第 9 章 ニューヨークの洗礼
第 3 部 心の中の『日本』を探して――翻訳・日本文化紹介――
3. 安部公房と「作家の体験」
111 した酒井の参加は必須だったのだろう。
酒井のキャリアにとって、アルゼンチンのみならず海外からも著名な作家が参加した国 際的な雑誌『スール』への参加は重要な意味を持った。アルゼンチンにおける翻訳業が軌道 に乗っただけでなく、後にパスが『スール』を手本に創刊した『プルラル』214の編集に携わ る上でも貴重な経験となったに違いない。
2-3. 戦後文学への関心
『スール』の日本文学特集号の後、1960年に酒井訳の太宰治『斜陽 (El sol que declina)』
がスール社から出版された。残念ながら解説が付されていないため出版の背景はわからな いが、日本文学特集号に『ヴィヨンの妻』が掲載されたことが影響したのだろう。『スール』
272 号にはセリア・サラゴサ (Celia Zaragoza) による書評が掲載されたが、サラゴサはこ の 翻 訳 が 酒 井 に よ っ て 日 本 語 か ら 直 接 翻 訳 さ れ た も の で あ る こ と を 強 調 し て お り
(Zaragoza 1961: 104) 、重訳が当たり前だった当時、酒井の訳が特別な価値を持っていた
ことがわかる。
その後スール社は大岡昇平の『野火 (Hogueras en la llanura)』(1959) 、三島の『仮面の 告白 (Confesiones de una máscara)』(1961) を英訳からの重訳で出版している。つまり、
酒井訳の『斜陽』や日本文学特集号に取り上げられた作家も含めて考えれば、戦後文学に高 い関心が寄せられたことがわかる。また、スール社ではないが、野間宏『真空地帯 (El gran
vacío)』も1958年に出版されており、酒井は解説を寄せている。そこで酒井は、人々の生
活に甚大な影響を及ぼした戦争を描く上で、戦後派作家たちが政治、社会意識を持つように なり、文学に取り入れたと振り返っている。
戦後文学が次々と翻訳された背景には、敗戦と民主化という大きな転換を経験した日本 への関心があったと考えられる。連合国を支持し、ペロン政権をファシストと批判していた
『スール』は、1955 年のクーデターでペロンが失脚すると、「国家の再建 (reconstrucción
nacional)」を重要課題として論じた215。彼らにとって、枢軸国だった日本が「民主化」さ
れる過程は、興味深いものだったに違いない。ただし、酒井は米国によってもたらされた「民 主化」が矛盾を孕んだものであったことを指摘している (Sakai 1958a: 8)。
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訳をメキシコ大学院大学の紀要『ディアロゴス (Diálogos)』に発表後、1971年にERA出 版から完訳を刊行している。翌年には「時の崖」を『プルラル』に、「犬」を『レビスタ・
デ・べジャス・アルテス (Revista de Bellas Artes)』に掲載した。後者はメキシコのINBA が発行する雑誌で、酒井も度々寄稿している。「犬」を選んだのは、画家を主人公とした本 作が美術雑誌にふさわしいと考えたのかもしれない。
1924年生まれの安部は酒井より三つ年上で、ほぼ同世代である。また、安部は満洲育ち であり、アルゼンチンの帰国二世である酒井とは境遇は異なるが、生まれた国と、育った国 という二つの故郷を持つという点で、同じような経験をしている。酒井が安部の文学に惹か れた背景にはこうした共通点があったと考えられる。
安部の文学について語る言葉からは、酒井の絵画にも見られるアーティストとしての姿 勢が表れている。1972 年に行われた日本文学者のジークフリート・シャールシュミット
(Siegfried Schaarschmidt) との対談では、以下のように語っている。
作品が作家の属性ではなくて、作家があるいは作品の属性であるかもしれないという ようなことを安部さんはいわれています。このことをたとえば砂ということにあては めてみますと、砂がどこの砂であってもいいので、必ずしもどこどこの特定の砂でなけ ればならないような、そういう砂の描写はしていない。けれども、私は作家の体験とい うものがあると思うのです。一回見たものが強烈にその作家を印象づけて、それをまた ある時点において使って表現することがありえるわけです。『砂の女』では、私は別に 満州ということを強調しはしないけれど、あるいは満州というような経験が、何かの意 味で、無意識的にであっても、『砂の女』にでてきたかもしれない、こう思うのです。
ただ安部さんの描写するものが特定のものではないということはいえると思います。
何か抽象化されたものであって、ただしそれが非常に具体的なものに見える印象を読 者に与える。 (酒井, シャールシュミット1972: 16)
「何か抽象化されたものであって、ただしそれが非常に具体的なものに見える」とは、この 時期に酒井が描き続けた《光琳へのオマージュ》 (図版17) シリーズに代表されるヘオメト リスモの作品群にそのまま当てはまる。円と曲線という抽象的な図形の組み合わせから成 る一連の作品は、特定のものを描いていないにもかかわらず、琳派の曲線美を確かに連想さ せる。酒井が安倍の作品を翻訳するようになった時期と、ヘオメトリスモの作品を描くよう になった時期は重なっている。
酒井が安部の作品に具体的なもの、つまり満洲での体験を見ている点は興味深い。酒井は 自身については寡黙だが、安部に対する言葉から、作品におけるエスニシティの問題が見え てくるからである。
