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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報1 (ページ 94-98)

フ 7

F―

11

p

37 NM2そ

の他 の陶磁器

Fig。37 Various ceramics from NM2

12 1amp stand

Mid. of 19c (beFore 1882) Only 9 is pcrcelain

かはわか らない。底部 は相馬大堀産の土瓶 と同 じ形態で、非常 に薄 い。ツメがおそらく3イ固つ く が、土瓶 と違 って底の縁 についている。体部外面下半は削 りで仕上 げられている。体部外面上 半 と内面 には暗赤褐色・極暗褐色の鉄釉が掛 け られる。外面は漬 け掛 けである。釉の上 には黒 斑 が特微的である。胎土は比較的軟質の浅黄橙色の もの と硬 く焼 きしまった灰色の ものの二つ がある。後者は相,馬大堀産の鮫肌土瓶 に似 る。

 

38‑1の

み黒斑の見られない極 赤褐色の釉で 他 と異 なる。図

38‑5は

釉が黒変 し、図

38‑7は

焼 き損 じ。 目痕 の形 は変化 があるが、焼台は 五脚 と思 われ る。

胎土は相,焉大堀産の ものに類似す るが、大堀産ではこのよ うに口縁部 に把手が立つ土鍋 は今 の ところ知 られていない。胎土・釉調は明 らかに異 なるが、同形態の鉄釉土鍋 の破片

1点

が、

1976年の東北大学の 切 込 西 山 磁器工房址 の発掘で出土 しているが(図版35‑11)、 ここで焼 い た ものかどうかはわからない。多賀城市山王遺跡出土の例 は注 目が少 くとも把手の下 にはない

(図版35‑12)。 胎土 。釉 とも異 なり、小形である(口径147alln、 底辺57Hlm、 器高63Hlm)。

 

土師質土器、瓦質土器

酸化烙焼成の橙色の素焼 の土器 を土師質土器 とした。ロクロ水挽 きの阻 悟 鉢 、鉢 類 、蚊 遣? 土管 と、不明土製 品があるが、透明の鉛 釉 を薄 く掛 けた焙 烙 も、便宜的 にここに合めた。

 

れに対 し、燻焼環元箔焼成 によって灰 白〜黒色 を呈 したもの を瓦質土器 とした。鉢類の一部 と 炭櫃がある。土師質・瓦質土器はほ とん どが細片で、出土量 も多 くな く、形態・法量等 につい て分析で きるものはない。 これ らの土器は一般 に人 に関連 した用途 に用い られることが多い。

胎土 には粗 い砂粒 を多 く合んでいる。 この種の器 を焼 いて きた近 くの窯は仙台市の堤窯がある。

堤の佐大土管店の佐藤弥一氏、佐藤達夫氏 と現在の堤の陶工松根金之助氏 によれば、 これ らの 器種 は素焼 の悟鉢 を除けば、堤で も焼 いて きてお り、胎土は概 ね堤の もの とみてもよいとの こ

とである。

A.福   

鉢 (図

39‑6〜

11、 図版

36‑4)

本調査 区出土の信鉢はすべて素 焼 である。

B.皿    (図 39‑1〜

5、 図版

36‑2)

近世 によ く見 られる素焼 の刀ヽ皿 である。完形品は一点のみ、ほ とん どは細片である。体部の 曲線や口縁部の形態 に変化 があるが、復元可能 なものの大 きさは回径115〜125nlm、 底径70〜

80Hlm、 器高20〜 25alm前後 で、他 もほぼ この範囲 に収 まると思 われ る。底部 は上 げ底気味である。

この種の皿 は神事や灯明皿 に用い られ るが、本調査区では灯明皿 に用いられた痕跡(煤痕)のあ るものはない。

C.鉢   

類 (図

39‑12〜

14、 18〜20、 図版

36‑3・

5、

37‑1)

土師質の もの と瓦質の ものがある。完形品は無 く、大 きさには変化があるが、口唇部は膨 ら

んで内側 に突出す る。 口縁部 を強 くす るため、持 ちやす くす るため などが考 えられ る。

 

39

‑12、 図版

37‑Hよ

口縁 に水平 な沈線 が刻 まれている。七輪の日縁 を針金 で縛って補強するよう な行為 が想起 される。 これ らも一般的 に見て火鉢 の類 と見てよいだろ う。 図

39‑20は

外面 が磨 かれてお り、蚊遣?と したものの底部 かもしれない。

D.蚊  

 ?(図 40‑3〜

5、 図版

37‑8)

3〜 4個

体認 め られた。体部上半が内弯 し、口縁部 が内側 に折 れこんでいる。外面は丁寧 に ヨコ ミガキ され滑 らかである。多賀城 作 貫 地区か ら多数出土 している完形品 との類似 か ら、

蚊遣(中に杉葉 などを入れて燻 し、蚊 を追い払 う道具)と推測 した。但 し多賀城 で出土のものは 瓦質である(図版

37‑3)。

蓋や透 し穴のある破片、煤のついた破片はない。 1点 内側 に墨書さ れた ものがあ り(図40‑3、 図版

37‑8)、

『月 日』『 主 立 』の文字 が読 める。 (P.109参 照)。

E.焙   

豆 などを炒 る器で、薄 い透明な鉛釉が推卜け られている(図版37‑4、 参考品)① 細片 が6点 出土 しているのみである。

F.土   

管 (図39‑16・ 17、

37‑2)

土管の接続部 の破 片が

2〜 3層

から各

1点

出土 している。進駐軍の遺構 か ら出土す る、胎土 が層状 に剰 がれる素焼の土管 とは焼成 が異 なるが、管部 の径はほぼ一致す る。火災時 か ら火災 直後 の時期であ り、土管の出現時期 が今後 の検討課題 となろ う。

G.不

明土製品 (図

39‑15)

多角形の板状 の上製品 である。

H.炭  

櫃 (図

40‑1・

2、 図版

37‑6・

7)

C‑2区 4層

から

3片

出土 している他 はすべて石敷遺構出土である。細片 が多 く個体 の識別 が困難であるが、最低

4個

体 ある。内外面 に黒色処理 を施 した箱状 の容器で、平面形 は正方形

23 NM2

Table 23  Distribution of red

土師質・瓦質土器の分布数は破片数。()内は識別できた個体数。

             火災後

石敷

ば ピット 3 6

・ 4

・ 7 2 3

︲ 5

・ 6

2 3

1 1

1

7 17 2 6 2 2 1 1 3 1 1 1 l 1

] 1 l

     ? 1 1

1 1 1 1

1 l

不 明 土 製 品 l

3

earhen、vare and smudged black earthen、 vare at N 12

1.目 spur marks

// ° \

Mid. Of 19c.(before 1882) 図

38 NM2出

上 の土鍋

番厚    胎 土 色    図 版

1 石 敷 遺 濯 5 2 釉 に黒斑aEし

2 203 3

3 4

5 枠ず上綿琺色

CI‑3層 38‑t

7 C13、 4層 190 80 5 焼台五脚 16‑1

8 2

9 Cl‐3層 64

C13、4層 190 !,1れ戦色 釉 薄 く窯変、焼韻 じ

11 174 目痕無 し

C2‑3層 Cl?

他にC r4層 、C24層、ビ ント15抜穴 、2 or3層、 ビ ット1よ り細片 各 1点 単位 ミリメー トル

Fig.38 Cooking pots cOvered With iron glaze front NM 2

石 敷 ・ ピット36

石敷・ ピント36

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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報1 (ページ 94-98)