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カハユキ穆也
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ここに︑宜長の士学論の基本的立場が明確に示されているのである・もちろん︑植の文字詰の中轄には
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︑ 文学を自徳的な性情の動きに即して把姻慢しようとする姿勢はあった︒そして︑このような︑文学を直観的実情
32a に即して理解しようという姿勢は︑植の︑人間指が﹁人の情﹂という地銀に立脚している以上︑当然の事といわねばなら
ないのであるが︑しかし挫の歯理では︑この直観的実情が遣する場所が﹁いにしへのみやび﹂の世界である以上︑自ず
から現実町生活町場に町した自律的直観的実情は︑﹁いにしへのみやび﹂の世界に閉塞されてしまうのである︒そして︑そ
こから︑再度事き幽されてくる﹁もののあはれ﹂のむこそ︑瞳の理想とする文学的心であった.この文学的むが導き幽さ
れる前提には植の説い曾語に対する
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融があったのである︒和歌ハ宵僻ノ道也句心ニオモフ事ヲ︑ホドヨクイヒY
ずクル道也心ニオモフ事ヲ︑ァリノマ︑ニオモフトヲリエイヘパ歌ヲナサ ズ歌ヲナストイヘトモ︑トルニタラサルアン
キ歌也︑サレハズイフン続ヲトノヲヘキ也︑コト
パザヘウルハンケレハ︑意ハサノ
ミフカこフネトモ︑自然トコトパノ美シキニシタガフテ︑意モフカクナル也︑フカキ情モコトパアシケレハ︑反テ浅クキコユル也︑
﹃あ しわ けを ぶね
﹂ 宣長はこのように和歌の芸術性は︑言語表現の優劣に帰すると考えたのであった︒故に︑彼が︑﹁其中ニツイテ︑雅俗ア ルヲ︑風雅ノ道︑ナンゾ雅ヲステテ俗ヲトラン﹂といった︑雅俗意識も︑実は︑この言語観と重要な関係を示しているの
である︒尚︑いい添えるならば︑彼の文学論の過程に於いて示されている︑次の如き︑﹁欲﹂と﹁情﹂の区別も︑やはり︑
これら一連の彼特有の美意識を示したものに他ならない︒
サテ人欲ノ切ナル所ユへニ︑恋ノ歌ニハ別シテ名歌多シ︑又利慾モ人情ノ大ナルモノナレトモ︑利ヲ貧ルハ大不風雅ノ至リナレハ︑
人コレヲ恥テ︑ヨミ出ルモノナシ︑サルニヨツテコノ歌ナシ︑タトヒヨミ出ルトモちイトニクカルヘシ︑欲ト情トノ差別アリ︑欲ハ
カリニシテ情ニアツカラヌ事アリ︑欲ヨリシテ情ニアツカル事アリ︑又情ヨリシテ欲ニアツカル事アリ︑情ハカリニシテ欲ニアツカ
ラヌ事アリ︑コノ内歌ハ情ヨリイヅルモノナレハ︑欲トハ別也︑欲ヨリイツル事モ情ニアツカレハ歌アル也︑サテソノ欲ト情トノワ
カチハ︑欲ハ夕︑ネカヒモトムル心ノミニテ︑感慨ナシ︑情ハモノニ感シテ慨歎スルモノ也︑恋ト云モノモ︑モトハ欲ヨリイツレト
モ︑フカク情ニワタルモノ也︑
﹃ あ
しわ
けを
ぶね
﹂ 即ち︑文学の必須の条件である﹁情﹂は﹁欲﹂と微妙な関係をもちながらも︑なお両者は同
一ではない︒むしろ異質な
ものだとする︒だから︑両者は︑﹁欲ハ夕︑ネカヒモトムル心ノミニテ感慨ナシ︑情ハモノニ感シテ慨歎スルモノ也︑﹂と して区別し︑﹁恋ト云モノモ︑モトハ欲ヨリイツレトモ︑フカク情ニワタルモノ也︑﹂として︑より﹁情﹂を文学の本領と しようとする︒しかし︑彼がこのように︑両者を区別してみても︑やはり︑両者の関係はあいまいである︒何故なら︑両 者は矛盾の自己同
一以外のなにものでもないからである︒そして︑彼が更に﹁利慾モ人情ノ大ナルモノナレトモ︑利ヲ貧
ルハ大不風雅ノ至リナレハ﹂と説明するとき︑彼のいう文学が和歌的世界を指している以上︑一応妥当な識別といい得る
﹁ も
ののあはれ﹂論の徳造序説
