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H. Cooley(1902)により「鏡映自己」(looking glass self)という概念で説明されている。』ここで   Cooleyが説明しているのは、自分を映す鏡の役割として、他者が必要であることと、他者に映る自

第6節  学級集団形成とグループワーク

C. H. Cooley(1902)により「鏡映自己」(looking glass self)という概念で説明されている。』ここで   Cooleyが説明しているのは、自分を映す鏡の役割として、他者が必要であることと、他者に映る自

  分を受容する過程で自己が形成されてゆくことである。

  小川一夫監修,(1989)『社会心理学用語辞典』では、鏡映自己と訳されている。

(5)G.H.Mead,船津衛・徳川直人編訳(1991)『社会的自我』恒星社厚生閣。

  ミードの自我論では、人間の自我は社会的なものとされ、孤立したものではなく、他者とのかかわ   りにおいて生まれ発達するものである。

  G.H.Mead,稲葉・滝沢・中野訳(1992)『精神・自我・社会』青木書店,150頁。

  「自我とは、本質的に社会的構造であり、社会的経験のなかから生じる」

  同上書 Mead(1992),169頁。 「自我は、こういう他者の個人的態度を組織化された社会的態度、

  もしくは集団の態度へと組織化することで、その十全な発達を達成する」

(6)千石保・鐘ヶ江晴彦・佐藤郡衛,(1987)『日本の中学生』NHKブックス,174−179頁。

  ごの調査は1983年に中学生を対象に、全国21地点で無作為抽出方法により実施された。そして、

  対象となった学校に対して集団質問紙法で調査が行われ2,299名の有効回答数を得たものである。

  その結果、友だちと遊んだ時間は1時間未満が76.3%、2時間未満では累積91.9%である。テレビ   を見た時間は、1時間以上と回答した生徒の累積が54.6%である。マンガを見た時間は、1時間未   満が24.3%、2時間以.しと回答した生徒まで累積すると、39.2%となっている。ただし、テレビを   見た時間は、この調査以降の爆発的なファミリーコンピューターゲームの普及により、さらに長く   なっていると考える。

(7)佐々木正昭,(!995)「学校教育における「子ども文化」の継承と創造のプログラム」,『研究報告   第6集』所収 兵庫県立こどもの館,43−46頁。

  この調査は、兵庫県立こどもの館の研究委嘱を受けて、平成6年度に兵庫県内の小・中学校を対象   に実施されたものである。

(8)臨時教育審議会も、 『教育改革に関する第一次答申』の第一部教育改革の基本   方向・第一節 教育の現状、(2)⑧、⑨において、この問題にふれている

(9)Hannah Arendt,引田隆也・斉藤純一訳(1995)『過去と未来の間』みすず書房,250−251頁。

(10)深谷昌志・(1990)『無気力化する子どもたち』NHKブックス,149頁。

(11) 同上書,深谷昌志(1990),158頁。

(12)高橋勝く1994)『子どもの自己形成空間』川島書店,2−3頁。

 「生活世界」とは、もともとフッサール(Husser1, E.)が用いた現象学の用語である。その意味は、

  人が、様々な他者やものとの日常生活のかかわりの中で、次第に構成されてくる世界を指し、子   どもの生活世界とは、家庭や地域社会、学校の中で生きる子どものまなざしから見えてくる等身   大の世界であるとともに子どもが織りなす様々な関係性を映し出す鏡である。

(13) 同上書、高橋(1994)、8頁。

 0.F.ボルノウのいう「体験された空間」とほぼ同意味である。高橋は、自己形成空間を「自己形成 空間とは、実体でも機能でもない。それは、子どもと自然・他者・事物とのくかかわりあい〉、相互  作用において成立する関係概念である。」と定義している。具体的には「子どもがさまざまな他者・

