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﹁膏頭巾﹂は︑その作品構成において︑一見侠庵術師という大徳の威力を顕示一圃嘆したものの掴くであるが︑作品の中桂

は︑篤学修行の聞こえもめでたい高僧であったにもかかわらず︑ふとしたことがきっかけとなり︑あげ︿の来てに鬼と化

さざるを得なかった人聞の﹁直くたくましき﹂性そのものの描出にある︒そして︑この作品の値構成や描写に関しては世

来︑様々な原拠町指摘があり︑それらに秋成が︑多くの一不睦を得たであろうことは︑本文と昭合すれば自明である︒とり

わけ

︑﹃

水殿

町伝

﹄や﹃鈍遭遇鑑﹄︑あるいは﹃都鳥委主苗﹄﹃怪践とのゐ謹﹄などな

ど ︑

郎分的な箔写や梅山想に︑大なり小な

り嫌々な古今の作品が投酷していることは周知のことである@

ところで︑この高僧伝説話円形式をとったこの作品町一つの山崎は︑まずは次の郎分にある・?Zす

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たしかに︑ここには︑人聞の霊欲への執磐

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そのまま鬼と化す︑おぞましいまでの聖貌ぶりがリアルに描出されて

いる

︒ところで︑こ町︑かつては篤学修行の聞こえもめでたかった僧町︑異常な執世帯的世界への転身の描写をかくもリア

ルに描出し得た︑その力はどこから招来したものであろうか︒﹃

雨月

物回

目評

院主の﹃昼明﹄に通ずるものがあったかどうかを問う必要はない︒﹂とされているが果︑してそうか︒もちろん︑これらの鬼

﹄釈(角川}町解説では﹁ここで作者のうちに

のイメージは︑先に掲げた︑この時代の草子類などにおいて︑一つの確たるものがことばによって与えられていた︒世つ

てある面では︑年行の同商向の路作品の酷しの進め方と共通する極分のあることは包め得るのであるが.しかし

これ

を︑秋成町手になった作品であるという点に力点を置いて且直す時︑我々は次の雪量にぶつかるのである︒

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きる にて もか の憎 の鬼 にな りつ るこ そ︑ 過去 の因 縁に てぞ あら め. そも 平生 の行 徳の かし こか りし ほ︑ 仏に つか ふる 事

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と化したるもひとへに直︿たくましさ性の

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と︒ここにおいて︑秋底は︑この阿閣制械がこのようなあきましい所業をしでかしたのも﹁過去の因縁﹂であり︑又﹁無

明の業火の燥なる﹂によって鬼と北

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︑それはまた﹁ひとへに直くたくましい性﹂に基づいているのであるとしている︒

が ︑

高図衛氏は﹃上田秋鹿研究停盟﹄﹁珪監の思想﹂において﹁秋庇は︑鬼と化した僧の行為を︑﹃ひとへに直くたくましき性

﹁膏

頭巾

﹂と

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﹁膏

頭巾

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7l l のなす所﹄としているわけである(﹁過去の因縁にてぞあらめ﹂ということばには︑ほとんど意味がないJふしぎという

のはその前で︑ニこでは︑霊童を喰い︑墓所の屍向をあばき喰うという鬼業が︑ほとんど無条件で神都化され︑あるいは︑② 肯定されているという感をうけないであろうか︒﹂と︒しかし︑この解釈は少しく問題があるのではなかろうか︒高田氏は

﹁過去の因縁にてぞあらめ﹂ということばには︑ほとんど意味がない︑とされるが︑払はそうは解さない︒秋成のこの士章

では

︑﹁

過去

の因

縁﹂

﹁無明の業火﹂と﹁ひとへに直︿たくましき性﹂とは︑三位一体の意味概念として捉えられている⑨ と考えるからでゆる︒文︑高回氏は﹁﹁莫くたくましき性﹄とは︑通常は﹃真直ぐ思いこんだらどこまでも撤する貴闘﹂﹃一

本気で強気な性質﹄と解されているが︑この解が当然で︑どちらかといえば︑批判というよりも輯静仁類するものである︒

すくなくとも︑在った憎の鬼業にたいして︑ふさわしいことばでありえないという呉和感を︑通常のモラル町立場におい@ 

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読者

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だが﹁直くたくましき性﹂とは︑この場合︑謝辞の意を含んでいるであろうか︒たとえ﹁直くたくましき性﹂の意が︑

