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小括―病院という「場」における「戦術」

第四章 病院での緩和ケアにおける他職種と鍼灸師の関係性

第三節 小括―病院という「場」における「戦術」

第一項 「中心」としての病院とその中にある鍼灸

本調査結果は、病院という強固な通常医療の「場」の中での緩和ケアにおける他職種と 鍼灸師の関係性を示したものであり、特に後半のインタビュー調査においては情報共有を 通じた両者の間の「繋がり」とその実態を示した。

質問紙調査の結果からは、回答が得られた98施設のうち6施設(6.1%)でのみ鍼灸治療が 実践されていることが明らかとなった。Hyodo ら[2005]のがん患者を対象とした CAM の利用に関する調査報告は、日本のがんセンターおよび緩和ケア病棟の患者を対象として 実施されたものであるが、対象となったいずれの施設においても体系的にCAMによる治療 は実施されていなかったとしている。また、日本の一般病院における鍼灸治療実施につい

ても4%程度と報告されており、混合診療の問題や鍼灸師雇用の問題などから、病院での鍼

灸治療の難しさが指摘されている[矢野 2012]。本質問紙調査においても「緩和ケアに鍼 灸が関わることについて」の自由記述の結果において【病院で行う難しさ】というカテゴ リーが抽出され108、またインタビュー調査結果のカテゴリーの1つである【繋がりへの障 壁】のなかでも<病院における制約>が指摘されており、病院内での鍼灸治療が行われる ことそのものの難しさがある事がわかる。この点について、第三章の小括において示した 仮説図の「中心」と「周縁」の図から考えると、病院を通常医療の「中心」と仮定した場 合、その外縁には外からは極めて越えづらい「壁」が存在している状況にあると考えられ る。

では、本章で主として扱う病院の中で行なわれる緩和ケアの「場」における鍼灸/鍼灸 師の位置づけはどうなっているであろうか。病院における緩和ケアの実践は、いわゆる「チ ーム」による緩和ケアの実践が主となる。したがって、院内の緩和ケアチームとの関係性 を紐解くことが、院内緩和ケアの実践における鍼灸師の位置づけを明らかにすることにな るであろう。質問紙調査を見ると、鍼灸治療の利用実態を見る限り緩和ケアの手段として 頻繁に用いられるとは言い難い状況であることが明らかとなった。また、チームメンバー への参加状況については回答した3施設とも「メンバーではない」という回答であり、少 数例からの推測に過ぎないが、院内緩和ケアの「中心」的な領域には位置していない状況 が伺える109。さらには、質問紙調査の「緩和ケアにおける鍼灸治療についてどのように考 えるか」という自由記述の結果、およびインタビュー調査における、【繋がりへの障壁】か らは、やはり職種間の「壁」が存在している状況が見て取れる。

107 通常がん患者に行なわれる医療は、時に患者にとって「やらなきゃいけない医療」となり、それが患者にとって大き な心的負荷を生じる場合がある。そんな時に「楽になる」というところにフォーカスした鍼灸治療というものが患者の

「非日常」として入り込むことによって、患者にとってのある種の視点の「ずらし」を生み出し、それが他職種にとっ ても大きな意味を持つものになるのである。同内容については第三部にて改めて検討する。

108 それ以外のカテゴリー内容については、第三章の質問紙調査における「在宅緩和ケアに鍼灸が関わることについて の考え」の結果とほぼ同様のカテゴリーが抽出された。

109 国内における院内緩和ケアチームへの鍼灸師の参加については水野[2003]、小玉[2008]らの報告において触れら れているが、その実際は不明である。

ここで、第三章において「中心」と「周縁」の「壁」の特性として指摘した、①必要性、

②危険性、③医学モデルの違い、④システム、⑤医療におけるヒエラルキー、の 5 つの内 容と照らし合わせて考えてみたい。①の「必要性」については質問紙調査においても【必 要性のなさ】がされており、特に疼痛管理が薬物で十分管理できる、など症状緩和の手段 としての必要性がないということは同様に指摘されていた。また②から⑤については、主 にインタビュー調査結果の【繋がりへの障壁】において詳細に示されていた。具体的に見 てみると、②の「危険性」については、<鍼治療で懸念されるリスク>と指摘されている とおり、一つの「壁」の要素になっているようである。③の「医学モデルの違い」につい ても、<考え方の違い>という同様の指摘がなされている。④の「システム」については、

