第 2 章 利益調整行動の発生メカニズム
2.3. 企業会計の機能と利益調整
2.3.1.
利益調整の発生要因としての企業会計の機能利益調整行動が発生するメカニズムとしての第
2
の要因は、現在の企業会計 の社会的機能が前提にある。ここでは、現行の企業会計が、どのような社会的 な機能を担っているかという点を明らかにし、利益調整行動の分析の基礎とす る。企業会計の機能は、本来どのような特質を持つものか、企業の発展・変化と ともにどのように変化しているかについての理論、つまり会計の機能に関する 理論もまた、利益調整行動の究明に当たり不可欠な理論領域である。
54 若杉明(1995)「企業会計の論理 [改訂・増補版]」国元書房、pp75-86。
26
2.3.2.
株式会社制度と受託者会計責任今日の資本主義経済における企業の多くは、株式会社形態をとっている。株 式会社制度の二大特徴は、資本主(株主)の有限責任制と株券である。特に、持分 が株式という割合的単位の形態に分割され、有価証券に表章されていることは
、潜在的に企業の所有者と経営者とを分離することを可能ならしめた
(
資本と経 営の分離)。BerleandMeans(1932)によれば、実際、今日の大規模株式会社の株 主は広く分散しており、このような分散株主は、経営に対する支配権をあまり 行使していない(所有と経営の分離)。所有と経営の分離を前提とすると、日々の営業活動に携わる経営者の方が所 有主たる株主よりも企業の実情に詳しいということが、一般的な状況となる。
本来、株式会社は株主のものであるから、株主は自らが委託した財産の運用状 況を詳しく知る権利があり、財産を受託された経営者は株主に顯末を説明する 義務ないし責任があると考えられるようになった。財産の受託者が、委託者に 受託財産の現状と運用成果を説明する(account for)責任は、それが特に会計 を通じて行なわれることから、受託者会計責任
(stewardship accountability)
と呼ば れる55。2.3.3. ディスクロージャーと資源配分
経営者は株主に企業の状況について報告する必要があるという議論は、経済 全体の効率的資源配分の観点からも重要である。
ある企業が、現在は株主でない外部の第三者に対して新株を発行する状況を 考えよう。外部の投資家が当該企業についての情報をあまりもっていないとす れば、その投資家はその企業の株式が有望な投資対象であるかどうかわからな い
(
このような状況を「情報の非対称性(asymmetry of information
」がするという)
。とすれば、その株式がごく平均的な投資対象であるとして.その株式の価値を 見積もることになる。そうした平均的な価格設定でも株式を発行したいとする 企業もあるであろうが、その価格では既存株式の希薄化を招くとして、株式の 発行市場から退出する企業もあるだろう。一般に、平均的な価格でも新株を発 行しようとする企業の株式は、平均価格を下回る価値しかないことが予想され る。逆に、発行市場から退出する企業の株式価値は平均以上であると考えられ る。
経営者や既存株主が、新株を購入しようとする投資家よりも企業の実情に詳 しく、投資家が平均酌な価格設定をするなら、優良企業は市場から退出し、あ
55 受託者会計責任の考え方は、会計理論において、「○○すべきである」という規範論 (normative theory)の基礎として採用されることが多い。
27
まり優良でない企業ばかりが市場に残されることになる
(Akerlof,1970)
。いわゆ る逆選択(adverse selection)である。株式の発行市場で逆選択が生じると、優良な企業は新株発行による資金調達 をしなくなり、優良でない企業が資金調達をするようになる。その結果、投資 家はますます平均価格を引き下げるようになり、したがって、さらに優良でな い企業だけが株式の発行市場に残ることになる。こうしたプロセスが繰り返さ れると、株式の発行市場は漸次縮小し、最終的には消滅することになる。
事情は基本的に債券市場や銀行による貸付でも同様であって、資本市場におけ る金融は行なわれないようになる。企業の事業資金は不足し、社会的な余剰資 金は貴金属などの非生産的な投資対象へと向かうことになる。
【図2 ディスクロージャーと資源配分】
(出所)筆者作成。
企業が事業資金を必要とするならば、自らが他企業と異なって有望な投資対 象であることを積極的にアピールし、より高い価格で(より低いコストで)株式を 発行しようとするであろう。すなわち、企業は自らの状況を投資家に積極的に ディスクローズする誘因がある。また投資家がより有望な投資対象を求めると すれば、それぞれの企業の状況がどのようであるか積極的に見極めようとする であろう。投資家は、コストを上回るリターンがあるかぎり、企業情報を収集
・分析する誘因があるのである。資本市場における情報に非対称性を緩和する ことで、資金調達を望む企業と投資対象を求める投資家の双方の利益になる(パ レート改善になる
)
。このことは、単に企業と投資家だけの問題ではない。投資家にとって有望な 投資対象となる優良な企業は、最終的には消費者が望む財貨・サーヴィスを生 産する企業か、それに関連する企業だからである。資金は、経済的稀少財を購 入する権利であるから、優良企業に多額の資金が流れるということは、消費者 の望む財の生産により多くの資源が投入されることを意味している。したがっ て、企業の状況を投資家に伝え、その株式等を適切に評価することは、経済全 体の効率的な資源配分のために重要な役割を果たすものであるといえる。
28
2.3.4.
