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石 敷 ・ ピット363
石敷・ ピント36` \ ヒ =r一 夢 ι
/図 出 土 地 点 箱 部 上 辺 器 高 器 厚 豊署 V目 図 版 備 考
1 石 敷 達 構 177 7 37‑ 6
2 170 37‑‑ 7 内 面 上 部 、 黒 色 処 理 無 し
十 // 1
5
□]40
Fig。40 Rectangular charcoal
NM2出
上 の炭 櫃・ 蚊 遣 Mtt of 19c.(bebre 188動 heaters and braziers for smOking out mosquitoL
か長方形 である。黒色処理 が及 ばず、橙色や灰 白色 を呈す るもある。No 2の内面 は黒色処理 が 直線的 に切 れている。重ね焼 きの痕 だろ うか。粘土板 をつ な ぎ合 わせて組 み立てられてお り、
つ な ぎ目に粘土 を埋 めてなでている。日縁の鍔 と本体の接合部では鍔の側 に
2〜 3条
の濤 を刻 んで接合 している(図版37‑5)。
堤ではこの形の容器 を「すびつ」と呼 んでおり、近代の民家 では堀 り火 姥 の炉 に鍔の部分 を引っかけて用いたとい う。朝倉他(1981)によれば火に は江戸期
には普及 してお り、 これ らの「すびつ」も火姥 に用いられたのかもしれない。
3)明
治時代初期以降の陶磁器湯呑 (図
24‑21)磁
器 に筒形の山水文 を描 く。(山田 しょう)
(大場拓俊)
4)NM2の
陶磁器のまとめ①
時期・産地 。使用者
NM2出
土の陶磁器は破片資料がほ とん どである。 これ らは火災前では本来の機能 を失った 石敷遺構 に、火災直後ではA‑1と C‑1・
2に 集中 して分布す る。 これ らは壊 れて破片 になっ た陶磁 器の集中的廃棄 と火災直後の跡始末の痕跡 を反映 している。これ らの陶磁 器の時期(製作 。使用・廃棄)は、ほば明治初期 である。まず茶碗 からは同一類 型の磁器 を出土 して時期のわかる北海道 白老仙台藩陣屋跡 と愛知県かたみ第
2号
窯跡 と対比す ると、下限時期 は1860年 前後 となる。皿 か らは切込廃窯 に伴 ない、平清水 に依存度 を増す時期 であ り、1869(明治2)年 前後 となる。1874(明 治7)年 製作開始 とされる鮫肌土瓶 と1877(明 治10) 年頃の福島県二本松万古急須が石敷遺構埋土か ら出土 した。そ して、
火災は1882(明 治15)年
に起 った。以上 よ り製作・使用時期 が一部幕末 まで遡 るものがあるにせ よ、多 くの陶磁器は明 治初期の約15年間の もの といえる。
視覚 による属′性分析 に加 え理化学的分析 を行 なった結果、産地 には切込(茶碗・」
D、
平 清水 (茶続・皿・徳利)、 相馬大堀(皿・土瓶・灯明具)、 相馬駒焼(陶器)、 二本松万古(急須)がある ことが判明 した。 このほか伊万里や瀬戸 と推定 される磁器 もあるが、主 に在地や隣接地、 とり わけ平清水産や大堀が多い(図42)。 磁器皿の分析 によれば、少な くとも1882(明治15)年の火災以 前 か ら、切込産 が減少 し平清水産が増加す る傾向があ り、これはすなわち仙台藩の保護 を失っ た ことによる1869(明治2)年 の切込廃窯 を背景 とした現象 と解釈で きる。 また、そ うした情 勢 の変化の中でも土瓶 などは相馬大堀 から供給 されてお り、土瓶製作の技術水準の高 さなど廃藩 後 も民窯 として独立 して採算の合 う条件 が整 っていたことが うかがわれ る。山形 に武田菱文は、
茶碗 。皿 。土瓶 に共通する文様であるが、土瓶 と陶器皿 は相馬大堀産で あ り、茶碗 と磁器皿 は平清水産である。 この文様 をもつ陶磁器は石敷遺構 がゴ ミ捨 て場 として 使用 されな くなって(1877年頃)か ら火災時(1882年)までの間に増加(茶碗)または出現す る。従
って、 これ らは その時期 に注 文主 が同一 文様 をもつ陶磁 器 のセ ッ トを商人 に注 文 し、商人 は平 清水 と大堀 に依頼 して作 らせ た もので あろ う。
NM2出
土 の陶磁 器 は その大 きさにおいて、従 来 の江戸期 の食器研 究結 果 を裏付 け ることに な った (秋 岡 1984)。 す な わ ち、膳 に一汁 一菜 と湯呑 、 あ るいは一汁 二菜 を並べ るとす ると、直径約
3寸 8分
の茶碗 と直径約4寸
の皿 で あ るか ら、下度 当時 の一般 的膳(一辺約8寸
5分)の
上 に無理 な く収 ま るこ とにな る。 一方 、土瓶 の数 に対 して湯呑 が、 徳 利 の数 に対 して猪口が少 なす ぎる。 また、大皿 が皆 無 であることから、個 人用膳 の上 に並べ られる器 を使用す る場 が付近 に あったことになろ う。 また、陶磁 器 中 とくに複 数の食器 に占める磁 器 の割合 は高 い (図42)。
中で も茶碗 はすべ て磁 器 で あ る。
当時 、一般 庶民(農。工・商)の 食器 の 多 くは陶 器であつた様で あ る。ヽ一般 庶民 の使用 した大堀 産土瓶 も山水文の描 き方 が粗雑 で あ るな ど、
NM2に
比べ て質の 上 で一定 の差 を見出す こ とがで きる。幕 末 に北 海道 に構 築 された仙 台藩 白老 陣屋跡 、松前藩 合功亀 陣屋跡の出土 食器の組 み合 わせ は、
