第二章 『借行社記事』に見る陸軍将校の対外観
第三節 陸軍将校たちの対アメリカ観
1.1930年代の日米関係
太平洋戦争開戦の経緯を考えた時、さまざまな要因が挙げられるが、それを主導し た陸軍の責任は免れ難いと言えるだろう。陸軍はどのような対米認識のもとに強硬論 を主張したのか。藤原彰氏は、対米戦争を、r陸軍にとって、対米戦争は本来の目的で なく、中国との戦争の行き詰まりから副次的に派生したものだったのである。」1)、そ して、陸軍が主張した強硬論を、「それは、世界情勢に対する判断も、国力の現実につ いての認識も欠如した、陸軍の立場からの独善的な強硬論であった。」2)としているが、
果たして目本陸軍は、藤原氏が言うような主観的・独善的な貧しい対米認識しか持っ ていなかったのであろうか。
1920年代の目本陸軍の対米認識を、黒沢文貴氏は「それは比較的冷静かつ客観的な ものであったといえよう。」3)、r仮に『敵』意識をさし迫った戦争の可能性の高い敵 (『現実的敵』)と、戦争の可能性の低いイデオロギー・体制上の敵(『絶対的敵』)に 大別しうるとすると、一九二〇年代のアメリカは極論すれば、日本陸軍にとって『現 実的敵』でも『絶対的敵』でもなかったといえよう。」4)と、その考察の結論を提示し、
最後に『現実的敵』と『絶対的敵』の両意識の高揚には1930年代以降の内外秩序の 変動をまつ必要があったと述べている。そして、三輪公忠氏は、「対米決戦へのイメー ジ」において、1930年代に規定された目本の対米イメージが、やがて真珠湾につなが ったことを指摘されている5)
つまり、1930年代のある時期に『現実的敵』としてアメリカが意識され、ついには 太平洋戦争につながる日本の対米認識が形成されたのである。杉田一次氏は、「満州事 変以降、アメリカは強硬な態度に出てきたが、軍の上層部は犬の遠吠えぐらいにしか 思っていなかった。われわれがアメリカに就いて説明しても、聞く耳を持たないよう な状況であった。」6)と、1931(昭和6)年の満州事変がアメリカの対目転換点であ ったことと、陸軍にとって対米戦争が非現実的な存在であったことを回顧されている。
1930年代、日本陸軍の対米認識は、どのような変遷の後に、真珠湾に行き着いたので あろうか。
本節では、『借行社記事』の分析を中心として、1930年代における目本陸軍の対ア メリカ観を考察するつもりである。その際、藤原氏が言うように、目中戦争の延長線 上に目米戦争をとらえることは当然であるが、ここでは、他の重要側面である目独関 係にも注目して、その関係性の中で陸軍の対米認識を取扱いたい。前節で取上げたよ うに、目独関係は、戦前期日本外交の基軸であり、r伝統的なドイツの特殊性」、rヒト ラーの新体制とその発展」、「目独の提携強化」、「独ソ戦」といった諸要素が、陸軍の 対外政策の決定に与えた影響は大きく、1930年代を通じて太平洋戦争開戦に至る目米 関係の動向を決定付ける主要な条件であったと考えるからである7)。
2.r敵としてのアメリカ』とその弱点
満州事変後の目米関係を見ると、翌年には、スティムソン米国務長官の「不承認声 明」によって米極東戦略の原則が示され、さらに1933(昭和8)年の国際連盟脱退通
告は、日本のワシントン体制からの離脱宣言と解される以上、杉田氏が言うように、
満州事変が目米双方における「敵」意識の転換点と考えることができる。
しかし、1930年代初頭、『借行社記事』に投稿・掲載された記事を見ると、満州事 変以前から目米決戦を想定し軍事力の分析8)を行った記事を見つけることができる。
1931(昭和6)年の1月に掲載されたベルンハルディ将軍のr世界の情勢と目米戦争」
9)と、満州事変直前の同年8月号に載った渡久雄大佐の「米國の近況と其の陸軍」10)
である。前者は、第一次大戦において軍団長として活躍したドイツ軍将校の将来戦に 関する観察(米国のハースト系新聞に連載)の翻訳(平岡閏造少佐訳)であり、後者 は、陸軍きっての英米通将校の借行社での講演記録である。
前者では、目英連合対米国、目本軍のアメリカ上陸戦、毒ガスの使用奨励など、や や現実性を欠く側面もあるが、はっきりと目米戦を主要テーマとして記述している。
r海戦に於て勝算は米國側にあり」、r目本軍が米軍に比し戦闘能力の卓越せることは疑ふ 鯨地なき所なり蓋し目本は訓練十分なる常備軍を有するに反し米國は主として民兵により 組織せられたる軍隊に頼らざるべからざるも斯かる軍隊は常備軍と同一程度の協同動作を 期待し得べからざるを以てなり、」(p。199.)
