• 検索結果がありません。

第 8 章 アンフォルメル ―― 書と動 ――

1. 書への接近

67 […]

Is a Latin American version of abstraction, whether lyrical or geometrical, the same as that of Europe, the United States, or Japan? No! The forms of expression are international but the Latin American Artist handles them in a new, different, original manner all his own. (Squirru 1964: 84)

スキルの主張は、ラテンアメリカの人間はヨーロッパ的なあらゆる主題を扱うことができ ると主張したボルヘスの「アルゼンチン作家と伝統 (El escritor argentino y la tradición)」

(1951) に共通するものである。スキルはラテンアメリカ美術が抽象絵画の枠組みにおいて

も独自の表現を達成しうると考えていた。

しかしアルゼンチン美術の国際化の野望は、1960年代末には失敗に終わった。その背景 にはアルゼンチン国内の経済、政治、軍事、社会的混乱があったが、ヒウンタは「進歩のた めの同盟」が失敗に終わり、米国がラテンアメリカに軍事的な結びつきを求めるようになっ たことを一因として挙げている (Giunta 2008: 300–301)。いずれにしても、ブエノスアイ レスは第二のパリやニューヨークにはなれなかった。この結果と酒井がアルゼンチンを後 にしたことは、決して無関係ではないだろう。

68

直線と曲線の組み合わせは文字のようにも見える。日本語を知らないアルゼンチン人は日 本の文字だと思うだろう。日本語を知っている者にとっても、判読できない前衛書に見える。

その後酒井は墨を用いた紙本、絹本の作品も残している。1962年にブエノスアイレスの ガ ラ テ ア ギ ャ ラ リ ー (Galería Galatea) で 開 催 さ れ た 展 覧 会 に は 「 酒 井 和 也 書道 (Kazuya Sakai. Caligrafías)」127というタイトルが付けられ、日本語新聞でも「書道展」と して紹介された。

抽象画家として活躍している酒井和也画伯が今度は抽象書道の展覧会をビアモンテ街 五六四のガラテア画廊で開いている。出品は二十点ほど、禪問答をテーマに紙や絹など に濃淡の墨の色を見せて奔放な絵が躍つているほか、目の覚めるような鮮やかな朱墨 の色を使つた絵も陳列されている。(らぷらた報知 1962b)

1960~1962 年制作の作品が展示された同展覧会は「書道 (caligrafía)」というタイトルが つけられた唯一のものである。これ以前の作品には《絵 (Pintura)》、《コンポジション

(Composición)》といったタイトルが目立ち128、前衛書というよりも、絵画であることを意

識していることが見て取れる。いずれにしても、前衛書と抽象絵画が接近していたように、

この時期の酒井も書と絵画の境界に囚われることなく創作を行っていた。

酒井は雑誌『BUNKA』129第 2 号 (1958) に「日本近代書における伝統とスタイル (Tradición y estilo en la caligrafía moderna japonesa)」と題した記事を掲載し、1954年に ニューヨーク近代美術館で開催された「日本現代書道展」や、上田桑鳩 (1899–1968)、森田 子龍 (1912–1998) らの作品を写真付きで紹介している (Sakai, 1958b)。また比田井天来を 前衛書の先駆者として取り上げ、墨人会 130や大澤雅休 (1890–1953)、大澤竹胎 (1902–

1955)、関谷義道 (1920–)、江口草玄 (1919–)、篠田桃紅 (1913–) らを紹介している。この

点からも、酒井が手習いとしての書道ではなく、芸術としての前衛書を意識して作品に取り 入れていたことがわかる。そして前衛書が、当時既に米国でも認められるに至っていたこと を熟知していた。

