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8層

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報1 (ページ 30-34)

陶器 :層 中 か ら灰 釉 を掛 けた皿 の高台部 分 の破 片 が

1点

出土 してい る。畳 付 の部 分 は露胎 と な って お り、釉掛 けの際の指痕 も見 られ る。

土 師質土器 iピ ッ ト

2か

ら灯 明皿 の破 片 が

4点

ま とまって出土 した他 、胎土 に

2〜

341mの礫 を合 む異 った土器 が

2点

発 見 されて お り、時代 が遡 る可能‖生が あ る。

10層

磁 器:濤

1か

ら染付茶碗 の破 片 が

4点

、皿 の破 片 が

1点

出土 した。皿 の内面 には文様 の一部 が あるが、全体 の構 成 は不明で あ る。裏面 は唐草 文の末端 が見 られ る。

陶器 :同 様 に濤

1か

ら唐津 産 の内面 に刷 毛 目の施 された鉢 の破 片 が出土 してい る。

土師 質土器 :濤

1か

ら灯 明皿 の破 片 が

1点

出土 した。

不 明層

陶器 :ピッ ト

3か

ら茶碗 の 口縁 部破 片 が

1点

、徳 利 の体部破 片 が

1点

出土 して い る。茶碗 に は木灰 釉が、徳利 の外 面 には吹掛絵付透 明釉・内面 には木灰 釉が掛 け られてい る。

金 属製 品

:鉄

製 の輸 が

1点

出土 した(図

7‑4)。

ピット2。 3出土 の礫 :な お、 ピット2。

3の

埋 土 には、 谷大 か ら人頭大 の礫 が多数含 まれて お り、 これ らを採 集 して観察 したが、人為的 な加 工 および使 用の痕跡 が見 られ るもの は無 かっ た。仙台市今泉城(山田 1983)や 多賀城 市 新 田遺跡 北 寿福 寺地 区(多賀城 市教 委 近刊

)で

は、 中 世 の礫石 器 や石製 品 が数 多 く出土 して お り、時 代 的 な違 い を感 じさせ るが、江 戸時 代 の こ うし

た礫 の性 格 も今後 明 らかに しなければ な らない課題 のひ とつ で あ る。

為 圏 鰤

磁器 としては、招絵 の (梶原

 

)

¨﹈

ff:

8 NMI出

上 の瓦(1)

Fig.8 Ceramic rOOf tiles from NMl(1)

 

西

 

層不明だが、陶器 としては大堀の山水土瓶の体部破片 が

1点

出土 し、

染付皿 の破片 が

1点

出土 した。

2)NMI出

上の瓦 (図8・ 9、 図版50、

52‑5・

6)

破片総数 は123点と発掘区の面積 に比べて少 ない。丸瓦・平瓦・軒平瓦・桟 瓦 が出土 している が、図示 で きるものはほ とんどな く、軒平瓦

2点

、九瓦

2点

、桟瓦

1点

F「の押された平瓦片

1点

の計

6点

のみである。全体 に共通 して、胎土は小石 まじりで粗い(表5)。

① 軒平瓦 (図

9‑1。 2) 

唐草文様 をもつ もの

2点

のみの出土である。

2点

とも瓦当部の 破片であ り、

 

しかも少片で、

 

全体の文様はわからない。

 

調整は瓦当部の表は型づ くりのま ま。瓦当部の裏、凹面はヨコナデ調整 され、平滑である。凸面は粗いヘ ラケズ リされ、 ざらざ らしている。文様のある瓦当の表面 には、型 から抜 くの を容易にす るためか、砂 が付着 している。

② 丸瓦 (図

9‑3・ 4) 

図示 した

2点

の他 に破片が10点ある。

 

調整は3・

4と

もに凹面 は布 目と布 目に切 られた横方向の筋 目が見 え、凸面は玉縁部、体部 ともヨコナデで仕上 げ られ ている。凹面の筋 日は型 に入れる以前 に、粘土塊 か ら

1個

体分の粘土 を切離す際 についた もの と思 われる。他 に凸面 をヘ ラ ミガキで仕上 げている破片、凹面 に棒状 の もの をさしこんだよ う な圧痕 を残す破片が ある。

ti暮 欝

1       4

9 NMl出

土 の瓦(2)

F ig。 9 Ceramic roof tiles from NMl(2)

﹈﹈

十 一 一 十 一

15

出土区層位 種 類 残存

部位 法量(単位鰤)

焼 成    図 版

  割 れ 日

‑1 1号濤戻区選土中 千平五比当』 (145) (30)