﹁も
のの
あは
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鎗の
傷進
序銀
かもしれぬ︒だがしかし︑このへんに︑盤町文学詰が︑その主情的紛飾にもかかわらず創造的美へのエネルギーを佑渇
させてしまう原因があるのである・
1
即ち︑宜長の文学意値は︑もっぱら︑平安朝的貿脹社会町中から引き幽されてくる 稚情のみを︑最高のものとし︑創造にかられる力を︑すべてこの維という襲的形式によって骨依きにしてしまうのである︒つま旬︑祖は︑植自身の美学の完成にとって.相対立する分子は︑すぺて違断してしまおうとしているのである︒
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以上︑見来たったところによれば宜冨震の人間諭と士学酋との聞にはある断絶がある︒即ち植の人間詣に酷いては︑人
間性
情円
突幅
四
MV鋭︿把損されてはいた︒にもかかわらず︑その人間論から展開されたはずの士学鎗は︑はなはだ抽象的観 土的な文学瞳へと展開してしまった︒だがしかし︑その結果のみをとりあげて︑宣長町文学歯は矛盾であるとのみ指摘で
き拝ょうか︒私は宣長町以上町如き矛盾を︑その文学誌の限界であり︑挫折であるとは解さないのである︒何故なら︑文
学とは現実そのものがいかに真実性にとんでいようとも︑あるいは又︑機々なものが介入して裡穏な線拐を示していよう
とも︑更には︑ぞれらが有機的に一体化していようと
6
それらを一たび主学的世界に理詰化しようとするならば︑そこには自ずから常に完結した世界への昇穆を余儀なく要閉される必然︒の理があるからである︒私はかかる観占から︑宜畏
が︑その文学諭に平安朝文学的世界観を導入していることを是としたい.いわば︑宜長はアクチュアルな人間性の把握に
立脚しつつも︑なおかっ︑その性情に即して行動する人間像に︑朱子学的知性とは異なった観点から知的反省を加えよ うとしたのである︒それが︑被の平安朝文学的世界障の場入である︒平安朝文学的世界闘とは何か.いうところの﹁もの のあはれ﹂的仙界観であり︑﹁稚﹂的文学観である︒程的文学闘といえば人は︑はなはだ脆弱で浮薄の串を抱くであろう.
しかし︑ぞれは現代人の現代的感置がそうさせるのであって宜長の生きた社会にあってはもっと別の意味をこめたも
のであったはずである︒
ともすると︑我々の申考は︑常に過去の現象をとらえて︑その現象がそのまま現証へ連続しているはずだといった歴史
観によって理解しよヲとする傾向がある︒その為に︑従来の研究においては︑宣長の文学阻を近代文学思湖町先駆とみた
り︑遣に︑非近代的限界を示しているとみたりするはなはだ写針な結鎗が下されて来た︒しかし︑私は近世的世界と近代
的世界の聞には一線で画されるべきものがあると考える︒故に︑そこには豆︑自ずから一断絶が存証するはずである︒い
わ問︑近世から近代への流れは非連続の連続といった形に於いて進展して来たはずである︒それ敵︑宣長学の把握は︑室
長の生きたその時代と︑その社会情遣の中に於いてとらえられるべきであり︑我々の思考の尺置でおしはかるぺき性置の
ものではないであろう︒そして︑新たな思想の運動は︑思想と思想の断絶を乗り越える時台︑に於いて展開するのであり︑宜
長学の都成も︑かかる性置をおびているのである︒私は︑ここに︑宜畏の学問の原動力となったものは︑世来指摘されて
来た如き︑江戸的学聞の政治的志向的謹厚な祖徐学にあるのではなく︑当時︑京都に於いて一つの新たな人間学的機運と
軍 主
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鰭 上と カf
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