「将来戦に於て決戦の要因は寧ろ訓練拉に士気如何に存し軍隊並に軍需品の多寡に因ら ざることは予の特に強調せんと欲する所なり軍紀厳粛にして能く指揮官を信頼する軍隊は 寡兵を以て衆敵に封し勝利を得ることは世界大戦の實謹する所なり」、「傳統的に勇敢なる日 本軍が戦術上の見地よりして米軍に優れることは毫も疑を挿む鹸地なき所なるも一面米軍 は空中戦に於て甚しく有利なる立場に在り」(p.200.)
海軍力と航空戦力では目本は劣るが、陸軍力においては目本が優位であるという。
その理由は米陸軍が民兵を中心として訓練や士気において問題があるのに対して、逆 に目本軍は伝統的に勇敢であるからとしている。軍における「量より質」という基本 的認識の下、士気・服従心・勇敢さといった「精神力」が目本の強味であると強調さ れており、いかにも目本軍好みの内容と言える。
この論説においては、r才智に乏しきも實行力に富む目本」(p.205.)と、日本人を 見下した表現が出てくる。よくそのまま掲載できたものであると考えられるが、「才智 に乏しき」と見下されても、全体において米国をしのぐ目本陸軍の優秀さを、崇拝す るドイツの将軍が取上げてくれた心地よさが相殺させたのだろうか。いずれにしても、
この論説を掲載した背景には、国力・軍備ではとてもアメリカには及ぶべくもないが、
陸軍兵士の質においては、目本は勝っており負けない、という目本陸軍の自負、また は希望的観測があるように窺われる。
後者は、さすがに英米通将校の考察だけあって、アメリカの歴史、アメリカ人の気 質、国民の軍事意識、具体的な軍事力に言及し、その強大さの認識と目米の融和の必 要性を強調している。軍事力においては、やはりアメリカの海軍力・航空戦力の充実 を説いているが、陸軍兵力については、ベルンハルディ将軍の分析と同じく、民兵を 中心とした米陸軍の欠点を強調する。
一73一
「凡そ民兵制度に固有の最大の敏馳は平時に将校下士卒を十分に訓練することが出来ない ことにあります。」、「目本の軍隊のやうに訓練が行届かない。是は非常に陸軍としては欲黒占 であります。」(pp.182.一183.)
「戦争が長引けば困るのは却って亜米利加側であるかも知れない。第一に中々金が掛るの で、目本の十倍や十五倍で済めば上出来である。又目本との戦争などに國論の一致、國民の 支持を得るといふことは非常に困難である。又兵数が多いからといってなかなか戦争は数字 ばかりではいかない。」(pp.186−187。)
そして、戦争の勝敗は兵力や軍備の数字だけでは予測できず、国民の考え方、世論に も左右される点は、アメリカに不利であるとしている。長期戦になるとアメリカの方 が不利であるという指摘には疑問は残るが、目本人のアメリカに対する誤解を警告し、
アメリカ人の思想と特性を研究するべきであるという主張には、情報分野の専門家ら しい姿勢が見られる。
「私も用心をして申上げますが亜米利加の事をよく研究しない人は、よく亜米利加といふ 國は飽くまで平和主義の國であるといふのであります。」(p,183.)
「吾々として我が國力から考へても、太平洋の存在から観ても。さういふ軍事に暗い者の いふ無責任な桐喝に恐れる必要は無い。」(p.187.)
目本人の誤解とは、アメリカを平和主義の国と甘く評価したり、その巨大さに不必 要な恐怖心を持つことを指しており、冷静に分析・観察する必要があるというのであ り、その背景には、「敵としてのアメリカ」という明確な意識が感じられる。しかし、
お互いの利益のためには、「目米の将来といふものは融和して行かなければならぬ」と 断言しており、戦争可能性の高いr現実的敵」としての認識はない。
3.r病めるアメリカ』とr絶対的敵アメリカ』
1929(昭和4)年、ニューヨークから始った世界恐慌は、目本にも波及し昭和恐慌 をもたらしたが、「病めるアメリカ」、「脆い巨人」という対米イメージを目本国民に与 えた11)。そのイメージはアメリカを「敵」として意識し、米軍の弱点・欠点を求める 目本陸軍将校には、アメリカ評価における絶好のマイナス材料となった。
1933(昭和8)年から1935(昭和10)年にかけて、『借行社記事』には、不況克服 に苦悩するアメリカを取上げた記事が、盛んに掲載されている。昭和8年6月号「米 國の苦悩」、昭和9年3月号「最近の米國事情」、昭和10年1月号「米國の動向」な どである。
「黄金の國 米國も永久に其繁栄を誇るを得ずして昭和四年を頂黒占とし爾後経済不況への 一路を辿り其窮極する威、銀行恐慌となり、金輸出禁止となり、世界は其蹄趨に重大なる関 心を注ぎあり」12)、
「将来の見込み一米國現時の不況克服運動が、結局成功するや否やを豫言し得るものは一 人も無いと言って好いかも知れぬ。… 結局成功するとしても可なり長年月を要するいふ事 だけは確實である。」13)、