<費用をめぐる制約>や<鍼灸師雇用の制約>等、治療費や雇用と言った制度面からみた 病院内の「システム」上の「壁」があることがわかる。また、今回のデータには第三章と 異なり鍼灸師側の観点が含まれていることもあり、第三章においては見られなかった<鍼 灸師の自由度の低さ>について指摘されている。これは、病院という「組織」内での他職 種との連携に関する「動きづらさ」についての指摘であり、⑤の「ヒエラルキー」にも関 連する内容である。鍼灸師の所属が「病院」ではない(A病院)、あるいは緩和ケア科とは 別の科に所属があり、かつ医師のもとで立場が保証されている(B 病院)など、院内での 所属をめぐる病院の「システム」上の「壁」があるということであろう。さらに、<未確 立の連携システム>も鍼灸師が他職種と「繋がる」ことができなくなるという状況に拍車 をかけるようである。⑤の「ヒエラルキー」については、第三章で見てきた以上にはっき りと<医師の裁量>という象徴的なカテゴリーにおいて説明されている。鍼灸治療の導入、

連携の形態が<医師の裁量>により決まるため、容易に他職種と「繋がる」ことができな いのである。さらに、第三章では触れられていなかった、漠然としたイメージとしての<

壁の存在>が語られている。<鍼灸に対する偏見>というサブカテゴリーがその象徴と言 えるかもしれない。エビデンスがないというイメージ110、または<知られていない鍼灸>

にも含まれる実態の「不透明さ」、また「不透明さ」がゆえの「怪しさ」など、鍼灸に対す る「別物」としての存在111であるというイメージなど、ネガティブかつ排他的イメージが 漠然とした「壁」を形成しているようである。筆者はこれを第 6 の「壁」の特性として⑥

「イメージ」とする。

これらを踏まえて「病院」における緩和ケアの中での鍼灸の位置づけを整理すると図 4−

2のようになると考えられる。病院という「場」を「中心」と考えた際には、その外の「周 縁」とは厚い「壁」が存在していると考えられる。また病院の「場」の中、特に本論文の 主題である病院で行われる緩和ケアの「場」に視点を移すと、そこにはさらに「中心」と

「周縁」の「壁」が存在すると考えられ、第三章と同様、「壁」の性質には異なる部分があ るものの、構造的に鍼灸は病院で行なわれる緩和ケアの「場」においても「周縁」に位置 する存在であると言える。

ただし、鍼灸治療が実践されている施設の導入の経緯を見ると「患者の希望」にもある

110 少ないながらに質の高い科学的デザインに則って示されている鍼灸のエビデンスは、実際の緩和ケアの現場において はあまり知られていない。「鍼灸は科学的ではないから」は通常医療の領域に従事する医療職種から未だしばしば耳にす る語りである。事実とは別に、「そういうもの」としてのイメージが強固に根付いている印象がある。

111 高梨[2012]の調査の中で、病院での緩和ケアの経験を持つ鍼灸師の語りの中に「(鍼灸は)医療における別物と思 われている」という語りがあった。

ように、実際の患者からのニーズが背景に有ること、また自由記述における【ケアの多様 性としての意義】に見られるように、医療者側が鍼灸治療をケアの一手段として、また多 職種によるケアのバリエーションとして認識していることがわかった。これも第三章と同 様、鍼灸は緩和ケアの「場」の構造的には「周縁」という位置づけにありながらも、必ず

しもネガティブな意味付けだけではなく、「ケアの多様性の一つ」というポジティブな意味 付けも見いだされているのである。実際、鍼灸治療が実施されている施設においては、疼 痛、倦怠感、便秘などに対して鍼灸治療が行われており、鍼灸治療が症状コントロールの 役割の一部を担う可能性も示された。問題は、そうしたポジティブな意味付けを見出しな がらも、実際に鍼灸師と「繋がるかどうか」であり、それは病院のシステムや緩和ケアチ ームの「壁」の程度や質に大きく左右されると推測できる。

第二項 「戦術」を駆使した職種間関係の構築

これまで病院における緩和ケアの「場」に存在する「壁」、およびその外部に位置する鍼 灸の「周縁性」について論考を進めてきたが、今回のインタビュー調査において、鍼灸師 が「戦術(tactiques)」を駆使しながら、相互に「壁」を乗り越え「繋がる」実践を積み重 ねている状況が明らかになった。「戦術」はミシェル・ド・セルトー[1987]が構築した概 念であり、「戦略(stratégies)」との対比で用いられる概念である。「戦略」は「ある意思 と権力の主体(企業、軍隊、都市、学術制度)が、周囲から独立してはじめて可能になる 力関係の計算(または操作)」と定義されており、その背景に「自分のもの(固有のもの)

として境界線を引くことができ、標的とか脅威とか言った外部(客や競争相手、的、都市