 もの・自然と出会いくかかわりあう〉過程で形成されてくるく意味空間〉でありく体験された空間〉

 である。 (中略)子どもの日常的な生活、多様なくかかわりあい〉のなかで育くまれる、〈関係的世  界〉をさしている。」と説明している。

(14)Hannah Arendt,引田隆也・斉藤純一訳(1995)『過去と未来の問』みすず書房、254−255。

(15)高橋勝(1994)『子どもの自己形成空間』川島書店、14−20頁。

〈16)J.Dewey、松野安男訳(1994)『民主主義と教育』 (下)岩波文庫、164頁。

(17)高橋勝(1990)「体験学習」、 『教育キーワード』所収、時事通信社。

(18)高橋勝1(1994)『子どもの自己形成空間』川島書店、10頁。

 「〈かかわりあう〉相手を喪失して、孤立化する」ことを、筆者は他者の喪失とした。

(19)臨時教育審議会は、『教育改革に関する第一次答申』の第一部・第四節(5)で教室環境の人間化   として、同様の点を指摘している。

(20)中村雄二郎(1994)『述語集』岩波新書、5頁。

(21)G.H.Mead、稲葉・滝沢・中野訳(1992)『精神・自我・社会』青木書店、97−98頁。

  significant symbo1の訳で有意味シンボルとしてあるものを意味のあるシンボルとした。ミードに   よれば、それは「有意味性の前提に、たえずそれが発生する経験および行動の社会的過程をもって   いる」のであり、 「事実上有意味性をもつ関連文脈もしくは関連領域として、常に話想宇宙

  (universe of discourse)が含まれている」のである。

   同上書、Mead(1992),167頁。

 「話想宇宙とは、思考がみずからの文脈で(思考ならびに交流を)可能にできると想定している共通   の、もしくは社会的な意味のシステムである」。このことから、身振りを含む言語活動によるコミ   ュニケーションのことを指す。

 G.H. Mead,船津衛=・徳川直人編訳(1991)『社会的自我』恒星社厚生閣、101−102頁。

 「意味のあるシンボル」によって、行為者の間に意味の共有がなされる。そこに共通の意味世界   (universe of discourse)は生まれることになる。このような共通の意味世界が形成されると、そ   こに「祉会性」がもたらされる。 「社会性」は、このような意味の共有を前提として生み出される   ものである。自我の社会性は、他者と意味を共有することが必要条件となっている。

(22)G.H. Mead,稲葉・滝沢・中野訳(1992)「22「1」と「m e」」、『精神・自我・社会』青木書店。

  「1」は主我を意味する。

(23)同上書、Mead(1992)、 「me」は客我を意味する。

(24)同上書、Mead(1992)、 「20遊戯、ゲーム、一般化された他者」、175頁。

  「同じプロセスに関与している人々の態度の組織化という意味での一つの「他者」を発見する。あ   る人に彼の自我の統一を与える組織化された共同体もしくは社会集団を、「一般化された他者」と   呼ぶ。一般化された他者の態度は、全共同体の態度である」 「一般化された他者という形をとって   はじめて、・社会過程は、そこに参加してそれを遂行している個人の行動に影響を及ぼす。すなわち、

  共同体がその個人的メンバーの行為に支配力を発揮することになる。なぜなら、社会過程や共同体   が個人の思考に決定要因としてとびこんでくるのは、こういう(一般化された他者という)形をと   つたときだけだからである。抽象的に思考する際、個人は、ある特定の他の個人がどのように(一   般化された他者を)表現しているかに関係なく、自分に対する一般化された他者の態度を採用する」。

  このようにミードは、人が思考できるのは、自分に対する一般化された他者の態度を採用するから   にほかならないとした。

(25)この図は、加藤秀俊(1977)『人間関係』中公新書、85頁にある「コミュニケーションと個体内変化」

  を参考にしている。

〈26)G.H. Mead、稲葉・滝沢・中野訳(1992)『精神・自我・社会』青木書店、151頁。

  ここでいう内省的思考は、 「思考という過程そのものが、じつは、進行中の内部会話にすぎない」。

  というミードの考える思考である。

  Mead(1991)『社会的自我』恒星社厚生閣。

  内的会話(inner conversation)と訳されている。この思考は、問題を解決する人間の能力を意味す   るものであり、 「意味あるシンボル」を通じての内省化から生じるものである。

