第1章 社会的背景の調査
1 知識経済と教育投資,労働力
1.1 教育への公共投資と経済
ある一定の期間内に国内で生み出された付加価値の総額,つまり国の経済力を量的 に示す指標として,通常,国内総生産(Gross Domestic Product)が用いられる。国民
総生産(Gross National Product)は,海外での生産活動を通じて生み出された付加価
値を含んでいるため,本来の国の生産高をより正確に示すものとして,現在ではGDPが 指標として広く用いられている。そして,あるA国の現地通貨で測定された生産高と,
他のB国の生産高とを集計し比較する際に,現地市民の生活水準の実質価値を過小また は過大評価しないために,購買力平価(Purchasing Power Parity)によって換算される ようになった。例えば,A国の財やサービスを通貨1 単位で購入したとし,それと同等 のものをB国で得ようとした際に必要となるB国の通貨単位数の比率がこの購買力平価
外部支援による実地検証教科横断型の学習展開社会的背景の調査教育リソースの投入と活用議論と提言
にあたり,一般的に,米ドル(以下,ドル)が「基準通貨」として用いられている [World
Bank, 2008]。本稿で使われるGDPは,すべてこの購買力平価の換算係数を掛けた値,
すなわちGDP(PPP)を表している。
このようなGDPは,あくまで各国によって産出された付加価値を数値化したもので あることから,マクロ的な経済規模の推測には適しているものの,国ごとの,社会情勢,
産業構造,文化的,教育的背景といった要素を,そこから垣間みることはない。これら すべての要素に関わる,労働者としての「市民(Citizen)」の存在があり,社会開発を持 続,加速させるための原動力としてその役割を果たす。したがって,これに関わる人的 資本もしくは財産としての市民の「教養」を,欠くことや過小評価することはできない。
ここで,各国の人的資本と経済の関わりを評価するために構築され,知識経済へと変遷 する国々のパフォーマンスを表す知識評価法 KAM(Knowledge Assessment Method-
ology)を取り入れたい。
KAMは,148の量的変数(パラメータ)によって構成され,単純に一国のパフォー マンスを示すことの他,いくつかの任意のパラメータを選択することで,複数の国家間 のパフォーマンスを比較するためのスコアカードを備えている。この内,最も基本的な 12のパラメータからなる知識経済指数KEI(Knowledge Economy Index)は,表1-1 に示される 4 つの柱によって構成され,ベーシックスコアカードと呼ばれる [World
Bank, 2007]。各国のKEIおよびそれを構成する個別のパフォーマンスを表1-2に示す。
表 1-1: ベーシックスコアカード
1. 経済インセンティブと制度体系
・ 関税/非関税障壁,2009
・ 規制,2007
・ 法体系,2007
2. イノベーションと技術導入
・ 人口一人当たりのロイヤリティ支払い,2007
・ 人口100万人当たりの技術論文数,2005
・ 人口100万人当たりの特許保有数,2003-2007
3. 教育と訓練
・ 成人識字率,2010
・ 中等教育就学率,2007
・ 高等教育就学率,2006
4. 情報通信技術インフラ
・ 人口千人当たりの電話利用,2007
・ 人口千人当たりのコンピュータ利用,2007
・ 人口千人当たりのインターネット利用,2007
[World Bank, 2012]
表 1-2: 知識経済指数KEIの各国比較
No. 国,地域
知識経済指数
(KEI)- 4項目平均
経済インセン ティブと法体
系
イノベーショ
ンと技術導入 教育と訓練 情報通信技術 インフラ
(斜体は各項目の最大数を示す)
1 Sweden 9.43 9.58 9.74 8.92 9.49
2 Finland 9.33 9.65 9.66 8.77 9.22
3 Denmark 9.16 9.63 9.49 8.63 8.88
4 Netherlands 9.11 8.79 9.46 8.75 9.45
5 Norway 9.11 9.47 9.01 9.43 8.53
6 New Zealand 8.97 9.09 8.66 9.81 8.30
7 Canada 8.92 9.52 9.32 8.61 8.23
8 Germany 8.90 9.10 9.11 8.20 9.17
9 Australia 8.88 8.56 8.92 9.71 8.32
10 Switzerland 8.87 9.54 9.86 6.90 9.20
11 Ireland 8.86 9.26 9.11 8.87 8.21
12 United States 8.77 8.41 9.46 8.7 8.51
13 Taiwan, China 8.77 7.77 9.38 8.87 9.06
14 United Kingdom 8.76 9.20 9.12 7.27 9.45
15 Belgium 8.71 8.79 9.06 8.57 8.42
16 Iceland 8.62 8.86 8.00 8.91 8.72
17 Austria 8.61 9.26 8.87 7.33 8.97
18 Hong Kong, China 8.52 9.57 9.10 6.38 9.04
19 Estonia 8.40 8.81 7.75 8.60 8.44
20 Luxembourg 8.37 9.45 8.94 5.61 9.47
21 Spain 8.35 8.63 8.23 8.82 7.73
22 日本 8.28 7.55 9.08 8.43 8.07
46高所得国,地域平均 8.67 8.39 9.16 8.46 8.37
[World Bank, 2012]
日本は,現在高所得国,地域の中では,比較的低いKEI数値を記録し,すべてのパ フォーマンスにおいて,平均値を下回っている状態である。経済インセンティブと法体 系については,昨今の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や東アジア地域包括的経済 連携(RCEP)といった多国間自由貿易協定の推進の過程で,障壁の撤廃や国内法規制の 緩和等が実施され,プラス要因が生じると考えられる。本研究の関心は,「イノベーショ ン(価値創生)」「教育(知識創造)」といった,市民の知識,技能の向上と促進に連動し,
社会経済の持続的な発展のための基盤となる項目である。
このような経済と教育を接続するための KAM パラメータを,カスタムスコアカー ドとして構成した(表1-3)。労働生産性については,後述に詳しいが,一人当たりのGDP と労働時間によって算出されるパラメータとして,必要な項目であると判断しカードに
外部支援による実地検証教科横断型の学習展開社会的背景の調査教育リソースの投入と活用議論と提言
追記した(本来KAMには示されていない)。
表 1-3: カスタムスコアカード
【経済パフォーマンス】
・ GDP成長率
・ 国民一人当たりのGDP
・ 単位労働時間当たりのGDP(労働生産性)
・ 労働力人口
・ 人間開発指数
【教育パフォーマンス】
・ 教育向け公共投資
・ 科学学習の達成度指数(8th Grade,TIMSS)
・ 数学・科学教育の質
・ 15歳生徒の科学的リテラシー(PISA)
[World Bank, 2012] 注:労働生産性については [OECD, 2013a]を基に筆者にて追記
従来から教育への投資の結果として,それが果たして経済,産業の発展に寄与して いるのか,という両者の接続性が重要であるという認識は存在しながらも,科学教育に 特化した形で取り扱われた例は,管見の限り存在しない。次項以降,労働生産性と教育 投資の相関,労働力人口の減少といった事案について取り上げながら,2節のより地域的 な産業と雇用という側面につなげる。学習の達成度,科学教育の質,科学的リテラシー といったパラメータについては,3節の国際学力調査の視点から個別に論じていく。