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3.1 コミュニケーションとしてのアウトプット

新学習要領の中で強調されている「発信力」について、齊藤(2008)は「実践的コ ミュニケーションの育成」の課題であると指摘している。齊藤はその著書のなかで、

生徒の自己表現力を伸ばすための授業改革、教師改革への提言を行っている。しかし、

EFLの環境の中でいかにアウトプット活動を確保していくのかは、日本の英語教育に とって頭の痛い問題である。1クラス40名の規模、ALTの不足、英語教員の指導力と、

日本の高等学校は、文部科学省の目標とする英語力の育成のためには、必ずしも望ま しい環境であるとは言えない。教室外で英語に触れることがほとんどないという日本 の言語環境の中では、アウトプットは、授業時間内に少しでも多くその機会を確保す ることが求められるが、現状では教師の負担は増えるばかりである。

旧カリキュラムでは、オーラル・コミュニケーション重視の名のもとに会話練習が 増え、アウトプット不足を補おうとした。しかし、会話練習に割いた時間の分、書く 活動は減っていたのではないかとの指摘がある(鴨下, 2010)。しかも、未だに、日本 人の会話力は低いと評価されているのであるから、結局、授業時間を費やした会話練 習は功を奏さず、オーラル・アウトプットの向上にもつながらず、ライティングの練 習不足だけが問題として残ったのである。会話練習を、単なる「行動」ではなく、発 信力を増やすためのコミュニケーション活動として捉えていたなら、発表の下書き、

発表内容の要約、など、「書くこと」は「話すこと」と共に活かされたのではなかった だろうか。ダイアログの音読をスピーキング活動と呼ぶのは、教科書を書き写すこと をライティング活動と呼ぶのと同じである。残念ながら、当時、自分の周囲にそうい

う教師は相当数いた。旧カリキュラムではライティング活動が停滞していた、という 鴨下(2010)の指摘は、先に述べたように『平成 24 年度「外部検定試験の活用によ る英語力の検証」報告書』からも充分妥当性が感じられる。

こうした反省から、現行カリキュラムの「4 技能の統合」、「発信力の育成」という 目標が生まれてきた。「発信力」をコミュニケーションと結びつける上で、即時性の問 われる「話すこと」よりも、時間的にも精神的にも準備の時間が与えられる「書くこ と」のほうが、生徒の側からは安心して取り掛かりやすいのではないか。また、教え る側からも、生徒の学習を継続して観察しやすいのではないか。「書くこと」には、そ れ独自の意味と価値があるのは言うまでもないが、アウトプットの技能であるという 特徴も、学校教育では重要な側面であると考える。

3.2 ビジネス社会の要請

社会の要請として、ライティング力がますます重視されるようになってきている。

ビジネスを世界規模で考えなくてはいけない時代であること、またそれを支える情報 網として、世界を瞬時につなぐインターネットが発達してきたことが背景にある。ビ ジネスの共通語が英語であるため、英語で交渉し、プレゼンテーションをするスピー キングの力も当然必要とされる。しかし、とりわけノンネーティブ間のやり取りの場 合、後に形の残るメールでのやり取りのほうが安心・安全であり、また時差による障 害も最小限に抑えた上で情報の共有が素早くできる。最終的に商談や契約に必要とさ れる書類には独特の表現やフォームが必要とされ、習熟するには専門のスキルが要求 されるだろうが、少なくとも契約に至るまでの交渉において英文のメールを送れるだ けの力があれば、ビジネスの機会は大きく広がることになる。

しかし、現実には高校での学習が大学の専門教育につながってはおらず、大学のラ イティングの達成目標としてE-メールによるコミュニケーションを設定した研究で は、高校段階でのアウトプットが不十分、もしくはほぼ何もなされていなかったこと が指摘されている(鴨下, 2010; 山西, 2011)。

3.3 ライティング指導の抱える問題

高等学校の現場では、ライティング指導が進んでいない。柏木(2016)は、ライテ ィングを構成する要素としてRaimes(1983)の分類を紹介し、そこにフィードバック の問題が加わる複雑さから、ライティングは「外国語学習・教育の4技能の中で最も 複雑で人気がないと言われている」と述べ、ライティングには具体的な指導方法や評 価方法の研究が進んでいないことを指摘している。

また、ライティングの研究動向を、全国英語教育学会の学会紀要 ARELE を使って 調べた大井(2014)は、1989年から 2009年までのライティング分野における掲載論

