2.3. 語の単位と言語研究
2.3.2. タイプと言語研究
2.3.2.1. タイプを用いた研究事例
タイプは,ある語の特定の語形での生起頻度を調べる際に用いることができる.2.2.2.で言及し たように,ロシア語は1つの語が数多くの語形を有している.そのため,ある語が特定の語形で 高頻度に生起するという情報は,それをどの語形で導入するのかを決める根拠となり,教材の例 文を作成する際などに役立つであろう.
また,辞書の見出し語を決定する際にもタイプは活用される:辞書における語形の扱いには統 一性が欠けている (cf. 望月他 2003: 5-8).例えば,動詞CONFUSE「混乱させる」のレマに含ま
れるconfusing「混乱させるような,わかりにくい」という語形は,辞書によっては形容詞として
見出し語を得ている場合がある (Stubbs 2001: 25).この傾向はロシア語に関しても当てはまる.
次の表が示すように,ある特定の語形が元と異なる統語機能を獲得している場合,その語形はそ
のまま見出し語として記載されており,多くの辞書でこの方針が見てとれる.
表13. 辞書における見出し語の比較(表内の斜体は屈折接辞)65
項目
Ожегов, Шведова (1997) Ляшевская, Шаров (2009) Wheeler et al. (eds.) (2007) 東郷他(編) (1988) Тихонов (1985)66
1. a. включать「含める」
b. включая「を含めて」 ○ ○ ○ ○ ○
2. a. казаться「のように見える」
b. кажется「らしい」 △ ○ △ △ ×
3. a. мочь「できる」
b. может「かもしれない」 ○ ○ △ △ ×
4. a. утро「朝」
b. утром「朝に」 ○ × ○ ○ ○
5. a. вечер「夕方」
b. вечером「夕方に」 ○ × ○ ○ ○
表からわかるように,辞書によっては特定の語形が1つの見出し語として記載されている.
形態論は伝統的に屈折と派生に分けられるが,一般に屈折は語彙素の形態を提示し,派生は新 しい語彙素を形成すると考えられる (Bauer 1988).つまり,「屈折とは文中の他の語との関係を表 すために,ある語形において起こる変化を指し,<…> 派生は,既存の語(語根)から新しい語 が形成される方法の多用なプロセスを扱う部門である」(Lyons 1968: 195).この点において,レマ 化されずに個別に見出し語化された語形は,元の語とは異なる統語機能を獲得しており,異なる 語彙素に属しているように映る.例えば,включать/vklûčat'「含む」に副動詞の屈折接辞-я/-â が
付いた表13の1. включая/vklûčaâという語形には,前置詞に現れる言語的特徴が観察される.
(14) <…> в Академию поступило лишь пятеро парней, включая него.
v Akademiû postupilo liš' pâtero parnej vklûčaâ nego.
into academy enter-PST. only five boy including him-PRN.ACC.
65 表内の記号が意味する内容は以下の通りである:
a. ○: 見出し語として記載 b. △: 見出し語の下位項目として記載 c. ×: 記載なし
66 語形成辞典によっては,いわゆる屈折接辞を派生接辞と捉えている場合がある.例えば,表内の4.と
5.の-ом/-omは,男性・中性名詞の単数 格の屈折接辞であるが,Тихонов (1985)はこれを派生接辞とし
て捉えているようである.表では,もし語形成辞典において当該の語が派生語として記載されている場 合は○,ない場合は×と記す.
「アカデミーに入学したのは,彼(主人公)を含めて5人の青年であった.」
(on the web)
ロシア語の代名詞он/on「彼」, она/ona「彼女」, оно/ono「それ」,они/oni「彼ら」は前置詞の目 的語となった場合,斜格形の語頭に н-/n-が付く (АН СССР 1980: 536).(14)の例文では включая/vklûčaâの目的語его/egoがнего/negoとなって現れている(下線部).このように語頭に н-/n-が付いた例が観察されるため,включая/vklûčaâはвключать/vklûčat'の副動詞というよりも,
すでに前置詞的な性質を獲得していると思われる (cf. 匹田 2007)67.また,通常,副動詞の主語 は,主節の主語と一致するが,включая/vklûčaâの場合はそれが一致していない点からも,その前 置詞的な性質が窺える.なお,включая/vklûčaâ は,表 13 のすべての辞書で前置詞として扱われ ている.
表13の2. кажется/kažetsâと3. может/možetはказаться/kazat'sâとмочь/moč'の3人称単数現 在の語形であるが,元の動詞と意味的にだけでなく,統語的にも異なっている.
(15) a. Он кажется ребёнком b. Кажется, он не придёт.
On kažetsâ rebёnkom Kažetsâ, on ne pridёt.
he seem-3.SG.PRS. child-INS. apparently he not come-PFV.PRS.
