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まくらにたておきしよ旬︑かのあやしき女︑窓よりのぞけ共内へはいらずそれ放長次郎儀も次第に達者に土づよくな句︑夜ぜん

七日にあたれば大事の所とぞんじ︑剣を夜着の内へ入れて寝申候ところに︑︿だんの化女窓を磁ゃぶり︑向へ

ったてんとする所に︑ァ︑ラふしぎや︑にはかにどろ

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といふやいなや此剣おのれと夜着の内よりぬけ出︑倶利伽轟のごとく︑不

動のごとく︑火焔をはゐて︑くだんの化女が右のかひなを︑づっぽときっておとしたりそれより長次郎は︑夢のさめたる機にて︑

今日はねにかはる事御慶な︿候︒‑両日中に御礼仁は︑参上つかまつり候はんが︑先とりあへず御礼ゅよる是がすなはちばけも

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初期創作憲民の構造ll極り﹂から﹁寓

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と︑ここまでの展開は.いかにもまことしやかではあるが︑実はまっかなうそなのである︒それは三人が仕組んだ大芝居

であったのである︒即ち﹁本より此三人は︑見せ物芝居へか︑る者どもにて︑此たぬきの手︑つゐみせては銭にならぬゆ

ゑに

︑ 亀浦樽之進殿町行力によってといひたてにして︑くだんのばけものぱなしを︑看ぱんにか︑せて︑由比が棋の大関

帳に︑韓の五六百買もしてやる分ぺっ︒名の高い橡之進を名だいにたてんばかりにからくみたる事﹂であった︒ところが

様之進は律義な祈待師であるが放に︑﹁ょこ手を打て︑是ひとへにわれらが行力のいたる所その腕在家にさしおかれは︑

置辺町姐母じやといふて︑取かへしに来まい物でもない︑行力にて得たれば︑此方町宝物ともまかりなる物︑此方におゐ

て晴られよ﹂という︒かくして三人は困りはて︑﹁是非とも持ていなふといふ﹂しかし︑樺之進は﹁此方的行力にて得た

るかひなを︑むりにほしがるは其意得ず﹂と頭から自分の祈祷の力だと償じこみ︑あげ︿町呆ては︑﹁貧瀬戸町長次郎﹂と

直長判しようと言い出す姑末︒が︑もともと︑賞瀬戸という所も長次郎も︑三人がでっちあげたこと故︑実在しないが︑い

い争うほど︑ますます三人は︑職京をおさえられることとなり︑とうとう遺げ出してしまった︒そのような︑たくまれた

はなしとは露しらぬ律義者の織之進︑三人が持ち込んだ化ものの腕(実は哩のかひな)を自分の祈祷のカと思い込みま

ずは︑己の家主として長く梶つために

︑﹁ けだ もの の腕

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つきやすい﹂ということで︑これを友人の浪人一戸図治部八

にうなぎをやく時のけぶりでくすべて欲しいと﹄たのむ︒ところが︑浪人は自分ではやろうとせずに

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に言いつけて外へ遊ぴに出る︒言いつけられた﹁膏二才﹂はここを大事ーと︑火にかけてまつくろに焼いてしまう︒困り

果てた浪人戸図治部八は︑次のょっなまことしやかな作り話しでも

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と︑いう次第で︑最初主人が仕組んだうその話は更にエスカレートしてますますその虚は莫実なるものに酌監して行︿

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ということである︒そしてその末尾に

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八文

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全集

( 扱

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)第

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巻収

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以上の展開において︑最初に仕組まれたうそは︑まさに﹁紹となり蝿﹂となって︑植後に入り組んで︑そのまま真実ら

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わせにあることを鋭くえぐりぬしている︒三人の仕組んだはずの大芝居が︑一人の徳義な男のその律義さ故に︑﹁車﹂はそEのまま﹁真﹂に衷身

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︑そして︑そこからは真実なるものとしての歴史的有効性を尭揮して行くのである︒あげくのはて

