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1.判定と刑の宣告

  判決公判最終目の1948(昭和23)年11月12目、事実論の朗読が終り、「起訴状の  訴因についての認定」が朗読された。裁判所が被告の有罪・無罪の判定において考慮  する訴因は、合計10項目に大幅削除されることになり、引き続いて各被告ごとの有  罪・無罪の判定部分の朗読に入った。

  武藤章は、起訴状段階では48項目にわたり訴追されていたが、9項目にっいて判定  が行なわれ、7つの訴因について有罪となった1)。訴因1「侵略戦争遂行の共同謀議」、

 訴因27「対中国侵略戦争遂行」、訴因29「対米侵略戦争遂行」、訴因31「対英侵略戦  争遂行」、訴因32「対蘭侵略戦争遂行」、訴因54「違反行為の命令、授権許可による  法規違反」、訴因55「違反行為防止責任無視による法規違反」2)の7つである。

  判定文には、「軍務局長になったときに、かれは共同謀議に加わった。j「この期間に  おいて、共同謀議者による侵略戦争の計画、準備及び遂行は、その絶頂に達した。こ  れらの一切の活動において、かれは首謀者の役割を演じた。」(『速記録』,第10巻,

 p.801.)とある。やはり、軍務局長という役職にあった軍人武藤章の行為が有罪とな  っており、起訴状や最終論告の主張がそのまま反映されているのである。

  そして、訴因54・55の有罪は、北部スマトラにおける近衛師団長時代〔1942(昭  和17)年4月〜1944(昭祁19)年10月〕とフィリピンにおける第14方面軍参謀長  時代〔1944(昭和19)年10月〜1945(昭和20)年9月〕の捕虜・一般人抑留者・

 一般住民への残虐行為に対する責任であるが、この有罪が彼の生死を分けた可能性が  大きい。武藤もそれを察知したらしく、昼食後の妻子との面会において、「私は絞首刑  にきまった。今更云ふことはないが、二人とも勇気を失はずに暮らしなさい。」と語っ  ている。3)

  休憩後、刑の宣告が行なわれ、武藤はr絞首刑」を宣告された(p.807.)。r絞首刑」

 を宣告された7名について見ると、第三類r通例の戦争犯罪」の訴因54、55のいず  れかについて有罪と判定されている。このことから、被告を極刑へと導くほど重要視  されたのは、「文明の裁き」の中心をなす「平和に対する罪」ではなく、旧来からの戦  争犯罪ではなかったか、という見方も可能である4)。さらに絞首刑となった7名の被  告のうち、訴因54と55の両方に有罪と判定されたのは、木村兵太郎5)と武藤章の2  人である。二人は、ほぽ同時期に、陸軍省の次官と軍務局長、その後、現地軍の司令  官と師団長・参謀長であった。すなわち「陸軍省の幕僚」及び「現地軍指揮官」とい  う陸軍内での役職が、罪刑に反映されたと考えられる。一般に東京裁判においては、

 「海軍」よりは「陸軍」、同じ陸軍でも、「参謀本部」よりは「陸軍省」の軍人に厳し  い判決が下された6)。このことは、「天皇免責」の政治的判断も関係するが、アメリカ  による目本陸軍評価の一側面と考えることができる。

  1948(昭和23)年12月23目午前零時1分、次の辞世を残し、武藤章は絞首刑と

 なった。

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「独房は師走の雲の動くのみ」

「うっし身の折りふし妻子恋ふといへどますらたけおは死におくれせじ」7)

2.武藤章の東京裁判観

   「絞首刑」により幕をおろしたこの裁判を、武藤章自身は、どのように捉えたのか。

 武藤口供書、弁護側の主張内容からすれば、当然、理不尽極まりない結果と考えたで  あろう。特に検察側追及の基礎となった田中隆吉証言については、受け容れ難い思い  が強く、不可解でさえあったのではないだろうか8)。事実、田中隆吉は、戦後、「目本  のユダ」というような形容で非難されることが多い9)が、このことに関して、当の武  藤章はその回想録において、全く非難めいた恨み言を書いていない。そればかりか次  のような記述を、勾留中の巣鴨目記に残している(武藤章 『比島から巣鴨へ』,実業之

 目本社,1952年,p.295.)。

 「十一月五目

判決第二目の朗読がつづく。…… 私の良心は無罪と判定してゐるが、裁判官はなんと判 定するかもしれぬので…… 。今度の裁判は、ポツダム宣言と云ふ政治命令に従って行な われたもので、法律によったものではない。裁判官たちが各国の代表であるかぎり、国家 の政治命令に従ふのはやむをえない。弁護士が法律を楯にとっても、政治命令の前には無 力である。私は判決に興味をもつ。彼がいかに法をごまかして、政治に従ふかは見もので

ある。j

 1週間後に死刑判決を受けることとなる武藤章の東京裁判観である。彼はこの裁判 がr法の裁き」を装うr政治裁判」であることを承知していたのである。矢次一次氏 は、武藤の次のような言葉も戦後伝えている10)。

