第 2 章 自律的学習能力育成に関連する研究の動向と学部留学生の現状
2.1 自律的学習能力の理解と育成に関する先行研究
2.1.4 日本語教育における「自律性」を重視する教育の発展
欧米において教育のパラダイムが「教える」から「学習者中心」という理念を基盤 に「学習者が学ぶことを支援する」へと移る中で、日本の日本語教育の現場も大きな 変化を経験していた。80年代以降、中曽根康弘首相の打ち出した「留学生 10万人計 画」によって留学生が激増し、国立大学には次々に「留学生教育センター」、「留学生 支援交流センター」といった名称を持つ日本語教育及び外国人学生対応を主たる任務 とする部局が設置された。留学生の数の増大は、留学生の質の変化ももたらした。こ れ以前の「留学生」の典型は、日本文学や日本の社会・歴史などいわゆる「日本学」を 専攻する学生が出身国である程度の日本語運用力を獲得してから来日するといったも のであったが、急激に、世界のあらゆる地域からあらゆる分野の学生が日本語の知識 を必ずしも十分に持たずに来日する状況が生じたのである。
こうした中で、日本語教育の分野では早くから学習者の「自律性」の重要性が認識
26 「学習ストラテジーに関する主要な研究一覧」(JACET学習ストラテジー研究会, 2005, pp.68-69)
参照。
29
されていた。田中・斎藤(1993)は、日本語学習者の「自律性」にいち早く着目し、
自律的な学習者を育成するための学習支援システムを提案した。この背景には、日本 語学習者が多くの点で多様であるため、各々が自律的に学習することなくして必要な 運用力を獲得することが不可能であるという厳然たる事実があった。同書は、日本語 教育には、「学習者集団としてのカテゴリーの多様性」、「学習者ニーズの多様性」、「学 習者の学習特性の多様性」という3つのレベルの多様性への対応が求められ、特に「学 習特性の多様性」への対応は、教授法の開発やコース・デザインの工夫などでは対処 できないと指摘した。教育実践において、学習者の自律的学習を促進することが不可 欠であり、「学習目標の意識化」、「学習ストラテジーの意識化」、「内省的方法による評 価」の3 つを行うよう提言した。多様性への対応は、留学生対象の日本語教育の必須 の課題要素である(因他, 1994)という認識は、日本語教育関係者に広く共有された。
多様性対応が追求される中で学習ストラテジーへの関心が高まり、これについての 研究も進められた。学習者が読解活動で使用するストラテジーや読解過程の様相の解 明を目指した研究(谷口, 1991; 南之園, 1997; 大城,1997; 高橋, 1998)や日本語の 文章構造の特徴が学習者の読解に与える影響からストラテジーの使用の様相を観察し た研究(菊池,1997, 2006; 舘岡,1996, 1998, 2001)などがある。これらの成果として、
特に、読解分野での学習ストラテジーについての理解が深まった。しかし、その成果 を教育実践に応用する方法の十分な開発はいまだ進んでおらず、また、学習ストラテ ジーというメタ認知的知識の一部についての研究は盛んに行われたが、目標設定や計 画、学習活動の過程の予想や点検を行うメタ認知的なコントロールやモニタリングな どのメタ認知的活動についての研究は課題として残っていた。
90 年代から2000年代にかけて、日本語教育は、さらに大きな変化への対応を余儀 なくされた。2002年から日本の大学への留学希望者に対する統一試験として導入され た「日本留学試験」では、AJ、すなわち、「日本の大学での勉学に対応できる日本語力」
が測られることになった。しかし、導入に先立って「対応できる日本語力」の内容に ついて具体的な指針が示されていたわけではなく、公開された試験の内容は、理念を 反映しているとは言えなかった(門倉, 2001, 2002; 因, 2004)。
AJ の教育に関して先駆的な研究を行い、「日本の大学での勉学に対応できる日本語 力とは何か」という問いに答える積極的努力を行ったのは、門倉正実による一連の研 究である(門倉, 2005, 2006)。門倉(2006)は、「アカデミック・ジャパニーズとは教
30
養教育である」(p.7)と主張し、教養教育の本義を、大学で求められる主体的な学びへ の転換を促す「転換期教育」と現代社会を市民として生きていくための「市民的教養」
の2点と捉え、「教養教育」の中心的課題は「大学での勉学」の根幹とされる「学び方 を学ぶ」ことにあるとした。具体的には、「問題発見解決学習」を通して学習者の既有 の「市民的教養」としての知識を有機的に活用し、「自己を表現し、他者と出会う」と いうコミュニケーション力を育成することが「学び方を学ぶ教養教育」においては肝 要であるとしている。
門倉(前掲)は、さらに、AJを関連する教育研究領域の中で図2-3のように位置 づけている。主体的な学びを触発する<学び>の教育や、そのツールとなるような「学 習スキル」の教育を AJ の教育の研究にとって重要な隣接領域とし、コミュニケーシ ョン能力育成をベースとする「言葉の教育」と問題発見解決能力育成をベースとする