N8/]灰

r]色 小石混 じりの粗い胎土 唐草文

9‑2 中央区深掘 り 長 (62) 54 10Y7/1灰1色

9‑3 西 区10層 丸 瓦

2 5GY4/1暗 オリーブ灰

色〜10GY7/1明様反色 10Y6/1灰  良好

9‑4      2901156

N5/1

良好

8‑1 北 東区 グライ 2771幅 1301厚 18 10Y7/1灰日色 裏血 に櫛 日あ り

平瓦片

5 NMlの

瓦 の属性表

Table 5 Attributes list of ceramic roof tiles trom NM生

③ 桟瓦 (図

8‑1)  

西区斜面の明治以降の盛土層か ら出土 した ものである。型 づ くり の後、 調整はほ とん ど加 えられていない。凹面 には櫛 目が施 される。

④ 平瓦片 (図

8‑2)  

「富」のF「が押 されている。

平瓦は出土 しているが、図示で きるものはない。図

9‑3は

西区10層、図

9‑4は

カクラン から出土 している。図

9‑1は

1の

埋土、図

9‑2は

試掘深掘出土で

8層

相 当層か ら出土 し てお り、仙台城二の九 と関連 ある遺物である。 (前沢聡央)

(5)ま   

  

遺構 は、

4時

期 にわたる。 まず、12層上面(自然層

)に

濤 2を 構築 し、人為的 に埋 め戻 した後

(も しくは同時 に)、 11層を盛土 し、そこにピット5を掘 る。 さらに10層 を盛土 し、 ピット

4→

ピット

1→

1を構築す る。 その後

9層

8層

を盛土 し、 ピット

2→

ピット

6(ピ

ット3は切 りあい な し

)を

構築 している。濤1と

2が

同一方向に走 り、 ピット1と

4が

同一位置 に同 じよ うな形態 で構築 されている事実は、盛土 による断続 はあるものの、 これ らの遺構 のそれぞれの位置関係 がはっ きりと知 られている程度の時間内で、次 々と構築 されたことを示 している。

二の九絵図中、享和三年(1802年

)図

をもとにした旧二の丸と四学部建築物 との関係位置図 (付図1)を か照すれば、当該地区は、二の丸の最西端 を画す る堀状 の部分 にあたってお り、 濤

1・

2が

それに相 当す る可能性 もある。 しか し、 いずれの濤 も幅 が1,4m、 そ して0.8mと 細 く、

図 に示 された堀 (1/1000と して幅約

4m)ほ

ど広 くはない。 この堀 についてはむしろ工区断面 に 現 われた、幅

8m程

の落 ち込み部 が相 当す る可能性 がある(図 5‑7‐)。 ピットにつ いては、

 

絵 図中にそれ らしきもの を見出す ことはで きない。 また、西区では断面図 に見 られ るよ うに斜面 となってお り(図

5‑5)、

これは絵図中に見 られ る観音堂へ至 る階段 で示 され る斜面 に比定 さ れる可能′性が高い。絵図中に見 られるよ うに、 この部分は、二の九の建物区域外であり、恒 久 的 な建物 などがあったとは考 えられない。 しか し、臨時的な建物 が存在 していた可能性 は充分 に考 えられる。 この地点では、瓦がやや多 く出土す るものの、 その他の遺物 は極 めて少な く、

時代 を明確 に判定で きるものはない。 この ことは、 この地点が二の丸の中心部 か ら外れていた

こ とと関連 す ると考 えられ る。 (梶原

 

)

3.二 の 丸 第 2次 調 査 (NM2)

(1)調 査 方 法 と 経 過

調査区は、川内地区の南端 にある文系厚生施設の東側 にあたる。厚生施設の建物 に平行 して 調査区 を設定 した。長軸の方位 はN16°E、 大 きさは東西5.5m、 南北

10mで

ぁる。

 

これをさら

3mの

小 グリッドに区画 し、南北方向 を

A〜

D、 東西方向 を1〜2と した(図10)。 試掘 の結果、

lmの

厚 さで盛土があ り、 その下 に二の九の建物跡 が確認 された。 バ ックホーによって盛土 層 を排土 し、調査 を開始 した。調査 の経過は表

6に

示 した。遺物 は、区(小グリット)。 層・遺構 構 ごとに収納 し、実測は遣形 を使用 した。

(2)層 序

(図 11)

基本層序は、大別す ると次の通 りである。

1層

(盛土層)は 、大学建設時の

la層

と、米割駐 留時 と考えられる。粘土を主体 とする

lb層

と、 その下の

lc層

か らなる。

2層

は焼土直上の砂 層で、整地層 と考 えられる。

3層

は基本的 に火災による焼土層である。一部 は火 災直後 に整地 を受けていると推定 される。

4層

は、

3層

直下の火災による炭層、 もしくは炭化物 を多量 に合 む層である。

5層

6層

7a層

は、砂・粘土 からなる層で、盛土層 と判断 される。

7b層

以 下 は、 自然堆積層である。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報1 (ページ 30-34)