第五章 ひろせクリニックと鍼灸治療
第二節 ひろせクリニックにおける鍼灸
ひろせクリニックでは、鍼灸師が常勤として雇用されており、鍼灸師がチームメンバー として在宅緩和ケアに関わっている124。同クリニックの在宅緩和ケアに鍼灸師が参加するよ うになったのは、クリニックが開院して間もなくのことであった。当時のひろせクリニッ ク院長がクリニック開業前の病院勤務時代に、がん患者の症状への鍼灸治療が奏効したの を目の当たりにしたことがその背景にある125。開院当初は1名の鍼灸師が外部連携という 形で在宅緩和ケアのチームに参加していた。その後、在宅緩和ケアの一手段として鍼灸師 の存在の重要性を認識した先代の院長が、常勤鍼灸師をクリニックに雇うようになり、数 年前までは最多で 3 名の鍼灸師が在籍していたこともあった。筆者の調査時には、常勤鍼 灸師は1名となり、過去に在籍していた1名の鍼灸師が外部連携としてひろせクリニック に関わっていた126。
鍼灸治療は在宅緩和ケアの全ての患者に行われるわけではない。患者が希望した場合、
あるいは医師か看護師の提案で開始されることになる。以下では実際に鍼灸治療がどのよ うな過程で導入されるかについて概括し、また鍼灸師の平岡氏のキャリアと鍼灸治療の概 要について述べる。
第一項 鍼灸治療の概要
123 後述するが、こうしたカンファレンスに見られる拠点ごとの「カラー」が鍼灸師の紹介状況にも密接に関連している と考えられる。
124 鍼灸師を雇い入れて在宅緩和ケアを実践する診療所ないし病院の潜在的な実数は不明であるが、本論文第二章の在宅 緩和ケア領域で鍼灸師と連携している診療所の数字を考慮してもその少なさは想像に難くない。
125 入院中のがん患者の術後の痛みや臥床時の筋肉痛、また吃逆(しゃっくり)に対する劇的な鍼灸治療の効果に驚いた という。
126 1名は本橋市内で独立開業し、1名は他県にて独立開業している。
[1]鍼灸治療が導入されるタイミング
ひろせクリニックでの在宅療養は、外部病院に入院していた患者か、外来で経過観察を していた自宅療養中の患者が希望した場合に開始となる。前者の場合は病院からひろせク リニックに紹介があり、退院調整会議を経た後に在宅療養開始となり、後者の場合は直接 ひろせクリニックに連絡があり患者宅での調整会議を経た後に在宅療養開始となる。ひろ せクリニックで鍼灸治療が導入されるタイミングは大きく分けて 3 つあり、①在宅療養開 始時に SW やケアマネがクリニックのケア内容の紹介の一環として鍼灸治療を提示した際 に患者が受療を希望した時、②医師や看護師が初回訪問の段階で導入の必要性を判断した 時、③一定程度の医療介入の後に医師や看護師が導入の必要性を判断した時である。どの タイミングにおいても、導入に至る最終決定者は患者・家族である。筆者が参与観察を行 った10名のうち、①のように患者が在宅療養開始時から希望したのは1名のみで、ほか9 名は②か③で、医師や看護師(特に医師)の勧めがあってからの導入であった。平岡氏や 他職種も、患者自身から積極的に鍼灸治療を希望する場合はかなり稀であり、大半は医療 者に勧められてから治療を始める場合がほとんどであると語っていた。なお、②と③の医 療者からの鍼灸治療導入の提案をめぐっては、医師・看護師個々人や、所属しているチー ム自体の鍼灸に対する考えが複雑に絡んでいるため、インタビュー内容を踏まえ後に詳述 する(第七章参照)。
[2]鍼灸治療の適応症状と料金形態
ひろせクリニックでの在宅療養が始まる際に、SWやケアマネはクリニックのパンフレッ トを用いて在宅療養の概要について説明する。パンフレットには鍼灸治療について以下の ように記載されている。
「鍼灸師がご自宅に訪問して、症状の緩和のための鍼灸治療をいたします。全身的なバ ランスの調整による症状の緩和を致します。痛み、吐き気、便通、むくみ、リラクゼー ションなど」
「鍼灸治療は、一部保険適応となりますので、詳しくは鍼灸師にご相談ください」
SWやケアマネはパンフレットを用いて通常の在宅療養の説明に加え、上記内容も説明す るという127。この時に患者は初めてひろせクリニックのケア手段の 1 つとして鍼灸治療が あることを知る。適応症状については、パンフレットと同様の内容が他職種からも語られ ていた128。筆者が関わった10名の患者についても、鍼灸を導入するきっかけとなった症状 は痛み、浮腫、腹水が多く、他にも腹脹、神経痛、倦怠感などが見られた129。患者の愁訴 は経過とともに徐々に増悪するようになり、また当初の愁訴とは別の複数の愁訴が出現す るようになるため、平岡氏の対応もそれに応じて少しずつ変化していた。