「彼は子供のように見える.」 「どうやら彼は来ないらしい.」
(東郷他(編) 1988) (16) a. Он может сделать это.
On možet sdelat' èto.
he can-3.SG.PRS. do-INF. it-ACC.
「彼はそれをすることができる」 (on the web) b. Может, он просто любит историю.
Možet, on prosto lûbit istoriû
perhaps he just love-SG.PRS. history-ACC.
「もしかしたら,彼は単に歴史が好きなのかもしれない」
(現行RNC-Mより引用:アクセス日 2017/08/08)
(15)と(16)のa.において下線部のкажется/kažetsâとможет/možetは3人称単数現在の形で,それ
67 匹田 (2007)は,「前置詞らしい前置詞」と「そうでない前置詞」の連続体を記述する際,例えば,以下 の3つの判断基準が考えられるとしている:1)アクセントの変化,2) н-/n-の前綴り,c. 相互代名詞 друг
друга を目的語とする時の前置詞の位置.включая/vklûčaâに関して当てはまるのは,本節で言及した 2)
である.また,3)はweb上で用例が確認されるが,その数は極めて少ない.
ぞれ「のように見える」,「できる」を意味する.一方,b.において,下線部の кажется/kažetsâ
とможет/možetは「らしい」,「かもしれない」といった意味で用いられており,また,目的語を
伴っておらず,統語的にもa.とは異なっている.RNC-Mの頻度辞書 (Ляшевская, Шаров 2009)で は,b.のкажется/kažetsâとможет/možetには副詞として別個の見出し語が与えられている.こ れらは,英語でいうprobably「おそらく〜」やhopefully「願わくは〜」といった文副詞(sentence adverb)のように捉えられているのであろう.
表13の4. утром/utrom「朝に」と5. вечером/večerom「夕方に」は,ぞれぞれ名詞утро/utro「朝」
とвечер/večer「夕方」に単数 格の屈折接辞-ом/-omが付いた形である.これは, 格がもつ「〜
を利用して,用いて」といった道具・手段の意味と関係していると推測されるが,通時的な意味 変化を経て,現代ロシア語では「朝を利用して→ 朝に」,「夜を利用して → 夜に」といった副詞 としての用法が定着したのであろう (cf. 井上 2015).ただ,Пешковский (1956: 143)は,副詞とし て固定化した格は本来的な格とはアクセントと意味の 2 点で異なるとしているが68,4.の
утром/utromと5.のвечером/večeromにはアクセントの移動という現象は起きていない.さらに,
以下の例文のように,定語の存在によってутром/utromやвечером/večeromが名詞の 格形なのか,
名詞から派生した副詞なのか判断が難しい場合も存在する.
(17) a. Ранним утром я отправился гулять.
Rannim utrom â otpravilsâ gulât'.
early-ADJ.INS. I leave-PST. walk-INF.
「朝早くに私は散歩に出かけた.」 (Пешковский 1956: 145) b. Рано утром я выхожу за газетой.
Rano utrom â vyhožu za gazetoj.
early-ADV. I go_out-PRS. for newspaper
「朝早くに,私は新聞を取りに外へ出ます.」
(現行RNC-Mより引用:アクセス日2017/9/23)
通常,形容詞は副詞を修飾しない.だが,(17)の a.では形容詞 ранний/rannij「早い」が定語とし
68 例えば,副詞бего́м/begо́m「走って」は,бег/beg「走ること」の単数 格бе́гом/bе́gomとは意味とアクセ ントの点で異なっていると思われる.
Он прошёл ещё раз, теперь уже быстро, почти бего́м.
On prošёl eŝё raz, teper' uže bystro, počti begom.
he pass-PST. one_more_time. now already quickly almost
「彼はもう一度通り過ぎていった.今度は素早く,ほとんど走っていた.」
(現行RNC-Mより引用: アクセス日 2013/9/24)
てутром/utromを修飾している.一方,b.では副詞рано/rano「早く」が,副詞утром/utromを修 飾している.いずれにしても,このような特定の語形は異なる統語機能を獲得していると考えら れる.これは,辞書や学習用語彙リストにおいて特定語形を別個に記載する十分な理由となるで あろう.
また,特定の語形の生起頻度が高い場合,この情報は教育上別の見出し語を設定した方が良い とする根拠となろう:例えば,Sketch Engineを用いて,自作の100万語コーパス1号(4章参照)
を調査すると,утро/utro と вечер/večer の各語形の中で,単数 格形が突出して高頻度に生起し ていた.また,それらのほぼすべての例が 格を要求する前置詞や動詞の支配ではなく,単体で 副詞的に用いられている.