この記事には、書の伝統と戦後生まれたばかりの前衛書に対する酒井の考えがよく表れ ている。

127 1962年11月15~24日 (Galería Galatea 1962)。

128 1956年にガラテアギャラリーで開催された個展のカタログによれば、26作品中21作

品が《コンポジション (Composición)》というタイトルとなっている (Galería Galatea

1956)。また1958年にボニーノギャラリーで行われた個展でも、《黒のコンポジション

(Composición en negro)》や《絵 (Pintura)》といった作品が展示されている (Galería

Bonino 1958)。いずれのカタログにもタイトルとサイズのみ表記されており、支持体、技

法、画材は不明。

129 日亜文化協会発行の雑誌で、酒井が編集長を務めた。詳しくは第17章を参照。

130 1952年に森田子龍、井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子の5人によって結成さ

れたグループ。詳しくは栗本高行 (2016) を参照。

69

良い書は、最も美的感覚の高い芸術作品としてその価値が認められており、作者の人格 を忠実に表現するものとして評価されている。つまり、書の芸術は東洋では造形上のヒ エラルキーにおいて絵画と同等であるが、これは他の国では見られない現象である。

[中略]

しかしながら、「読まれるもの」としての書というこの伝統的な傾向は、表現の意図を 特に気にせず、ただ「鑑賞されるもの」としての書へと変わっていった。この革命は中 国ではなく日本で起こったが、これは近年の日本で起こった芸術上の出来事の中でも 最も特別なことである。

日本の前衛書家たちは、最大限の表現と創造の自由を得るために、何世紀にもわたって 囚われていたその伝統を壊す必要があると感じた。前衛書家たちが重視したのは、「上 手に書くこと」や、文学的な意味を持った特定の何かを書くことではなく、書の筆の運 びを自由に構成することによって、彼らが持つ感動や感情、もしくは造形上のアイデア を表現することだった。

La buena caligrafía es apreciada como una obra de arte en su más elevado sentido estético y valorizada como la fiel expresión de la personalidad del autor, es decir, que el arte de la caligrafía tiene en oriente la jerarquía plástica de una pintura, fenómeno que en ningún otro país se ha registrado. [...]

Sin embargo, esta tendencia tradicional de la caligrafía para ser leída se fué transformando en una caligrafía para ser apreciada gratuitamente, sin importar mayormente lo que se ha tratado de expresar. Esta revolución tuvo lugar en el Japón, no así en la China, y se puede decir que es uno de los acontecimientos artísticos más extraordinarios ocurridos en el Japón de estos últimos años.

Los calígrafos japoneses de vanguardia sintieron la necesidad de romper con esa tradición a la que estaban sujetos durante varios siglos, para obtener una mayor libertad de expresión y de creación. Lo que importó a los calígrafos de vanguardia no era precisamente el escribir bien, o escribir algo determinado con sentido literario, sino expresar a través de las composiciones libres de trazos caligráficos la emoción, el sentimiento o las ideas plásticas que poseían. (Sakai 1958b: 23–25)

文字を書くという行為に、意味を伝えるための記号ではなく感情の発露としての芸術性を 付与した前衛書運動は、酒井に一つの可能性を提示した。それは、言語の壁を越えた表現で ある。日本語とスペイン語のバイリンガルとして育ち、常に二つの言語を行き来してきた酒 井にとって、言葉は非常に曖昧なものだった。作家を志すも断念したのは、一つの言語では 自身の全てを表現できないと悟ったからであろう。酒井は日本語のみ、もしくはスペイン語 のみでは表現しきれない自分を描こうとした。文字のように見える「何か」は、自分の中に

70

存在する様々な文字、言葉、記憶、感情などをつなぎ合わせていったものが表現されている のかもしれない。

文字としての機能に囚われずに表現を追求していった結果、前衛書同様、描かれたものは 形を失っていった。《絵 No. 49 (Pintura No.20)》(1960年、図版7) では色彩が増え、絵 具は厚みを帯び、墨では出せない光沢感が作品の中心を成している。図版 6 では画面にき れいに収まっていたのに対し、図版 7 では絵具が画面から少し飛び出している。一筆一筆 が重なり合い、境界線が曖昧になり、記号としての形を保っていない。

ブエノスアイレスの美術の流れも幾何学的抽象から叙情的抽象へと移り変わっていった のと同じ頃、酒井は前衛書に表現の可能性を見出し、若くして成功を手に入れた。前衛書と もとれるこれらの作品は、酒井の「日本人画家」というイメージを強化することとなった。

しかし酒井の創造の源泉は、日本文化だけではなかった。貪欲に表現を模索し続けていた酒 井は、アルゼンチンに次々と輸入されるヨーロッパや米国の新しい絵画も取り入れていく。