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武藤章とクラウゼヴィッツ

第三章 武藤章の対外観の基礎とその要因

第三節 武藤章とクラウゼヴィッツ

1.ハンチントンとクラウゼヴィッツ

  第三節r武藤章とクラウゼヴィッツ」においては、軍人武藤章のr対外観」の基礎  になると考えられる「戦争観」や軍人としての「職業観」(職業倫理、責任など)を把  握することを目的としている。そのための手段として、武藤の研究論文「クラウゼヴ  ヰツ、孫子の比較研究」を分析することによって、彼がどのようにクラウゼヴィッツ  を理解していたかを考察し、クラウゼヴィッツを指標として、目的に接近したいと考  えている。なぜならクラウゼヴィッツこそが、現代にまで影響力を持つ戦争理論を構  築し、軍人という専門的職業に理論的根拠を与えた最初の軍事思想家と考えるからで  あり、また、武藤章がクラウゼヴィッツにこだわりを持ち、意欲的な研究を行ったと  いう事実1)があるからである。ただし、武藤のクラウゼヴィッツ理解を問うに際して  は、日本陸軍のクラウゼヴィッツ理解や受容のレベルを、まずは問題とすべきである  と考えている。

  サミュエル・P,ハンチントンの『軍人と国家』といえば、近代国家における有力  な政軍関係理論を提供した古典的著述である。ハンチントンが提示する政軍関係理論  の中でも最も重要な概念は、「プロフェッショナリズム」である。彼によると「プロフ  ェッショナリズム」は、専門の技術、責任、官僚的性格の3つに特性づけられ、将校  という専門的職業の場合、それらにそれぞれ次の三つが対応するという。専門技術と  はr暴力の管理」、責任とはr社会の軍事的安全保障」、官僚的性格とはr将校制度が、

 公共的な官僚化された専門職業であること」である2〕。

  ハンチントンは、徹底したプロフェッショナリズムと健全な文民統制は表裏一体の  関係にあると考え、その文民統制について最初に理論的正当化に貢献したのがクラウ  ゼヴィッツであると明言する3〕。そして、政軍関係のあるべき姿、理想的な文民統制  を具現化したのが、第一次世界大戦に至るまでのドイツ第二帝制(1871〜1914)であ  り、ドイツ将校団にプロフエッショナルな将校団の理想の姿を見出している4)。しか  し、ルーデンドノレフについては、「ルーデンドルフは、職業軍人の伝統をあっさり拒絶  した。『クラウゼヴィッツのすべての理論は、放棄されなければならない。』十八世紀  以降の戦争の性格の変化が、戦争を政治に従属させるというよりも、政治を戦争に従  属せしめるようになった。」5〕と述べている。

  そして、ハンチントンは、目本の将校団を世界中で最も専門職業的精神に欠けた、

 ミリタリー・プロフェッショナリズムの本質を持たない軍人集団であると規定し6〕、

 さらに、統帥権独立制が、「二重国家」を創り出し、そのために軍が民に対して優位に  立っていた、としている。つまり目本の政軍関係においては、将校団自体の性格と政  軍関係の法的構造の2点に問題があるというのである。「目本のシビル・ミリタリー・

 リレーションズのパターンは、シビリアン・コントロールからの軍の独立と、軍の専  門職業上の責任における職業軍人の倫理とセンスの不在という二つの点において特徴  づけられる。」7〕と述べている。ハンチントンによれば、クラウゼヴィッツの政軍関係  理論から最も遠い所にあったのが、目本の将校団であったというのである。果たして  目本陸軍はクラウゼヴィッツをどのように理解していたのだろうか。

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 もちろんハンチントン理論および彼の日本将校団評価については、さまざまな批判 がなされている。「プロフェッショナリズム」の徹底のみで軍の政治介入阻止を実現で きるかどうか、モルトケの時代が本当に「政軍関係」の理想的な時代であったのかど うか、目本軍人が専門的職業精神の欠けた集団であったのかどうかなど、これらにっ いては、特に三宅正樹氏8〕が、ヴェーラーやファイナーの主張を紹介しっっ、ハンチ ントン批判を丁寧に展開しておられる。

 しかし、ここで筆者は、ハンチントンの主張に関連する次の項目に注目したいと考

えている。

①クラウゼヴィッツの『戦争論』が、軍人のプロフェッショナルな倫理を具現  化したものであり、政軍関係のあるべき姿を描いたものとして高く評価できる  こと。

②法的な構造である「統帥権の独立」が、

 する軍の優位がもたらされたこと。

目本型の政軍関係を規定し、民に対

上記の2点を意識しながら、クラウゼヴィッツ理解を1つの指標として、目本陸軍お よび武藤章の戦争観、職業観、政軍関係理解に近づきたいと思う。

2.クラウゼヴィッツ『戦争論』の意義

  『戦争論』といえば、「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続  にほかならない」9〕という言葉があまりにも有名である。ナポレオン戦争に始まる近  代戦を論じて戦争観を革新したといわれる『戦争論』は、モルトケ・シュリーフェン・

