第 8 章 アンフォルメル ―― 書と動 ――
2. 禅の思想を表現する
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存在する様々な文字、言葉、記憶、感情などをつなぎ合わせていったものが表現されている のかもしれない。
文字としての機能に囚われずに表現を追求していった結果、前衛書同様、描かれたものは 形を失っていった。《絵 No. 49 (Pintura No.20)》(1960年、図版7) では色彩が増え、絵 具は厚みを帯び、墨では出せない光沢感が作品の中心を成している。図版 6 では画面にき れいに収まっていたのに対し、図版 7 では絵具が画面から少し飛び出している。一筆一筆 が重なり合い、境界線が曖昧になり、記号としての形を保っていない。
ブエノスアイレスの美術の流れも幾何学的抽象から叙情的抽象へと移り変わっていった のと同じ頃、酒井は前衛書に表現の可能性を見出し、若くして成功を手に入れた。前衛書と もとれるこれらの作品は、酒井の「日本人画家」というイメージを強化することとなった。
しかし酒井の創造の源泉は、日本文化だけではなかった。貪欲に表現を模索し続けていた酒 井は、アルゼンチンに次々と輸入されるヨーロッパや米国の新しい絵画も取り入れていく。
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6. Nansen corta en dos el gato (Mumonkan XIV). (1961)136
《南泉、猫を真っ二つに切る》(『無門関』「第14則 南泉斬猫」) 7. El dedo de Gutei (Mumonkan III). (1961)137
《倶胝の指》(『無門関』「第3則 倶胝竪指」) 8. ¿Has cenado? (Hekiganroku LXXVI). (1961)138
《もう夕食を食べたか?》(『碧巌録』「第76則 丹霞問甚処来」) 9. Toca el tambor (Hekiganroku XLIV). (1961) 139
《太鼓を打つ》 (『碧巌録』「第44則 禾山解打鼓」) 10. Nansen dibuja un círculo (Hekiganroku LXIX). (1962)140
《南泉、円を描く》 (『碧巌録』「第69則 南泉拝忠国師」) 11. Homenaje a Hakuin. (1962)141
《白隠へのオマージュ》
12. Homenaje a Hakuin. (1962)142
《白隠へのオマージュ》
13. Homenaje a Sengai. (1962)143
《仙厓へのオマージュ》
14. Mu. (1962)144
《無》
15. ¿Cuál es tu nombre? (Hekiganroku LXVIII). (1960)145
《君の名前は?》(『碧巌録』「第68則 仰山問三聖」)
16. No hables, no guardes silencio (Mumonkan XXIV). (1960)146
《話すな、沈黙するな》 (『無門関』「第24則 離却語言」) 17. El cielo azul, el sol blanco (Hekiganroku IV). (1962)147
《青い空、白い太陽》(『碧巌録』「第4則 徳山挟複子」) 18. El viejo toro (Hekiganroku XXIV). (1962)148
136 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、029 × 039 cm。
137 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、029 × 039 cm。
138 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、032 × 066 cm。
139 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、032 × 065 cm。
140 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、032 × 060 cm。
141 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、030 × 060 cm。
142 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、030 × 060 cm。
143 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、041 × 057 cm。
144 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、047 × 060 cm。
145 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、068 × 088 cm。
146 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、068 × 137 cm。
147 絹本墨画 (Tinta sobre seda)、039 × 054 cm。
148 絹本墨画 (Tinta sobre seda)、044 × 044 cm。
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《老いた牛》 (『碧巌録』「第24則 劉鉄磨台山」) 19. La flauta de hierro. (1962).149
《鉄の笛》
20. Todas las voces (Hekiganroku LXXIX). (1962) 150
《すべての声》(『碧巌録』「第79則 投子一切声」)
作品のタイトルを『無門関』や『碧巌録』に照らし合わせてみると、各則の標題をそのまま 訳すのではなく、象徴的な内容を選んでタイトルに用いていることがわかる。例えば《8. も う夕食は食べたか?》は、「第76則 丹霞問甚処来」に登場する「喫飯了也未 (飯を食って
きたか)」(末木 2003: 51) という台詞に由来している。《19. 鉄の笛》は江戸時代の学僧、
玄楼奥龍が評唱・頌を付した頌古集『鉄笛倒吹』(1783) を指していると考えられる。酒井 は後にメキシコで『鉄笛倒吹』の抄訳を『エル・ヘラルド』紙に掲載している (Genro 1968)。 酒井は書を取り入れ始めた当初から禅に言及した作品を制作していたが、アンフォルメ ルやアクション・ペインティング151における禅の影響はしばしば指摘されている。酒井が それを強く意識していたことを示すのが、1962年にリマで受けた新聞のインタビューであ る。そこで酒井は、禅が特に米国で注目を集めており、マーク・トビー (Mark Tobey, 1890– 1976)、フランツ・クライン (Franz Kline, 1910–1962)、ジョルジュ・マチュー (Georges
Mathieu, 1921–) らアクション・ペインティングやアンフォルメルの画家たちにも影響を
与えたと述べている (Costa Peuser 2005: 112)152。栗本高行によれば、しばしば指摘され ていたマーク・トビー、フランツ・クライン、ジャクソン・ポロックらの作品における中国 や日本の書の影響は、クレメント・グリーンバーグ (Clement Greenber, 1909–1994) によ って早い時期に否定されていた (栗本 2016: 198–199)。しかし酒井はこれらの画家たちへ の書の影響をはっきりと認めている。限られた紙面で、酒井は禅の思想について、「自然回 帰」や「非合理主義」、「直観の重要性」などの言葉を使って端的に説明している。
酒井がアルゼンチンに帰国した際の入国記録では信仰の欄が「不明」となっていたが、彼 自身がこうした教えを実践していたかどうかは別として、絵画表現に用いていたことは明 らかである。アルゼンチンでも禅に対する関心は高まっており、酒井は1960年に鈴木大拙 の『禅仏教入門』を翻訳・出版している。また前述したようにベール・イ・エスティマール 協会でも日本、中国の思想と美術に関する講座を受け持っていたが、そこでも禅に触れてい
149 絹本墨画 (Tinta sobre seda)、030 × 054 cm。
150 紙本墨画 (Tinta sobre papel de arroz)、041 × 057 cm。
151 小学館『世界美術大事典』によれば、「ポロックやデ・クーニングら第二次大戦後のア メリカの画家たちの抽象表現主義を定義するために、一九五二年、批評家ハロルド・ロー ゼンバーグによって命名された美術用語。アンフォルメル (不定形抽象) の運動と時代を 共有するアクション・ペインティングは、作品を創り出す行為や肉体運動そのものが作品 の表出内容であり、価値であるとする」(相賀 1988: 43)。
152 El Comercio (Lima, 1962, n.d.) からの転載。
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る (Asociación Ver y Estimar 1959)。このように、酒井は翻訳を通じて禅に対する理解を 深め、スペイン語で情報発信し、絵画にも取り入れていた。翻訳・日本文化紹介で得たもの を絵画表現に活かし、絵画に取り入れるために更に研究を深めるというサイクルは、後の活 動にも一貫して見られる。