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1.判決文の朗読

  東京裁判は、1948(昭和23)年4月16目、すべての審理を終え、その後、判決の  朗読に入ったのは同年11月4目であった。判決文1)は、英文で30万語、1211頁に  達する長文で、7目間かけてウェッブ裁判長が朗読し、最終目(11,月12目)に各被  告に対する判定が言い渡された。

  判決文は、大きく分けて3部構成となっている。A部として裁判所の設立や管轄権  をめぐる法律論的な部分が先ずあり、続いてB部で判決の中心をなす事実論の説明が  行なわれ、最後のC部で訴因についての認定と判定・刑の宣告が行なわれている。B  部を見ると、第四章「軍部による目本の支配と戦争準備」、第五章「目本の中国に対す  る侵略」、第六章「ソビエット連邦に対する目本の侵略」、第七章「太平洋戦争」、第八  章「通例の戦争犯罪(残虐行為力からなっている。第四章においては、起訴状と同時  期の目本国内史を記述しているが、その理由として、被告個人の責任を判定するには、

 当時の目本の国内政治を考察し、責任が誰にあるのかを明確にする必要があると、そ  の序論2)で述べられている。

  そしてその基礎の上に、第五章以下で「対中国」・「対ソ連」・「対米英蘭」などの各  事実論を詳述しているわけで、つまり目本の対外的な(侵略)行為は国内政治の結果  であって、目本の国内史の中で、誰が、いかに、目本の国内政治を支配してこのよう  な結果を作り出したのか、その主役と役割をはっきりさせることで、判定及び刑の宣  告の基礎となる前提を構築しようとするものであった。結論からいうと、判決文第四  章が語るその主役は目本陸軍である。そこで、本論文第一章の目的から考えて、この  判決文第四章を中心に連合国が捉えた日本陸軍を分析したい。そして軍人武藤章像に  ついては、判決文第四章、第五章以下の各事実論およびC部第十章「判定」を主に利  用する。

  B部第四章以下の検討に先立って確認したいのは、判決文A部第三章である。ここ  では、目本が1930(昭和5)年以前に中国において取得した諸権利と同時に、列強に  対する日本の義務を規定した国際的な諸条約を明記し、最後に以下のように結んでい

 る。

 「目本は世界の文明社会でその一員としての地位を占めることを主張し、平和を増進し、

侵略戦争を不法とし、また戦争の惨害を軽減するためにっくられた以上の義務を自発的に負 っていた。被告の行為は、これらの義務に照らして観察し、判断されなければならない。」(『速 記録』,第10巻,p602。)

1900年の「門戸開放宣言」からの諸条約・宣言を列記しているが、後の判決内容から 重要なのは、やはり1907年の「へ一グ條約」、1922年の「九國條約」、1928年の「ケ ロッグ・ブリアン条約」(不戦条約)、1929年のrジュネーブ俘虜條約」であろう。判 決の本論となるB部に先立って、わざわざ目本が違反した国際諸条約を明記する意味 は、もちろん検察側の起訴状(および附属書)を受けてのこと3)であるが、判決も、

目本の国際的犯罪行為を起訴状の趣旨にそって追及することを示している4)。そして、

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B部第四章において、最も数多く言及される国際条約は、九ヵ国条約であり、判決文 が(連合国が)、いかに、中国の門戸開放政策とワシントン体制という米英主導の国際 秩序を、原点として重視していたかが理解できるのである。

2.国内政治と日本陸軍

  いわば判決の歴史編とも呼ぶべき第四章(『速記録』第10巻,pp.602−678.以後は  ぺ一ジ数のみ表示。)では、田中内閣から東条内閣に至る期間、目本国内で起こった各  種の出来事を取上げているが、その特徴は、冒頭の部分(p.602.)に語られており、

 全文を読まずとも大意を推測できる。「軍部とその支持者が目本政府部内で非常に有力  な地位に段々上っていった」ので、「他の政府機関」は、「軍部の野望に対して実効の  ある抑制を何も加えなかった」。「軍部が優位を占めることによって頂点に達した政治  闘争」に各被告は関係を有し、「目本の軍事的冒険とそれに対する準備」が行なわれた、

 というのである。「皇道と八紘一宇の『原理』」に始まり、「三國同盟締結に際しての目  本の指導者の意図」まで、190を超える小見出しを設定して記述がなされているが、

 全文を通して読むと、以下の諸点に気付く。

①政治的行為の主語として、r軍部」、r陸軍」、r軍部派」、r陸海軍」、r共同謀議者」

 が多用されているが、最も多いのは「陸軍」という主語である。

②1936(昭和11)年8月7目5)、広田内閣の下で決定された「國策の基準」が極  めて重要視されている。

③目本の行為を「九國條約」違反、あるいは軽視と断定している箇所が多く見られ

 る。

④最後に「三國同盟」の締結を置き、国内支配の重要な到達点と位置付けている。

 ①については、判決文がいうr軍部」、r軍部派」、r親ドイツ派」、r共同謀議者」な どの表現は「陸軍」を指し、「陸軍」こそがこの時期の国内政治を支配したことを意味 している。満州事変から目中戦争、そして太平洋戦争へと、目本を導いた「共同謀議 者」は、「陸軍」であるとする6)。