 「この戦争裁判を段々見ていると、アメリカの劃日占領政策における政治的ショウだと いうことがはっきりした。… 田中の言ったことなど、僕はもう何とも思っていないし、

アメリカは、宣伝価値のある何人かは、必ず絞首刑にするだろうし、その中に加えられれ ば、比島で死ぬはずの僕にとって、先輩同僚と賑かに死ねる光栄をこそ喜ぼう。田中が言 ったこと位で、アメリカが僕の生死を決めるとは考えられぬ。私はすでに死を決している。」

 北岡伸一氏は、東京裁判は、戦争から平和への大転換を実現するための国際政治上 の巨大行為として、最もよく理解できると、その性格を結論づけている11)が、武藤 は、この裁判の本質を「政治的ショウ」であると、被告席から見抜いていたのである。

そこには個人的な恨みといった感情を超越した諦観と達観さへ見られ、軍人武藤章の 政治に対する透徹した洞察力が窺える。

 また、武藤は刑の宣告を受けた目の日記に、次のような記述を残している。

 「判決の構成は、目本の侵略戦に関する共同謀議は、目本陸軍が中心となって、計画し準 備し実行されたと云ふやうになってゐる。この判決を首尾一貫したものとするには、陸軍を 罰せねばならぬ。ところが目本陸軍のどこをとってみても、ナチスの如き共同謀議の主体が ない。そこで東条を中心とした次官と局長とを槍玉にあげたものと思はれる。だが、単に共

同謀議だけでは、絞首刑と云ふ訳にはゆかぬので、木村にはビルマの惨虐事件を、武藤 にはスマトラ、比島の事件をくっっけたものと思はれる。」(『比島から巣鴨へ』,p.311−312.)

 死刑判決を受けた者としては、まるで他人事のような、極めて冷静な分析と言える。

この武藤分析の真偽について、ここで即断することは避けるが、一定の論理性と説得 力を有すると評価できるであろう。武藤は起訴状から判決を貫く検察側の論理を、そ の政治性を明確に理解していたのである。

3・r歴史の裁き』としての東京裁判

  東京裁判を「法の裁き」として見た場合の疑問については、有名なパル判事の少数  意見をはじめ、多くの関係者・研究者12)から指摘がある。それでは、東京裁判を「法  の裁き」以外、どのように見るかといえば、「歴史の裁き」とせざるを得ないだろう。

 哲学(倫理学)者加藤尚武氏は、「歴史の進歩のためには法を犠牲にすることもやむを  得ないと考える『法にたいする歴史の優位』という思想が、東京裁判を支配した思想  なのである。」とし、そのr歴史」の意味は、米軍の支配という歴史、民主化という歴  史の動向、マルクス主義型の歴史意識が働いていた、と述べている。そして、戦争裁  判では、歴史の論理と法の論理の混同が、自覚的に行なわれたと指摘し、その歴史の  論理の根底には、r特殊西欧(アメリカ)=普遍近代(正義)」という構造があり、お  のれのエゴイズムを普遍的理念で表現するアメリカの欺隔があると分析している13)。

  本章においては、その自覚的な歴史の論理、つまり東京裁判における「歴史の裁き」

 の中から、r連合国が見た目本陸軍像と武藤章像」を得ることを目的としてきた。しか  し、歴史学者マイニアは、東京裁判は、「歴史の裁き」としても失敗であると指摘する  14)。確かに判決文に映し出された日本陸軍像も武藤章像も、政治的に何らかの着色が  施されていたことは、否定できないであろう。(同時に、弁護側の主張に誇張や脚色が  皆無であるとも断言できないが。)さらにマイニアも指摘するように、本来、歴史の過  程は戦争裁判の判決で説明し切れるものではないのである。やはり、あくまでも目本  陸軍と武藤章の対外観は、戦争という危機的時代における状況的存在として、歴史の  中に評価をもとめる以外にないのである。

  しかし、本章の試みにより、連合国が認識した目本陸軍と武藤章の対外観の一端に  触れることができた。以後は、これを目本陸軍と武藤章評価の原点として位置づけ、

 歴史の中に日本陸軍と武藤章の対外観を追及する作業を継続したいが、その際、武藤  章が軍人であるということは、重要な視点であると考えている。彼は政治家でもなく  文官でもない、ましてや現代的な意味での平和主義者ではない。武藤章はどこまでも  日本陸軍軍人として評価されるべきであり、戦争という極限状態における、軍人とし  ての思考と行動が問われているのである。

4.軍人の職務

   武藤最終弁論の最後には、次のような言葉が述べられている。

 r武藤が職業軍人であった事を我々は法廷に向って力説するものであります。お互いの國 には職業軍人があり、彼等が我々の安寧の為の重要欠く可からざる寄與をして居ることを認 むるものであります。我々は彼等が全世界到る庭、又古来から軍に共通なる勤勉及び任務な

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