ひろせクリニックでの鍼灸治療は、基本的には療養費払いの医療保険で行われる130。ひ
127 SWやケアマネが同内容を説明する際の詳細については第七章第二節参照。
128 クリニック全体として適応症状に対して一定の共通理解がありつつも、鍼灸治療の適応の認識や導入の基準について はスタッフ個々人やチームによって微妙な違いがある。詳細は第七章第二節参照。
129 詳細は第六章参照。
130 第一章第二節参照。
ろせクリニックでは、鍼灸治療の適応と思われた症状について担当医師が同意書を発行し、
その同意書に基づき鍼灸治療が行われるという流れである。鍼灸治療の料金については厚 生労働省の規定131に従っている。初検料が1,455円(はり、きゅう併用)、施術料が1,495 円(はり、きゅう併用の場合)、また、往療料が起算拠点からの訪問宅の距離によって金額 が異なるが、最短の0〜2kmで1,860円、最長の8km〜16kmで4,260円であり、一回の 施術につき全額で4,810円〜7,210円(二回目以降は3,355円〜5,755円)となる。一回の 施術の患者自己負担は、1割負担の場合336円〜576円、3割負担の場合1,007円〜1,727 円となる。鍼灸治療は概ね週1回〜2回の頻度で行われるが、週2回の換算で1割負担の
場合2,688円〜4,608円、3割負担の場合は8,056円〜13,096円の患者負担であり、とりわ
け 3 割負担の患者にとっては他の治療費も考慮した場合決して安価ではない自己負担とな る。なお平岡氏の話によれば、ごく稀に在宅療養から入院に移行した際に、患者が継続し て鍼灸治療を希望する場合がある。その際は保険適応とはならず実費負担となり、1回4000 円〜5000円の患者負担となる。
[3]鍼灸治療の開始から終了まで
鍼灸治療の導入が決定すると、その日のうちに担当看護師から電話で平岡氏に連絡が入 る。その後平岡氏は自身で患者宅に電話をかけ、初回訪問の日程調整を行う。治療費や治 療内容の概要を電話で簡単に伝えつつ、「詳細は状態を見させていただきながら訪問時に改 めてお話します」と伝え、その日の電話は終了となる132。
鍼灸の初回治療時は基本的に鍼灸師一人で患者宅へ訪問する。訪問した際に、まずは鍼 灸治療自体を行うかどうかの確認を改めて行うために、料金の説明、治療内容、治療回数、
治療の目的を15分程かけて患者や家族に詳しく説明する。その上で患者や家族から治療す ることの同意が直接得られた段階で、その日その場で鍼灸治療が開始される。大抵の場合 は医師や看護師から治療の概要が説明されており、「症状の緩和のため」に鍼灸治療を行う ということを患者も家族も了解しているため、この段階でのトラブルや治療拒否というの はまずほとんど無いという。治療時間は患者の状態に応じて概ね45分〜1時間である。治 療後には直後の症状の変化について確認し、日常生活上の注意点などを説明する。この段 階で「継続してみますか?」と平岡氏は患者に尋ね、治療の推奨頻度を提示しながら今後 の治療について患者と話をする。この段階での患者の反応は 2 つに別れるようで、一つは 直後に症状の軽減が見られ積極的に治療を継続してみたいというケース、もう一つは治療 による症状の変化はよくわからないがひとまず続けてみるというケースである133。いずれ にしても初回で治療を拒否するケースはほとんど無いようである。
初回治療が終了し、定期的な訪問が始まる。基本的に週1〜2回の訪問で継続することと
131 はり師、きゅう師及びあん摩・マッサージ・指圧師の施術に係る療養費の支給について(平成22年5月24日 保発 0524第4号保険局長通知)[http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken13/dl/01j.pdf]。
132 また、時に治療依頼の連絡以外にも「鍼灸治療の詳細を知りたいから折り返し患者に直接を説明してほしい」という 連絡が入る場合がある。医師や看護師に鍼灸治療を勧められた患者が、関心はあるが治療の受療経験が無く鍼灸治療が どういうものかわからないため、鍼灸師自身が直接説明することを求められるのである。筆者が訪問していた期間にも こうした問い合わせはあった。
133 筆者は2名の初診患者の説明に同席した。1名は前者のように「体が軽くなった」と驚いた柊達子さん、1名は後者 のように「こういうのはすぐにはわからないでしょ。まあちょっとやってみますよ」と答えた島上哲平さんであった。
患者の詳細は第六章にて述べる。