文が、おおよそ1割程度であると述べている。高等学校の教員が、研究誌への投稿を 行うことは多くないため、大井の研究は、そのまま高等学校の実情を反映しているわ けではないだろうが、経験上も、やはり高等学校でライティング指導に力を入れた実 践を身近に感じることは少なかった。

ライティングの指導が進まない理由について、以下の事が考えられる。

(1) 指導力に対する不安

生徒の作品には不自然な表現、文法の誤り、構成の拙さなど、添削をするとすれば、

1作品にかなり多くの時間を割かれることになる。第1言語の日本語の小論文指導に おいても手間のかかる作業を、教師にとっては第2言語となる英語で行うことを躊躇 する者が多いのは当然と言えよう。更に、間違いの訂正フィードバックをするべきだ という信念を持っている教師にとっては、ALTの協力を仰げるかどうかが重要な鍵と なる。全ての誤りには訂正を行うべきだと考える教師には、誤りを訂正できる自らの 英語力に自信があるか、ALTが協力してくれるのでなければ取り組まないというall or

nothingの考えに陥りやすいのではないか。

(2) 指導時間の確保

上記のように、ライティング活動への取り組みは、教師にとって時間がかかるが、

生徒にとっても、また時間がかかるものである。昨今では、教科書の進度を他クラス と足並みをそろえ、学年統一の定期テストを受けることで評価の公平性を保とうとす る考え方が主流である。そのため、ライティングを指導する場合は、他の教員の理解 と協力も必要になる。授業中に「書くこと」をプロセスから指導してプロダクトとし て作品に仕上げるには、最低でも1時間(50分)の授業が必要になるだろう。一度の 活動で効果の現れるものではないため、継続的な取り組みが必要となる。現状に加え、

新たな活動を取り入れるためには、その分新たな時間を確保しなければならないが、

そのような余裕はないと思う教師は多いのではないか。

(3) 目標と評価基準の設定

例えば、語彙指導のゴールは語彙の定着で図ることができる。生徒の側にも指導者 の側にも、到達度は点数化しやすい。しかし、ライティング指導のゴールは何か。何 がよいライティング作品なのかは採点者によって異なり(Leki, 1995)、要求される作 品のスタイルはジャンルによって異なる(Hyland, 2013)。高校生にとって何をゴール とするのか。「「各中・高等学校の外国語教育における「CAN-DOリスト」の形での学 習到達目標設定のための手引き」(文部科学省初等中等教育局, 2013)の中では「現段

階では,「CAN-DO リスト」の形での全国一律の学習到達目標は示していません(p.31)」

と述べられており、明確な到達目標は現場に任されている。しかし、その後、高校卒 業時の目標として示されたCEFRの「興味関心のあることに対して短い英文を書くこ とができる」とは、どの程度の完成度を要求しているのか、具体的な評価基準を単独

9 の高校現場で設定し、考えるのは難しい。

(4) モティベーションの維持

目に見える成果が現れるとモティベーションは高まり、学習の好循環が期待できる。

しかし、上に記したように、具体的な評価基準を決め、何をもって到達したと評価す るのかが難しいため、成果を可視化することは困難である。学習者である生徒自身に も、上達を実感させることが難しい。単語テストのように、細かい点数刻みの成績を フィードバックすることができないので、モティベーションの維持を図ることは難し い。

(5) 生徒の英語力への不安

受動的語彙と能動的語彙にはギャップがある。アウトプットの指導はまず、能動的 語彙を増やし、ある程度の文法力をつけてから始まるべきだと考える教師も多い。生 徒には受動的語彙すら充分身についていないと感じている教師だと、ライティングは 生徒にとってのハードルが高すぎると考えるのではないか。事実、英作文を恐れる生 徒は多く、取り組む前から「書けない」、「無理」と拒否反応を示す者もいる。生徒に 向けて、アウトプットへの不安を減らす指導をするためには、教師側の「うちの生徒 には無理」という思い込みを解決しなければならない。しかし、教師自身が学生とし て受けたライティング教育が、語彙、文法を積み上げたボトムアップの指導によるも のであったため、高校生がコミュニケーションを図れるような、まとまった文章を書 けると考える教師は多くないようである。

これら教師側の問題は、自らが高等学校に勤務してきた経験を通して、実際に直面 した事例であるが、2018年に行ったアンケート(小見山, 2018)の結果からも、多く の高等学校で抱えている問題であることが明らかになった。時間外労働してでも生徒 作品の添削をする、間違いの箇所だけ下線を入れるなどフィードバックを工夫する、

教科書教材の要約を書くことを宿題とする、など個人レベルでの取り組みはあっても、

指導法やアプローチが共有され、研究されているものはないのが現状であった。