 ヒンデンブルク・ゼークト・フォッシュなどの将帥に影響を与えただけでなく、エン  ゲルス・レーニンなどの思想家からも高い評価を受けている10)。また、ヴェトナム戦  争に勝利できなかったアメリカは、その原因を究明するために、米国国防大学におい  て『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』という古典研究によって、教訓をくみ取ろ  うとしたという11)。現代にまで影響を持っクラウゼヴィッツの『戦争論』の意義を簡  単に確認しておきたい。

  『戦争論』の訳者篠田英雄氏は、『戦争論』の意義を3点挙げている12〉。

1)戦争を政治の中へ組みいれたこと、これによって戦争は孤立し一種独特の政   治的出来事であることが明らかになった。また、これにより「戦争は政治の   手段である」という命題が導来される。

2)戦争の原型(絶対的戦争)を見極めたこと。

3)戦争の本性を、敵戦闘力の撃滅(撃滅戦略あるいは繊滅戦略)に見出したこ

  と。

『戦争論』は、「戦争本質論」、「戦略論」、r戦術論」、「戦争計画論」の4部分からな っている。「戦略論」・「戦術論」においてもクラゥゼヴィッツは、独自の特異な理論を 展開している(『戦争論』の中で実際に最も多くを占めるのが「戦術論」である。)が、

クラウゼヴィッツ自身、r要するに完全と見なされるのは、第一篇第一章だけである、

少なくともこの章は、私が本書全体に与えようとした方向を指示するに役立つと思 う。」13)と述べているように、『戦争論』の中でも最も重要性が高いと考えられるのが、

第一篇第一章であり、戦争の本質にっいて説明したものである。そして、それは上記 の篠田氏が挙げた3点にっながるもので、「戦争とは何か」を述べている。

 クラウゼヴィッツは、戦争とは、r政治の継続」であり、それには2種類あるという 14)。1つは、武力の行使が極限に達する残滅戦となるr絶対戦争」、もう1っは、さ まざまな面から武力行使が極限に達しない「限定戦争」であり、後者のみが現実の戦 争として生起するというのである。そして、「政治は知性であり、戦争は道具にすぎな い、決してその逆ではないのである。」15)と、戦争は手段にすぎず、軍事的視点は政 治的視点に従属すべきであると主張する。ここから軍事に対する政治優位の思想、シ

ビリアン・コントロールの根源が出て来るのである。

 さらに、政治家と軍人の関係、政治家の資質についてクラウゼヴィッツは、「政治 の継続」である戦争の主導者は「政治家」であって「軍人」ではないとする。「書類の 処理に没頭している陸相、学識ある技術将校、或は野戦に堪能な軍人が、それだけの 理由で立派な首相になれるなどと考えるものではない。j16)というのである。ただし、

政治家が常に正しい判断を為せるとは限らないので、政治家もr政治的交渉を行うに は、軍事に対する或る程度の洞察を欠いてはならない、」17)としている。つまり、政 治家には軍事的資質が必要であるが、戦争において、内閣が行うべきことをr軍人」

がr政治家」にとって代わって行使することは、不合理極まる許し難い行為なのであ り、ここに政軍関係における軍人の重要なる職業倫理を見ることができるのである。

 郷田豊氏は、『戦争論』が今目まで長く読み続けられる理由として、一つは、戦争の 本質が非常に的確に述べられていること、二つ目は、戦争と政治、政治と軍事などが、

詳しく論じられていること、三つ目は、戦略論・戦術論が今目的にも正しいこと、が 挙げられると述べている18)が、クラウゼヴィッツの『戦争論』に盛り込まれた深い 軍事思想は難解であり、誰にでもすぐに接近し受容できるものではなかった。ドイツ、

イギリス、フランス、アメリカという欧米先進国においても、その基本思想が正しく 継承されたわけではなく、時にはr絶対戦争論者」、r残滅戦思想の聖典」のように誤 解されたのである19)。このようなクラウゼヴィッツ『戦争論』に対する誤解は当然、

日本軍事界にも影響を与えたことであろう。

3、日本陸軍のクラウゼヴィッツ理解

  目本における『戦争論』の邦訳は、「鴎外・森林太郎の翻訳をもって噛矢とする」20)

 が、翻訳の試みは、メッケル少佐来目2年目(1886年)から、フランス語訳を底本  として始められたようである(難解のため、1年足らずで中止)。そして、翻訳の完成  は目露戦争直前の1903(明治36)年で、第一・第二編は森鴎外がドイツ語から、第  三〜第八編は陸軍士官学校教官がフランス語から訳出し、『大戦学理』として出版され

 た21)。

  前節において、メッケルの影響を受けた作戦至上主義、戦術中心主義という、陸大  の教育内容の問題点にっいては言及したが、日本陸軍がクラウゼヴィッツの軍事思想  の影響を受けなかったという訳ではない。前原透氏によると22)、目本陸軍の『戦闘綱

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