は︑その韓起働省とともに﹁蒋睦の箱﹂に納められ︑末代までも人々の信用をかちとるのである︒ここに人聞の心理の襲が

見事に描出され得たのである

︒(

れと類似の話に西鵠﹃懐匝﹄巻之一

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南畿の示したこの通話は

﹁どっと畏い﹂の苗ではあるが︑世々の日常の思障の中にこの種のたぐいは実仁多い︒のみならず︑人聞の歴史という一見

正当なる毘麓の中にもこの櫨のものが多く介在しているのではなかろうか︒そこに︑歴史毘後への痛烈な皮肉がうかがえ る円である.秋成が﹃世間狼﹄町中で示している﹁うそのまことの真のうそで︑おもは︿は︑我がころより出て︑人の 口にかはりゆき.闘となり蝿となる﹂とは︑以上町置しにあてはめると明白に理解できるであろう︒秩成は︑この序をし

たためる陪に︑この南舗の一匹をおそらく思い浮かべたにちがいない.そして︑釈辺町教えも荘子のそれも︑長い長いと

てつもない入聞の歴史のうねりの中で個々の人

聞の

﹁我がおもは︿﹂により︑線々に聖忙し︑何が真実で︑何が庄である

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いることを指摘する︒そこに秋成町四円相対的思惟のそも

出量があったにちがいな

ぃ︒﹁文無し其の散を知らず︑四歳母亦槍つ今歳七十五ぁ︑天何の為に我を生みしゃ﹂(自像富配)と︑後年記すご

とく︑秩埠はいかなる絶対的なるものも信じられないというぎりぎりのところから幽聾したのである.近世︑なかでも歓

底的生きた江戸時冊後聞は︑まさにあらゆる信条町放射が無限に飛ぴか円程凱のうずの中にあっ子もそれ故に︑宜長は︑

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酌世界を絶対化し︑信抑に近い情熱を古代神道にかたむけたのである︒そ

の也織は︑この秩成の毘笛と表裏の関係にあるものであった︒曹棄に絶対的信頼を寄せた宣長と.その富聾こそ虚偽

の世

界を形成すると確信する秩底とは︑ともに同一の問題意後に撞くかかわりながら︑捜本のところで畢厳していたのである︒

﹁意吉事﹂という椀量的思畿によって︑その実体および歴史的痕酔にまで地に足つけて歩いて遡れると惜じた宜長は︑

② その意味で幸せなオプチミストであった・避に般本的に自己の存在の出量さえおぼろげで︑きだかではない秋成にとって

は︑まずもって雷業は阜であり︑偽であることに敏感であった・避に握であり偽であることを知り尽して︑そこに逆に遊

び︑そして真実を求めようとした・

1 1

ここに暁年の﹃参両物語﹂の世界町生まれる級元があ旬.豆︑﹁血かたびら﹂のあ

の限りなく寡黙な平織帝描也のカギがある︒

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植の場合は虚業であることを前撞にして︑そこから﹁歴史と文学﹂にかか

わり︑そして真実なるものを見つめようとしたが︑真実なるものは冊も撞の前には幸をあらわさなかった︒はじめからす

べてが庄であり︑零であり︑主であった︒換言すれば.最初から矛盾を自己同一化

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かる盟燈からの出量であるが故に︑桂をとりまく︑微々な社会的︐象がとてつもなく滑稽に︑そして奇妙に植にはみえた

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内﹁世間舗とに盤戦されている畳場人物町一つ

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︒が︑そういった盤町田に入り︑耳に入った人物たちの生きざまや風体を具につかみ︑一方ではそれを言葉という

虚の世界に融解させることによって︑現実の人聞の毘織においては見えて来ない真実の世界が︑置に鮮烈に具象化され︑い

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かも︑この精神は晩年の﹃胆大小心碍﹄の世界にまで継続されるとともに︑一

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・かくして︑我々は﹃我微かれて又人をあざむ︿也︒隼人を刺す︒また︑人にさきるれども︑相共

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(海蛇)という也後が早くから秋成に養成されていたことを知るのである.

①  注

第二

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三 一 ︼

巻‑

号︑

=巻

大号

後︑

﹃中

村泰

彦普

述集

{中

)第

六巻

所収

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初期

制作

輩陸

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市造

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﹁駆

り﹂

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﹃寓

曾﹂

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