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3-2. 日本的であること、国際的であること
前述の対談で、安部文学が国際的かどうかという点に議論が及び、シャールシュミットは 以下のように述べている。
もちろん安部さんの作品の中には、満州なんかを扱っていて、日本を外側から見るよう な経験はあるんでしょうけど、全体から見ると、安部さんがインターナショナルなもの をもっていらっしゃるということは、安部さんがほかならぬご自身の個人の生きてお られる日本的現実をとらえて、それを作品にしているというところから、逆に国際性が 生れてくるのじゃないかしら。 (酒井, シャールシュミット 1972: 15)
これに対し酒井は、
安部さんの作品が日本的であることの説明なんですけど、安部さんが日本人であり、日 本語を使って、日本の環境を書かれた場合に、テーマが国際的な問題であっても、また 個人的な問題であっても、日本的なものが浮かんでくるのは当然です。私が言いたいの は、安部さんの取り扱う問題は、どこの国にも起こり得る問題であり、国際的であろう ということを意識せずに自分の問題を追求していったときに日本語を使っているため の、日本的な発想があり得る。ただ日本的であるのは比較の問題だと思うのです。 (酒 井、シャールシュミット 1972: 15)
と述べている。一見『砂の女』の砂の描写についてのコメントと矛盾するようだが、「抽象 的なものが具体的に見える」ことと、「日本的であるのは比較の問題」であることが両立す るところに、酒井のエスニシティ観を解く鍵がある。
酒井にとって、安部の満洲体験は無視できないものであった。それは一見抽象的に見える 安部の文学を根無し草とみなすことへの反論である。同時に、それを郷土愛のように論じる ことも、酒井には納得できなかった。シャールシュミットが言う「特殊性から普遍性へ」と いう主張を、安部自身も否定している。
けっきょく、その事実よりも、そういう主張に疑問をもっているわけです。つまり、普 遍性を獲得するためには、特殊性を通じなければならないという主張があるでしょう。
事実はそのとおりだとしても、それをわざわざ主張するということは、なんらかの意味 で閉鎖的な考え方につながると思うのです。たとえばナショナリズムをうたう場合、戦 争中なんかはしきりにそういう主張がされたわけです。ほんとに普遍性を獲得するた めには、日本に帰れという主張ですね。[中略] これらはつねに保守的、閉鎖的なものを 含んでいる。だからその主張にぼくは反対しているのです。一方、科学的な方法として、
たとえばダーウィンの「進化論」なんかの場合には、やはり具体性から出発して普遍性
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を獲得しているわけです。 [中略] これは正しい方法だし、ぼくの小説の方法も、だか らいつでも、なるべく概念から出発せずに、たとえば見えるものとか、さわれるものと か、そういう具体的なものから始めるように心掛けています。しかしそれは、即物性、
あるいは具体的なものから出発するということで、単に特殊性から出発するというの とは、多少ニュアンスが違うのじゃないかと思う。(キーン 2013: 221–222)
外地育ちの安部も、二世である酒井も、ナショナリズムには敏感だった。日本を描きながら、
国際的/普遍的な作品を書くことは可能である。しかし、日本を「特殊」と捉え、そこに普 遍性を見出すことには両者とも否定的だった。
酒井の作品における「日本的なもの」は、確かに大きな存在感を放っている。しかし、酒 井が日本人であることに起因する「日本的な発想」と同じように、アルゼンチン人でありラ テンアメリカ人として生きた酒井の「ラテンアメリカ的な発想」も見られる。同時にジャズ への言及やポップアート、キュビスムといった欧米の美術の影響もあり、「国際的発想」も 持っていたと言えるが、それはあくまで「比較の問題」だと酒井は考えていた。それをふま えると、先に引用した酒井の言葉は、自身の作品が常に「日本的」だと評されることに対す る、不満のようにも聞こえる。酒井は自身の作品に対する批評について以下のように述べて いる。
It’s very strange. When I show my work in Mexico, they talk about my New York Influences. When I shoe my work in Japan, they talk about my Mexican colors. When I show my work in Texas, they talk about the mixture of Japanese and Latin American influences. But in my own head and heart, I have always remained the same. (Goddard 1989: 7H)
移動を続け、作風を変化させ続けた酒井の作品に、批評家はそれぞれの土地の影響を見出そ うとする。確かに酒井は様々な文化を表現に取り入れてきた。しかしそれらは自分自身の問 題を追求した結果作品に表れたものであり、一つの要素をもって酒井の特徴とみなすこと はできないのである。
3-3. 内部の風景
酒井が安部について語った言葉に、もう一つ興味深いものがある。
たとえば『砂の女』という小説をだれかが突然読んだ場合に、日本の風景は砂ばかりじ ゃないかと理解するかもしれない。ただ安部さんの内部の現実の風景というものがあ る。その風景を打ち出す場合に、隠された風景というのがあるわけです。往々にして、
内部の風景が本物であって、外部の風景がうそである場合がある。この国を本来の日本