第 3 章 異文化間語用論の観点から見た断り発話
3.9 人間関係を考慮したコミュニケーション様式の異なり
本章3の前半で述べたように、マクロ的側面を中心に日本語とアラビア語に見られるコ ミュニケーション様式を探ることが本章の目的ではあるが、ミクロ的側面から考えると、
先行研究で提示されるコミュニケーション様式以外に、様々な様式が見られる可能性があ る。従って、本節では、リナ(2013a)の日本語とアラビア語の断りに関する対照研究の 結果を引用し、人間関係を考慮したコミュニケーション様式の違いを検討する。
リナ(2013a)では、日本語とアラビア語母語話者の断り発話について対照研究を行っ た。具体的に、Beebe et al.(1990)の分類単位「意味公式」を修正したものを用いて、両 言語の断りにおける、意味公式の種類、及び使用個数、出現順序などについて、使用され る断りの談話構造を場面別及び、異なる人間関係別に、比較分析した。調査では、「先生」
に対する断りと、「親しい友達」、「知り合い」の3種類の人間関係を設定した。そして、
調査場面は、依頼と勧誘それぞれ6場面、合計12場面における断り構造を細かく分類し、
比較分析した。両言語母語話者の「勧誘」に対する「断り」と「依頼」に対する「断り」
の比較を、以下の図3-5から図3-8で示す。
図中のJNSは日本語母語話者、CNSはアラビア語母語話者である。
図3-5 依頼における各関係に対する意味公式の出現率-CNS
図3-6 勧誘における各関係に対する意味公式の出現率-CNS
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20%
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60%
80%
100%
依頼に対する「断り」‐CNS
先生 親しい友達 知り合い
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60%
80%
100%
勧誘場面‐CNS
prof Close Mate
図3-7 依頼における各関係に対する意味公式の出現率-JNS
図3-8 勧誘における各関係に対する意味公式の出現率-JNS
調査結果では、次のようなことが分かった。人間関係別に比較すると、日本語母語話者 は相手との人間関係が異なっても、意味公式の使用率には、それほど大きな差はないこと が明らかとなった。一方、アラビア語母語話者は、相手レベルごとに「断り」における意 味公式の使用率が異なる。日本語では、3種の人間関係においても、「謝罪」の使用率に大 きな差はないが、アラビア語では、「先生」に対して、使用率が高いのに対し、「親しい友
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20%
40%
60%
80%
100%
「依頼」に対する「断り」‐JNS
先生 親しい友達 知り合い
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20%
40%
60%
80%
100%
勧誘場面‐JNS
先生 親しい友達 知り合い
達」の場合使用率が非常に下がっている。また、意味公式の出現順序の結果でも、日本語 母語話者は全ての場面相手に対し、(「謝罪」+「理由」)という談話の順序が多く(50%)、 3場面目に出現する意味公式には回答者によりかなりの異なりがあった。一方、 アラビア 語母語話者は「上」の相手(先生)に対し、(「謝罪」+「直接的断り」+「理由」)という、
「親」の相手の場合(「直接的断り」+「理由」)という順序を用いることが多いが、「疎」
の相手の場合に、個人の特徴が現れた。つまり、日本語では全ての相手に対する談話の順 序が形式化しているのに対し、アラビア語では場面相手が異なることにより、多様性を示 していることが明らかとなった。
また、上記の図から分かるように、アラビア語の断りでは、どの相手に対しても、でき る限り「直接的断り」で結論が提示されることが多いのに対して、日本語では結論を提示 するより、「謝罪」で相手の要求に応えられないことに対する申し訳ない気持ちを表明す ることが優先される。従って、リナ(2013a)の上記の調査結果は、本章の前半で見てき たように、アラビア語の断りでは、「直線的」スタイルが多用され、日本語では「螺旋的」
スタイルが多用されることを指示するものだと考えられる。しかし、図から分かるように アラビア語でも、上の相手である「先生」に対して、「親しい友達」とは異なり、談話開 始に「直接的断り」より、「謝罪」が使用されることが多い。例えば、以下の例文が挙げ られる。
(27) (食事の誘い)
学生:maălsh ya doctor ana asef ăndy zorof msh ha`dar aroħ măako.
(ごめんなさい先生、すみません 事情があって、一緒に行くことができません。) (「謝罪」+「謝罪」+「理由」+「直接的断り」)
(DCT調査から)
例(27)から分かるように、「先生」に対する「断り」であるため、結論を述べる前に、「謝 罪」表現や「呼称」が用いられた。これは、人間関係を決めるミクロ的な要因であるため、
結論から談話が始まっていない。一方、以下の例文と比べて見ると、親しい友人の誘いを 断る場面では、結論から談話が始まっていることが分かる。
(28) 親しい友人:băd elmoħadra hanroħ kolna nakol koshary matygy măana.
(授業の後みんなでコシャリを食べに行くけど、一緒に行かない) あなた: ana msh bakol brra w belzat elkoshary msh bykon ħelw.
(私は外で食べない。特にコシャリ。おいしくないから)
(「直接的断り」+「理由」+「理由」)
日本語でも「先生」である力関係になると、以下のようにある程度自己開示の度合いが 高くなる例文も見られた。
(29) 先生:来週の水曜日の授業までに、この教材をコピーしておいて下さい。
学生:すみません。授業の直前までちょっといないんです。
(「謝罪」+「理由」)
(30) 先生:来週の水曜日の授業までに、この教材をコピーしておいてください。
学生:申し訳ありません。来週の授業は実習のためお休みすることになりそうなん
です。別の人にお願いできますか?お役に立てなくてすみません。
(「謝罪」+「理由」+「代案提示」+「謝罪」)
このように、「先生」の依頼を断る際に感じる心的負担が「親しい友達」より高いのは 当然であるため、事情を詳しく述べることよって、許さない状況にあることを述べてFTA を軽減するため、自己開示の度合いが高くなるのであろう。つまり、ミクロ的な要因の 1 つである相手との人間関係が、コミュニケーション様式に影響を与える要因の1つである ことが分かる。3.7.1.1節で述べたように、日本語母語話者は、アラビア語母語話者と比較 すると自己開示の度合いが低い。八代・荒木・樋口・山本(2001:47)によると、「多くの 文化では、自己開示は心を開いて、相手と積極的にコミュニケーションしたいという肯定 的な意志の表れとして受け止められている」。また、日本人は「日本人は形式ばっていて、
なかなかうちとけない」、「閉鎖的だ」、「曖昧なことばかり言っていて、本当の顔が見えな い」のような印象を与える原因の1つとして、自己開示があまりなされないからだと指摘 している。