表14. 自作100万語コーパス1号におけるутроとвечерの生起頻度
全体の生起頻度 単数 格形の生起頻度 副詞的に生起している例
утро 235 97 95
вечер 223 90 89
特定の語形がこれだけ高頻度に副詞的に用いられていれば,応用言語学的には別の見出し語とし て記載しても良いであろう.
さらに,特定の語形の生起頻度が他よりも突出して高い場合,それは学習者にまず提示すべき 語形として考えることができよう.例えば,Evi Šteinfeldt は,случай/slučaj「場合」は前置格 случае/slučaeの形で,удовольствие/udovol'stvie「満足」は 格удовольствием/udovol'stviemの形で 生起する頻度が多いことを示し,「名詞の様々な格の形態を比較することで,ロシア語教育におい てどのような順番でこれらの形態を提示すべきか,という情報が得られる」(Šteinfeldt 1973: 34)69と 述べている.現行RNC-Mで調査をしても同様の結果が得られる70.これは,前者が前置詞в/v「中 で」を伴って в случае/v slučae「の場合には」,後者が前置詞 с/s を伴って с удовольствием/s udovol'stviem「喜んで」というコロケーションで高頻度に生起するためであろう.
(18) a. А что муж дарит вам в случае победы?
A čto muž darit vam v slučae pobedy.
now what husband-NOM. present-PRS. you-DAT. in case-SG.LOC. victory-GEN.
69 Šteinfeldt (1973)のコーパス(3.3.1.参照)において,случай/slučajは前置格が,удовольствие/
udovol'stvieは 格が全体の約半分の生起頻度を占める(ただし,単数と複数の区別の記載はない).
70 現行RNC-Mにおいてслучай/slučaj全体の生起頻度は196,301である.そのうち,単数前置格の生起頻
度は96,561であり,これは全体の49%にあたる.удовольствие/udovol'stvieも同様に,全体の生起頻度
(36,089)に対して,その39%(13,937)が単数 格形で生起している(アクセス日 2017/9/23).
「それでは,勝利した場合,夫はあなたに何をプレゼントしますか?」
b. Я с удовольствием пойду к вам на репетицию.
 s udovol'stviem pojdu k vam na repeticiû.
I with pleasure-SG.INS. go-PRS. towards you to practice
「私は喜んであなたのところに練習へ行きます.」
(現行RNC-Mより引用:アクセス日 2017/07/31)
自作の100万語コーパス1号を対象として,Sketch Engineにてслучай/slučajと共起する語を確認 すると,前置詞в/vとの共起関係が非常に強いことがわかる(共起頻度502,LogDiceスコア71 9.29). удовольствие/udovol'stvieも同様に,前置詞с/sとの共起関係は強い(共起頻度32,LogDiceスコ ア 7.02).このように,高頻度語に関して,特定の語形で頻繁に生起するという情報が網羅的に 整備されていれば,それは教材作成の際に大いに役立つであろう72.
他にも,格と生起頻度の関係を扱った言語学的な研究でもタイプはおおいに役立つ:ロシア語 の名詞は, 性(男性・女性・中性), 数(単数・複数), 格(主格・生格・与格・対格・ 格・前 置格)によって形が異なり得る.下の表は,名詞の複数形が格によってどのように形を変えるか を示している.
表15. 名詞複数形の格変化(語末の文字別)
語末 の文字
男性名詞 中性名詞 女性名詞
子音 -й -ь -о -е -а -я -ь
主 студенты герои писатели места моря газеты недели жизни
生 студентов героев писателей мест морей газет недель жизней
与 студентам героям писателям местам морям газетам неделям жизням 対 студентов героев писателей места моря газеты недели жизни
студентами героями писателями местами морями газетами неделями жизнями 前 студентах героях писателях местах морях газетах неделях жизнях
複数与格,複数 格,複数前置格は,男性・女性・中性に共通して語尾が-ам/-am, -ами/-ami, -ах/-ah
(硬変化),-ям/-âm, -ями/-âmi, -ях/-âh(軟変化)である.複数におけるこれら3つの格は, 現代ロ
71 LogDiceスコアとは,語と語の結びつきの強度を示すダイス係数を対数化した指標である.コロケーシ
ョンの抽出を目的とした研究などにおいて用いられる.
72 望月他 (2003: 5)は,flabbergast「びっくり仰天させる」に関して辞書によってはflabbergastedだけを見 出し語にしていることに触れ,それはこの語形が最も頻繁に用いられるというコーパスの情報を利用し たのだろう,と述べている.
なお、блестеть/blestet'「輝く」の能動形動詞現在の形блестящий/blestâŝij「輝 かしい」が多くの辞 書で元の動詞とは別個に記載されているのも,頻度の高さや用法の違い(「より〜」 を意味する
более/boleeが付く,など)を考慮しているものと考えられる.