中村幸彦氏の解される﹁}本気で強気な性質

︒﹂

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胆大

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一六

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文不知の僧と剛被木簡の民とには必@ ず無の見成就の人あり﹂左いうと同じ見解﹂であるとしても︑この文章に即して考えるとき︑私は旗辞とは解せないと思

う︒それは︑むしろ︑人聞の実存そのものにかかわる哀しみであり︑まさに無明に業火そのものの置であるはずだと思う︒

一度び火がつけば消し去ることの出来ない︑曲到な生そのものを指して﹁直くたくましき世﹂といったのだと思 う︒その見地から考えると︑先に引用した中村氏の大系本の頭注も︑やや意味がずれはしないだろうか︒

だと

する

なら

ば︑

更に両国氏がいわれる﹁﹃縁起諭﹄の思想と︑﹃直くたくましき性﹂という人間指定の思想とが︑水と捕のような別物のま

命 山 Vま︑ないまぜられている﹂という見解へはこの結合尭展しないであろうし︑世って文︑﹁直くたくましき性﹂という秋成町⑥ 表現が︑そのまま賀貰真淵町生命思想町線畳という方向へ連載させて考えるのも︑やや性急すぎると思うのである︒

豆︑

だから

回氏は﹁稚児を置し︑それを失って悲嘆し.その毘肉を喰︑つというグロテスクな僧の霊執の鬼化の︑そのイメージは悶夜

の廃寺の妖世として描かれ︑ちょうどそのイメージ自体のカタルシスのような形で︑凄壮な︑氷の朝日にとけ

るが

ごと

美しい昇警のイメージを結ぶのである︒これを逆にいえば︑山林桂生した僧町︑朝日に映えて散らばる骨

の凄壮が僧町

グロテスクな置執ゆえの妖桂化を︑櫨の本肱棋の生患において浄化するのであり︑このような可逆のモチーフのなかに位置

するかぎ叫﹃直くたくましき性﹄はそうしたイメジの重層において︑むしろ安定したことばとしてうけとることができるのである﹂とも述べられている︒この高岡氏の把纏は重厚なのだが︑一つ疑問がある︒それは︑阿閣刷機はほんとうに悟

遣し得たのかどうかということである︒﹁膏顕巾﹂町場合︑阿閣梨は自力で悟道に遣したのではない︒﹁禅師に一喝され︑車

を撃たれることによって︑はじめて﹁氷の朝日にあふがごとく消えうせ﹂ることが可能であったわけである︒阿閤梨自身

の﹁直くたくましき世﹂においては︑人聞の肉を喰いたいという執念が.禅師の指し一不

した

証置

二句によって教われた

いという執念に振り向けられたといヲだけで︑何等執念は消え去ったわけではなかったのだ︒それ故に﹁臨のやうなる人

町︑僧俗ともわからぬまでに毘聾もみだれしに︑葎むす日ふれ︑尾花おしなみたるなかに︑蚊の鳴くばかりのほそき音し

て︑物ともきこえぬやうにまれ/¥唱ふる﹂という形態において残存していなければならなかったのである︒それは︑さな

がら

﹁ 二

世の緑﹂の

土中 から煽り幽された僧の聾と重なるわけで︑まさに﹁執ね

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﹂所行であったのだ︒秋成がこの都

分の描写に当時の高僧伝説話や﹃都島妻恋苗﹄などのイメージを下敷きとして使ったために︑一見︑高田氏のいわれる

如き︑カタルシスのような望しい昇慈のイメージを︑われわれに抱かせるにすぎない︒秋成の意図は︑やはり︑阿岡梨の

﹁直くたくましき性﹂そのものにまつわる﹁教ねさ﹂にあった︒

そこ

で︑

私は

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のよ

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﹁毎

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﹁直

くた

くま

しき

﹂という︑緩めて有

劫な表現を為しえた︑秋成の深層の意離との関悟はどのようであったのか︑について考えてみたいと恩う︒先に示した﹃両

﹁脊

頭巾

﹂と

﹁二

世の

緑﹂

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秋成

凝視

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