(Ляшевская, Шаров 2009)をWF単位で数え直し,どの程度カバー率が上昇するのかを確かめる(研 究設問b.).仮に,WF単位で語を捉えて大幅にカバー率が上昇すれば,それはロシア語の派生接 辞の学習が,語彙力増加に有効であることを意味する.最後に,5.4.にて5章の総括を行う.
べての語が既知であっても,a.と b.の全体の意味は非常に不透明である.いくら辞書や他人の助 けがあったとしても,この段階の学習者はまだ語彙力不足の状態にあると言えよう.
Hu, Nation (2000)は,物語の内容理解度とテキストカバー率の関係を調査した研究である:この 研究では,80%の語彙が既知語の状態の被験者に対して,内容理解に関する選択問題と手がかり 再生問題を課したところ,十分な理解度を得られた者はいなかった.結論として,十分な理解を 伴うリーディングには,約98%の語彙が既知語でなければならないとしている140.この98%とい うカバー率をテキスト内の語数に還元すると,50語のうち約1語が未知という割合を表す.
Nation (2006)はこの数値がWF単位でどれくらいの語数になるのかを調査した.結果,カバー
率が98%に到達するには,書き言葉のテキストで8,000〜9,000WF,話し言葉のテキストで6,000
〜7,000WFが必要であるとしている.
上記研究は英語を分析対象としている.では,実際に上述の75〜80%や95〜98%というカバー 率をロシア語で実現するには,どれほどの語数を要するのであろうか.まず,英語のBrown Corpus,
BNC,そしてロシア語のRNC-M,Internet Corpusにおいて,高頻度語がどれだけのテキストカバ
ー率を実現するのかを確認する.
表45. 英露のコーパスにおける高頻度語のテキストカバー率(レマ単位)
語数 英語141 ロシア語142
Brown Corpus BNC RNC-M Internet Corpus
1,000 72.0% 70.8% 60.9% 58.3%
2,000 79.7% 77.5% 69.4% 66.0%
3,000 84.0% 80.9% 74.1% 70.2%
4,000 86.7% 83.0% 77.2% 72.6%
5,000 88.6% 84.3% 79.5% 73.8%
1,000語から5,000語までの高頻度域すべてを通して,ロシア語は英語よりもテキストカバー率が
低い.例えば,英語の高頻度2,000語はコーパス内でおよそ8割のカバー率を実現するが,ロシ ア語のそれは7割未満にとどまる.ロシア語で80%のカバー率に到達するには5,000語以上が必
140 2.3.4.1.で言及したが,Hu, Nation (2000)は他のテキストカバー率による内容理解度も提示している:
a. 90%: ごく一部の被験者しか作品の内容を理解できなかった.
b. 95%: 一部の被験者が作品の内容を理解できた.
141 1章で言及したが,Brown Corpusの高頻度語によるカバー率はNation (2001)より引用した.BNCにおけ る高頻度語のカバー率は,Adam Kilgarriffが公開している頻度リストを元に著者が計算した(参考URL:
https://www.kilgarriff.co.uk/).
142 RNC-Mにおける高頻度語のカバー率はЛяшевская, Шаров (2009: 1063-1064)に基づく.Internet Corpus の高頻度語によるカバー率は,Sharoff et al. (2013)が提示している頻度リストを元に著者が計算した.
要である.また,表には記載しきれていないが,本節の冒頭で言及した95%のテキストカバー率 をRNC-Mにおいて実現するには,レマ単位で50,000語以上が求められる (cf. Ляшевская, Шаров 2009: 1064).このように,英語と同じテキストカバー率に比肩するのに,ロシア語はより多くの 語数を要する.議論を単純化すると,この結果は,ロシア語学習者は言語活動に際してより多く の語を覚えなければならないことを意味する.
次に,TORFLの学習用語彙リストがロシア語コーパスにおいてどの程度のテキストカバー率を
実現するのかを確認する.ロシア語教育においてTORFLの影響力は大きい.多くの教材がこの 学習用語彙リストを参考にしているだけでなく (e.g. Варламов и др. 2005; Жукова 2005; Бондарь, Лутин 2006; Беляева, Луцкая 2008; 沼野他 2012; Богомолов 2012; Головко 2015),大阪大学では
TORFLはカリキュラムに正規導入されている (cf. 林田 2016).そのため,TORFLの学習用語彙
リストがどれだけ有用なのかを,カバー率を通して確認する意義は大きい.
CEFR (Council of Europe 2001)では学習目標が詳細に規定されており,その内容は,外国語学習 者が日常生活においてコミュニケーション行動ができることを目的に作成されている.そのため,
CEFRを元に作られたTORFLの語彙リストは,頻度だけを重視したリストと性質が異なる.つま り,TORFLの語彙リストは,RNC-Mの頻度リストと語彙のラインナップが異なっているのであ る.このリストに含まれる語彙の選定基準は,頻度以外に4つある.
(33)(再掲)TORFLの学習用語彙リストにおける語彙選定の基準 (Андрюшина (ред.) 2014: 5)
a. 文体的に無標であること b. 語結合に加わることのできる能力
c. 意味的な価値(頻繁に出会うものや現象を表すことのできる能力)
d. 語形成の能力 e. 頻度
教育を軸に据えるのであれば,この5つの基準はどれも重要である143.
では,TORFL-1級 (Андрюшина (ред.) 2014)と2級 (Андрюшина (ред.) 2015)の語彙リストはコ ーパスにおいてどれだけのカバー率を実現できるのであろうか.TORFL-1級(CEFRのB1に相 当)の到達基準は,日常生活や社会的・文化的場面でコミュニケーションがとられることであり,
このレベルの試験の合格者はロシア語学習を続けることを条件にロシアの大学への入学が認めら れる144.TORFL-1 級が設定する習得語彙数は約2,300語である.TORFL-2級(CEFRのB2に相
143 a.〜d.の基準を何に求めたのかといった具体的な記述はない.なお,e.の頻度に関しては,いくつかの頻
度辞書を参考にしているという記述はあるが,具体的にどの辞書であるかの説明はない.
144 JCA日本対外文化協会のサイト「ロシア語検定レベル判定基準」を参照した(後述の2級の説明に関し ても同様である):参考URL: http://taibunkyo.jp/staticpages/index.php/exam-level
当)の到達基準は,あらゆる面で非常に高度なコミュニケーション能力を有していることであり,
ロシアの大学で学士,修士,博士候補の資格を取得するには 2 級に合格しなければならない.
TORFL-2級が設定する習得語彙数は約5,000語である.
以下に, RNC-Mにおける両語彙リストのテキストカバー率を挙げる.
表46. RNC-MにおけるTORFL-1級・2級の語彙リストのテキストカバー率(レマ単位)145
RNC-M TORFL-1(約2,300語) TORFL-2(約5,000語)
テキストカバー率 63.5% 73.0%
表が示すように,TORFL-1級と2級の語彙リストは,それぞれRNC-Mのテキストの63.5%,73.0%
をカバーする.これらのリストは頻度以外の基準も含めて語彙を選んでいるため,純粋に頻度だ けで選定された高頻度語のリストに比べてカバー率が低いのは当然である.ただ,可読性などの 研究が示すように,80%に満たないこのカバー率では理解の伴ったリーディングは実現されない し,辞書を用いた読書にも困難がつきまとう.日本のロシア語教材が広く TORFL の語彙リスト を採用している状況を考慮すると,多くのロシア語学習者の語彙力は不足していると言えよう.