal, Cundo Bermudez, José Y. Bermúdez,

Servando Cabrera Moreno, Mario Carreño, Carybé, Juan Carlos Castagnino, Hugo Consuegra, José Luis Cuevas, Alberto Gironella, Marcelo Grassmann, Enrique Grau, Fernando Lemos, Maria Luisa, Luis Martinez-Pedro, Aldemir Martins, Roberto Burle Marx, Matta, Alejandro Obregón, Ciro Oduber, Amelia Peláez, Eduardo Ramirez, Kasuya (sic) Sakai, Luis Seoane, Carmen Silva, Fernando de Szyzlo, Rufino Tamayo, Clorindo Testa, Leopoldo Torres-Aguero, Oswaldo Vigas, Enrique Zañartu, Wilfredo Lam. Pan American Unioin (1959) 及びThe Renaissance Society at the University of ChicagoのHPを参照。

http://www.renaissancesociety.org/exhibitions/211/contemporary-drawings-from-latin-america/ (2017年6月4日閲覧)。

157 参加アーティストはAlejandro Otero, Manabú Mabe, Fernando de Szyzlo, Alejandro Obregon, José Antonio Fernández Muro, Sara Grilo, Miguel Ocampo, Kazuya Sakai, Clorindo Testa, Ricardo Martínez, Armando Morales。詳しくはInstitute of

Contemporary Art (1961) を参照。

158 Japanese Artists of the Americas: A Selection of Paintings by Kubotta, Peru; Mabe, Brazil; Nishizawa, Mexico; Okada, United States; Sakai, Argentina. OAS Building (ワ シントンDC、1961年4月12日~5月10日) にて開催。Pan American Unioin (1961) 及びArt Museum of the Americasのホームページを参照。

http://museum.oas.org/exhibitions/exhibitions_past_1960s.html# (2017年6月5日閲 覧)。

159 Monsanto Research Center (St Louis, Missouri) にて開催。

160 Widger Gallery (Washington, D.C.)にて開催 (Costa Peuser, 2005: 116)。

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Kubota, 1932–)、ブラジルからマナブ・マベ、メキシコからルイス・ニシザワ、米国から岡 田謙三 (Kenzo Okada, 1902–1982)、そしてアルゼンチンからは酒井が参加している。酒井 とマベは「ラテンアメリカ――新たな出発」展にも参加しており、両者ともあるときは日本 人として、またあるときはラテンアメリカのアーティストとして紹介されていたのである。

酒井は他にも海外在住の日本人/日系人アーティストの作品を集めた展覧会に参加してい るが161、1961年に開催されたこの展覧会は画期的なものであったと言える。公民権運動の 影響を受けてアジア系アメリカ人研究を含むエスニック・スタディーズが生まれたのは 1960年代のことである。1961年という早い時期に、日系人アーティストのバックグラウン ドに注目した展示が行われていたのは特筆すべき点である。しかも、米国のみならず「アメ リカス (南北アメリカ大陸)」という括りで各国を代表する日系人アーティストが集められ た。第二次世界大戦中に強制収容などの迫害 162にあった南北アメリカ大陸の日系人の中か ら著名なアーティストが生まれ、米国で作品が展示されたことは、日系人に対するまなざし の変化を象徴している。

1963 年には、ミズーリ州セントルイス 163とオハイオ州クリーブランド164で酒井の個展 が開催され、酒井は米国を訪れる機会を得た。翌年、「マグネット:ニューヨーク (Magnet:

New York/Imán: Nueva York)」165「アルゼンチン・ニューアート」、「ラテンアメリカ発ニ ューアート (New Art from Latin America)」166、「ラテンアメリカンアート・トゥデイ (Latin American Art Today)」167といった展覧会が立て続けに開催された。展覧会名には

“New”という単語が目立ち、ラテンアメリカ美術は壁画運動だけではないということが強調 されたことを裏付けている (Giunta 2008: 248)。壁画運動以外の「新しい」ラテンアメリカ 美術を代表するものとして、酒井の作品が展示されたのである。

「マグネット:ニューヨーク」展は、IAFA (Inter American Foundation for the Arts) と、

161 「在墨日本人芸術家 (Artitas plásticos japoneses en México)」(1987年、メキシコ、

カリージョ・ヒル美術館)、「アメリカの日本作家」(1973年、京都国立近代美術館)。

162 米国、カナダ、ペルー、メキシコでは日系人に対する強制収容が行われた。詳しくは 山田 (1997) を参照。

163 Martín Schweig Galleryにて開催 (1963年4月29日~5月18日)。Martin Schweig Gallery (1963)を参照。

164 Gallery of the Cleveland Institute of Artにて開催 (Costa Peuser 2005: 115)。

165 “Exbibición organizada por The lnter-American Foundation for the Arts, Galería Bonino, Nueva York; Museo de Bellas Artes, México, D.F., México; The Universithy of Texas, Austin; Art institute Pittsburg, Los Angeles, Pennsylvania” (Costa Peuser, 2005:

116).

166 The Institute of Contemporary Art, Washingtonにて開催 (Costa Peuser 2005:

116)。

167 Trinity School (ニューヨーク) にて開催。参加アーティストはAlejandro Obregón, José Antonio Fernández-Muro, Rufino Tamayo, Ricardo Martínez, Fernando Botero, Genaro de Carvalho, Gabriel Morera, Kazuya Sakai, Fraqncisco Icasa, Sarah Grilo, Armando Morales, Alejandro Otero, Mario Carreño, Aloisio Magalhaes, Omar Rayo, Wilfredo Lam, Roberto Matta。詳しくはTrinity School (1964) を参照。

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ボニーノギャラリーが主催したものである。ニューヨークだけでなく、メキシコシティ、オ ースティン、ピッツバーグ、ロサンゼルスでも開催された。ボニーノギャラリーは美術商の アルフレド・ボニーノ (Alfredo Bonino) が1951年~79年までブエノスアイレスで経営し ていたギャラリーで、フリオ・パイロとマヌエル・ムヒカ・ライネス (Manuel Mujica Láinez,

1910–1984)168 (両者ともアルゼンチンの作家、美術批評家) が顧問を務めた。1960年には

リオデジャネイロ、1963年にはニューヨークに支店を開店しており (Herrera 2014: 157)、

積極的にアルゼンチン人アーティストを海外に売り出していた。ボニーノは酒井の作品を 数多く取扱い、国内外で個展を開催しただけでなく、酒井の米国行きを援助した。

このように、1950 年代末~1960 年代初めに開催された多くのラテンアメリカ美術展に 酒井は参加していた。第7章でも論じたように、書や禅を取り入れた酒井の作品は、アルゼ ンチン美術の多様性を示すものとして、国際化の戦略に取り込まれていた。しかし、酒井は ニューヨーク滞在を経て、それまで築き上げてきた作風を一度捨てることになる。