「<学び>の教育」と「学習スキル教育」の重なりの中でAJをとらえた。すなわち、AJ の教育とは、日本語技能の獲得にとどまらず、現代社会を市民として自律的に「生き る力」であり、社会に出ても有効な「日本語力」の獲得を支援する教育であることが 理解された。学部留学生の自律的学習能力向上の支援を目指す本研究が AJ の教育理 念に沿うものであると考えられた。
図2-3 AJ教育研究と関連する教育研究領域(門倉, 2006, p.10)
さらに、門倉は、図 2-3に示す通り、AJ は3つの領域がすべて重なる「1」の部 分にあるとし、それぞれの分野及び重なりに、表2-8のような教育分野が含まれると して、AJの内容と位置づけを明確化した。
4
学習 スキル 教育 言葉の
教育
<学び>の 教育
3 2
1
31
表2-8 AJ教育と関連する具体的な教育研究領域
【言葉の教育】日本語教育、国語教育、ESL(English as a Second Language)教育に おけるAJ的アプローチ
【<学び>の教育】初等・中等教育における「総合的学習」、高校における「現代社会」、 1990年代以降の大学初年次導入教育
【学習スキル教育】英語圏のスタディ・スキル教育、リサーチ法(調査・研究の仕方)
【2】アカデミック・ライティング、クリティカル・リーディング、速読(スキミング・
スキャニング)、プレゼンテーション法
【3】総合日本語、JSL(Japanese as a Second Language)トピック型
【4】クリティカル・シンキング、メディア・リテラシー
(門倉, 2006, pp.9-12を要約して筆者が作成)
以上から既に明らかなように、「学び方を学ぶ」、「市民として自己を表現し他者と出 会う」ためのAJ教育は、留学生だけを対象とするというより、大学教育に新規参入す る者に等しく意義を持つものである。AJ教育の本質を見極めようという努力がなされ ていたこの時期は、日本人学生を対象とする教育の文脈でも、学ぶ力を意図的に教育 する必要があるという認識が共有され、「学士力」という用語で示される汎用的能力を 獲得させるための議論が活発に行われるようになった時期と重なっていた。「文章表現 法」などの名称で大学生の基礎力養成のための科目が設置され、しばしば日本語教師 が担当することになったのは偶然ではない。
AJ の本質を見極める努力と並行して、AJ の理念を学習活動に組み込み、具体的な 学習活動の開発へと繋ごうとする努力も行われた。二通他(2004)は、「書く技能」に 着目し、図2-4に示されるように、「アカデミック・ライティング」27 の技能が基礎 的な知的能力や専門の知識や言語の知識と緊密に関連していることを示し、さらに、
アカデミック・ライティング の学習や実践が大学在学中にとどまるものではなく、そ の後の職業生活や研究生活へと継続することを強調した。
27 大学・大学院での学習や研究など、学術的な目的のための文章及びその作成を指す(二通他, 2004)。
32
図2-4 アカデミック・ライティングの構成要素
(二通他, 2004, 日本語教育学会春季大会予稿集, pp.285-296)
2000年代に入ると、言語教育を通して総合的な技能の向上を支援する具体的方法の 提案を目指した研究や教材が次々と現れた。大島弥生による一連の研究(大島 2005,
2007, 2009)及び教材『ピアで学ぶ大学生の日本語表現 プロセス重視のレポート作成』
(2005, 2014)、石黒(2002)、石黒他(2011)、一橋大学留学生センター作成の教材『留
学生のためのストラテジーを使って学ぶ文章の読み方』(2005)などがある。
大島(2005, 2007)は、留学生と日本人学生の両方を対象とする学部初年次の「日 本語表現法」という科目においてレポート作成を課し、その過程で「ピア・レスポン ス」28 を積極的に行わせ、受講者の行動とコースに関する認識を複数年にわたり調査 した。レポートの構想から執筆、推敲、完成までの各段階でお互いの構想や作成物を 吟味して助言し合うことによって、受講者は書き手という立場だけでなく読み手や助 言者としての立場に置かれることになり、そのことが、目標とするスキルの重要性の 認識や自分の不足している点についての自覚を促し、方略試行を刺激したことが報告 されている。ピア活動と教員による助言が自己モニタリングや自分の学習状況につい ての内省を促し、レポートの完成に必要な方略使用への刺激となって循環的に作用す るという大島の教育実践は、AJ の理念や指針を具現化し、「自律性」の向上を図る教 育方法を具体的に提案したものである。
大島(上掲)の研究は、専門科目と言語科目の教員による「チーム・ティーチング」
の形態で学部初年次の科目として実施されたものであり、本研究が対象とする留学生
28 学習者が自分たちの作文をよりよいものにしていくために、仲間(peer)同士で読み合い、意見交換 や情報提供(response)を行いながら作文を完成させていく活動方法を指す(池田, 2004)。
専門知識,専門用語,専門のライテ ィングに関する約束事・・・
問題意識,論理的思考,客観性・・・
学術分野共通の語彙, 表現,文型,文体・・・
アカデミックな文章の作成プロセス、ス キル(問題の設定,情報収集,資料の批 判的な読み,文章の構成,引用,要約・・・)
専門
言語 技能
基礎