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アルゼンチンにおける日本文学の受容

ドキュメント内 酒井和也とラテンアメリカの「新たな芸術」 (ページ 109-112)

第 9 章 ニューヨークの洗礼

第 3 部 心の中の『日本』を探して――翻訳・日本文化紹介――

2. アルゼンチンにおける日本文学の受容

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超え難い深淵が横たわっているのを感じるようになってきたからである」(酒井 1972: 281) とも述べている。酒井は「歯車」を翻訳した際、そこに芥川が自殺に至るプロセスが見いだ せると考え、他の代表作を差し置いて翻訳に選んだ。しかしこの評論を執筆した 1970 年 (出版は 1972 年) にはその考えを改め、芥川の作品はあくまでフィクション (酒井は「

作りもの 」とも言っている) であり、作者の人生と同一視することはできないという考えに 至った。そして「文学するため のみ に生き」、「自己との対決を避け」 (酒井 1972: 283, 傍 点著者) て死を選んだ芥川の作品が味気ないものに思え、興味を失っていった。同時に、作 家の体験が作品に現れていると酒井が考えた安部公房のような作家に関心を移していく。

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芥川文学には東西が混融されており [中略]、しかし彼の作品の 主題テ ー マや情緒が東洋的で あっても、そのレトリックは確かに西欧的であり、『袈裟と盛遠』と『藪の中』にはロ バート・ブラウニングの『指輪と本』の小説作法が用いられているが、これらの作品の かもし出す、ある種の抑制された悲哀や、軽快なタッチ、視覚的造形的な傾向には……

日本的なものを見る。[中略] 芥川は東西文化の 衝突で あ いによる日本の近代化が生んだ苦痛 な精神の危機の産物としての殉教者であった。 (酒井 1972: 270–271)211

芥川文学における西欧的手法については、前述したように酒井の解説でも述べられていた が、芥川を「日本の近代化が生んだ苦痛な精神の危機の産物」とする見方は、ボルヘス独自 のものである。酒井の訳では省略されているが、ボルヘスは「東西文化の 衝突で あ い」について

「悲劇的 (trágico)」という言葉を用いており、日本の近代化の負の側面を強調している。

ボルヘスのこうした見方には、芥川の死の直前に書かれた「歯車」を読んだことも影響して いると考えられる。

前述したように、来日経験があるムヒカ・ライネスも、日本が持つ「東洋と西洋の 抽象 が現代になつて交錯した歴史的必然性」に関心を抱いていた。こうした日本の近代化に対す る強い関心は、ボルヘスやムヒカ・ライネスに限ったことではなく、アルゼンチンの知識人 の間で共有されたものであった。アルゼンチンのオリエンタリズムを論じたアクセル・ガス

ケ (Axel Gasquet) によれば、ヨーロッパから輸入されたオリエンタリズムの概念は、アル

ゼンチンでは国内の先住民とヨーロッパに祖先を持つクリオージョの関係性に援用され、

独自の発展を遂げた。「文明と野蛮 (civilización y barbarie)」という二項対立によって進め られた近代化は、日本の明治維新と同じく西洋化であり、アジアは「野蛮」だとみなされて いた。しかし実際に日本を訪れたエドゥアルド・ウィルデ (Eduardo Wilde, 1844–1913) 以 降、伝統を残しつつ近代化に成功した例として日本を模範的に論じる傾向が生じたという (Gasquet 2007: 167–202) 。

映画『羅生門』をきっかけに注目を浴びた芥川文学は、酒井の翻訳によりその文学性が高

211 酒井の翻訳は要約である。引用部分に相当する原文は以下の通りである。“Discernir con rigor los elementos orientales y occidentales en la obra de Akutagawa es acaso imposible; [...] Entiendo, sin embargo, que no es aventurado afirmar que los temas y el sentiemiento son orientales, pero que ciertos procederes de su retórica son europeos.

Así, en Kesa y Morito y en Rashomon, asistimos a diversas versiones de una misma fábula, referidas por los diversos protagonistas; es el procedimiento de Robert Browning, en The ring and the book. En cambio, cierta tristeza reprimida, cierta preferencia por lo visual, cierta ligerenza de pincelada, me parecen, a través de lo inevitablemente imperfecto de toda traducción, esencialmente japoneseas. Diríase que el encuentro de dos culturas es necesariamente trágico. [...] Esta casi milagrosa renovación exigió, como es natural, una desgarradora y dolorosa crisis espiritual; uno de los artífices y mártires de esta metamorfosis fue Akutagawa que se dio muerte el día 27 de julio de 1927” (Borges 1959: 9–11)

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く評価され、アルゼンチンの作家たちにも広く読まれた。その背景にはアルゼンチン独自の オリエンタリズムがあり、最初に翻訳された日本人作家である芥川の作品は、日本の近代化 を体現するものとして受け止められた。現在に到るまで数多くの芥川文学がスペイン語に 翻訳されているが、酒井の翻訳とボルヘスの序文は、スペイン語圏における芥川のイメージ 形成に大きく影響していると言えるだろう。

2-2. 『スール』日本文学特集号

『羅生門』以降、アルゼンチンにおける日本文学への関心は急速に高まった。それを象徴 しているのが、1957 年の『スール』212日本文学特集号である。アルゼンチンを代表する文 芸誌であり、広くスペイン語圏で読まれた『スール』が日本文学の特集のために全頁を割い たことは画期的だった。パスによるイントロダクション、ドナルド・キーンによる解説 (ホ セ・ビアンコ/José Bianco訳) の他、石川啄木『ローマ字日記』(カルロス・ビオラ・ソト