(27)G.H.Mead,稲葉・滝沢・中野訳(1992)『精神・自我・社会』青木書店、276頁。

(28)後藤;将之く1987)『ジョージ・ハーバード・ミード』弘文堂、82−83頁。

 「衝動とは行動の阻害であり、有機体とその環境との適応の欠如」である。

(29) 同上書、後藤(1987)、83頁。

(30) 同上書、後藤(1987)、83頁。

(31)G.H. Mead、稲葉・滝沢・中野訳(1992)「13反作用的知能の性質」、『精神・自我・社会』青木書

  店、99−109頁。

(32)G.H.Mead、稲葉・滝沢・中野訳(1992)『精神・自我・社会』青木書店、151頁。

(33)後藤将之(1987)『ジョージ・ハーバード・ミード』弘文堂、101頁。

(34) 同上書、後藤(1987)、101頁。

(35)W.Ja皿es、今田寛訳(1993)『心理学』 (上)岩波文庫、215頁。

(36) 同上書、James(1993)、211−301頁。

(37)相良守次(1989)『新・教育心理学事典』金子書房、153−154頁。

 「機能主義の見解は必ずしも一定の理論枠を強制しない柔軟で自由度の高い立場であるから、厳密に   定義することは難しい。意識タ問題にするところから、広義の意識心理学に含まれると同時に、心   身の統一機能を重視し、』それに何よりも心あるいは意識が生活体の生活上どのような基本的効用を   もつものなのか、心や意識の担う「機能」は何かを究明することを主要課題とするのが、機能主義   心理学の基本的考想である」。合衆国においては、ジェイムズを創始者とみることができる。ここ   では、シカゴ学派の機能主義を示している。

(38)後藤将之(1987)『ジョージ・ハーバード・ミード』弘文堂、107頁。

  デューイの心理学における「反射弧概念」を批判的に検討した論文の要約

(39) 同上書、後藤(1987)、107頁。

(40)T.Persons、武田良三監訳(1985)「社会システムとしての学級」、『社会構造とパーソナリティ』

 新泉社、173頁。

(41)狩野素量・』田崎敏昭(1990)『学級集団理解の社会心理学』ナカニシや出版、13−15頁。

(42)和田修二(1995)「青春期の教育と教師」、 『教育する勇気』玉川大学出版部、

   青春期の特徴と課題 として述べられている。

(43)T.M.Mills、片岡徳男・森 訳(1976)『小集団社会学』至誠堂、2頁。

(44)J,Dewey、松野安男訳(1994)『民主主義と教育』 (上)岩波文庫、139−140頁。

(45)蜂屋慶(1983)『生活指導における集団指導の基礎理論』明治図書、138頁。

(46) 同上書、蜂屋(1983)、168−173頁。

(47) 同上書、蜂屋(1983)、186頁。

(48)J.Dewey、松野安男訳(1. 994)『民主主義と教育』 (上)岩波文庫、17頁。

(49) 同上書、Dewey(1994)、78頁。

(50) 同上書、Dewey(1994)、79頁。

(51) 広辞苑、第三版(1883)岩波出版

(52) リーダーズ英和辞典(1984)研究社

(53)M.A. Hogg、廣田君美・藤澤等監訳(1994)『集団凝集性の社会心理学』北大路書房、26頁。

 D.CARTWRIGHT&A. ZANDER、三隅二不二・佐々木薫訳編(1973)「集団凝集性」、『グループ・ダイナ   ミックス1、H』誠信書房、83頁。、

(54)M.A. Hogg、廣田君美・藤澤等監訳(1994)『集団凝集性の社会心理学』北大路書房、27頁。

(55)原岡一馬(1982)「個人と集団・組織」、『個人・集団・社会』小学館、121−190頁。を参考にした。

〈56)M.A. Hogg、廣田君美・藤;澤等監訳(1994)『集団凝彙陸の社会心理学』北大路書房、27頁。

(57) 同上書、Hogg〈1994)、28頁。

(58) 同上書、Hogg(1994)、29頁。 「集団メンバー相互の肯定的態度の数と強さから推論される集団特  性であり、互いに目標が達成できそうであったり、報酬を受領できそうに思えたりする、集団メン  バー相互の肯定的態度の発達にとっての一次的条件である」

(59) 同上書、Hogg(1994)、29頁。

  「集団の魅力度・について最:も強力な決定因は、個人が他者に感じる魅力である」

(60) 同上書、Hogg(1994)、29頁。

  ホッグは凝集性に関する研究成果のレビューにより、集団の凝集性要因は対人欲求の   充足という過程を経て、相互の対人魅力が集団を形成するとしてまとめている。

(61) 同上書、Hogg(1994)、59頁。

(62)A.H. Maslow、小口忠彦訳(1987)『人間性の心理学』産業能率大学出版部、60頁,80−83頁,91頁。

(63)古畑和孝(1985)『よりよい学級を目指して』学芸図書

(64)文部省(1988)『中学校指導書』ぎょうせい