今中は、「現代アート」と「アート」を 5.(非常に合致する)とし、他の呼称に関し ては、合致しないとしている。
福森は、美術の用語である「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」「現 代アート」は 3.(どちらとも言えない)としており、「エイブル・アート」と「障がい (害)者アート」を 0.(意識したことがない)としたことが特徴的だった。
全体的に評価合計が低めであり、著者によってばらつきが大きい結果となったが、
「アート」に関してのみ、全員が 3 以上の評価をつけていた。また、「特定の呼称は 用いない」に関して、今中以外の 3 名が 5.(非常に合致する)と回答しており、日頃 の使用している呼称とその主張と、主観評価の結果の差異がどこで生まれているの か、これらはインタビュー結果とあわせて検証を行うこととする。
7.2 意識調査に関する主観評価結果の相関分析結果
意識調査の主観評価結果を用いた相関分析の結果から、保坂、今中、福森に正の有意 な相関が見られた(表 5.14)。これから著者 3 名の創作活動に関係する目的、理由などの 意識は類似していることがわかった。また、服部・今中の間には有意な負の相関が見ら れた。これは、前述した表 5.13 の結果から、使用する呼称についての意識の差が大き いことが原因と考えた。
作活動との関係」「自身の活動との関係」の、3 つに大別できた。(付録 5.6 参照) 5 名の著者の呼称に関する回答を考察する。
8.1 呼称の原義
各呼称の原義について著者から得られた意見をまとめる。「アール・ブリュット」と
「アウトサイダー・アート」は、美術界では一般的な概念であるという認識は全員が一 致していた。しかし、美術史の著者である保坂、服部の間でも解釈に多少の相違が見ら れた。保坂は「アール・ブリュット」も「アウトサイダー・アート」もほぼ同じ意味を 持つ言葉であるという認識であった。服部は、「アウトサイダー・アート」の方が、「ア ール・ブリュット」よりも広い概念を持つという認識であった。この呼称は二つとも、
個人が生み出した言葉なので、基本的に提唱者の概念を引き継ぐ言葉である。服部は、
「アウトサイダー・アート」という名前が現在、美術界においてインサイド・アウトサ イドの区分をすることが差別であると考えられたり、逆に一緒にすることはインサイド 側に取り込むこととなり「アウトサイダー・アート」が搾取されることにもつながると 考えられたり、ポリティカル・コレクトネスの議論を巻き起こしていることも指摘して いる。
「エイブル・アート」は、播磨が理事長を務めるたんぽぽの家が提唱した、美術界の 概念とは異なる障がいのある人の芸術表現を通した市民による文化芸術運動の呼び名 である。播磨以外の著者もその点の理解は示していた。
「障がい者アート」に関しては、原義に対する意見はほぼなかった。
「現代アート」に関しては、現代作られているアートであれば現代アートである、と いう解釈に二人の美術史の著者も同意はしている。しかし、現代アートの持つ意味はそ れだけではなく、製作者がストラテジックに行うことや、「ひとつのお作法がある世界」
というように、「現代作られている」という意味の他にもコンセプチュアルな意味合い が含まれている言葉であると指摘している。
また、「アート」に関しては、非常に意味の広い概念を持つ言葉として認識されてい た。よって、文脈によって意味合いが変わるため、作品のことなのか創作行為のことな のかなど、意識した使い方が必要となることが指摘されている。また、「アート」は、
美術と訳されたり、芸術と訳されたりするが、感覚的にアートの方が気軽に使いやすい 傾向になることも指摘されている。また、「アート」の源流は生きるための技術という 意味があったのに、美術館がアートを特別なものにしてしまったことや、しかし近年 様々なかたちでのアートプロジェクトが広がりを見せるなど、「アート」自体の意味も 広がり出していることに対する指摘もあった。
著者はそれぞれ、各呼称は異なる意味を持つものであるという認識だった。「特定の 呼称は用いない」において服部は、作り手との関係でどういうアートかは規定し得ない。
社会への落とし込まれ方によって言葉は変わると指摘している。アートと社会の接点で、
アートの概念は立ち上がり、それに適した名前を使用することが必要であると考えてい た。
8.2 障がいのある人の創作活動との関係
障がいのある人の創作活動との関係について著者から得られた意見をまとめる。「ア ール・ブリュット」と「アウトサイダー・アート」に関しては、原義との比較でもわか るが、障がいのある人の創作活動や作られたものも含まれる場合があるが、総称ではな いと指摘されている。しかし、現状、障がいのある人の作品が「アール・ブリュット」