NM2の
それ とよ く近似 して い る。 また、茶碗 がすべ て磁 器 で あ るな ど、 食器 中 に占め る 磁 器 の割 合 も高 い。 こ うした もの が足軽 な ど下級 武 士 が詰 め ていた長屋跡 か ら出上して い る こ とか らみ て、彼 らの使 用 した もの で あ った と判断 で きる。 従 って、 当時 の下級 武 士が 自宅 で使 用 した もの まで は不 明 だ が、少 な くとも彼 らが支給 されていた もの は、一般 庶 民 とは質的に1ラ ンク上 の もの と見 るこ とがで きる。 もっ とも、
NM2の
食器類 中 には多 くのハ ネモ ノ、つ ま り 釉の発 色 の きわめ て不良 な もの 、 多少歪 み を生 じて い る もの が含 まれて い る。 これは一方 で財 政上 の困 難 を反映 す る と解 釈 で きるほ か、 その使 用者 が武 士 階級 で も下級に層す る者 で あった こ とを示 してい る と言 える。「NM2の
ま とめ」で後述 す るよ うに、 これ らの陶磁 器 が近世 陶磁 器 の 最終 末 の特 徴 をほ とん ど留 め て い なが らも、時 間上 はす で に廃 藩後の 明治初 年 に属 す る東 北 鎮台 の下級 兵 卒 らの使 用物 で あつた可能性 が高 い。 下級 兵 卒 も江 戸 時 代の下 級武士的′性格 と 類 似 す る こ とか らみ て、NM2の
陶磁 器 の使 用者 を下級 兵 卒 とみ るこ とは妥 当で あろ う。(佐川正敏)
②
陶磁 器 の化 学 組成 結果 と考 古学 的考察
本追跡 出土 の陶磁 器 は、 多 くが在地 や隣接 地 の切 込 産 や相 馬大堀 産 、平清 水産 と推 定 で きる。
しか しなが ら、窯跡 の 多 くが未調査 で、製 品の胎土色調や粒子 が類似 す ることか ら、識 別 が困 難 な資料 もあ る。 そ こで理 化 学的 方 法(原子吸 光 法)によ る主成 分分析 を蟹 沢聡 史 (東北 大 学 教 養部 教授
)に
依頼 した。 その分析 方法 は第 Ⅳ章 で詳述 され てい るの で こ こで は省略 す る。 資 料 は、出土品の産地 が判 明す るもの を選 んだが、産地 不明 な資料 が少 な くないため、平清水窯跡 表採 品 も対 象 と した。 内訳 は陶器 が16点 、磁 気 が20点 、妬 器 が6点
(本遺跡 出土品32点 と表採品10点
)で
、器種 の 多い茶碗 や皿 や土瓶 や徳 利 が主 で あ る (表41)。FeO(Fe20 3)
―一―――⑩平清水 妬器(へそ徳利)
一――…26平清水 磁器(徳和)
一――
‑2切
込磁器(78nc茶碗)
――――
‑8大
掘陶器(山水土瓶)
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章 ̲。 / デ 平 清 水 Ⅱ
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\ 10f缶
\
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\ 31▲
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\聖■ダ大堀
37A
● 磁
■ 陶
▲ 妬 器 器 器
番号は表41に一致 番号に○印
釉薬付
OF口なし
胎上のみ 記号にO印
平清水窯跡表採品
0 12345
FeO+MnO ttCaO+MgO
図
41 NM2出
土 陶磁 器 の(FeO ttMnO ttCaO ttMgO)+(N a20+K20)の
関係Fig.41 Relation between the(FcO+MnOttCaO+MgO)and he(Na20+K20)in dle ceramics
frOm NM2
火災後
土鍋 (2.8%)
・互質(45%)
火災以前
その他 (2.5%) 小形碗(0,8%
土鍋(21%) (25%)
茶 碗
その他(08%)
percentage variation bcfore
平清 水
I
不明 38.9 1 61 1小形茶碗
不 明 100
甲 長
1
平清水1切 1
不 明お り 1 35:6 1込 1 433
相 馬 大 堀 100
図
42維
ご とにみ Fig,42 Percentage of excavated ceramics注※前後 とも、土師質の皿 を合まず and after the fire in 1882
茶
碗
平清水 長 発 「逮
18を:1 嘲
,0小形茶碗
Z清ガ
12 5 不明 812
瀬戸2.4
不 明12 相 馬 大 堀 98£
平清水
75,0 1
方不 明r6た産 地別 出土数 の比較
divided according to place of prOduction
皿
瓶 瓶 土
徳 徳利
(10.1%)
土 瓶(32.8%)
相,碍大堀
31 3 切 込
28 9
平清水13 3 不明 24.1
産地
茶 碗 BOWL
皿 Dishes 徳利 BOdes
土 瓶
TeapOtsそ の 他
Ohers今も︼a丘青ヨ︶o日0翠︼▼
宮 城 県 宮 崎 町 切
込
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