/Carlos Viola Soto訳)、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(ビオラ・ソト訳)、芥川龍之介「袈裟と盛

遠」(酒井訳)、志賀直哉「范の犯罪」(ビオラ・ソト訳)、横光利一「時間」(ビオラ・ソト訳)、 川端康成「ほくろの手紙」(ミゲル・アルフレド・オリベラ/Miguel Alfredo Olivera訳)、 太宰治『ヴィヨンの妻』(オリベラ訳)、林芙美子「下町」(オリベラ訳)と、詩歌 (安藤一郎、

萩原朔太郎、北川冬彦、北原白秋、草野心平、宮沢賢治、中原中也、中野重治、立原道造、

高村光太郎、竹中郁、田中克己、与謝野晶子) (アルベルト・ヒリ/Alberto Girriによる英 訳からの翻訳)、三島由紀夫「綾の鼓」(酒井訳)、フアン・ペドロ・フランセ (Juan Pedro

Franze) による沖縄音楽の解説が掲載された。酒井は、「袈裟と盛遠」と「綾の鼓」の二作

品を翻訳している。酒井訳以外は全て重訳213だが、初めてスペイン語に訳された作家も多 い。

それまであまり日本文学が知られていなかった状況を考えれば、これは歴史に残る企画 だった。また、『スール』は従来ヨーロッパ文学を中心に取り上げてきたが、直前にもイン ド文学の特集を組むなど、読者離れが進んでいた雑誌の改革に取り組んでいた。これはアル ゼンチンの知識人のヨーロッパ中心主義から多文化主義への転換ともいえるが、その第二 弾として日本文学が取り上げられたことは特筆に値する。パスによれば、前年にニューヨー クでビクトリア・オカンポ、キーンと会い、『スール』で日本文学を取り上げる話が出たと いう。パスは取り上げられるべき作品の中に芥川の名前と三島の近代能を挙げている (Paz

1957: 1–2)。芥川作品の翻訳者として知られ、同年『BUNKA』に三島の「葵の上」を翻訳

212 アルゼンチンの女流作家ビクトリア・オカンポ (Victoria Ocampo, 1890–1970) によっ て1931年にブエノスアイレスで創刊された文芸雑誌。数多くの外国文学を紹介し、ラテ ンアメリカで広く読まれた。1992年廃刊。詳しくはKing (2009) を参照。

213 詩歌以外はどの言語からの翻訳なのか記載されていないが、ドナルド・キーンの証言 (補遺「インタビュー抜粋2」を参照) から、キーンが1956年に出版した『現代日本文学 選集 (Modern Japanese Literature:an anthology)』の英訳を元にスペイン語に翻訳され たと推察される。

111 した酒井の参加は必須だったのだろう。

酒井のキャリアにとって、アルゼンチンのみならず海外からも著名な作家が参加した国 際的な雑誌『スール』への参加は重要な意味を持った。アルゼンチンにおける翻訳業が軌道 に乗っただけでなく、後にパスが『スール』を手本に創刊した『プルラル』214の編集に携わ る上でも貴重な経験となったに違いない。

2-3. 戦後文学への関心

『スール』の日本文学特集号の後、1960年に酒井訳の太宰治『斜陽 (El sol que declina)』

がスール社から出版された。残念ながら解説が付されていないため出版の背景はわからな いが、日本文学特集号に『ヴィヨンの妻』が掲載されたことが影響したのだろう。『スール』

272 号にはセリア・サラゴサ (Celia Zaragoza) による書評が掲載されたが、サラゴサはこ の 翻 訳 が 酒 井 に よ っ て 日 本 語 か ら 直 接 翻 訳 さ れ た も の で あ る こ と を 強 調 し て お り

(Zaragoza 1961: 104) 、重訳が当たり前だった当時、酒井の訳が特別な価値を持っていた

ことがわかる。

その後スール社は大岡昇平の『野火 (Hogueras en la llanura)』(1959) 、三島の『仮面の 告白 (Confesiones de una máscara)』(1961) を英訳からの重訳で出版している。つまり、

酒井訳の『斜陽』や日本文学特集号に取り上げられた作家も含めて考えれば、戦後文学に高 い関心が寄せられたことがわかる。また、スール社ではないが、野間宏『真空地帯 (El gran

vacío)』も1958年に出版されており、酒井は解説を寄せている。そこで酒井は、人々の生

活に甚大な影響を及ぼした戦争を描く上で、戦後派作家たちが政治、社会意識を持つように なり、文学に取り入れたと振り返っている。

戦後文学が次々と翻訳された背景には、敗戦と民主化という大きな転換を経験した日本 への関心があったと考えられる。連合国を支持し、ペロン政権をファシストと批判していた

『スール』は、1955 年のクーデターでペロンが失脚すると、「国家の再建 (reconstrucción

nacional)」を重要課題として論じた215。彼らにとって、枢軸国だった日本が「民主化」さ

れる過程は、興味深いものだったに違いない。ただし、酒井は米国によってもたらされた「民 主化」が矛盾を孕んだものであったことを指摘している (Sakai 1958a: 8)。

ドキュメント内 酒井和也とラテンアメリカの「新たな芸術」 (ページ 109-112)