 ②の「國策の基準」の重視については、冨士信夫氏もその著作において強調してい る7)。判決文は、「國策の基準」の字句の一部を引用して、その性質を断定している。

「國策の基本原則は、日本を内外両方面で輩固にし、目本帝國が『名実共に東亜の安 定勢力となり東洋の平和を確保し、…』 ……。 國策の確立とは、『外交國防相侯っ て東亜大陸に於ける(目本)帝國の地歩を確保すると共に、南方海洋に進出発展する』

ようにすることであった。」(p.609.)「國策の基準」は、当時の陸海軍の戦略構想に対 応して策定されたもので、たしかに南進と北進を折衷的に述べているが、判決文は、

これこそが目本の侵略戦争、つまり目中戦争から太平洋戦争への共同謀議の基礎をな す国策であったとしている。

 そして、冨士氏も指摘するように、この「國策の基準」を、それ以後に発生した出 来事と執拗に結びつけている。「国家総動員法の制定」、「興亜院の設立」、「平沼内閣の 設立」、「米内内閣の外交政策」、「第二次近衛内閣で決定した『基本国策要綱』」など、

すべてが「國策の基準jを基礎としていると断定し、目本の目標は「大東亜新秩序」

の建設であり、そのために「三國條約」を締結した、と結論につなげている。

 ③の「九國條約」について触れた箇所は少なくとも12箇所以上あり、その箇所を 要約すると、次のようになる。広田内閣での「國策の基準」に示された政策が、「九國 条約」違反であり、第一次近衛内閣から平沼内閣にかけての中国政策も「九國条約」

を軽視している。その後はドイツの勝利が刺激となり、軍人のみならず政治家の中に も、ドイツの援助を頼んで、米英依存からの脱却をはかるため、「九國条約」廃棄まで 主張する勢力が強くなっていると述べている。つまり目本は、自己の中国政策・南進 政策推進の障害となる「西洋諸国」に、武力で対抗する意志を持って、「九國条約」に 反発していたが、やがて、そのような認識が、「三國同盟」締結に結実したとしている のである。

 ④の「三國同盟」の締結に貢献した人物として、大島、白鳥、松岡などが幾度とな く登場するが、同時に「陸軍jが「三國同盟」の締結を推進した中心勢力であったと する記述も一貫している。小見出しにおいては、「軍閥は枢軸諸國との完全な結合のた めに活動を継続」(p.657.)、「西洋諸國に対抗して日本とドイツを同盟させる軍部派の 共同謀議」(p.658.)、r親ドイツ派、米内内閣の打倒と枢軸同盟の締結を準備」(p.667.)

というように、「陸軍」の文字はないが、その内容を一読すれば「軍閥j、「軍部派」、

r親ドイツ派」がr陸軍」を指すことは明白である。さらに、r三國同盟」の締結も、

r一九三六年八月十一目の國策決定に基づく第二次近衛内閣の政策」(p.674.)として、

「國策の基準」がその基礎となっていたとしている。そして、判決文は、「三國條約は、

侵略國の間で、その侵略的目的を促進するためにつくられた」(p.678.)と目本をナチ ス・ドイツと同列に置き、最後にr共同謀議者は、今や目本を支配した。…… 中國 における侵略戦争が少しもカを弱めずに続けられていた間に、さらにいっそうの侵略 戦争のためのかれらの準備は、完成への道を大いに進んでいた。」(p.678.)として、

その後の太平洋戦争に結びつけている。

3.連合国から見た日本陸軍

  これまでの分析を受けて、判決文における連合国の目本陸軍認識をまとめたいが、

 その際には、本章第一節のr視点と方法」で確認した留意点に従いたい。

① 目本陸軍は、当時の国際体制をどのように考えていたか。

 判決文は、目本陸軍によって主導された「國策の基準」が、満州事変から太平洋戦 争に至る日本の侵略行為および国内支配政策すべての基礎であり、「國策の基準」に示 された政策は「九國条約」違反であると断定している。また、連合国に対して目本が 行なった戦争は、侵略戦争であるところから、「ケロッグ・ブリアン條約」(不戦条約)

にも違反することが大前提となっている。(その他、一般住民への残虐行為や俘虜虐待 による「へ一グ條約」、「ジュネーブ俘虜條約」違反にっいても、陸軍省、中でも軍務 局が責任を問われる8)こととなる。)特に、目本陸軍は東アジア支配および南方進出 を国策としており、その目的のためには同地域に権益を有する西洋諸国に脅威を与え、

その権利を侵害することも辞さなかったのである。

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