と言われ、国や地方行政も推進している事実がある。このことに、服部はこの運動の意 味を考えたいとしており、今中は、和製アール・ブリュット(日本で使われる「アール・
ブリュット」という言葉)が、障がいのある人の作品として用いられていることに大き な違和感を感じていた。また、播磨は、障がいのある人のアートは未だものさしが存在 していないので、評価が難しく、美術用語を評価軸として代用したために、この混乱が 起きており、それにより新たな権威化が美術館によって行われていることに警鐘を鳴ら している。
また、「障がい者アート」に関しては、総じて批判的な意見が多かった。保坂は、「ア ート」自体が積極的な評価の意味を含むため、「障がい者アート」と言うことで、障が いのある人が作ったものはなんでもアートだと判断される危険性があることを指摘し ている。また、服部は、行政でよく使われているが、「アート」を障がいのあるなしで 区切る不思議な事象であり、この意味を変えずに、呼び名だけ「アール・ブリュット」
に変えようということも不思議な事象であると指摘している。今中は、上記のような障 がいによってアートを区切ることへの違和感に加え、包摂という世界的な福祉の流れと も違和感があることを指摘している。
「現代アート」に関しては、障がいのある人の創作と照らしあわせると、制作者に最 もストラテジーがないのが障がいのある人の創作活動と考えると対極に位置するもの ではないかという指摘があった。また、服部は、「現代アート」のマーケティングに障 がいのある人の作品が組み込まれる現象が世界で起きている事例を述べていた。
「アート」に関しては、保坂は、アートを価値の言葉として考える場合は、障がいの 有無にかかわらず、一定の質が求められることを指摘している。また、服部は、福祉の 人がよくアート活動とは言うのに、芸術活動とは言わないことについて言葉遣いの感覚
に関する面白さを感じていた。播磨は、自己表現をするだけでは「アート」にはならな い。表現を、これも「アート」かな?と見る度合いと、どう見せるかがクロスするとこ ろに「アート」が成立するという持論を述べていた。福祉の人はこのことに対する理解 があまりなく、ただ表現したら「アート」だと思っているということを指摘していた。
また、「その他」に関しては、何か名前を新たにつけるとそこで、カテゴライズされ、
新たなスティグマを生むことになるので、何か新しい言葉をつけるのではなく、使い慣 れた呼称を使用すべきだとという意見であった。
8.3 自身の関心、活動との関係
自身の関心、活動との関係について著者から得られた意見をまとめる。「アール・ブ リュット」に関して、服部は、現在の日本の「アール・ブリュット」現象がどこに向か うのかに関心を持っていた。今中は、原義の「アール・ブリュト」と自身の関心や活動 とは合致する可能性があるが、和製アール・ブリュットには合致しないという意見だっ た。
「アウトサイダー・アート」に関しては、服部は、インサイド・アウトサイドをめぐ る議論やポリティカル・コレクトネスの議論に関心を持っていた。今中は、原義には合 致する可能性があるが、日本の「アウトサイダー・アート」には合致しないという意見 であった。
「エイブル・アート」に関しては、保坂は、行為自体は面白いと思っているという意 見であった。服部は、日本独自の動きとして福祉施設や作品、美術館に与える影響に関 心を持っていた。今中は、自身が行っている活動は市民運動ではないので合致しないと いう意見だった。福森も、自身の活動の代名詞ではないという意見だった。播磨は、作 品を描かせようとか、「アート」としての評価とか、本質でない議論への関心に対し問 題意識を持っており、「エイブル・アート」を通して、他者の痛みにもおもいいたす芸 術を作ることが大事であるという意見を持っていた。
「障がい者アート」に関しては、保坂は、アートの判断が自身の仕事のひとつとして の意識を持っており、障がい者アートは早く無くなって欲しい言葉という意見だった。
服部は、障がい者アートと区切る実例から意義や、メリット・デメリットを考えること に関心を持っていた。
「現代アート」に関しては、服部は、コンテンポラリーアートのギャラリーやアーテ ィストがコラボレートしたがる意味や、インサイド・アウトサイドの垣根を外すのか・
搾取かという議論や構造に関心を持っていた。今中は、「現代アート」という言い方は すんなりと感じていた。「アート」に関しては、服部は、福祉施設でのアートという言