ディスクロージャーと法制度企業が自らの状況を積極的に開示し、投資家が企業情報を収集・分析する意 欲をもっている限り、自然発生的に企業内容が開示される可能性がある。実際
、法律によって企業内容の開示が強制される以前から、自発的なディスクロー ジャーは存在していた。ディスクロージャー
(
企業内容開示制度)
は、法律によっ て新たに創設されたものではなく、すでに存在していた慣行を法律が補強した ものであることに注意しなければならない。それでは、自発的なディスクロージャーをなぜ法律が補強しなければならな いのであろうか。法律によらず、自主的にディスクロージャーが行なわれてい るだけでは十分ではないのであろうか。
通常、規制によってディスクロージャーを拡充するのは、情報が公共財とし ての性格をもっていることによって「市場の失敗
(market failure)
」が生じるから であると説明される。情報というものは、いったん作成してしまえば、追加的 一単位を増産するコストが非常に小さくてすむ。コピーをとればよいからである。したがって、情報については、その作成コ ストをほとんど負担しない「ただ乗り(free ride)」が容易であり、ディスクロー ジャーの水準は、社会的に望ましい水準よりも小さい水準で均衡してしまうと 考えられているのである。そこで、法律は望ましいと考えられる水準のディス クロージャーを強制することで、その修正を図っているとされる。
もっとも、自発的ディスクロージャーの水準と規制によるディスクロージャ ーの水準とのいずれが望ましいのかにっいては、先験的には確たることがいえ ない。社会的に過剰なディスクロージャーが行なわれているのではないかとい う指摘もある。現在、盛んに実証研究が行なわれているところである。
現段階で確実にいえることは、主要先進国のすべてが、程度の差こそあれ、
ディスクロージャーを規制しているということである。
2.3.5.
企業会計の情報提供機能会計報告を行なう組織体の利害関係者が意思決定をする上で有用な情報を提 供するという会計の機能を情報提供機能
(
意思決定支援機能)
という。情報提供機能は、会計の重要な機能の
1
つであるが、それが投資家の意思決 定に役立ち、効率的な資源配分へとつながるためには、いくつかの条件が必要 である。まず、会計情報が企業内容についての適切な情報であるとしても、市 場が情報を適切に処理できなければ、効率的資源配分は達成できない。いかに 適切な情報を提供しても、資本市場がこれに応えなければ、会計による情報提 供は効率的資源配分に役立たないのである。資本市場における証券価格が、種々の情報を織り込んで形成されているとき
、市場は効率的(efficient)であるという。より正確には、ある情報に基づいて取 引をしたとしても、リスク調整済投資収益を超える超過投資収益を、偶然の結
29
果ではなく予定したものとして得ることができないなら、市場はその情報に対 して効率的であるというのである(Fama,1970)。市場は効率的であるという仮説 を効率的市場仮説
(efficient market hypothesis)
という。しかし、資本市場が効率的であって、会計情報などの財務報告が投資意思決 定に有用な情報を含んでいたとしても、まだディスクロージャーが有用だとは いえない。会計だけが情報提供機能を有しているわけではないからである。た とえば、株式に投資する投資家にとって、会計情報だけが利用可能な情報とい うわけではないからである。テレビのニュース、雑誌や新聞の記事、知人の談 話なども株式投資の意思決定に影響を与えるであろう。会計情報と実質的に同 じ内容の情報が、別の経路を通じてすでに資本市場に伝わってしまっているの であれば、会計情報が公表されても資本市場は何の反応もしないであろう。
実証研究によれば、少なくとも利益情報は情報内容をもっており、その意味 でディスクロージャーは有用であるといえそうである
(Ball and Brown, 1968
、Beaver,1968、佐藤ほか 1979)。
しかし、利益情報の示唆する内容は、その大部分が公表以前に市場に伝わっ ているようである。
2.3.6.
企業会計の利害調整機能と利益調整効率的市場を想定し、会計方針が注記情報として開示されているとすると、
たとえば、減価償却方法を定額法から定率法に変えたとしても、その旨および 影響額が開示されているため、株価に影響を与えることはできないはずである
。もともと、効率的市場は、情報が伝達される媒体を問わない。財務諸表本体 で開示されていようと、注記や補足情報であろうと、市場の反応は同じはずで ある56。
にもかかわらず、現実には会計方針の変更などによる利益調整があとを絶た ないのである。それでは経営者による会計方針の変更などの利益調整はなぜ行 なわれるのであろうか。
1
つには、実際には投資家が十分に賢く、株価形成に影響を与えることができ ないにもかかわらず、経営者が投資家を騙すことができると信じているという 可能性がある。しかし、市場が反応しないにもかかわらず、経営者が事実と反 することを信じ続けるであろうと考えるのには無理があるであろう。経営者は 会計方針の恣意的な変更によって株価を操作することができないということを 経験から学習すると想定するのが自然である。とすれば、会計方針の変更は、何か別の理由によって生じていると考えるこ とになろう。それは、会計情報が、単に意思決定に有用な情報であることを超
56 むろん、財務報告による情報は、伝達情報などよりも信頼性が高いので、内容が同じで も価格制における意味が異なることはありうる。